宵
黒川魁
小池由奈。21歳。女子大学生。
この街には生まれた時から住んでいる。だから、目新しいものが見られるとかそんなことは期待しているわけではないけれど、でもどこか、刺激的な何かを望んでいたのかもしれない。
見慣れた電信柱。雨風に打たれ続けてずいぶん色褪せた探し人のポスター。ひびの入った古い煉瓦塀。それらの全てが等しく星月の光に穿たれて見慣れない姿へと変化している。曲がり角の先にある小さな公園も、昼間とはまるで違った姿を見せている。どこか背徳的で、妖艶だ。子供たちに影のかかることのないように配置された遊具も、その内に入り込んだ人間を逃さないように囲い込む檻のように静かに佇んでいる。
男を初めて見たのもその公園の檻の中だった。
深夜三時。上下スウェットにすっぴんの私が外へ繰り出すのはたいていそれくらいの時間だった。全てを済ませ、仮眠を取ってから行うルーティーンのようなもので、早い時間になることもあればもっと遅くになることもある。ただ意味もなく歩くだけ。深夜徘徊だ。しかし、ここのところは理由もあってなるべく同じ時間になるようにしている。
家の前から東へ三つ信号機を越えた辺り、住宅街のど真ん中へ向かって歩いていったところにある小さな市民公園に入ると、必ず通りかかる男。正確に言えば男の影なのだが、彼はまるで私に合わせているかのようにいつも同じタイミングで私のルートの少し先を歩く。意味もなく回り道をしたり、別の道に進んだりしても気がつけば私の前を歩いている。
妙な話だが、この男に私は好奇心を抱いた。彼からしたら私はストーカーのように写っているかもしれないが、それは誤解だ。むしろ、彼が私をつけているようにも錯覚するほど無意識的に同じ道を選んでいるのだ。この世の全ての出会いは運命であるとロマンチストな友人に囁かれたことがあるが、もしかしたらそんな言葉は真実であるのかもしれないと思うほどにこの男とは何か特別なものを感じた。
そして、日々彼との奇妙な運命による関係が続いていくほどに、私の好奇心は男の私生活や人間性にまで及んでいた。
一体どこに住んでいるのだろうか。どこかしらの曲がり角に差し掛かったとき、彼の姿はなくなっている。どこの、と言えば同じ曲がり角ではないため家に着いたからいなくなった、とは考えにくい。だからとてそれなりの体躯の男が野良猫のように煙に巻いて消えてしまうということもないだろう。
一体どんな背景があるのだろう。もしかしたら妻子があって、何らかの原因によってうまくいっておらず家にいるのが苦痛で仕方ないのかもしれない。もしかしたら遅い時間までアルバイトをしていてただ帰路についているだけの学生なのかもしれない。
月に照らされた後ろ姿だけでは妙齢でないことしかわからない。歩き方にこれといって特徴があるようにも感じない。ただ強いて言うならば、男はメガネをかけている。それだけは確実なようだった。曲がり角でチラリと見える横顔から不自然に反射する光。それだけが判断材料であるのだが。
男は私の前を歩き続ける時間が日に日に長くなっていった。何か意図していることがあるのかはわからない。行動が大きく変わったわけでもない。それまでと同じ速さで、同じ公園の影から現れ、気づいたらいなくなっている。ただ、長い時間私の前にいればいるほど私の男への関心は一層強いものになっていった。
ある時、私は走り出した。男の前に出てみたい。というか私は認識されているのだろうか。男を構成する記憶の一つに私を介入させたくなった。
これは、アイドルやバンドのメンバーに認知されたいオタクの心情に似ているのかもしれない。男は私の願った通り、反応した。こちらを振り返らず、私に追いつけるか追いつけないかの絶妙なスピードで走った。認識されている。理解した私はさらに足を早めた。高校時代の長距離走の経験が生きていると感じた。呼吸を乱さず、着実に男との距離を縮める。
男は少しずつ息を荒げている。思っていたより低く、どこか聞き覚えのある声のような気がしたが男を追い抜かし、少しでもその脳裏に私という存在を刻み込んでやろうとばかり考えていた私には男の正体などはどうでもよかった。
追い抜ける。そう思った曲がり角、無意識に男の外側に回り込んでいた私はその手に握られたものを見た。
スマートフォン。そこに写っていたのは、私だ。正確には、ベッドの上で男に馬乗りになって乱れる、私。
失速した私を置き去りにするように、男は走り去っていった。
私を狂おしいほどに惹きつけた運命の男は、私が捨てた過去の男だった。
それで、私の深夜徘徊は唐突に終わりを迎えた。もう二ヶ月も前のこと。
宵 黒川魁 @sakigake_sense
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