2-2
リノリウムの床を鳴らしながら、短いスカートとセミロングの髪を揺らす。
整った顔立ちで、口をへの字に強く結んだまま、姿勢よく彼女は廊下を歩いていた。
手にはタブレットと数冊の本が持たれている。
昼休みの、一年生の教室が横に並ぶ廊下――そこは入学から数日しか経っていない、お互いの距離を測っている静かにも騒がしくも慣れないぬるい温度感が広がっていた。
穏やかに話し声が雑音として聞こえてくる。
しかし少女だけは期待も、馴れ合いも必要としていないかのようにすました顔をして、誰とも目を合わせない。
この穏やかな波の中で凪いでいる、無風帯のよう。
廊下で歓談する生徒たちは少女の様子にぎょっとして、視線を二度か三度向けた後にそっぽを向いて、押し黙る。
彼女の背後に回ってからようやく止めた呼吸を再開するように口を開いた。
しかしつい数秒前の話題を忘れて、少女について決まって話し出す。
利発な彼女は既にそれに気が付いているようで、呆れたように短く溜息を吐く。
少女は見えもしないのに自分の右頬あたりに視線を動かした。
そこには恐らく赤く腫れた手形がある。
誰かに何か不要なことを言って食らった平手打ちの痕がくっきりとあるはずだ。
頭一つ抜けた少女の容姿ではなく、入学から数日も経たずに受けた喧嘩の痕に彼らは魅入られていた。
喧嘩、悪口ほど話題性に富んだものはない。
中学の頃はほとぼりが冷めるまで保健室に逃げ込んでいたが、今の少女にとってそれは不服だった。
自分は彼らより優れているのに。
彼らは自分より劣っているのに。
第二美術室を陣取り、依頼品を仕上げてしまおうか。
傷を舐めるように少女の思考はイラスト製作へと遠のき、いつか読んだ漫画の登場人物に自分を当てはめて妄想を膨らませていた。
春の教室、ぬるい温度の風がカーテンをたなびかせるが、自分以外ここにはいない。
埃と絵の具の臭いが充満するそこで、授業も行かず入念にペンを走らせる。
邪魔者は誰もいない、孤独ではなく孤高にて、絵を描く。
鼻の穴を膨らませ、その妄想を再現するべく向かう脚は少し早まっていた。
「衿谷君って知ってる?」
少女は聞いた名前にぴくりと耳を反応させた。
自分にではなく、隣にいる女子生徒たちが話しているだけと気付いたのは少し後だった。
女子生徒たちは教室内で話していた。
廊下と教室を隔てる窓付近で、それも窓が開いていたから聞こえてしまったのだ。
身を隠すように壁にもたれて、聞き耳を立てる。
「知らなーい、誰それ」
「衿谷百葉君だよ、スポーツ推薦で来たサッカーの天才。親が二人共サッカー選手で、本人もめっちゃ上手!絶対スタメン入りすると思ったのに!!」
隣の少女はとピンときていないらしく、「そういえばサッカー部のマネだっけ」と一歩引いて答える。
「じゃあなに?スタメン落ちたの?」
「違うよ!部活辞めたの!!第二に入ったんだって、もったいないよねえー将来有望プロ確実の選手だったのに」
がっかりするサッカー好きな女子生徒、対して聞き手に回っていた少女は目を輝かせる。
「そっちの方が凄いじゃん!!絵が上手かったってことでしょ!?すごいな―天才だな―」
「いやいや絵とか誰も描けるじゃん。前に第二部員が描いた絵見たけど何が凄いか分からなかったし……それによく考えたら衿谷君男の子だしね」
「あ、そっか。じゃあただの噂か、本当は何してるんだろうね」
「知らない、」
少女は聞き耳を立てるのをやめて、再び歩き出す。
そこから女子生徒たちは衿谷についてあることないこと妄想を膨らませて話し合うことは容易に想像できた。
「絵とか誰でも描けるじゃん」その台詞が少女の頬のじんじんとする痛みを増やす。
「だったらお前らが描けよ」
両手に抱えたタブレットと本を潰すように力を込めながら、誰にも聞こえない声で呟く。
その声には悲痛さと悔しさが混じっていた。
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