黎明に探す逢瀬

無知

なんで私はここに立っているんだろう。


ふと足元に目を向ける。足元一面に引き詰められてた砂を軽く蹴り上げる。蹴り上げた砂はサラサラと風に吹かれて見えなくなった。


後ろを振り返ると、私が歩いてきた足跡が一直線に続いている。まっさらな白いキャンバスのような地面には私の黒く歪な足跡しかなかった。


私はもう一度前に向き直り、目の前の巨大な生物と対峙する。

海だ。黒く静かにうごめく海はどこか怖い。この場からすぐに逃げ出したくなる。地平線すらも見えない暗い海に私は何をしているのだろう。


上着からスマホを取り出し時刻を確認する。

まだ4時30分だ。


今日の日の入り時間は5時だと昨日インターネットで見た。私は上着のポケットにスマホをしまい、代わりに瓶を取り出す。


元はジャムの瓶だろうか。手のひらよりも少し大きい瓶の蓋をあけると、潮の香りが鼻孔を擽る。私は蓋を開け、中にはいった青い便箋を手に取る。


 『こんにちは。俺はアオヤギと言います。訳あって、これから俺の記憶をとあるお医者さんに消してもらうことになったので、最後にこの手紙を残そうと思います。


拾ってくれた人にお願いです。俺と友達になってください。


きっと記憶が無くて寂しいだろうから、この手紙を拾ってくれた心優しい人、俺をよろしくお願いします。


日の入りが6時ジャストになる日。太陽浜の海岸、大きな流木の前で待ってます。アオヤギ』


読み上げても、さっぱり意味がわからない。文章の突飛さに子供の冗談とも思ったが、なぜか私はここにやってきてしまった。家の近所でここに来やすかったのもあるが、だれかが独りでこの海を見るのだと思うと居ても立ってもいられなくなった。


でも、拾った日がかなり遅くてもうこの約束の日が過ぎている可能性だってある。それにアオヤギっていうひとが詐欺師とかだったらどうしよう。


私はその場でしゃがみ込み、迫り来る波を眺めていた。


 私はやはりあの人のことが今でも好きなのだ。


急に心に落ちてきた言葉は単純明快で、思わず納得してしまった。

 

うん、そうだな。私は今でも青柳くんが好き。だからここに居るのか。


繰り返し心のなかで唱えてみる。言葉にすればあっけないもので、さっきまでの謎はきれいに解決した。

私は独り苦笑する。初恋の相手を今でも追いかけているなんて痛々しいけれど、便箋の「アオヤギ」という文字を見た瞬間、運命だと思ったのだ。


とうとうこの気持ちに決着をつけられると。


 思えば、青柳くんのどこが好きだったのだろうか。同じ高校でたまたま1回席が隣りだっただけの彼のことを。


見た目はあまり覚えていないけれど、かっこいい方だったと思う。私の友達がしきりに彼の容姿を褒めていた。確かに、ワックスもつけず寝癖だらけの髪は好きだったかもしれない。


しかし、それだけだ。

彼の内面は最高だけど最悪だった。


彼は人間味のないロボットのようだった。まるで生きている感じがしない。

教室ではずっとスリープ状態に入ってしまったロボットのように、机に突っ伏し眠っていた。


しかし、先生に当てられたときや体育のときには、全力運転モードに切り替わり、どんな難問も問き明かしスポーツも全て完璧にこなしてしまうのだ。


当然、彼は人気者だったが逆に恐れられてもいた。完璧すぎた彼はずば抜けた推理力で会話を先読みし、相手の思考の何手先を読む行動をとってしまっていた。


超能力にも似たその行動にいつからか学校のみんなは友達ではなく遠くから崇める対象として彼を神格化した。


しかし、私は彼が神でも超能力者でもない人間であることを知っている。


卒業式の日、私はみんなの輪から外れ、彼が独りで校舎裏に向かっていくのを見た。

どうせ最後だからとかわいい女の子から告白でもされるのだろうと興味本位に校舎の影から校舎裏を除くと、そこには青柳くん独りで特に誰かを待っている様子はなかった。


少しして彼は校舎の隅に放置されていたサッカーボールを見つけ、校舎の壁に蹴りつけ始めた。淡々とではなく一発一発、怒りや鬱憤を込め、勢いよくボールを壁に打ち付けていた。


「くそっ、俺はなんで!」


なんでに続く言葉は上手く聞き取れなかったが、彼の言いたいことがなぜかわかったような気がした。


ーーー俺はなんでみんなと違うのか。


私は急に胸の奥が重くなり苦しくなった。

この場にいたくない。今見たことを忘れたい。


私はその場からすぐに逃げ出そうと後ろを振り返り、足を踏み出す。


「っ、わっ!」


急にその場から動いたせいで、足がもつれ前に転倒する。


「痛っ、」


足を見ると傷は浅いようで血は出ていない。

しかし、転倒したことによって青柳くんにバレてしまった。


近づいてくる気配に恐る恐る目を上げる。


「えっと、朝日さんだよね。大丈夫?」


「うん、血は出てないし。平気」


彼は気まずそうな顔で私に手を差し出した。

ありがとと小さな声で感謝しながら、立ち上がりスカートについて砂をはたく。


「さっきの見てたよね」


そのまま逃げようとしていたが、そううまくはいかないらしい。私は観念して正直に答えた。


「う、ん。見てた」


「ははっ、だよね」


「みんなからロボットだの神だの言われてるけど、俺も普通の高校生だよ。たまたまボール見つけてストレス解消している、ね」


自嘲気味に笑った彼の顔は暗くてよく見えなかった。青柳くんは再びボールを足で弄りながら、華麗なドリブルを決めている。


「朝日さんは俺がロボットに見える?」


問いなのか独り言なのか判断できない小さな声で彼は呟いた。


私は答えに困って何も言えなかった。


たしかに彼のことは不気味だと思っていた。何でも出来るそつない人。羨ましいとも思わなくなるほどの圧倒的な才は、素晴らしいものだが、得体の知れないものに人は恐怖を抱くものだ。


私は青柳くんをいつの間にかみんなと同じく、私たちとは違う、人間ではないと思っていた。


沈黙を肯定と受け取ったのか青柳くんはドリブルを急にやめ、ボールを地面に置き壁に思いっきり足を振りかざし、蹴りあげた。


ドンッ


大きなコンクリートの壁からボールの跳ね返る音が響く。そして、


ドンッ


もう一度間髪入れずに彼の顔面にボールが当たった音が響いた。

青柳くんのおでこにキレイに当たったボールが跳ね返り、少し離れた私の足元に転がる。


「あ、青柳くんっ! 大丈夫!?」


急いで駆け寄ると、花から血を流した彼は大きく笑い出した。


「あ、っはは! ほら血。赤いだろ」


彼は無邪気な子供のような声でそう叫ぶと、自分の鼻血がついた手を空に見せつけるように、太陽にかざした。


彼の白い肌から流れる血は鮮血の赤で、私はなぜか目が離せなかった。


その日以来、彼ーー青柳空くんとは会っていない。彼は大学を進学してすぐに休学し、この街を出て海外に旅立ったらしい。


日の出を待つ間、彼との思い出を遡ってみたが、私が彼を好きな理由はさっぱりだ。


もう一度スマホを取り出す。時刻は6時ジャスト。


地平線を見つめると、赤く眩しい小さな点が見えた。じんわりと空の闇を暖かく包み込む赤は優しさを帯びている。


「きれい」


人は夕日を見ると泣きたくなるというのを何処かで聞いたことがあるが、人は日の出でも泣けてしまうものらしい。

上着の袖で目を擦る。


すると、後ろから砂を踏みしめる靴音が聞こえてきた。

後ろを振り返ると、独りの同い年くらいの男性が小走りで駆け寄ってくる。


「うわぁ、朝日きれい」


子供のような無邪気な声で、陽の光が眩しいのか目を手で隠しながら私の横にやってきた。


一瞬、自分の名前が呼ばれたのかと思ったがそんな訳はなく、独りで苦笑する。


彼の横顔を盗み見る。寝癖のついた柔らかい髪が陽の光に照らされてキラキラ輝いている。右隣の席からいつも彼を見ていた。


ほんと変わらないな。


すると、視線に気づいたのか青柳くんはこちらを見つめ優しく問いかけてくる。


「手紙読んでくれた心優しい人、ですよね」


はにかむ笑顔からは昔の面影はなく、私をおぼえていないような他人行儀な言い方に少し寂しくなる。


「うん、自分で言うのも何だけど。というか青柳くんだよね。南高出身の」


「えっ、僕のこと知ってるんですか?」


これは本気で驚いているときの顔だ。

どうやら青柳くんは私のことをすっかり忘れてしまっているようだ。


「朝日絵那。高校最後の年、一緒のクラスで一回だけ席隣にもなった」


私ばかり彼のことを覚えていて健気にもこんな寒い中待っていたというのに、彼は私のこと覚えてもいないなんて流石にショックだ。


詳細に自己紹介をするが、彼の反応は「うーん」だの「え?」だの芳しく無かった。


「僕、手紙にも書いたんですが、記憶喪失なんです。だから、朝日さんのこと覚えていなくって…すみません」


「えっ、ここに書いてあることって冗談じゃないの」


「はい。僕もお医者さんから記憶を無くす前の僕からの伝言として、今日ここに来るようにと言われただけで」


彼の目を見つめる。オドオドとした目に嘘は感じられない。


手紙の内容が全て本当だとするならば、青柳くんは自身で自分の記憶を消してもらうように医者に頼んだということになる。この現代社会において、そんな非倫理的な行為が可能なのか。


しかし、青柳くんの家は大金持ちだったはず。青柳くんの父はIT関係の大企業の社長で全国規模で名前が知られるほどだ。資金面は余裕でクリアできそうだ。


私は、現実離れした話にため息をつく。


「はぁ。とりあえずはわかったけど。この後はどうしたらいいの?こうして無事に会えたわけだけど」


「僕にもさっぱり。友達になって、みたいなことが書いてありましたけど」


どこからか取り出した手紙を広げて青柳くんは首をかしげている。

彼の他人事のような言い方に少し腹が立つ。


「でもそれを書いたのは記憶を消す前の青柳くんだよね。今、寂しいの。青柳くんは。記憶を失っちゃってさ」


少し言葉に怒りが滲む。

分かっている。こんなのは八つ当たりだ。彼にとって私はそんななんでもない存在だったのかと思い知っただけだというのに。


気まずい空気に耐えきれず、その場にしゃがみ込んだ。

陽が完全に出てきて、目の前が眩しい。青柳くんの方を向けず、足元の砂を見つめる。


「寂しい。……ずっと」


小さな声が頭上から降ってくる。

昔校舎裏で聞いた彼のか細い小さな声。風に飛ばされそうな彼の声に懐かしさを感じる。


彼の顔を光で見えなかったが、きっとあのときと同じ顔をしていたのだろうと思った。


「好き」


勝手に口が動き、呟いた。


「えっ、」


青柳くんの心底驚いたような動揺した声が聞こえる。

私は彼の顔が見たくなり、勢いよくその場に立ち上がり彼の頬に手を添える。


「えっ、ええ! ちょ、っと」


「いいから、動かないで」


逃げようとする彼の目を見つめ、静かに告げる。彼は顔を赤らめ、目を伏せ動きを止めた。


「ずっと前から青柳くんのことが好き。だから、友達じゃなくて付き合って」


青柳くんは驚いたように目を見開き、私の目を見つめる。私は最後に小声で付け加えた。


「……私も付き合ってあげるから」


「っ!」


青柳くんはより目を見開いた。キラキラ光る大きな目が落ちてしまいそうだ。


そう、青柳空は、圧倒的な頭脳、運動神経だけでなく、圧倒的な演技力も持ち合わせている。


彼は記憶喪失のふりをして、一からやり直したかったのだろう。みんなと同じ人間になりたかったのだろう。


それならば、私も彼の小芝居に付き合おう。


今度こそ孤独な彼の側に居たいんだ。


「返事聞かせてよ」


頬に添える手にわずかに力を込める。青柳くんは瞬間、諦めたように数秒目を閉じた。


まつげが少し濡れている。陽に照らされまるで宝石みたいにきれいだ。


まるで時間全てが止まってしまったように思えて、呼吸が上手く出来ない。


しかし、数秒の長い時間は急に終わりを告げた。


チュッ


現実味の無い軽い音が鼓膜に届く。

唇に触れた柔らかい感触に、キスをされたのだと気づいた。


青柳くんの目を呆然と見つめると、昔と同じ自嘲的な笑みを浮かべていた。


「朝日さんは俺がロボットに見える?」


あの日と同じ言葉に時が巻き戻る。

やり直そう。


私は今度こそ大きな声で答えた。


「ううん、見えないよ。だって、唇がこんなに柔らかいんだもん」


私たちは再びどちらともなく近づき、互いのぬくもりを分け合ったーー。

 

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