お人形さん

ぐらにゅー島

どうせ私は、


「もう、成人だものね。これからは自分で責任を取るのよ。」

「わかってるよ、お母さん!」

 私がそうニッコリして答えると、困ったように母は笑った。

高校三年生の3月、私は法律上成人した。桜がだんだん咲いてきた、私の卒業式のことだった。

 他の人より誕生日が遅いのは、出席番号が後半でテストが返ってくるのが最後だったり、日付で当ててくる先生の授業では絶対に当たらないとかいいことばかりだと思っていた。でも、こんな時はアンラッキーだなぁ、と思う。…のだと思う。


 今までお母さんに言われていて出来なかったことが、今になって、やっと解禁される!


 インターネットの書き込みはダメ。みんなが使っているアプリは入れちゃダメ。バイトもダメだし、ゲームもしちゃダメ。

 そして、自分の意見は言ってはいけない。他の人と合わせて、空気を読んで。そうやって、柔軟に生きていかなくてはダメ。

 私の家は、なにかと制約が多い家だったのかもしれない。なぜか、母に尋ねたことがある。しかし、いつものように笑って私の頭を撫でるだけだった。

 私は、お母さんの心からの笑顔を見たことがないかもしれない。

 でも、それも今日まで。だって、私はもう大人になったんだ。これからは自分で好きなことをやれる。この高校卒業という節目で今までの自分を捨てて、新しい自分になろう。ううん、違う。本当の自分になろう。そう、決心した。吹いてきた春風が私の背中を押しているようだ。卒業証書を、ぎゅっと握りしめた。


 家に帰って見てみると、ぎゅっと握りしめた卒業証書はしわくちゃになって、もう元に戻らなかった。どうも、癖というものは治りにくいらしい。




 私は大学生になったので、一人暮らしを始めた。人工的な自然が豊かな、暗い都市の真ん中で。

 もう、家に居たくなかったから。あの束縛された生活を思い出したくない。常識に縛られるのは、息がしにくいから。お母さんが私を縛る時、いつも辛そうにしていたものだ。

 外は昼間だというのに静かで、風の音すらしない。今までは周りに人がいて気が付かなかった静かさに、嫌でもハッとさせられる。でも、その寂しさが心地良かった。


 私には、憧れていたものがあった。それはネット通販だ。


 よくインターネットを使っていると、広告が出てくる。そこに出てくる商品は魅力的なものが多い。欲しくてお小遣いを貯めたこともあったけれど、それは叶わぬ夢だった。もしかしたら、親に頼めば代わりに購入手続きくらいはしてくれたのかもしれない。でも、言えなかった。それを言ったら、余計に心配をかけるから。普通じゃないと思われるかもしれないから。だから、今の今まで通販をしたことは無かった。


 ずっと欲しかったものがある。テレビの中の、憧れのあの子が着ていた洋服だ。

 あの子はキラキラ輝いていて、美しい。同じ服を着たって、彼女になれるわけじゃないことはわかっている。それでも、憧れたんだ。きっとあの子が輝いていたのは、あの子が自分を失わなかったから。ありのままの自分でいたから。

 あの服は、ネット通販でしか売っていない。だから大人になった今、とうとうインターネット通販を解禁することにしたのだ。


 テレビのあの子の名前をネットの検索欄に打ち込む。一番上に出てきた某大手通販サイトのページをクリックすると、お目当ての洋服が出てきた。

 ああ、これだ!これが欲しくて仕方なかったんだ!

 恐る恐る、個人情報を入力して注文を完了する。注文確定のボタンを押すと、配送予定日が画面に表示される。緊張の糸が切れて、思わず椅子の背もたれにもたれかかる。

 意外と、あっけないものだ。こんなに簡単に、大人になれるんだ。私を縛っていたものの大きさと、小ささにモヤッとする。小さな部屋で一人、ぼんやりと何もない天井を見つめた。


 数日後、私の家に宅配便が届いた。春なのに、まだ少し肌寒い日だった。

 あの服が、とうとう家に届いたのだ。私はまるで、誕生日のケーキを切り分けるような気持ちで段ボールにカッターの刃を入れる。親が注文したシャンプーなんかを段ボールから出す時は、あんなに機械的な動きだったというのに。どうしてこんなに心が躍るのだろう。今まで、こんなに心が動いたことがあっただろうか?

 開けると、フリフリした、街中で着ていたら二度見されるような服が綺麗に畳まれて入っている。この世界の物じゃないみたいで、私の胸はキュンとした。

 これで、あのテレビの中のキャラクターと同じ服を着れる。


 そう、私はアニメキャラクターのコスプレ衣装を買ったのだ。


 一人で自慢げに笑っていたが、ふと、我に返った。あれ、私はこんなことしていて良いのかな?自問自答する。こんなのは、みんなが望む私じゃないから。

 「…はあ。」

 思わずため息がこぼれる。疲れた。私は憑かれているんだ、理想の自分に。 


 昔から、私はいい子を演じてきた。親にダメだと言われたことはやらなかったし、勉強もちゃんとした。でも、そんなの息が詰まってしまう。そんな時、私はアニメに出逢ったのだ。

 アニメの中の彼女たちは輝いていた。時に苦しみ、私も共に涙した。時に成功し、共に喜んだ。彼女たちは、三次元の人間よりも、人間味があった。無論、そう思ったのは、私が初めて心を許したのがアニメだったからかもしれないが…。

 現実逃避だと言われればそうだろう。でも、いいじゃないか。救いのない世界なんて、あんまりだから。

 それでも、外の世界は何もない荒野のように色が無かった。


 お母さんは、アニメ文化があまり好きでない人だった。

 私がそれを見ると、複雑そうに顔を歪めたものだ。なんだかんだ言ってもいい親だったから、アニメを理解しようともしてくれた。でも、それは無理をしていること。いい子の私はそんなことをしないから。だから、隠そう。この気持ちを。そう、決心したのだ。


 私はきっと、おかしな子供だった。

 例えば小学生の頃、委員会でポスターを作らなければならない時があった。よくある話だが、グループの男子がサボって遊びに行ってしまう。それで、チームの女子が怒ってしまう。そんなことがあった。

 私も当然、腹が立ったのだ。その男子はずるいと思った。だから、ガツンと言ってやったのだ。

 「ポスターを書くのに必要な鉛筆とか、蛍光ペンは私達のお金で買ったものだよ。だから、君がポスターを作らないってことは、こちらに余計金銭を使わせることになる。そんなの、不公平だよ!」

ってね。男子も、女子も私の言葉に目を丸くしていた。

 後からお母さんから聞いたところ、みんなが腹を立てていたのは、自分も遊びたいのにその男子だけサボって遊んでいるのが羨ましかったからだと言われた。全く理解ができない。

 そもそも、その男子がサボって遊んでいたってそこまでこちらに害はない。むしろ、自分の仕事が増えて自分の能力を高めることの役に立つくらいだ。その上、役割を果たす割合がチームの中で増えれば勝手にみんなからの好感度も上がっていく。成績も、その分良くなる。なぜみんなは遊びたがるのだろうか?人との交友関係ほど無駄な時間は無いというのに。


 普通の女の子は、メイクしたり、お洒落な流行の服を着たり、カフェで恋愛について語ったりする。それを、母親は望んでいた。それを、他人は私に求めてた。だから、私はそう演じきってきた。ボロが出ないように、心の声を隠しきって。

 だから、お母さんは私に制限をかけていたのかもしれないな、とも思う。私に普通になって、普通の幸せを手に入れて欲しかったから。気づいていたんだ。私が普通とはかけ離れていることを。


 もう、疲れた。昔から、私には友人がいなかった。そう、私は思っていた。


 無論、よく話すような人はいたのだ。放課後、一緒にプリクラを撮った。一人が失恋した時、カラオケで歌い明かした。卒業式、バラバラになってしまうからと泣いていた。それっきり、連絡はしていない。でも、もしかしたら、あの人達は私を友人だと思ってくれていたのかもしれない。その関係は、教室の中だけの閉鎖的なものかも知れなかったが。

 だから私は、あの人達に心が開けなかったのだ。

 アニメが好きだとは、言えなかった。コスプレがしたいなんて、言えなかった。そんな子は、あの子達の求める私じゃないから。そんな趣味は、異端だから。

 …ううん。異端なのは、私だけだったね。


 コスプレがしたかった。

 誰にも理解されないのはわかってる。そもそも、誰が私を理解してくれた?感情が、希薄なのだろうか。他人に興味が持てない。関わりたくない。知りたくない。知られたくない。



 私はドレッサーの前に座り、髪をヘアゴムで縛り付ける。

 きつく、きつく。ほどけてしまわないように。この想いと共に。ウィッグネットで固定された髪は、私を縛る、「普通」だった。

 メイクをする。

 まずは、化粧水をつけて、生まれつきの一重をテープで二重に作り替える。ファンデーションを厚く塗って、眉毛は見えないように消してしまおう。

 ああ、似ているな。私の作り方と。みんなが好きな私と。なんだか、安心感。

 私は今、あのキャラクターになるためにメイクをしているけど。世間のみんなは、何の為にメイクをしているの?

 もっと可愛くなりたいから。自分の顔が嫌いだから。みんながやっているから。

みんなみんな、人は顔じゃないなんて言うけれど。自分が一番、顔を気にしてる。だからメイクで隠す。ファンデーションじゃ、自分は隠しきれないのに。全部が全部、徒労に見えた。

 アイラインを、いつもより濃く引く。派手な色のアイシャドウを塗る。リップは、真っ赤なルージュを。強く見せる為に。周りを、そして自分を騙す為に。

 違う顔を作って、笑顔を作って、虚言を吐く。思ってもないことを言って、笑って、それで世界は回ってく。クルクルと、何も知らないように。

 メリーゴーランドが人気なのは、そんな世界を思い出させるから。何も知らずに回るから。きっと無意識にそれを望んでいるから。

 服に袖を通す。

 静かな衣擦れの音だけが、部屋中に響く。ああ、世界は静かだ。こうやって、私が望みを叶えている間、私にとってかけがえのない時間は他の人からしたら、ただの一日にしかならないのだから。私の特別は、誰かの特別じゃないから。

 新しい服は、妙にヒンヤリとしている。着慣れていないから、なんだか背中がしゃんとするのだ。着られたくないと、服が叫んでいるみたい。

 制服とかなんて、ステレオタイプだ。みんながみんな、同じ服を着ている。それでもって、同じような髪型に、同じような喋り方をして。全部全部同じにしてる。それが安心だから。それが、世界で生きていく為に必要だから。

 テーピングで、顔の形を変える。つり目、垂れ目、なんでもできる。どんな形にも変えられる。ウィッグを被れば、ほら、もう知らない顔がそこにある。毎朝、鏡で見たあの顔はどこにいっちゃったんだろう?

 こんなに簡単に、個人なんて消されてしまう。


 鏡に自分の全身を映す。フリフリの洋服を着た、お人形さんみたいな私がそこには居た。

 きっと満足すると思っていた。やっとこれで、本当の自分に嘘をつかないでいられるのだと思っていた。自分を解放できると信じていた。でも、そうじゃなかった。

 これは、あのキャラじゃない。私だ。そう、子供の頃と一緒。また、作られた私。

 自分を隠して、演じて、相手の理想の人間の真似をする。ずっと操り人形のままで。そうやって生きていくことが、染みついてしまったから。


 もう本当の自分なんて、わからない。



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