サーラ・・・瞳の奥の花
@tnozu
1.青い花と天使の章
「もしも美しさをなくしてしまったら・・」
城の中庭のベンチに腰かけながら、サーラはため息をもらしました。
・・ ・・ ・・
満月まではあと五日。その翌日、サーラは、海をへだてた隣の国の王子の元に
王子とはただ一度、あちらの国で開かれた舞踏会で会っただけでした。
様々な国の王女たちが、楽師の奏でる調べに合わせて軽やかにステップを踏むなか、王子はすれちがいざまに目を合わせました。ただ それだけでした。
振り返った王子は、まっすぐにサーラのもとに歩み、手をとったのです。
優しい瞳を浮かべて王子は言いました。
「美しい王女よ、私と結婚してください」と。
父王は、サーラの帰国を嬉々として迎えました。
「これで、この国のいくすえは
愛する妃を若い時に亡くした王は、その美しさを娘が継いでくれたことを、なによりも喜んでいました。そしてそれは国の繁栄をも もたらすことになりました。王子の国は、世界でも有数の広い領土をもち、屈強の軍隊を抱えていたのです。
それから二人の婚礼の準備は、着々と進んでいきました。舞踏会の日から三つの満月を経た翌日にサーラは王子の国に輿入れをすることになっていました。
二つの満月を経て、今また夜空の月は満ち始めていました。国中の人々の顔が華やいできています。誰もがサーラの輿入れの日を心待ちにしていました。ところが、当のサーラはそうではなかったのです。
「一度しかお会いしたことがない王子さま。あの方が私を選んだのは、見かけの美しさゆえ。でも、ああ、それはわずかの間に消えてしまう
サーラは、美しさをなくした時の不安に取りつかれていました。
気を晴らすために、毎日のように、その日に咲いた最も鮮やかな花を髪にさしました。食事のたびにドレスを着替えてみました。しかし、心に
それで今も、夜風に気持ちを洗ってもらおうと、ひとり中庭のベンチに座っていたのです。
・・ ・・ ・・
「こうしていても気持ちは塞ぐばかり。今夜はもう寝なくては」
立ちあがって、自分の部屋に帰ろうとしたその時でした。
「あれはどうしたのかしら」
花壇の中央にある噴水の上に、きらきらと輝くものがありました。
「なんてきれいなの」
吹き出す水のなかに、
周囲の
「あの花は、美しい煌めきを花々にふりかけるのだわ。でも、あれはいったい何。どうやって水の中に浮かんでいるの」
首をかしげたサーラでしたが、その顔には、ゆっくりと笑みが広がっていきました。
「心の陰りが小さくなっていく。どんな花でもかまわない。どうしてもあれを手に入れたい」
吹き上げる水の上の輝きに、幾度も跳ねながら手を伸ばしました。
パリン!ガラスの割れるような小さな音がしました。手には、しっかりと花が握られています。
「やったわ!」
しかし、喜びは束の間のことでした。今まで、あれほど美しかった花が見るまにも
「王女よ、おまえは、命の花を枯らしてしまった」
うしろから声が響きました。
振り返ると、純白の衣をまとった若者が、厳めしい顔をして立っていました。折りたたまれた翼が背に見えています。
「ああ、天使さま」
サーラは地面にひれふしました。
「おまえは心の内に咲いていた自分の命の花を見失しない、外に咲かせてしまった。そして、それを強引に摘みとったのだ。静かに見つめておれば、心に戻り、花は開き続けたものを」
天使は言いました。
「私は何も知らなかったのです。どうぞお顔をやわらげて下さい」
「私に何を言ってもどうなるものでもない。許しなら、周囲の花たちに乞うがよい」
視線を巡らせたサーラは驚きました。
花壇に咲いていた花々が、無残に踏みにじらていたのです。
「私は、あの花だけに夢中になっていた・・」
「おまえは、命の花はおろか、足元に咲く花までも枯してしまった。それがおまえの今の心だ。明日より、おまえは身をもって、そのことを知ることになるだろう」
そう言い残すと、天使は大きく羽ばたき、空高く舞い上がっていきました。
「きっと夢に違いない。すべては不安な心が作りだした幻」
サーラはふらふらと立ち上がり、城の中に入っていきました。
翌日、部屋で目ざめたサーラは、息がとまるほどに驚きました。
身体に触れていた全てのもの・・純白のドレス、銀の首かざりは勿論、純白の毛布、光り輝く金のベッドまで・・が、薄汚れてみすぼらしく変わっていたのです。ベッドの横の高足の花瓶に手をのばすと、挿してあった花束は、たちまち茶色に変わって
「私が触れたものが、皆、美しさをなくしてしまう!」
サーラは泣き叫びました。
声を聞きつけて王がやってきました。サーラを見るなり、顔をこわばらせて言いました。
「この乞食女、どこから城に入りこんだ。婚礼を控えた王女をどこにやった!」
「お父さま、私です。どうぞよくご覧になって」
王にしがみつきながら、サーラは必死に言いました。
「何をするか!」
王は荒々しくサーラをふりほどきました。サーラに掴まれた金の縁どりのある白いローブは、泥の沼につけたように黒く変色していました。
部屋の扉の横には水盆のついた大きな鏡がありましたが、そこには煤(すす)がついたように汚れた顔の女が映っていました。サーラは駆け寄って、しきりに水で顔を洗いました。しかし、水が黒く濁る一方で、どんなに洗っても汚れは落ちませんでした。
いつの間にか、大勢の兵士が集まっていました。乞食のように薄汚れた女が、王女であることに気づく者はいませんでした。捕まえ、縛ろうと縄を握っている者もいます。
荒々しく伸びてくる手をすりぬけ、サーラは裸足のまま城の裏門から飛び出しました。
城の外に咲いていた色とりどりの花は、サーラの足が触れた途端、色褪せて枯れていきます。
「わたしは、この国から美しいものを消しさってしてしまう」
サーラは花に触れないように歩き、やがて岩だらけとなった急坂を降りて行きました。城のある山を下ってからは、人通りの少ない荒れた道を歩いていきました。
足裏は傷つき裂けて血が流れていました。しかし心は、その痛みを感じないほどに、深く傷ついていました。
サーラは行く当てもなく歩きました。途中ですれ違った人は、サーラの汚れが宙を漂ってくるかのように、目の前で激しく手を払いました。なかには石を投げつけてくる人もいました。
「人は汚れたものを追い払おうとする。でも、自分が汚れていたら、どうしたらいいの・・」
いつの間にか、黒い大きな森が目の前に立ちはだかっていました。
「さようなら、わたしの国よ」
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