三日後にあなたがいなくても
青樹空良
第一章
第1話 残された時間
自動ドアが開いて、作られた清潔さを感じさせる臭いが流れ出してくる。
昼を過ぎて、ちょうど診察時間の隙間になっている総合病院のロビーは閑散としている。スタッフ以外でここにいるのは、夕方からの診察を待って早くから来ている人か、見舞いに来た人、そして部屋でじっとしていられない入院患者くらいだ。
受付にいる事務の人に挨拶をして書類を書く。すでに連絡はしてあるので、詳しく説明する必要は無い。よくある、とは言えないが医療関係者にとっては想定されていることなので病院の方もわかってくれている。部屋番号を聞いて、慣れた足取りでエレベーターへと向かう。
まとわりついてくるような独特の臭いは、和季の心を乱す。
が、今は仕事だ。
示された病室は個室だった。大部屋よりも話はしやすい。ネームプレートを確認する。中からは話し声が聞こえてくる。
和季はドアをノックした。
「はい、どうぞ」
少しの間があってから、若そうな女性の声で返事があった。
「失礼します」
部屋の中にいたのは返事の主である女性と、彼女より少し年上に見える男性だった。彼の姿を見てほっとする。同年代の女性と個室で二人きりというのは仕事とはいえ、なんとなく気まずい。ここに来る前に見た書類で、彼女は二十三歳だった。
ベッドに腰掛けている女性は入院患者が身に着ける病衣姿だが、血色もよく健康そうに見える。ベッドの横の椅子に座っている男性の方は病人ではなく付き添いだと一目でわかるジーンズに普通のシャツという服装なのだが、女性よりも顔色が悪い。事情を知らなければ、彼の方が入院患者に見えてしまうくらいだ。
「市役所の生き返り課から来ました。萩本和季と申します」
両手で名刺を差し出す。
「よろしくお願いします」
女性は名刺を丁寧に受け取ってから、ぺこりと頭を下げた。男性の方はぼんやりと和季のことを見ている。
こういった状況の時は、どちらかと言えば生き返った方がしっかりしていることが多い。これまでにも同じような場面を何度も見てきた。
「生き返りをされた
「はい。あ、これ必要ですよね」
由梨がベッド横の机に置かれていた書類を差し出す。
「拝見致します」
受け取ったのは二枚の書類。一枚は誰にでも作成される死亡診断書だ。
もう一枚は、目にすることなく一生を終えることが多いと思われる書類。
生き返り診断書だ。
和季もこの仕事に就かなければ、一生見ることは無かったかもしれない。生き返る確率は低い。確率で言えば大体、千人に一人くらいだ。
「何か、身分証明書のようなものはありますか?」
「あ、ええと、ちょっと待ってください。……たっくん、私の鞄どこだっけ」
「ん、あのちっちゃいポーチみたいなのだろ? まとめて持ってきたはずだから、多分紙袋の中に……」
黙って和季たちが話していたのを見ていただけだった男性が立ち上がって、部屋の隅に置いてある大きな紙袋をごそごそと探りだす。
「書類はしっかり用意しなきゃって思ってたんですけど、そっち忘れててすみません。連絡頂いてたのに、私忘れっぽくて」
「いえ、こんなときですからばたばたしているのは当たり前ですよ」
「本人確認は大事ですよね」
「はい、すみません」
「あったあった。とりあえず、必要そうな物はまとめて突っ込んできたから」
たっくんと呼ばれた男性が紙袋から無造作に取り出したのは、肩紐の細いブランドものの肩掛け鞄だ。そういうものに疎い和季にはブランド名はわからないが、柄に見覚えがあるということは有名なものなのだろう。
「ん、ありがと」
ごそごそと由梨が鞄の中を探している間に、男性がじっと和季のことを見ていることに気付く。咄嗟に目を逸らしそうになるが、逆に微笑んで見せた。印象を悪くしてもいいことはない。
「こんな時に病室まで押し掛けるのって非常識じゃないですか?」
だが、和季の気も知らず男性は急に攻撃的な口調で言い放った。はっきりと敵意のこもった視線を向けられる。
「ちょっと、たっくん!」
「これがお役所仕事ってやつですか? 人の都合も考えないっていう。確かに、手続きやらなんやらあるのかもしれないけどさ」
「やめてよ!」
「申し訳ありません。病院で亡くなった場合には、病院の方と連携して少しでも早く手続きを済ませられるように、と考えてのことです。生き返りの方には役所に足を運ぶということで無駄な時間を過ごして欲しくないのです」
お役所仕事というのは、どちらかと言えば対応が遅いことを言うので、今のような状況ではあまり当てはまらない。今の彼には何を言っても通じそうにもないが。
「……だからって」
彼が言いたいことはわかる。無駄にする時間なんて一秒もない。
生き返った人間は、七十二時間しか残されていないのだから。
何度もそれを見てきた和季はよく知っている。その時間がかけがえのないものであることも。
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