第3話

湿度の高い夜だった。元々、一年の半分は雨が降ると言われている地域のことだ。

小雨を想定したのか広場の中央には屋根のついた櫓が設えられている。

櫓の回りには島で収穫された果物や植物が積み上げられ、音楽がかかって村人たちが踊ったり歌ったりしている。ブルーシートに座り込み談笑している人たちも。既に日は落ちて、周囲に設えられた篝火があかあかと燃えている。かぎ覚えのある匂いがふと香った。


「ケンジ」


篝火を眺めていると、先程顔を合わせてからまた別れていたミノリがふと隣に顔を出す。


「イツキは?」


「黒木さんち」


そう言いながら手を絡めてくる彼女は、独身時代のようにはしゃいだ声をしていた。そういえば、久しく二人きりになっていなかったな。暗いところで見る彼女の顔は、黒い瞳が燃える炎に照らされて……正直、綺麗だ。ふと、感傷じみたことを言いたくなる。


「色々あったな」


「うん。ケンジ、うちの故郷についてくれて本当にありがとな」


中央の櫓に火が灯された。じっとりと肌に纏わりつくような湿気すら、二人を包んでいるように思える。


「何をいきなり……正直、驚いたけど。学びが多くて本当に楽しいよ」


「ありがとう、ケンジ。うち、本当に嬉しいんよ。この村、好きやし」


「ミノリ……」


「……やから、ケンジもこの村の仲間になってな」


「何を。とっくに仲間のつもりだよ」


「違うんよ。一緒にお祭りに参加して、初めて仲間になるんよ」


「じゃあ今日は特別な夜か?」


うん、そうやな。

妻が頷くと当時に、男が四人で何かを運んでくる。神輿のように担いだ平たいものが、篝火の横に降ろされて。


そこに横たわる、小さな少女の姿が、燃えるように照らされた。あれは何だ?……三歳くらいの子供。この島に娘と同じ年の子供はいない。あれは誰だ?


「ケンジ」


妻が僕の手を強く握る。あれは、あれは?……ふっと先程も嗅いだ匂いが襲ってくる。うるさいな。じっとりとした湿気と似て、纏わりついてくる。


「仲間になってな」


それが、炎の中に放り込まれた。一瞬、焔がくわっと顎を開いたように揺らめいて燃え上がる。それを機に、正常な思考が戻った。


それは、僕の娘だ。


「おい!!何をするんだっ、やめろ!!」


妻の手を強引に振り払って櫓に駆け寄る。低く、僕の膝程度に組まれたそれに手を突き入れようとすると周囲の男衆に強引に羽交い締めされた。


「これこれ」


「ケンジくん、火の中に手ぇ突っ込んだら火傷するがな」


「そら当たり前じゃ、ガハハ」


こいつら皆、狂ってしまったのか。昼間は温厚な島民たちが、恐ろしい化物に見える。


「僕の娘が死のうとしてるんだぞっ! 離せ、離せよ、お前ら!!」


イツキ。イツキ。僕の可愛い娘。三歳まで育てたんだ。榛色の瞳と可愛らしい顔で僕を見上げて、さっきまで、朝までは!


「そりゃあお前さんの子じゃなかろう。なして泣くと」


……え?


「まあまあ、育ての親にも情ってもんがあるがな。顔見りゃあ一目でわかるっちゅうもんよ」


「町田のとこのヨシキくんの小さい頃にそっくりやもんなぁ」

 

「まあ、子供はまた作りゃええが」


「せやせや。今日仕込みゃあ春にゃ生まれるがな」


五月生まれのイツキ。かわいいイツキ。僕には似ていないと思っていたけれど、そりゃあ、でも、僕は、


「ケンジさん」


そっと、白い手が僕の手を覆った。


「ホマレさん……?」


彼女は、赤子に諭すような声で優しく言う。


「ええんよ。子供なんて、また作れば。うちと、作ってみる?」


ああ、匂いが。篝火から、焚火から、頭がくらくらして、正常な思考ができなくなる。


「ほれ、焼けとる焼けとる」


「切り分けーや」


「ケンジくんには一番うまいとこ食わせてやろうなぁ」


後ろで響く声が耳の奥で反響して、虫の羽音がうるさく響いて、ホマレさんの白い肌が目の奥に焼き付いて。


「不倫とか、父親が誰とか。島ではそげなこと誰も気にしとらん。島の子は、みんなで育てればいいけん。神様に一人くらい還すのも当然やし、……うちも、二人還しとるんよ?」


彼女の言葉に再度思考が引き戻される。そんなこと、許されていいはずがない。神様に子供を還す。今見たとおり、殺すってことじゃないか。


「ホマレさんは、それでいいんですか!大事に育てた自分の子が!」


 ・・・・・・・・・

「また作ればええから」


そう言って、ホマレさんは僕の手を胸に誘導した。逃げようとして後ろを振り返ると、妻がヨシキに腰を抱き寄せられているのが見える。後ろでは大勢の人が抱き合い、地面に敷いたブルーシートに倒れ込み、あるいは肉を喰らい、火に赤い影が差してまるで獣のようで。


「ええんよ」


この人の声は、どこか島の空気に似ていると思っていた。骨の髄まで染み込み、腐らせるような常夏の湿気。




その日、篝火は夜空が白み始めるまで消えなかったという。

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