第5話


 冷静になるというのは、きっと気持ちと頭を冷やすというよりも、何もないフラットな状態にするってことなんだろうな、とつくづく思う。それはつまり、客観的に見るようにするってことでもある。

 別に俺は、『冷静』という状態や単語について、異常に興味があるわけでも、その単語を知り尽くす単語マスターになりたいわけでもない。ただ、家に帰って飯を食って風呂に入ったあたりから、結構じわじわと来ていたりする。

 何がかって?

 そりゃあ、もちろん、東雲柚姫に纏わる色々な、本当に色々電波な話の信憑性の無さ(・・)がである。

 いや、信じられないでしょ。

 っていうか、信じちゃいけないでしょ。

 確かに、俺は屋上に呼出されて行ってみると、ドアの向こうは不思議の国ならぬ、見たことも無い和室だったし、いつもの見慣れた二階東廊下では、ぎこちない動きをする雷神と鉢合わせたあげく、意味も分からん因縁を付けられ殺されかけたし、かと思えば、その雷神を四連式ロケットランチャーで吹っ飛ばす少女が外人っぽい名前を名乗ったり、そんでもってそいつは、その破壊兵器を学校指定の補助バッグに入れたりして、SFライトノベルも真っ青な展開を目の当たりにはしたわけだが、それでも、こうしていつもの生活空間に戻ってくれば、それらがどれだけ馬鹿げたことか思い知る。

 多分、夢オチ。

 このまま眠ってしまって、また明日学校に行けば、昨日(現段階ではまだ今日だが)のことは全部俺の悲しく危ない妄想で、天下の美少女、東雲柚姫に馴れ馴れしく話しかけようものなら、怪訝そうな顔された上に、こいつ大丈夫か? とか、ちょっと気味悪いな、とかいう感情を、持ち前の人当たりの良さで何とか胸の奥に封じ込め、愛想笑いで流された後、俺の知らないところで、俺が不審者扱いされる、というリアルすぎる対応が待っている、ということはないだろうか。

 そうだ、そうに違いない。

 全部幻覚的な何かであるか、長すぎる夢だ。

 だが、そんな正当すぎる願いは、翌朝の、それもかなり早い段階でかき消された。

『ピンポーン』

 …………。

『ピンポーン』

 ……。

『ピポピポピポピポピンポーン!』

 けたたましい音に、俺は起こされた。このご時世に、ピンポンダッシュならぬ、ピンポンラッシュとは何事か。うちのチャイムが連打出来る古いタイプだからって、チクショウ!

 俺は寝巻き代わりのスウェット姿のまま、むくりと起き上がり、目覚まし時計を見る。

今は六時半。

俺の起きる予定時間は七時半。

なんだよ、こんな朝に。

俺は完全にイライラしながら、階段を下り、玄関のドアを開けた。

「どちらさま?」

 不機嫌MAXの応対だ。

「あ、やっと出たわね。おはよう、志木城君」

 するとそこには、出ました、東雲柚姫。ええと、正直ピンポンラッシュのあたりから薄々気付いてはいましたよ、俺は。

「東雲。なんだよ、こんな朝っぱらから」

「迎えに来た、以外に何があるのかしら?」

 多分、そうなんだろうけど、そうじゃなくて。

「なんで迎えに来たのかって意味なんだが」

 俺が言うと、彼女は大きな目を丸くしたあと、小さく頷いた。

「志木城君、あなたは昨日、自分には戦闘能力はないって言ってたわよね」

「ああ、少なくとも、石像の化け物を撃破できる能力は持ち合わせてはいないな」

「じゃあ、一人のときに襲われたらどうするつもりなの?」

 言われて、俺はグッと言葉に詰まった。

「つまり、そういうことよ」

 わかった? と言わんばかりの表情。

「……だが、東雲がいたからと言って、どうにかなる問題なのか?」

 俺の言葉に、東雲は得意げな顔で、

「私の得意魔法は攻撃と防御、どちらもこなせる戦闘系よ。それもかなり上位のものまで使えるわ。暗殺のような少人数なら、大抵の相手には負けないわね」

 えらい自信だな。頼もしいよ。

「支度をするから、少し上がって待っていてくれ」

「いいわ。ここで待つから、早く支度をして頂戴」

「……そうか? 分かった。十分で済ませる」

 俺は最速で着替え及び準備を始める。当然、朝飯などはナシだ。

 もともと、朝はあんまり食べない派だしな。

 一通り、そして最低限の準備をして玄関に向かうと、東雲は下駄箱の上に置いてあったオウムガイを見つめていた。

 小さい頃、化石とか古代の生物に興味があった頃に買ってもらったもので、飾ったままにしてあるものだ。造形的には綺麗だからな。

「埃が溜まっているわ」

「今度掃除するよ。待たせたな。それじゃ、行こうか」

 俺たちはそうして、家を出た。

 女子と一緒の登校が、こんなにもそっけなく始まるとは、想像していなかった。これも記念すべき、ファースト『女子との登校』なんだが。まぁ、仕方ないか。

 しばらく無言のまま歩き続ける俺たち。

「魔法とはもともとなんだと思う?」

数分歩いたところで、東雲は前を向いたまま、口を開く。また突然の話題だな。いきなり『魔法とは』論議か? 

「さあな。見当もつかん」

「魔法とは、『想い』の力よ。想いや願いが現実干渉する現象だと言われているわ。つまり、想いや願いが強ければ強いほど、そこから発現した魔法は強力になる」

「となると、東雲の魔法には、強い想いがこもっているんだな」

「どうしてそう思うの?」

「さっき言ってただろう? お前の魔法は、大抵のヤツには負けないって。それって、強いことだよな。そんでもって、強さは想いの強さだって……」

「ええ……」

 東雲は少しだけ意外そうな顔をして、

「そう、なるわね」

 すぐにいつもの澄ました表情に戻った。

「……だから、安心していいわ。現状、あなたがしっかりと戦えるようになるまでは、私が守ってあげるから」

「頼もしいよ」

 言うと、彼女は少しだけ満足そうに笑った。

「……東雲」

 俺はふと、思いついた。

「なぁに?」

「俺一人だと、襲撃されたら対処できないから、困るってさっき言ったよな?」

「そうね」

「それじゃあ、なんで昨日の帰りは普通に帰って、今日の朝まで、俺は一人で放置されていたんだ?」

 少し考えれば、わかる落とし穴的なものだ。

「それは……」

 東雲は実に気まずそうに、視線を逸らした。

「ちょっと、失念してただけよ」

 おい、マジかよ。

 そんなうっかりで、もしかしたら俺、襲われて死んでいたかもしれないんだぞ?

「だから、今日はこうして、朝早くから迎えに来たんじゃない」

「……もしかして、今日の朝、気づいたのか?」

「…………」

「……まぁ、そんな日もあるよな」

 なんとなく気まずい空気に仕上がったので、俺はそう言って、誤魔化すことにした。

「……以後、気をつけるわ」

 そうしてくれるとありがたいな。不注意の凡ミスで死ぬのだけは勘弁だ。

 俺たちにはその後、特に会話もなしに、学校へと向かう。

 いや待てよ。このまま学校の敷地内に向かうということは、東雲柚姫と一緒に登校するということで、それはつまりどういうことかと言うと、そう、あれだ、多分おそらくいや絶対に、変な誤解を招くだろうな。そして、俺は、全校合わせれば百は下らないと言われる東雲柚姫ファンを敵にするのだろう。

「そのあたりは大丈夫よ。手は考えてあるわ」

「本当か? だとしたら、ありがたい」

 そんなこんなで学校の敷地に入る。

 今は登校時間、当然周りには生徒が沢山いる訳で、そんな中でも、俺の隣を歩く東雲柚姫は注目の的なのであって、友人が多いのはもちろん、教師、先輩、後輩、その他諸々に挨拶なりなんなりされるのだ。

「おはよう、星野さん。おはよう、ゆみちゃん。お早うございます笹沼先生。おはようございます百合岡先輩。おはよう楠くん」

 丁寧に、極上の微笑みで次々と挨拶を交わす東雲。その間にも、俺には『なんだこいつ。どうして東雲嬢の隣を歩いているんだ?』という無言のプレッシャーがその人数分のし掛っているのだが。

 ああ、痛いよ、その視線。

 俺、なんでもないんです。本当になんでもないんですって。どちらかというと、被害者の方です。無理やり一緒に登校させられているんです。

「それじゃあ、ここで」

 猫かぶりっぱなしのいつもの笑顔で言う東雲。

 ともあれ、地獄の数分間を乗り越え、東雲と別れ、やっと自分のクラスに入る。彼女がどんな手を考えているか知らないが、もし本当に策があるなら、早めに実行してもらいたい。じゃないと俺、放課後まで生きていられる自信がない。

「よお、雪臣。見てたぜぇ、まさかあの東雲嬢と一緒にご登校とは。おまえ、前に『ああいうのとは、関わらないに限る』とまで言っていたじゃないか。どういう風の吹き回しだ? というより、あの東雲が女子以外と一緒に登校するなんて、過去一度もないことだぞ? 驚天動地だ。どうやった? 何か弱みでも握ったか?」

 そんな俺が完全に犯罪者みたいな前提で話を進めてくるのは、クラスメイトかつ中学からの友人、山沢だ。

「いや、まあ、色々あってな。ま、いずれわかるが、今はまだ言えない」

 俺は誤魔化す。

 下手に言い訳して、東雲の考えてある『手』とやらに差し支えがあると困る。というか、東雲に文句を言われかねない。今は、多くを語らず、が正解だろう。

「らしくない行動だなぁ、『ミスター半透明』?」

 お次は、同じくクラスでつるむことの多い影島だ。因みに、『ミスター半透明』とは、俺の二つ名である。なんでも、別に顔もスタイルもついでにそこまで頭も悪くないのに(特別良くもないがね)、その可もなく不可もない能力値と、何にも目立たない特性と、上にも下にもどこにも出たがらない主義のせいで存在があやふや、という嘲笑と侮蔑を込めた呼び名、だと思う。まあ、ぴったりと言えなくもない。

「別に好きで一緒にきたわけじゃないさ」

 俺が答えると、先ほどの山沢が会話に入って、

「言えない理由があるらしいぜ」

「そうなんだ。僕はてっきり、雪臣がああいうわかりやすい明らかなる美少女の趣味に目覚め、好きすぎるあまりストーキングしているのかと思ったよ」

 影島、お前まで俺を犯罪者扱いするのか? お前たちとの間に信頼や友情がないということがよくわかったよ。

「いやいや、冗談だよ。でも、わかっているとは思うけど、どんな理由があるにしても、これは事件だからね。東雲柚姫が男子と故意に登校っていうのはいつでも、うちの学校ではトップニュースになる事柄さ。つまり……、」

「気を付けろって言うんだろ? それは一応わかっているさ。俺が、何より『目立たない事』を信条にしているのは、知っているだろう。俺だってできれば一生関わりたくなかったさ。あんな、目立ちすぎる女とはね」

 我ながら、いい感じにぼかしている。重要なこと、核心に迫ることは何一つ言っていない。さすがは俺。誤魔化す、チョロめかすことに関しては自信がある、って、あんま誇れるスキルじゃないな。

 その後、同じような質問をクラスメイトに十数回聞かれ、同じだけ返したことは言うまでもない。

 

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