第2話

その日は朝からついていなかった。 

まず、目覚まし時計が止まっていて遅刻寸前の起床。

まだ間に合うと望みを託し、颯爽と乗り込んだ人力二輪の愛車は、自宅から数メートルの距離で前後のタイヤが同時にパンク。

仕方なく二本の足を駆使して自己記録更新に挑む。

さて、コースはどうしたものか。

自転車が使えないからと言って、完全に不利とも限らない。いつものコースは、自転車でもいけるオンロードで、坂を除けば障害は皆無。しかし、今は徒歩。徒歩ということは、地獄の神社ショートカットコースを選ぶことができる。『無銭神社』という地域密着型の神社の敷地内を突っ切る荒業。それは不法侵入と神様冒涜のダブルカルマを意味している。とはいえ、これは本当に危ない賭けだ。何せ、六十三段の階段を上り、裏の道なき山道を下って校門手前二十メートルに直接出るという『自分の体力次第でしか達成しえないコース』なのだから。

だが、今日ならいける! 俺は強くそう決意した。

回り道には目向きもせず、一段がやたらに高い石段を上り始める。残念ながら、俺の脚の短さでは二段飛ばしが限界だ。くそぅ、さすがに朝一番の階段ダッシュはきつい。ロッキーすげぇ。

だが、まだ行ける! なんとか石段を登りきり、境内を横切る。俺は横目に風神と雷神(なぜか無銭神社には、風神と雷神が内門の両脇に立っている)を見過ごして、裏の方の山道を下る。ここからは獣道だ。足を踏み外せば、そのまま転がり落ちて、学校手前の金網に直撃する。結果的に止まるだろうが、まぁ、そうなったら無事じゃないだろう。

大丈夫だ。足腰には自信がある。それに、この裏山は子供の頃から遊んでいた場所だ。いまさらヘタを踏むことは無………うおっ、やべっ!

ちょっと躓いて、体が浮くのがわかる。やっちまったか? この斜面でこの勢いで体が浮くと、着地がきっとよろしくない。なびくブレザーの裾、吹き抜ける風。

けど、そこは俺。持ち前の反射神経を使うことにする。

木だ。木に腕を当てて、勢いを殺せば……そうだ! 衝撃に強い腕時計『ズィ―ショック』を当てれば、あるいは。

俺はよく狙って、腕時計を木に当てる。

「んごっ!!」

多少痛いが、問題ない。予定どおり、勢いを殺してふわりと着地し、そのまま、なんとか山道を下りきった。

まだ平気だ。まだ走れる。

腕時計を見ると、あと五分もある。なんだ、余裕じゃないか。と思ったのもつかの間、

『キーンコーンカーンコーン』

 やけに聞きなれた音が鳴った。

 俺は慌てて時計をみると、液晶にヒビが。ああ、さっきので壊れたんだ……ってことは、これ、マジでチャイム? 現時刻より二分前でとまっている俺のズィ―ショックは、心なしか、さびしそうに見えた。ちくしょう。

こうして、ベストレコードで走りきった二キロ弱は、校門から若干手前でのチャイムによって水の泡となった。早々に門を閉めようと試みる体育教師を何とかやり過ごして校内に入る。

やれやれ、遅刻じゃん、結局。

敗北感と疲労感に打ちひしがれながら下駄箱を開ける。上履きをとりだそうとすると、引っかかって何かが一緒に落ちた。一通の黒い封筒だ。拾い上げてくるりと裏返して見てみると、本来なら可愛らしく映るはずのピンクのハート型シールが、水死体のように浮いた存在として申し訳なさげに封を守っていた。その隅には、白ペンで『志木城君へ』と女の子らしい僅かに丸みを帯びた文字が並んでいる。差出人は……書いて無いか。ちなみに、『志木城しきじょう』とは俺の苗字だ。

なんだこれは? もしかして、果たし状? 封のシール、宛名の文字、いたって普通の封筒の形。これだけならば立派なラブレターにも見えなくもないが、この妙にどす黒いメインカラーがそのぽわぽわとした雰囲気を一刀両断のもとに切り捨ててくれている。

 パッと見はどう考えてもブラックメール《脅迫状》だ。じゃなきゃ不幸の手紙。

 俺はそれを嫌々ながらも鞄に仕舞い込み、靴を履き替えて教室に向かう。この封筒に炭素菌が入っていないことを祈るばかりだ。

 鬱々とした気分で我がクラスに入ると、担任がじろっと俺を睨みつけたが、それだけで何も言われなかった。その代わりに、早く席に着けと無言で促される。普段の生活態度が良い俺はたかが一回や二回の遅刻ではそう文句は言われない。

やはりその日も特に重要ではなかったホームルームの諸連絡を聞き流し、次の授業までの五分休憩に入る。

そこで―、俺は鞄の中から先ほどのブツを取り出してみた。

俺の席は一番窓際の一番後ろ。気を抜けば存在そのものさえ忘れ去られる可能性を秘めたポジションだ。ある意味死角となっているこの席で、俺は堂々と黒い封筒を出して広げることにした。万が一恋文の類であったとしても差し支えのないように。

黒い封筒の中身は白い便箋だった。普通だ、と思い安心したのも束の間、その便箋を広げてみて驚いた。

文字が赤い。絶対普通じゃない。俺は内心びくつきながらもその文章に目を落としてみる。

『始めまして、志木城君。

 突然のお手紙で、申し訳ありません。

 つきましては、お話したいことがございます。

 本日、放課後屋上にてお待ちしています。』

 どうやら俺は万が一に遭遇してしまったようだ。  

 この血文字のごとき赤で書かれた手紙は、察するにラブレターのように見える。

 俺は大きなため息を吐いた。よりによって、人生初めてのラブレターが黒い封筒に入っていて、しかも血文字(にしか見えん)で書かれたヘンテコなものだとは。なんか、心が荒んでいくのを明確に感じた。差出人不明だし。

 質の悪い悪戯の可能性もあるが、俺も健全な男子高校生だ。ようやく来たかもしれなささやかなモテ期(?)にやぶさかではない。俺は行く。負けるとわかっている勝負でも、受けなくてはいけない時が男にはある。

 俺は勝手な結論を抱きながら、悶々と六時間の授業をこなし、ホームルームが終わると同時に教室を出た。いつも一緒に帰る友人にアデュー、一人ゆっくりと階段に向かう。

「あ、志木城、帰り? っていうか、なんで階段上ろうとしているの? あんた帰宅部でしょ」

 手前で声をかけてきたのは、同じクラスの女子、水咲……なんだっけ。クラス内では結構話す女子なのに、下の名前が分からない。水咲『なんとか』だ。

 毛量の多い色素が薄い髪を、ざっくりとしたアップに結わいている水咲は、口調は多少ぶっきらぼうだが、その点において逆に話しやすい女子であることは間違いない。俺基準で悪いが、きっと顔も可愛い方だし、制服と体育のジャージ姿から推測するに、結構な巨乳だ。まぁ、別に俺は特段巨乳好きという訳ではないし、まったくと言っていいほどエロい目ではみてない。……本当だぞ?

「ちょっと屋上にね。あ、ついてくるなよ?」

 俺が言うと、

「自殺?」

「違うわ! だったら止めろよ」

「じゃ他殺?」

「死ぬの前提かよ。ってかそれもうただの殺人事件だから」

「あんまり変なことしない方がいいよ。あんた、目立ちたくないんでしょ?」

「変なことするの前提かよ」

 失礼&保護者的なことを言う同級生に、適当に相槌を打つと、俺は再び上階を目指す。俺の教室は一階だから、五階に位置する屋上には四つの階段を上らなくてはいけない。

 急ぐのもなんとなくみっともないと思い、わざとゆっくりと、時間を掛けて昇ることにした。

 二階を通過、三階を通過。四階も素通りして、最後の階段へと差し掛かる。

 俺はあえて期待しないで、屋上のドアを開けた。

 ガチャ。

「…………」

 ガチャ。

 無意識のうちに予想していたものと、視界に飛び込んできたものにものすごいギャップを感じる。そのギャップがありすぎて、思わず俺はドアを閉めてしまった。

 ちょっと待て。俺は今屋上に向かって階段を上り、屋上に通じるドアを開けました。

 さて、もう一度開けてみることにする。

 ガチャ。

「…………?」

 ガチャ。

 やはり閉めてしまった。

 う~んと、なんだろう。

 ドアの向こうには屋上ではなく、和室があった。

 和室?

 屋上なのに、和室?

 屋外なのに、室内?

 おかしくね?

 俺はこりもせず慎重にドアを開けると、恐る恐る室内を覗き込む。広さは、六畳ぐらい。窓も三箇所あって、うっすらと陽が差し込んでいる。中央にはコタツ。日差しだけでは不十分な暗さを解消するためか、上には和風のライトカバーを取り付けた、蛍光灯が光っている。で、もちろん天井もあるわけで、やっぱり室内なわけだ。

 だから、おかしいって。

 俺は一歩を踏み出さず、変わりに逆走し、階段を駆け下りた。二階分ほど階段を下りて、廊下を爆走、屋上の見える棟まで走りこむ。

 そして、窓から首を出し、上を見てみると……あった。普通に屋上が。いつもどおり、ちゃんと屋上がある。うむ。問題ない。

「…………っ」

俺は一息ついて、頭を抱えた。熱でもあるのか? 屋上は屋上で、どう考えても屋上だ。四階建ての建物で、四階からさらに階段を上ったら、たいていの場合、屋上に出る。

 しかし、俺がさっきたどり着いたのは、屋外ですらなく、ただのこじんまりとした和室だった。

 俺は首をかしげた。

 見間違えか。そうだ、きっと浮かれるあまりに、変な幻想をみたのだ。俺は心を改めて、廊下を進み、階段を上り始めた。そう、次は三階。さらに階段を上り、四階へ。そのまま順調に屋上への階段を上り始める。

 そしてついに、その、どこからみても屋上っぽいドアを開けた。

 ジャジャン!

 脳内で効果音が鳴る。

 和室。

 はい来た。来たよこれ。

 怪奇現象だよ。それもある意味一番性質が悪いタイプの。

 ふっ、屋上をそのままそっくり室内に改装、改造、和室を作ってコタツまで置いて、完全なるツッコミ待ち。やるじゃないか、見知らぬ『誰か』よ。だがね、この状況をうまく料理できるほどの芸人センスを俺は持ち合わせてはいない。残念だ。とても残念だが、負けを認めよう。ふふふ……。

 ………………。

 …………。

 ……?

 いや、だからおかしいだろうが!

 ここどこだよ?

 屋上か? でも室内じゃん。ああ、もう、混乱だ。カオスだ。ブラックホール級のカオスが俺を襲っている。

 と、俺が今にも頭を抱えてうずくまろうとしていると、和室の奥の襖が動いた。当然のごとく、横にスライド。

「あ……あら、こんにちは、志木城くん。待たせてしまったかしら?」

 俺は固まった。

 愛くるしい顔と艶やかな黒髪、小柄な背丈に反則的に整ったスタイル。そう、それはいうなれば超絶的美少女。

 襖から出てきたのは、何を隠そう、あの《・・》東雲柚姫だった。

 マズイ。

 完全に俺の認識力が置いてけぼりを食らっている。周回遅れだ。

「突然呼び出してしまってごめんなさいね。少しずつ順を追って、というのがどうにも苦手なの。あ、どうぞ、座って。靴はそこで脱いでね」

 そう言ってコタツに促す柚姫。ちなみに『そこ』というのは、恐らくドアと畳の間に細く存在するリノリウムっぽい床の部分、という意味だろう。実際そこには、女子のローファー(多分東雲の)が脱いで揃えられている。

「いや、あの、その」

「どうしたの? 緊張しているのなら、やめてね。面倒だから」

 ふわりと片方の髪を耳に掛けて言う。今なんつった?

「私と密室に二人きり、なんて、望んでもなかなか叶わない状況に、緊張しないでって言ったの。別に愛の告白なんかでは決してないから、安心して」

 おいおい、なんかキャラ違うだろう。お前はもっと、誰にでも愛想がいい女子のはずだ。

「なによ、キョトンとして。もしかして、キャラ違うって思った? そりゃあそうよ、いつもは演じているもの。だいたいね、これだけ可愛くて性格もいい、なんて、ありえないでしょ? 逆に気持ち悪いわ。猫被っていて当然よ」

 悪びれる様子など皆無で、東雲は堂々と言い放つ。こいつすげぇな。じゃなくて、落ち着こうぜ、俺。すでに俺の認識キャパなんて、大分前に超えてしまっているが、いつまでも呆然としているわけにはいかない。

「ええと、あのな、東雲。聞きたいことは山ほどあるが、まずはここ。この場所は、いったいどこだ?」

 俺の質問に、小首を傾げて眉を顰める。どんな表情も絵になるな。

「和室よ」

 なるほど。いや、そうなんだけど、違う。

「ああ、そういうこと。ここは屋上ではないわ。屋上だったのは、あなたがドアを開けるまでの空間。屋上のドアに細工をして、あなただけがここに転送されるようにしておいたの。ちょっとオリジナルだけど、空間転移魔法の一種よ」

 はぁ、そうですか。

「はっ?」

 俺は言葉に詰まった。

 なに? 今なんて?

 空間転移魔法? 魔法って言った?ああ、魔法ね。ファンタジー世界には欠かせないアレだ。知っている、俺知っているぞ。そうか、魔法か。あるよね、あるあるあ……、

「るわけあるかぁ!」

 座敷に上がってコタツに入っていたのなら、間違いなくちゃぶ台返しをしていただろう。

「なによ、急に大声をだして」

「ふざけるな。なんだ、魔法って? 空間転移? いやいやもうちょっとマシな説明あっただろう」

 俺が言うと、東雲はおどけた外人みたいにやれやれな仕草でため息をつく。

「意外に常識人なのね。志木城君、こういうの好きそうだし、すんなり話に乗ってくれると思ったのに。ちょっとがっかりだわ。ま、なんにせよ、全部本当のことよ。残念ながらね。そんな細かいことを一から説明している時間はないの」

 呆れ口調の柚姫。終始イライラしているように見えるのは、俺のせいなのだろうか。

「ま、そういうわけで早速本題に入るけれど、心の準備はいい?」

 どういうわけだ、とは言えずに、俺はだんまりするしかない。

「世界は今、危機にさらされようとしているわ」

 ごく真面目な顔で、東雲は言った。

 頭の中でポクッポクッと、とんちが閃きそうな木魚の音がする。

 チ~ン。うん。考えたが、よくわからん。

「危機?」

「そうよ」

「確かにな、森林伐採、地球の温暖化、世界経済の低迷と混乱、資源エネルギーの枯渇。そう考えると、実感はないが危機なんだろうな」

 俺は答えた。いや、常人としては模範解答だろう、これ。だが、どうやら柚姫嬢には不満だったらしく、彼女は「フンッ」とつまらなそうに鼻で笑って、

「んなことは、どうでもいいのよ」

 ばっさり言い放った。

 どうでもいいのかよ。

「それも危機であることは認めるわ。でもね、今私が言っているのはそんなことじゃないわ」

「じゃあ、なんなんだよ」

「魔王が復活したの」

「魔王が復活したの?」

 俺の鸚鵡返しに、東雲は頷く。

「そうよ。今まで封印されていた魔王アンドロマリウスが目を覚ましたの」

 ほう、そうか。誰なんだ、アンドロマリウス。

「近い未来、大きな災いが起きるわ。そしてそれは世界を滅ぼしかねない事態を招く」

 おお、すでにB級SF映画に有り勝ちな怪しいにおいがしてきているが、もうちょっと聞いてみるか。

「一度に説明できることじゃないし、してもきっと信じないだろうから、今は細かいことは端折るわ。とりあえず一緒に来て。話すべきことが山ほどあるのよ」

 いや、端折るなよ。どうして俺が呼び出されたかわからんだろうが。

「志木城君。それはあなたが、救世主だからよ。あなただけが、この事態を収められる」

 そう言った柚姫は、めちゃめちゃ真剣で、めちゃめちゃ奇麗だった。意味不明だが、美人に頼られるというのは、なかなかに悪くない……じゃなくて、何を言ってるのかね、彼女は。このどう考えても怪しい三流ファンタジー。これを聞かされた俺は、どうすればよいのか。そうか、試されているのか? 俺のツッコミが。俺の芸人としてのウデが。これは彼女の体を張った一世一代のボケなのだ。や、そもそも芸人じゃないんだけど。

 しかし――、

「そうか。ごめんな。東雲、お前は完璧すぎるがゆえに壊れてしまったんだな。頑張りすぎるからよくないんだ。人間、得手不得手があって当然。気楽に行けよ。何ができなくったっていいじゃないか。お前はそんだけ美人なんだから、何も悩むな。あと、つらいようなら精神科へ行け。カウンセラーのところでもいい。悩みをきいてもらいなさい」

 俺は言った。

 俺の出した結論はこうだ。

 東雲柚姫は、完璧で超絶美少女であるが故に、周囲の期待やらなんやら、完ぺき主義的な信念もうまいこと重なって、自分を追い込んでしまった。理想と現実のギャップ。うまくいかない事実。それでも頑張りすぎてしまった彼女は精神を病んでしまい、現実逃避の旅に出てしまったということだ。可哀想に。救ってくれる友はいなかったのか?

「そういうわけだから、悪いが俺はお前の数奇な遊びには付き合ってやれそうもない。わざわざ指名してもらったのに、すまないな。もっとこう、ノリのいいやつを当たってくれ。それじゃあな」

 俺はそう言って背を向けた。入ってきたドアに手をかけ、それを開く。

「ちょっと、待って」

 背中にそんな言葉がぶつかってきたが、俺は無視して階段へ。

 危ない危ない。もう少しで危険な遊びに付き合わされるところだった。彼女が何を思い、俺に何を期待していたかはわからないが、あまりに奇抜すぎる。いくら妄想癖のある俺でも、この設定を飲み下して付き合えるほど電波ではない。

 俺は階段を下りながら、時計を見た。時刻は午後四時半。まったく時間を浪費してしまった。

 ため息をつきながら廊下を歩き始めた俺だったが、ふと、違和感を覚えた。

 なんというか、静かだった。

 確かに、放課後から一時間が経過しているので、生徒が少ないのはわかる。だが、学校には委員会や部活動があり、教師たちも居れば、ただダラダラ残っているやつだっている。それなのに、今、目の前の廊下には誰も居ない。

 俺は妙な焦燥感に煽られながらも、そのまま下校を試みる。なに、たまたま静寂なだけさ。

 しかし、嫌な予感は、比較的当たるもんだ。

 二階へと降りた時、シンと静まり返った廊下の向こう側から、足音が聞こえた。

 ああ、あれだ。ほら、やっぱりまだ生徒やら先生やらが残っているんだ。ある意味ホッとしながらも、俺の嫌な予感レーダーは危険をビンビンに感知している。

 足音からして、そろそろ廊下の角を曲がり、俺の視界に入るはずだ。いや、まてよ。この足音、ちょっとおかしくはあるまいか。何がおかしいって、その、なんというか、一歩一歩の音が、重いような。

 ズシン、ズシン。

 う~ん、人の足音って、ズシンって、いわないよな。

 だが、そう考えているも間にも、音はどんどん近づいてくる。

 ズシン、ズシン、ズシン。

 やがて、俺の視界にそれは入った。

 ……?

 三秒の沈黙。

 石で出来た人型のものを石像と呼ぶ。はて、石像は動くだろうか? はい、動きません。少なくとも、俺の生きてきた十六年間の常識では。

 でもね、動いてるんだよね。目の前の……雷神?そう、あの風神とセットのやつ。駅の向こうの無銭神社で見たことあるあの像が、どういうわけか廊下を闊歩している。

 う~ん。

 そうか!夢か。

 俺は夢を見ているんだ。ずっと、ず~っと。

 そう考えれば、辻褄が合う。変な手紙も、屋上の和室化も、東雲柚姫も、彼女の暴走も、この雷神も、全部夢さ。俺の海馬が見せている暴走的な妄想だ。

 なんて思い込んだところで、雷神と目が合った。運命の瞬間だ。恋が始まるかも。

「あ……、ヘロー」

 とりあえず、片手を挙げて言ってみた。最も広く使われる英語の、しかも多義語の『ハロー』だ。なんとかなるさ。

「ぬ……」

 しかし、雷神はその険しい表情で俺を見たまま、動かない。

 しまった。そうか、雷神はジャパニーズだった。

「あの、こ、こんにちは」

 俺は諦めずにコミュニケーションを図る。

「ぬ……」

 ぬ?なんか、ダメな空気だな、これは。

「ぬらあ!」

 雷神は唸りをあげた。叫びかもしれんが、よくわからん。俺はびくっとなって逃げる準備をする。

 雷神はさらに顔を険しくして、背中に背負っている電電太鼓を打ち鳴らし始めた。

 やばくね?これ。

 いや、でもこれは夢だから。きっと。多分。

「ぬらああ!」

 そうそう、あの太鼓の周りに発生し始めている青や黄色の電気的な光もきっと夢。あの雷神も夢。それも夢、これも夢。

 雷神はばちをこっちに向けて振りかざすと、放電していた光がこっちに飛んでくる。うわあ、アニメみたい。って、やばいよ!

 よけたね、とっさに。夢だと思ってもさ、よけるじゃん、身の危険感じたら。

 俺を捕らえられなかったいかづちは、本来俺のいた場所である廊下の壁に当たる。バチンという音がして、光が壁を叩いた。

 俺は思わず、息を呑んだ。

 本物だ。

 当たった壁は黒く焼け焦げていた。

 はい、ちょっと待て。なんだ、これ。

 笑ってしまうくらい笑えない状況だ。

 夢? いや、それはさっき考えた可能性だ。じゃあ、なに? 放課後、校内の廊下で雷神に襲われるって、なにさ。

 おかしすぎるよ。これもあれか、地球温暖化の影響か? 氷が解けて大変な思いをしているペンギンたちの呪いか?

「ぬらあ!」

 俺の混乱はやっぱりお構いなしで、雷神はまた太鼓を鳴らす。

 逃げよう。むしろ、それ以外の選択肢はない。俺はまだ電力を貯めている雷神を確認して、体を反転させた。動きはそれほど早そうではない。全力で走ればきっと逃げ切れる……雷さえこなけりゃね。

 走った。俺は半端なく走った。きっと体育の百メートル走のときより真剣にダッシュした。が、なんだろう、このうしろから聞こえてくる重い足音は。ズシン、ズシン、って明らかに雷神が走ってる音。しかも、重い割には、音の間隔はいやに短い。つまり、これは、かなりの速さで追ってきている? 定かではないが、怖くてそれを確認する気にはなれない。

 俺は何とか階段に差し掛かり、絶妙なコーナリングをかましながら雷神をちら見する。

 居る。追ってきている。

 しかも、思っていたより、距離を引き離せていなかった。なんて考えていたら、足元に違和感。気づいたときには、もう遅い。俺は階段を踏み外していた。

 ああ、なんてことを、俺の右足。あと五段くらいだったのに。豪快にこけるわけでもなく、なんとなく地味にズザザザザッとなだれた俺。いや、痛んだけど、なんか情けない。

 立ち上がろうとした時、階段の上から何かの飛び立つ音がした。

 ズドーン!

 いかにも重そうな音と共に、目の前に着地したのは、やつですよ、雷神。すげぇ、雷神ってジャンプするんだ。身軽だな。 

「ぬらあ!」

 あ、ヤバイ。

 雷神、完全に俺を殺(や)る気だ。電電太鼓に青い稲妻が走る。

 これはきっと、よけられない。ついに終わるのか、俺の人生。こんなふざけた終わり方って、どうなのよ、俺。どうせ非現実的終焉なら、誰か可愛い女の子でもかばって死にたかったよ、ホント。っていうか、彼女ほしかったよ、ホント。

「伏せなさい!」

 階段の上のほうから声が聞こえて、俺は振り返った。あっち向いたりこっち向いたり忙しいな、俺。

 ま、振り返ってみて、びっくりしたね。なんか新しいギャグかと思った。だって、女子生徒が、ロケットランチャー構えているんだもん。それも四連式、あの四角いやつだ……って、それ、撃つのか?

「早く、伏せてください!」

 照準を覗き込みながら、叫ぶ少女。だから待てって。それ撃ったら、多分雷神に当たるだろう。当たったら、百パー爆発するよな。そんでもって、俺と雷神との距離は四メートル弱だ。

 …………。

 巻き込まれるよな、確実に。

 伏せても意味なくない?

「早く!」

 鬼気迫る形相で少女はなおも言う。俺はそれが若干怖くて、結局伏せた。

 カチッ!

 引き金を引く音と同時に、ボシュッ!という爽快な発射音が聞こえる。多分、四つのロケットがいっせいに発射されたはずだ。俺は伏せてるから見えないけどね。

「ぬ、」

 雷神がそう言いかけた瞬間、派手な爆発音がした。

 あ、やっぱ近ぇわ。死んだかな、自分。なんてことを思ったとき、体がふわっと浮いた。もちろん、爆風でだ。俺はそのまま階段に体を打ち付けられた。

 肋骨打ったよ、肋骨。爆風で吹っ飛んだ俺は、打ち付けられたままの格好で、階段をずるずると流れ落ちて、先ほど雷神と対峙していた場所にへなへなと倒れこんだ。

「大丈夫?」

 コツコツと階段を下りてきたであろう少女が言う。

 俺はわき腹を押さえながら見上げると、ロケットランチャーを担ぐ女子生徒が一人、自信に満ち溢れた顔で立っていた。

「無事でよかったです。あなたに死なれると、色々と面倒ですから」

 とはいえ、特に感情移入してそうもない口調で言う。

「でも、これで信じてもらえたでしょう? 今のはあなたを狙ってきたのですよ」

 俺は少し眉を顰めた。いや、正直な話、冷静にパニックですけど、なにか?

「夢だと思いたい気持ちも分かるけど信じてください。いや、もう信じるっきゃないでしょう。世の中順応性は大事ですよ?」

 いや、だってさ、いきなり世界が終わるとか、雷神の襲撃とか、ロケットランチャー少女とか、順応してしまうほうが危なくないか? というか、そもそも君は誰だ?

「私? 私はシャルロッテ。実弾担当です」

 実弾担当?

なんだそりゃ。待て待て、それ以前に名前外人?

「質問攻めは女子に嫌われますよ。まあ、いいです。とにかく、今から一緒に来てもらいますから」

 思考回路がいま一つ周回遅れの真っ最中の為に、ぼうっと見上げていると、シャルロッテさんは手を差し伸べてくれた。 

「立てますか?」

 俺をその手を借りて、何とか立ち上がる。やっぱり痛いわ、全身。

「では、いきましょう。柚姫様がお待ちです」

彼女はどこからともなく高校指定の補助バッグを取り出し、おもむろにチャックを開ける。

「おい、今、バッグをどこから出した?」

 俺の言葉は当然のように無視されたまま、彼女は横に置いてあったロケットランチャーを持ち上げる。

まさか、と思うより早く少女はロケットランチャーを突っ込んだ。そして、見事に空間を湾曲させたかの如く収納される。

異次元ポケット? ここまでくると、あんまり驚かないけど。

「あの」

 俺は四連式ロケットランチャーを補助バッグに仕舞い込んだ少女を見て言った。

「あの、なんだか俺、頭馬鹿になりそうなんだけど」

 そうすると、少女はバッグを担ぎなおして、

「大丈夫です。もともとそんなに良くないですから、あなたの頭」

 と言った。

 なんか、いろんな意味で悲しい。

 俺は最後に、半径五メートルを丸々不幸にしそうな大きなため息をついた。

 いや、それにしても、ロケットランチャーと学校指定の体操(ジャー)着(ジ)って、同質量なのか。

 そんなどうでも良いことを考えながら、少女よろしくシャルロッテの後をトボトボとついて行った。

 

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