十七話、また一夜が明ける

 がらがらと、木の|おけ《おけ》がれる音がわずかにひびく。

 白の残る空には、黒が青へと色を変えていた。気温の低い中、寒風が微風びふうとして流れる早朝。

 アルスはぼけるような曖昧あいまいとした意識の中で、宿の後ろにある井戸いどから水を|《く》み上げていた。そして|《く》み上がった水を自身の|おけ《おけ》に移し、わずかに残った水で眠気ねむけを覚まそうとした。


 「つめたッ!?」


 冷えた水は、直接ほほに当てるには刺激しげきが強すぎた。眠気ねむけを覚ますどころか、水にれたほおが痛みを発している。

 

 (失敗した……)


 手の平でも良い。少しでも温度を上げるべきだったと、後悔こうかいと共に確かに眠気ねむけは冷める。頭がぼーっとしているには変わりないが、睡眠すいみんをとっていないためにそれは仕方ない。

 重たい身体で水の入った|おけ《おけ》を持ち上げ、重心を左右にらしつつも自室へともどる。

 その途中、下から見上げた自室からは翠のかみの少女は見えなかった。


 (……)


 数時間|《た》ち、その間襲撃しゅうげきはなかった。

 夜から朝へと変わってから少しは変わらず警戒けいかいを続けていたが、その集中も切れる。宿からリノが警戒けいかいを続ける事を条件に、アルスも|出来でき《でき》るだけ注意をはらいつつ水を取りにたのだ。

 全力疾走しっそう怪我けがのある身体を酷使こくしした事、火照ほてる身体を冷やしたり流れたあせのため、思ったよりも身体はじっとりとしていた。身体をげるためにも、水は必要だ。この冷たさでは、太陽の光に当てたりして時間を置く必要があるだろうが。


 「ただいま」

 「おつかさまです」


 窓から視線を外し、居候いそうろう(数日)の少女は部屋へやあるじむかれた。

 外からは見えない様にと、最小限の露出ろしゅつだけで警戒けいかいできるようにとかべに張り付いていたリノ。大きく動くこともなく体重を窓側のかべに預けた。

 こちらも集中が切れかけている。欠神が一つこぼれた。


 「水、んできたよ」


 おけごと、水筒すいとう一緒いっしょ唯一ゆいいつの机の上に置く。まだ時間的に難しいが、もう少してば部屋へやに日差しがはいみ始めるはずだ。それで少しでも温かくなればいい。

 寝起ねおきの倦怠感けんたいかんとはちがだるさに身体を支配されながら、今のアルスでは一仕事に該当がいとうする要件を終える。ちょっとずつ消費していた携帯けいたい食料の一つを口にふくんだ。


 「何とか朝をむかえられましたが、どうしますか。これから」

 「――ん。取り合えずもう一度現場にもどりたいっていうのが本音だけど、それも難しいからね。ホーレンさんの安否確認かくにんを最優先にしたいけど、今協会にだれがいるか分からないから動けないし」


 咀嚼そしゃくすることで無理矢理頭を起動させるが、やはりまぶたは重たい。去っていったはずの眠気ねむけがどのつら下げてか帰ってきた。

 気になるのはやはりホーレンの事。自身の知り得る情報では余り良い推測は出来できない。殺された。という可能性は何が何でも除外する。


 「しばらく待機、でいいのでしょうか」

 「うん。流石さすがに日がのぼってきたしみんなも動き始めるだろうから、白昼堂々とんでくることはないと思う。となり部屋へやに人がいるし」


 後ろめたい、と言うのが正解かは不明瞭ふめいりょうだが。一番街で起きた爆発ばくはつ事故もいまだに解決されているかあやしいのだ。自分から衛兵を招くような真似まねをするとは思えない。

 夜の襲撃しゅうげき偶然ぐうぜんなのかどうか。それすらも分からないアルスたちでは、取り合えずの仮定を元に行動するしかない。障害の多い場所や人の目に移るところで姿を表したりはしないと。


 「となるとあれだね。むしろ人目のつく場所であればいいのなら、問題なく朝ご飯とか買えるかもね」


 間食をはさんでも、そのたびに胃が消化してしまう。今にでも腹の虫がなるかもしれないとアルスは腹をさすった。

 そして寝台しんだいに目を向ける。


 「仮眠かみんだけでもしたいところだけど、どうする? ぼくが見張っとくからリノだけでも仮眠かみんしとく?」

 「有難ありがたい申し出ですが、アルスさんがお先にどうぞ」


 食欲よりも、睡眠欲すいみんよくの方が今の比重としては大きい。


 「けど横になると起きれるか分からないし、ぼく椅子いすを使わせてもらうよ。リノはそこ使っていいよ」

 「いた言葉をんでください。わたしだって横になれば起きれるかあやしいんですよ」

 「あれ?」


 自分が何を言ったのかすらも思い当たらず、首をひねる。限界は近いか、優にえている。

 リノとしても、横になれば深いねむりにさそわれるだろうことは働かない頭でも想定出来できた。自身が前までいた場所に比べれば、この部屋へや何処どこでもましな状況じょうきょうなのだから。

 たがいがたがいに配慮はいりょしてゆずい、結局どちらも使われることがないままに少しの時間が過ぎる。


 「はぁ。取り合えず眠気ねむけでも覚ましておけばましですかね」


 そう言って、リノはおけに手をばした。まだ日は、当たっていない。


 「っ!?」

 「リノっ!?」


 何度か似たような事を経験しているアルスとはちがい、リノからしてみれば井戸いどからみ上げたばかりの水は劇薬に近かった。

 こごえるような冷たさに咄嗟とっさに手を引き、しかし指の一部が水筒すいとう激突げきとつした。衝撃しょうげきと共に宙にい上がり、逆様になって落ちる。ゆるせんが開き、同じく温まっていない水が直撃ちょくげきした。リノを。


 「――ッ~~~~」


 声のない悲鳴がれた。


  ⚔


 それは、唐突とうとつおとずれた。

 近づく大きな足音に、警戒心けいかいしんを解かずに気を張っていたリノは気づきながらも間に合わなかった。

 大きな音と共に、アルスが借りている宿のとびらを開けて侵入者しんにゅうしゃは入ってきた――着替きがえ中のリノの前に。

 茶色ちゃいろ髪色かみいろをした、アルスと同じ年齢ねんれいの少女。ミア・エイシーが。


 「ちょっとアルス! 何かおそわれたって――はっ!?」

 「ッ」

 「え?」


 三者三葉。それぞれが異なった心情をかかえ空気はこおった。沈黙ちんもくが場を包む。

 だれから聞いたのかあわてた様相でアルスの様子をうかがいにたミアは、宿のあるじではなく半裸はんらの少女が視界に入り。

 宿の管理者ではないと推察し着替きがえの途中とちゅうつえ(木の棒)を取り出し迎撃げいげきの準備をしたリノは、おそってきた追手おってではなく少女だった事に。

 警戒けいかいのためにこの部屋へや唯一ゆいいつの窓から外を注意していたアルスは、物音と共にかえった視界にいた半裸はんらのリノと知り合いの少女に。

 数舜、怒号どごう部屋へやひびいた。


 「――そういう事です。はい」

 「はい。じゃないが」


 部屋へや年端としはの行かない少女を連れんだ上におのれの意思でがさせようとしたアルス腐れ外道を地に着かせ、場を支配した「銀級冒険者ぼうけんしゃ」、いや女性の味方ミアは大体の経緯けいい無理矢理優しく聞き出した。

 ちかって言うが、ほとんどアルスに過失はない。がそうとしたも何も、冷えた身体では風邪かぜを引くという善意からであり、ミアが来なければかえることも絶対にしなかった。

 

 「つまり? 森で女の子を拾ってその子が奴隷どれい? だった上に契約けいやくを結んでしまったから一緒いっしょにいるしかないと? そしてその女の子を自室で自分がいるのに着替きがえさせたと?」

 「いや後者はちょっと誤解を招くと思」

 「だまらっしゃい」

 「はい」


 あ、そっちの方が重要なんですね。という言葉もアルスはんだ。

 奴隷どれいあかしたる首輪。アルスもくわしくは知らないとはいえ、見られてしまったからにはそうであると答えるしかないだろう。後々変に邪推じゃすいされてしまってはかなわない。

 話すべきではないとはアルスも思う。しかしそれがぼやかされれば次は少女に首輪をつけた自分と、それを受け入れた少女と言う絵面えづらになる事もある。そう受け取る可能性は決して低くはない。言葉を並べようとも、くつがえせない状況じょうきょうと言うのはあるのである。

 そしてリノとアルスが現状どういう関係なのかも。一応の説明は必要だろう。じゃないとミアは納得なっとくしない。勿論もちろんほとんどを知らないで通すが、実際知らない事ばかりなためうそは言ってない。たまたま契約けいやくしてしまったと、たがいに悪くないとそう言っておく。


 「大丈夫だいじょうぶだった? リノちゃん。こいつに変な事されてない?」

 「大丈夫だいじょうぶです」

 「本当に? そう言えって口裏合わせられたりしてないよね? 大丈夫だいじょうぶ世間体せけんてい的にはわたしの方が強いから。安心して」


 その結果いまだアルスは正座を余儀よぎなくされている。

 たよれる姉御あねごの様に力強く、ミアは力になるからとリノに親身的に接しながらも疑いの目はそのままだった。

 それからも何度か質問があり、そのたびこたえられる範囲はんい内でアルスは答えた。

 

 「分かった。 取 り 合 え ず 分かったわ」

 「本当に分かってくれてよかったよ……ッ」


 足のしびれに四苦八苦しながらもようやくアルスは立ち上がることが出来できた。

 立ち上がるために何度かたおれかけたほどしびれは、じわじわとまだ足を追いつめる。


 「でもそれなら別の問題だってあると思わない?」

 「……何が?」


 まだ何かあるのかと。そう身構えながらアルスは続きを待った。

 誤魔化ごまかすのだって難しいのだ。これ以上の追及ついきゅうはやめてしいと。

 

 「そりゃあ服よ。服。こんな病院服のままじゃ可哀想かわいそうじゃない。ああ、今はアルスのお古か」

 「あー。いや、それは。ほら。女性の服なんてぼく分からないし」

 「でしょうね。よし! 分かった。わたしが持ってる服何着か持ってくる。待っててリノちゃん!」

 「それはいくら何でも――って、早っ!?」

 

 あらしの様に、ミアは宿を出て行った。

 早朝にもかかわらずの元気さは、冒険者ぼうけんしゃにとっての素質なのかもしれない。こんなところで発揮する必要はない。


 「ありがたいけど、ありがたいけどっ……素直すなおに喜べない……!」


 こぶしにぎる様にしてアルスは複雑な心境でそれを受け止めた。


 「良いんですか?」

 「ん?」

 「この首輪の事。それをすべて話してしまえば疑いの目もなくなったと思いますが」

 「……流石さすがにそれは、話すと巻きんじゃうからね」

 

 ミアに対して、アルスはほとんどを誤魔化ごまかして話した。首輪の事と契約けいやくの事、明確にしたのはその程度か。

 先日にあった。いや数刻前に遭遇そうぐうした襲撃者しゅうげきしゃ関連の事だけは一切いっさい口にしなかった。追手おってに追われているなど、心配させるのが目に見えている。

 服の件は確かにありがたい。リノに対しておねえさんじみた接し方なのも、まぁ大丈夫だいじょうぶだろう。出来できればそのままでいてしい。面倒めんどうな事にはかかわらずに。

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