本を閉じたあとの世界

せらりきと

本を閉じたあとの世界

 物語が完結してから十年目の節目に、作者主催の同窓会が開かれたため、俺も参加していた。会場には、主人公、つまり俺が五十人ほどいた。彼らとは今回初めて顔を合わせる。

 どのような物語だったかというと、しがない探偵の俺に、美人な松山さんという女子高生が助手となって事件を解決していき、少しだけ恋愛要素のある話だ。松山さんは、ツンデレヒロインで、とても人気があり、主人公の俺も身長は百八十センチを超えているイケメンという設定ということもあって、女性読者から絶大な支持を得ていた。物語が進むにつれ、俺と松山さんの距離も近づき、ついに結ばれ幕を閉じた。

 しかし、会場にいる俺は、どいつもこいつも冴えない奴ばかりだった。禿げあがっている者、太っている者、身長だって百八十センチを超えている設定なのに、それに届いていない者も明らかにいた。俺だってその冴えない奴の一人であることは間違いなく、他の俺たちからもそう思われているだろう。それでも、皆どのような読者が担当だったのかという話で盛り上がっていた。

「俺の読者はな。なんてったって読むのが遅くて、ようやく明日が来たと思ったら、気がつけば一昨日おとといになってやがった」

 石田という読者に読まれたという俺が声を張り上げて言うと、それに賛同する者は多かった。一人の売れっ子タレントが、この本のことを呟くと、ものすごい話題となり、この作者にとって一番の売り上げになったため、本を読み慣れない人の手にも渡ったことが原因だろう。日常会話の中で、流暢でない、つかえたり言い間違えたりする俺が多発したそうだ。

「お前なんてまだいい方だろ。俺なんて、二年ほど動きが止まったんだぞ。しかも、まだ五ページも物語が進んでいないのにだ。ようやく物語が進みはじめたと思ったら、読者が変わっていやがった」

 と、読者が小林から森岡に変わったという俺が顔を真っ赤にして言った。それもあるある、と賛同する者が数人ほどいた。

「まだ読んでもらえるだけいいさ。買ってもらえなかったり、買ってもらったが一度も読まれず古本屋へ売り飛ばされた奴もいるからな」

「鍋敷きになったって奴もいるぞ」

「切り刻まれた奴だっている」

「燃やされた奴だってな」

 あまりにも残酷な話を聞き、俺たちは全員暗い表情になっていた。

「そうだな、俺たちは読まれているだけマシなほうだな」

 と、言いつつも、皆ため息をついていた。

「お前はいつから禿げ始めたんだ?」

 額が禿げあがっている俺が、ビールを注ぎながら俺に訊いて来た。

「松山さんと愛を語り合い始めた頃からだ」

「そんな前から」

「え、お前はいつからだったんだ?」

「俺は、松山さんと愛の行為を済ませた後からだ」

 衝撃の事実に、俺は思わず飲みかけのビールをその辺りにぶちまけた。

「あ、愛の行為だと!?」

「ああそうだ。濃厚で官能的な愛の行為をな」

 額が禿げあがった俺のセリフは、作者の文章をそのまま表したものだったそうだ。俺は焦り、スカスカとなり残り少ない前髪をかき上げた。物語の中で、よくこういう仕草をしていたが、今でもそれが癖になっている。

 俺たちの会話を聞いていた他の俺たちが、どうした、どうしたと、ビールの入ったコップを持って近寄って来た。

「お、お前たちも、そ、その松山さんと、愛の行為をしたのか?」

 俺の質問に、みな顔を見合わせ、当り前じゃないか、と答えて来た。飛ばし読みされていた前歯のない俺ですら、あれは良かったものだ、と天井を見上げ、回想しているように見えた。愛の行為よりも、イチャイチャするのも良かったなー。などといっている俺もいた。イチャイチャなんてした記憶なんてないぞ。

「お、俺だけがしてないってことなのか?」

「まあみんなの様子を見ていると、そういうことになるな」

 代表して、額が禿げあがった俺が答えた。

 俺が落ち込んでいると、他の俺たちが慰めの言葉を次々に投げかけてくれた。納得がいかない。なぜ、俺だけが愛の行為がなかったのか。せめてイチャイチャくらいさせてくれよ。俺を担当した読者は、俺になんの怨みがあるというのか。

 だが、ちょっと待てよ。家には松山さんがいるではないか。そうだ、確か結婚したはずだった。

「おい、お前たちも松山さんと結婚したんだよな?」

 俺は、ビールの入ったコップを乱暴に置きながら訊いた。

 すると、またもや代表して額の禿げあがった俺が答えた。

「当然じゃないか。子どもがいる奴だっているぞ。俺んとこも、来年には生まれてくる」

 スマホを取りだし、仲睦まじく写っている額が禿げあがった俺と、いつまでも美しいままの松山さんの姿がそこにはあった。

「な、なんだこれは」

 禿げあがった俺のスマホを握る俺の手は震えていた。

「どうしたんだ?」

 怪訝そうに額が禿げあがった俺が訊いて来た。

「これを見てくれ」

 俺もスマホを取りだし、一枚の写真を見せた。松山さんとの写真はこれ一枚だけだった。

「誰だこれ」

「誰って、松山さんだよ」

「嘘だろ!」

 額が禿げあがった俺が驚きの声をあげると、何だよ今度は、といったような感じで他の俺たちが再び集まって来た。そして、額が禿げあがった俺が、俺の代わりにスマホに映っている松山さんの写真を見せると、皆が額が禿げあがった俺と同じリアクションをした。

 そこに映っている松山さんは、全体的にまん丸で、ソファに横になり、尻をかきながら煎餅を食べていた。

 その後、他の俺たちから現在の松山さんの写真を見せてもらったが、やはりあの時と同じでスマートですっとしているツンデレ美女の松山さんだった。

 俺は額に汗がにじみ、唇は震え、心臓の鼓動が大きくなっていた。

「そう気を落とすなよ。このあと作者もやって来るだろうから、その時に助けてもらおうぜ。俺だって、禿げたままじゃ嫌だからな」

 額が禿げあがった俺が、慰めてくれたが、その顔は憐みに満ちていた。そりゃいくら禿げてても、美人の松山さんが家で待っているんだから、むしろホッとしていることだろう。担当が俺の読者じゃなくて良かったと。

 そこへ、作者が遅れてやって来た。俺たちにとって神のような存在だ。別の会場の俺たちの前で挨拶をしていたようだ。

「いやあ、待たせたね。お、ここにいるのは、読者に恨まれている主人公くんたちだね。先に言っておくよ。本当にすまない」

 と、いきなり頭を下げて来た。俺たちは皆なんのことだかさっぱりわからない。

「ときどきいるんだな。物語にのめり込み、登場人物に対して本気で恋をするなんてことがね」

 作者が腕を組み、うんうんと言いながら話をつづける。

「君たちは、読者の想像で成り立っていることは知ってるよね? 挿絵のある小説じゃないから、おいらが書いた特徴をもとに読者の想像する容姿じゃないと、君たちは存在することができないんだ。ここにいる君たちを生み出した読者は、松山さんに本気で恋をしていたんだよね。その結果、君たちが恨まれる結果となったんだ。おいらの書く小説は、大体が結ばれることなく、破局する話が多いんだけど、これは結ばれちゃったからね。松山さんには罪はないが、君たちには罪がある、と言った感じで恨んじゃったんだな。だから、おいらが考えた設定を無理やり捻じ曲げ、太った男を想像したり、禿げあがった男を想像したり、お、君は前歯がないね、まあ、そんな感じで、君たちを創造したんだよね」

 作者の言葉に、周囲がざわつき始めた

「まあでも、松山さんとイチャイチャしたり、キスしたり、愛の行為だってしたはずだ。こうみえておいらの描く愛の行為は、他の作品でも評判がいいんだぞ。いつも読み飛ばすっていう読者も、そこだけは何度も読み返したって聞くぞ。そのたびにいい思いしたんじゃないか?」

 作者の言葉に、皆その時の情景を思い出し、にやけていたが、俺だけはそれがなく、置いてけぼりの気分だった。

「お、どうしたんだ君は? 浮かない顔をしているね。あまり好評ではなかったのかい?」

 と、作者が俺の方を見て言った。

「いえ、俺には愛の行為はおろか、キスだって、イチャイチャだってした記憶がないのです」

「そうなの? 読み飛ばされちゃったのね。珍しい読者もいるもんだ。あはは」 

 作者は笑った。

「俺だって美人な松山さんとキスしたいです。イチャイチャだって、できればその愛の行為だって……」

 俺は必死に訴えた。

「今でも松山さんと一緒なんじゃないのかな? だったらすればいいじゃないか」

「これでもですか?」

 俺は、スマホに映っているトドのような松山さんを作者に見せた。

「あぁ……あはは、あはははは。とんでもない読者に当たったようだね。うん、どんまい」

 作者は俺の肩をポンと叩いた。 

 酷い、あんまりではないか。しかも、松山さんまであんな姿にしやがって。俺を担当した読者は、俺の風貌が変わるだけでは物足りず、美人な松山さんが隣にいるということが許せないんだ。だから、あんな容姿に設定を捻じ曲げやがったんだ。

「でも、あなたなら、神なら、この状況を改善してくれるんですよね?」

「か、神だなんて、大げさだなー」

 作者は頭を掻いた。

「お願いです。助けてください」

 俺は必死に訴えた。他の俺たちも同じように頭を下げていた。

 しかし、作者は非常にばつの悪そうな顔をして謝るのみだった。俺はなんだか嫌な予感がした。

「すまないね。おいらにはどうしようもないんだ。残酷なことを言うようだけど、君たちは、読者が想像した最後の姿で物語が終わっても続くんだ。あはは、だからごめんしか言えないや」

 俺は怒り狂い、ビール瓶を持って作者に飛び掛かった。が、一足遅かった。他の俺たちが一斉に作者に襲い掛かっていたからだ。後れを取り、気の抜けた俺は、その場にへたり込み、ただただ泣き喚いた。これ以上ないほどに泣き喚き続けていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

本を閉じたあとの世界 せらりきと @sera_ricky

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ