第6話
エドガーの花粉症は後天的なもので、五十歳を過ぎた辺りで突然発症した。
今まで平気だったものが苦手になる。高齢になるにつれ何度も経験したことではあったが、食事とも運動とも違い、目を背けて関わるまいとしても、花粉は毎年春になると、逃げようとするエドガーをいたぶるように追い回し、苛んでいき、彼の心の安寧を蝕んだ。
その頃の様子をメアリは間違いなく隣で見ていたはずだし、自身の苦悩、苦労を理解してくれていると思っていた。
だが、彼女が病に伏せてから数ヶ月。エドガーに世話を任せることに対して、メアリから労いの言葉は一つもなかった。それどころか、常に自分の部屋の窓から温室を弄るエドガーを見下ろして、少しでも世話の仕方に不足があれば、ネチネチと文句を浴びせたのだった。エドガーは、中から見張られる生活を強いられていた。
ある日、彼女に限界を訴えたことがあったが、
「花粉症? 馬鹿なことを……こんな老体が歩くだけで軋むような古い家に住んで平気な鈍い人が、花粉ごときに翻弄されるなんて情けない。人間、苦手意識を持ち続けたら身体がそれに引っ張られるものです。
逆に草花を友達だと思いなさい。知っていますか? 花は甲斐甲斐しく世話をしてやれば、その相手のためにより美しい花を咲かせるそうです。それを見れば、その情けない苦手意識も無くなることでしょう。そうすればほら、私のように平然としていられます。
そうですとも、病人が平気なのに、健康な貴方に害があるはずもないでしょう。貴方は一度でも、私がだらしなく鼻水を垂らしているところを見たことがありますか? 今の貴方のように……あぁ汚らしい。ティッシュはちゃんと自分の部屋に捨ててくださいね」
取り付く島もない。
汗を搾り取ろうとしてくる熱気の中、ゴーグルとマスクで顔を覆い、かゆい目をこじ開け、目を刺すような暖色まみれの花々を手入れしていく。
害虫、肥料、水、日光、剪定……エドガーを苦しめるだけのもの達に、エドガーの訴えを理解しようとしない人のために必死に媚びを売るのは、いよいよ限界だった。
「私が長くいる場所が、私を受け入れない道理があってなるものか」
彼は、メアリの窓からは死角となる一か所を、自分が落ち着けるよう改造した。
ちょっとした仕返しのつもりだったが、それは予想以上に彼の心に安寧を与えた。彼を攻め立てず、受け入れてくれるほんの一画。久々に味わう安らぎは、それ以外が与えてくる不条理に対する怒りと諦観を、より顕著にエドガーに感じさせた。まだ足りない、乾いた土が水を求めるように、エドガーは飢えた。
その日から、夜の睡眠時間や、昼間の休憩時間を削り始め、メアリのためではなく、自分自身のために、温室に出入りするようになった。
温室が、彼の唯一の憩いの場となった瞬間だった。
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