其の三十七

 裏路地に入った途端、周りの空気が一気に苦しく重たいものに変わった。


 - またお前か、小娘 -


 黒いモヤが私と三善の後ろに現れ、あの旧日本兵の形を形成していく。 


「お…… おい美月、コイツがお前の言ってたおじさんか? 」


 可視の霊苻を竹刀の柄に巻いているおかげか、三善にもおじさんが見えているようだ。 三善の額には大粒の汗…… 私にはあまり分からないが、三善はただならぬ殺気を感じているのかもしれない。


 ー またも血の臭いを嗅がせおって…… 今日こそは殺してやる! ー


 おじさんが日本刀を鞘から引き抜く。 それに合わせて三善も竹刀を正面に構えた。


「大丈夫…… だよね? 」


 竹刀には対幽霊用と考えて、小夜子の家で隙間なく浄化の霊苻を貼りつけておいた。 多分これで戦えるはず…… 格好よく言えばエンチャントウェポンだ。


「俺を誰だと思ってる? 真剣より竹刀の方が立ち回りは速いし、剣術なら俺は負けねぇ 」


(全く同じセリフを前に聞いた気がするけど、もしかして少しテンパってる? )


 三善は歯を見せて笑う。 この武器で幽霊相手に通用するかは分からないけど、きっとこいつならなんとかしてしまうような気がしていた。


「名前で呼んでくれるならもっと張り切るぞ? 」


 三善の額には大粒の汗…… おじさんが目前まで迫ってるというのに、こんな時までこいつは…… 


「やっちゃえ春樹! 終わったらデートでもなんでもしてやる! 」


「違ぇよ! そこは『好きよ春樹ー!』だろうが! 」


 私の方を振り返って怒鳴る三善に、おじさんが突進してきて日本刀を振りかぶった。


「よそ見すんなバカ春樹! 」



  ガキィン!



 首の付け根を狙った日本刀を、三善は竹刀で受け止めた。 竹刀と日本刀が、まるで有名なSF映画のワンシーンのように青白い光を散らしながらぶつかる。


「ふんっ! 」


 三善は持ち上げるように日本刀を弾き返し、がら空きになったおじさんの脇腹に竹刀を叩き込む。



  バチバチッ



 ー ぐかああっ!! ー


 感電したように体を震わせ、おじさんは数メートル後ろに吹き飛ぶ。


「すげぇじゃねーか、お前の霊苻! 幽霊を吹き飛ばしちまったぜ! 」


 三善は私を振り返って子供みたいにはしゃいでいる。 効いてる! でもここで私まではしゃいだらコイツが頭に乗りかねない。


「油断しないで! 前にも優斗君が吹っ飛ばしたけど、ダメージ受けてないって言ってた! 」


「手応えあったぜ? そう簡単に起き上がれーー 」


 言ってるそばからおじさんはムクッと起き上がった。 表情が変わってないところを見ると、やはり前回と同じようにあまりダメージはないらしい。


「マジかよ…… 」


 三善にとっても渾身の一撃だったらしい…… 私の力じゃこいつは浄化出来ないんだろうか…… 


 ー ぐうぅっ! ー


 立ち上がろうとしたおじさんが片膝をついた。 いや、効いてる! 三善もそれを見て少しニヤっとしていた。


「竹刀振り回して何をしてるんだい? トチ狂っちゃったのかな? 」


 藤原がクツクツと笑いながらおじさんの横を通り過ぎる。 その後ろを角田もついて来ていたが、キョロキョロと周りを気にして落ち着かない。


「ひっ…… 」


 角田は藤原の足下を見てビクッとその場で立ち止まった。 見えているわけじゃないようだけど…… 角田の方がいい勘してるじゃん。 私は三善の前に一歩出て藤原と正対した。


「アンタの足下をよく見てみることね! 角田を狂気にした張本人がそこにいるのよ! 」


「足下? 」


 ガッとおじさんが藤原の足首を掴んだ。 『うあっ!』っと情けない声をあげて藤原はその場で転ぶ。


 ー お前の体をよこせ…… ー


 じわじわとおじさんの腕が黒いモヤに変わって、藤原の足に溶けていく。


(取り憑く気なんだ…… )


 でも私はこの状況を作りたかった!


「あ…… 足が! ひっ…… なんだお前! 」


 おじさんの全てが黒いモヤに変わり、藤原の足からやがて全身を覆い尽くしていった。


「がああぁ!! やめろ! 来るなぁ! 」


 藤原は転げ回ってビクビクと痙攣し始める。 その様子を見ていた角田はその場に尻もちをつき、ガタガタと震えて言葉を失っていた。


「どうなってんだ…… 」


 三善もまた竹刀を構えたまま目を見開いている。 私も怖くなって、思わず三善の袖を掴んでいた。


「藤原に取り憑こうとしてるのよ。 6年前もああやって角田に取り憑いて優斗君を刺したのよ、きっと 」


 のたうち回っていた藤原が急に動かなくなった。 口から泡を噴き、白目を向いてぐったりしている。 


「意識はあるんでしょう? それが6年前に角田が経験した恐怖よ! 」


 藤原はおもむろに四つん這いになり、黒いモヤを吐き出しながら立ち上がる。 目は血で染まったように真っ赤で、肌は青白く生気が感じられなくなっていた。 藤原は角田にゆっくりと振り返る。


「ヒィ!! 」


 取り憑かれた過去の記憶が甦っているのか、角田は手足をバタバタとさせていた。 逃げ出そうとしているが、手足は宙を漕ぐだけだ。



  ゴスッ



 取り憑かれた藤原はもがいていた角田の顎を蹴りあげ、角田は仰向けに白目をむいて倒れた。 藤原は首をポキポキと鳴らし、ゆらゆらと私の方に近づいてくる。


「下がってろ美月 」



 三善の言う通りに、私は三善の後ろに下がってバッグの中の霊苻を取り出す。 藤原は徐々にスピードを上げて三善に殴りかかってきた。



  ガツッ  バシィ



 三善は顔に飛んできた拳を竹刀で受け流し、すかさず肩に一撃を入れる。 だが藤原は竹刀を片手で受け止め、反転して裏拳を繰り出した。


 風を切るような速さの裏拳を三善は体をのけ反らせてかわす。 思わず後ずさる三善に、私も慌てて後ずさった。


「コイツ、さっきとは動きが段違いじゃねぇか! 」


 表情を変えず次々と攻撃してくる藤原と、それを受け流しながら応戦する三善。 竹刀と拳の打ち合いで藤原の腕からは血が飛び散っていたが、藤原は痛がる様子もなく逆に三善が圧されている。 三善は間合いを取れずに防戦一方で、私を守りながら徐々に後ずさる。


「私なんか気にすんな! 思いっきりやっちゃえ!  」


 私は裏路地の端まで走り三善に叫ぶ。


「簡単に言うな! 通路が狭くて振れねえんだよ! 」


 狭い裏路地では竹刀じゃ長すぎて、立ち回りが良くないらしい。 加勢しなきゃと霊苻を投げる体勢に入ったその時だった。


「待ってたぜ美月ちゃーん! 」


 後ろから構えた腕をがっちり掴まれ、体を押さえつけられる。 忘れてた、挟み撃ちにされてたんだっけ! 思わず振り返ると、そこには二度と見たくないあの強姦男が私を睨み付けていた。


「なっ! なんでアンタが! 」


 口元を吊り上げてニヤっと笑う強姦男に私の血の気が引いていく。


「藤原さんがピンチなんだ、来ないわけにはいかないっしょ 」


 仲間だったのか! あの時の恐怖をまだ体が覚えているのか、足に力が入らなくなってきた。


「人払いもしてあるから誰も助けに来ねぇよ。 さぁ、あの日の続きをしようぜ 」


 強姦男は私の胸に手を回してくる。 三善を見るとかなり苦戦してる…… こんな男、相手にしてる場合じゃないのに!



  ゴスッ!



 突然鈍い音と共に体が横に引っ張られた。 睨み付けていた強姦男の顔がひしゃげて、男と一緒に横倒しになるところを華奢な腕の感触が支えてくれる。


「あ…… 」


「まったくあなたって人は…… 」


 顔を上げると、そこには眉をひそめて困った顔をしている優斗君が私を抱き抱えてくれていた。

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