其の十八

 コンビニのお弁当で夕食を済ませ、お風呂に入って湯船に体を沈める。 足の伸ばせない小さな湯船に浸かっている間、どうしても優斗君のさっきの寂しげな表情が頭から離れなかった。


「間違ってるのかなぁ…… 」


 徐々に甦っていく彼の記憶を聞いて、彼は橘さんの安否が心残りなんだと思っていた。 でもそれは彼が会いたいと言った訳じゃない…… 私が勝手に思ったことだ。


 彼をこの世に繋ぎ止めている本当の理由って何なんだろう。 彼は普通の幽霊とは違い、この世に干渉出来るほどの強い未練がある。 それは確かだ。


(橘さんに会えばそれもハッキリするんだろうか…… )


「成仏させてあげるのって難しいなぁ…… 」


 見える・・・だけの力しか持たない私は無力だ。 でも、ここまで関わった以上、なんとしても彼を成仏させてやりたい。


「よし! 」


 悩んでも仕方がない! やれるところまでやってやる! そう意気込んで湯船から勢い良く立ち上がり、バスルームのドアを開けた時だった。 


「「あ…… 」」


 脱衣室のドレッサーの鏡を覗く優斗君がそこにいて、思い切り目があった。


「あわっ! みみ美月さん! 」


 反射的にドアを思い切り閉めてしゃがみこむ。


「平気…… 平気! 幽霊に見られたってなんとも思わないんだから! 」


 ドアの向こうで彼は平謝りだったが、軽率だったのは私の方。 そう自分を納得させるしかなかった。 




 彼と顔を合わせるのが気恥ずかしく、早めにベッドに横になったはいいけどなんだか眠れない。 スマホの時計を見てみると、ベッドでゴロゴロしてるうちに日付が変わってしまっていた。


「…… ダメだ、寝れない 」


 私は諦めてベッドから起き上がる。 リビングに行くと、閉めきったベランダの窓越しに優斗君の背中を見つけた。 優斗君は毎晩律儀にベランダに出て夜を過ごしていたらしい。 そこまですることないのに……


「眠れないんですか? 」


 カラカラとベランダの窓を開ける音に気付いた優斗君は、少し顔を赤らめて苦笑いをした。


「なんかね。 そんな時もあるから心配しないで 」


「あの…… さっきはごめんなさい 」


「もういいってば 」


 私の裸を見たことを、彼はとても気にしていたらしい。 なぜ脱衣室にいたのかというと、私の周りを覆っている光が、自分にも出ているのかが気になったんだとか。


「目の保養になったかは分からないけど 」


「…… すいません 」


 ちょっと意地悪かったかな…… 苦笑いで彼に答える。 空を見上げると、今日は綺麗な満月。 


「ねぇ、ちょっと手を貸して 」


「はい 」


 素直に差し出してくれた手を、月明かりに透かしてみる。


(やっぱり透けてない )


 自分の手も同じように透かして見てみたが、見え方は一緒だった。


「どうしたんですか? 」


「ううん、なんでもないよ 」


 彼の手を離し、ベランダの欄干に寄りかかって満月を見上げる。 彼も私と同じように空を見上げていた。


「あのさ…… 私、余計なことをしてないかな? 」


 独り言を呟くように心に思ったことを彼に尋ねてみる。 優斗君はニコッと笑って軽くため息をついた。


「言ったじゃないですか。 美月さんがこうしてくれたから僕は前に進めてるんです 」


 うん、聞いた。 聞いたけど、私のやってることが優斗君の為になっているのかは、やはり自信がない。


「美月さんに会えなかったら…… 美月さんがこうしてくれなかったら、僕は今もこの街でずっと一人で彷徨ってたんだろうなって思います。 誰にも気付かれず、ただ見ていることしか出来ないのって本当にツライことですから 」


 ちょっと分かる気がする。 ボッチにされた時、ツラくても頑張って入った高校を辞めようと本気で思ってたもん…… 小夜子と三善には感謝してもしきれない。


「今までは、彼女の生死すら分かりませんでしたから。 生きていたんだって…… 僕はあの通り魔から彼女を守れたんだって事が分かっただけで、実は満足してるんです 」


「優斗君…… 」


「そんな顔しないで下さい。 僕、どうしていいか分からないじゃないですか 」


 眉を垂らして困った顔をする優斗君に、私もどうしていいか分からない。 


「優しすぎるよ、君は 」


 犯人を恨みもせず、彼女もただ無事であればいいだなんて。 そういえば……


「君を襲った犯人って捕まったの? 」


「どうなんでしょう、僕が記憶あるのは3年前くらいからですから 」


「え…… もしかしたら捕まってない可能性もあるの? 」


 いや殺人事件だもん、日本の警察に限ってそれはないか。


「きっともう捕まってますよ。 だから危ない事は止めて下さいね 」


「危ない事? 」


「美月さんのことだから、犯人を知ろうと探し始めるんじゃないかと思って。 それは止めて下さい 」


 そんなことは思ってなかった。 なんだろうこの変な感じ…… まさか優斗君は自分を殺した犯人を知ってる?


「憎くないの? 殺されちゃったんだよ? 」


「恨んでも仕方ないですから。 彼女を守れた…… それだけでいいんです。 犯人を探す必要はありません 」


 真っ直ぐ私を見つめる優斗君の目に感じる、強い拒否の色。


「…… 知ってるんだね、犯人が誰なのか 」


 優斗君は何も答えなかった。 突然ニコッと笑って彼は空を見上げる。


「恨んだところで僕は生き返れる訳じゃない。 恨んだって何も得るものはないんです。 それよりも僕は美月さんに危ない真似をして欲しくない 」


 捕まってないんだ…… それも優斗君が素性を知ってる近しい人。 漠然とだけど、そんな気がした。


「探さないって約束してくれますか? 」 


「…… うん 」


 優しく微笑んだ彼はベランダの窓に手を掛けて私を部屋に戻るよう促してきた。


「明日もお仕事でしょ? 寝ないと遅刻しちゃいますよ 」


「…… おやすみなさい 」


 言われるがままに、私は部屋に戻ってベッドに潜り込む。


(恨んでも仕方がない…… か )


 確かにそうだけど、悔しくない筈がない。 突然奪われた夢や希望、命を失う恐怖や悲しみ、嫉妬、妬み…… それらが積もり積もって悪霊に変わり、おばあちゃんに祓われた霊達を私は沢山見てきた。


 優斗君はどうして、自分の命を奪った犯人を庇うのか…… きっと理由があるはず。 私には、死んでもなお優斗君にそんな思いをさせる犯人が許せなかった。




 ゴメン優斗君、その約束は守れそうにないや…… 

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