第29話C 幕間劇『猟犬は放たれる』

同日午前11時15分 北校舎 風紀委員会施設管理局長室


「カッパなどありえん。馬鹿馬鹿しい。そんなものが存在するはずがない」


「地下世界の奥で、これまで誰には発見されなかったという可能性は?」


「ありえない。問題外だ。カッパは理論上、存在しえないのだよ。もしカッパなんてものが存在すれば、それこそ何でもありだよ。既存の理論はすべてひっくり返る。」


「分かりました教授。今日は貴重なお時間をいただきましてありがとうございます」


 部屋の主は、どこにでもいるような平凡な顔をした男子生徒だった。


 九十九里浜理学や九十九里浜工学が、自分の権威を誇示するかのように上質の生地の改造制服を着ているのに対し、この男は多くの生徒たちと変わらない、くたびれた制服を着ている。

 平凡であることこそが誇りであると主張している、そんな風にも思えてくる。


 男が教授と呼んだ老人を部屋から見送ると、入れ替わりでタイトスカートを履いた女性が部屋に入ってきた。全身から色気を振りまく蠱惑的な女性だ。

 女は男が腰かけた執務机にずんずんと近づいてくると、その豊満な胸を見せつけるかのように机に両手をつき体重を預ける。


「どもー」


「朱音君、博士にフランクフルト行きの往復チケットとホテルの用意を。帰国は三週間後でよろしく」


 男は、女に興味を示すこともなく淡々と指示を伝えていた。


「まぁ3週間もですか! 随分と贅沢なご旅行ですねぇ、それも公費で」


「僕たちと接触したことを知られたくないし、他の機関と接触してほしくもない。少なくとも今回の件が片付くまではね」


「じゃあ、『今回の件』が終わったら、私と旅行に行きましょうよぉ。3週間、南の国で、とか」


「ふむ。考えておこう」


 と心にもない返事をする。

 男は一日の大半を思考の迷宮の中で過ごしている。

 そして、この日、男は一人恐怖していた。

 風紀委員会施設管理局、通称公安局。それは千夜学園の秘密警察である。

 学園最高のインテリジェンスを自認する彼らであったが、今回に限っては何の情報も得ていなかった。テロリストの黒幕は?下水道管理センターを爆破した目的は?


 ライバルのひとり、放送委員会。彼らは風紀委員会に匹敵する情報収集能力を保持しているが、機密保持の点では、からきしだった。然るべき手段を取りさせすれば情報は筒抜けになる。彼らもまた何も知りえていないことはすでに分かっていた。


 ならば図書委員会は? 彼らは、カッパの資料を集めていた。カッパは実在するのか? それが本件と何の関係が? 彼らは半歩先を進んでいる。しかし、それさえ真実とは程遠いのだろう。


 何も分からない。なのに事態だけは進行していく。我々はチェスゲームを楽しんでいる風で、実のところ誰も盤面を見てさえいないのだ。そんなことはあってはならない。

 男は最後に自分の直感を信じてみることにした。


「朱音君。旅行前にまずは仕事を片付けて貰おうかな」


「ええええー嫌です。私は悟堂くんの傍がいいんです。ずっとずっと一緒にいたいんですぅ」


「朱音君、君は僕の名前を出せば上司も君を叱れないと思っている。君はその場しのぎを積み重ねていって、何もかも曖昧にしたまま、なんとなく終わることを期待しているようだね


「局長、もしかして朱音のこと怒ってますぅ? でも嘘は言ってませんよね。悟堂くんの傍が好きなんです」


「うーん、屁理屈だという点を除けば見事な返しだね。安心なさい。君には怒るだけの価値もない。だけど期待の方はというと、これが絶大なわけだ。君のその姑息な性格こそが映える現場がある。それが世の中というものだ」


 男は必要なデータ一式を端末から送ると、女の顔を引き寄せ、耳たぶをそっと優しく噛んだ。


「今回のターゲットは、保険委員会上下水道管理局長の八千草カルラだ。これから我々が行使しうるすべての権限を持ちいて彼女を今から48時間のあいだ中央校舎群北校舎の風紀委員会管理領域に軟禁する。その間に、何でもいい、僕を納得させるような有益な情報を手に入れるんだ」


「あはは。きっもちわるーい。悟堂くんってば変態ですね。では三輪朱音、現時刻を持って特別任務に入ります。ご褒美の旅行の件、よろしくおねがいしまーす」


 女は大きな尻を振りながら、何事もなかったかのように部屋を出ていく。

 男は思考の迷宮に舞い戻る。


 八千草カルラ、上下水道管理局長。

 テロ事件の際には、委員会に出席中。目撃情報多数で疑いようは無し。

 テロ犯側から彼女への接触は現在まで何もない。

 だが、彼女がキーパーソンであると直感が囁いている。ここで切るべき札はジョーカー。公安局のトラブルメーカーこと三輪朱音。


「『4月に雪が降る事だってある』か。嫌ですね、まったく」


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