千夜学園の女神さまっ

影咲シオリ

第1話 ゆめうつつ

  

 藤原零斗ふじわらぜろと。彼の祖父は戦場カメラマンで、仲間からは熊と呼ばれていた。野性味あふれる快男児。

 零斗がその祖父から受け継いだものが2つあって一つはその恵まれた体格。

 もう一つは、零斗の父が生まれた記念に買ったという銀塩一眼レフカメラだった。

 体ばかり大きくなっても運動の方はからきしだったが、四六時中肌身離さず、そのカメラを首から下げていた。それが世界から一瞬を切り取ることを許された特権の証だと主張するかのように。

 その異様な姿が彼をいくつものトラブルに巻きこんだが、それと同じだけの思い出を残してくれた。


 例えば、ある一枚の写真の話。

 彼女のことを思い出すたび、決まって背景は桜色の花びらに彩られる。なのに記憶の中の彼女は色を失い、真っ暗な影だけが零斗を見つめている。

 そして、何度写真を見返しても彼女の顔を思い出すことはできなかった。

 学園最初の思い出はほろ苦かった。


                      ◇


「入学式の夜に、新入生がこんな場所にいちゃあいけないわよ」


 零斗は慌てて動きを止める。

 橋の上から水路を眺める制服姿の少女にカメラを構えていた。

 その姿がとても美しかったから。彼のいつもの悪い癖である。

 てっきり手厳しく注意されるかと思っていたので、そのあとの彼女の反応は意外なものだった。


「はははっ、そんなピカピカの制服を着ていれば誰だって分かるってば。それに新入生って奴は想い悩むものだって決まっているものねぇ」


 真夜中の通学路。入学式の夜だったので学生街から寮にかけて、あちらこちらでお祭りじみたバカ騒ぎが催されている。なので、校舎へと向かう通学路に立ち寄る者などいない。

 誰にも会いたくない、零斗が今ここにいたのはそんな動機からだった。

 少女の関心は、この場所に馴染めない哀れな新入生の世話を焼くことに注がれていた。


「悩んでおるのだな、少年。でも、いけないよ。どんなに馬鹿馬鹿しいと思っても、ここが自分の居場所じゃない気がしても、今日だけは石に噛り付いてでも、あの喧騒のド真ん中にいなきゃ。さもないと、私みたいなはぐれ者になってしまうわけよ」


 特徴的なのは、その目だ。瞳の奥に強風に抗って吹き消されまいとする炎を見た。一瞬だって世界から目を逸らすことを拒否する真剣で一途な意志。少し斜に構えながらも後輩を心配する優しい女生徒という立ち位置とは裏腹な強烈な個性を零斗は感じ取っていた。

 少女の見た目は実に無害に見える。

 かわいい鼻の上には淡いそばかす。愛想のない表情。

 くすんだ灰色のボサボサの髪は、捨てられた子犬の様だ。

 背丈は低く、痩せこけていて世間でいう憧れのプロポーションには程遠かった。

 だが一方で生真面目さと安心感のようなものが伝わってくる、そんな少女だった。


「分かってるよ、ここは千夜学園だ。日本で一番の学校だよ。地上の楽園、一切の経済的負担なしで大学まで卒業できる。親も大喜びだよ。そんなところに俺が合格できてさ、そりゃあ最初は大喜びだったぜ。人生を変える最後のチャンスかもしれねぇ。でもよ、俺はここで何をすればいいんだ?何ができる。そんなことを考えていたら、もう誰の声も聞きたくなくなった。一人でいたくなった」


 少女は顔を歪めた。初々しい新入生が語る、顔から火が出るような恥ずかしい悩みに皮肉の一つも返してやりたくなった。だが、この日の彼女はそうしなかった。


「他人にアドバイスができるほど立派な人間じゃないけどさ。悩むことはいいことだよ。考えている限り、そんなに酷いことにはならないさ。最悪なのはね、世の中をこういうものだと悟ったフリして何も考えなくなること」


 そこまで言うと、少女は難しい顔をして一瞬、黙り込む。


「私、空気読めてる?先輩風吹かせ女子」


「いや、良いよ。とっても良い。そういう話を聞きたかったのかもしれねぇし、誰かに励ましてほしかっただけかもしれねぇ。みんなが先輩みたいだったら、俺も気楽でいいんだけどよ」


「笑える。そしたらこの世界はおしまいでしょ」


 彼女は鼻を鳴らす。


「ところで、先輩はこんな所で何をしてたんだい?」


「ああん、私ぃ?私はね、月を見ていたんだ。川面に映る月だよ。ゆらゆらと揺れて、眩しくない。本物よりもずっと曖昧で、ちょうどいい。わたしゃポム爺さんかってんだ」


零斗は、ポムじいさんが子供のころに見たアニメ映画に出ていた『すまんがその石を…しまってくれんか。わしには強すぎる…。』の人だってことは理解したが、あえて口にはしなかった。


「その姿がとても綺麗だったんで、俺は思わずカメラを向けたってことだ。謝る。ごめんなさい」


 少女は唇を嚙んだ。そんなことに喜ぶ自分が意外であったし、許せなかった。


「それじゃあ盗撮だよ。学園の人間は浮かれてるようでみなピリピリしてんだぜ。捕まんないように気をつけなよ。それでは、カメラマンさん、どうぞ一枚撮ってくださるかしら。これは私からのお願いだよ。だいたいさぁフィルム式のカメラなんて今どき骨董品でも目にしないよね。それがあんたのベル・エポック(古き良き時代)なのかしら?」


 零斗は肩を飛び上げ大げさに驚いてみせた。祖父に貰ったフィルム式カメラに気付いてもらったこともまた嬉しかった。これが作られたのは、もはや世界の趨勢がデジタルへと移行したずっと後。一つの時代の終わりに生まれた傑作マスターピース


「へへへ、嬉しいな。これが学園に来て最初の一枚だ。言い訳じゃないが、俺は盗撮はしないぜ。普段はシャターは切らねぇ。ただ、こうやってレンズを通してみると、色々なものが見えんだ」


「何が見えるの、幽霊?」


「俺は霊感はからきしで幽霊は見たことねーな。そうだな。水面に映る月、アレは先輩自身だ」


「どういう意味かしら?」


 興味津々のようだ。


「今は月の姿をしているけど、次の瞬間には何か別ものに姿を変えているような、つかみどころのない感じがする。もちろん、いい意味でだけどよ!」


「そうだね、当たってる気がするー。でも、当たってなくてもそう答えるよ。たぶん、私。さぁ、早く撮ろうよ。カシャって音を聞いてみたいね」


 しくじった。

 カメラを構えた零斗は、完全に隠し通したはずの少女の動揺を感じ取っていた。どうやら図星だったようだ。しくじったな。こういう奴は当たりすぎてもよくないことを零斗は経験上学んでいた。


「おーい、緊張するなよ。こんなチビ女、どんなに腕が良くたって美人には撮れないよ。そこそこでいいよ、そこそこで。夜桜に月は眩しすぎる。水面に映る月くらいが丁度いい。そういうことでしょ」


 動きを止めてしまった零斗に少女は発破をかける。

 少女は何度も自分を卑下して、こんな不細工といった。

 気を遣わせてしまった。

 欧州の血が入っているのだろう、どこか日本人離れしたその顔は、よく見れば外国製の人形のような気品と愛嬌があった。典型的な美人ではない、それだけのことだと零斗は思ったが、どうフォローしていいものか、異性慣れしていない彼には"丁度いい"言葉は思い浮かばない。会話は盛り上がらず仕舞いだ。

 ポージングする彼女に零斗は黙ってカメラを向け、鼓動に合わせるかのようにシャターを切る。

 少女はそれきりカメラには興味失ったかのように、再び水の流れに視界を移す。


「現像したら必ず送るからさ、感想も聞かせてくれよな」


「ああ、あとで君の端末に私のアドレスを送っておくよ」


 後で送る、それは体のいい拒絶だってことくらい零斗は理解した。強引に彼女の名前を聞くこともできず、必死な想いで端末を操作し、自分のIDが彼女に伝わっていることを祈るだけで精いっぱいだった。

 オープン・モードに設定した零斗の端末のIDは周囲1.5m以内に公開される。他方、少女の端末はステルス・モード。彼女がそこに居たことさえも記録には残らない。


 別れも間際、少女はなぜか気ままに河童の話を始めた。


「河童??」


「ああ、河童さ。この水路の先は学園の地下へと流れ落ちている。下水道の果てどぶ池に河童の王国があるのさ」


 唐突に語られる河童の話。それは何かのアナロジー?

 要領を得ない、戯言のような呟き。

 河童の王国の話は延々と続く。


「なんなんですか、その話?」


「月を見上げる女の子の話だよ」


カメラに詳しい零斗は、なんとなくペーパームーンという言葉を思い出した。

それには二つの意味があって――

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