第三話 冷戦
「なんだ、そんな通夜みたいな顔して」
翌朝、光輝が家を出た時に英莉香が言った。
「まさにそんな気分だ」
「コイツ、『俺はもう無理だ』とかなんとか言って布団から引っ剥がすのに苦労したわ」
光砂が光輝の後頭部をコツン、とするようにして言った。
「はあー……頼むからもう一度昨日をやり直したい。もう一度くじを引かせてくれ……」
教室に入るとまだ恵は来ていないのでほっとしたが、それも束の間だった。間もなく恵がやってきて光輝は絶対に後ろを見ないようにしたが、常に背後を取られている気分で全く落ち着かなかった。
けど恵が早々に席を立った気配がわかるとまた胸を撫で下ろした。恵は英莉香の席の方に行っていた。
(……こんなこと、これから毎日繰り返すのか?)
英莉香の席にはすぐにみんなが集まる。恵が英莉香とだけでなく光砂とも仲が良いことも光輝は知っていたが、自分の考えをなかなか曲げない偏屈な女だと思っていた。
(無だ……勉強をして精神を落ち着かせよう!)
光輝はそのために家から持ってきた参考書をカバンから取り出した。『高校受験英語の厳選演習問題集』というありがちなタイトルの受験生を対象にしたこの参考書は、元々光砂が「基礎として」、「一年生」のころに使っていたものだったが、本人から薦められて光輝も使ってみた。
ブランクのあった光輝にとっても驚くほど取りかかりやすく、使い勝手の良い参考書で愛用していた。
もちろん二学期も英莉香との英語勝負は続けられる。
もっとも、英莉香は理系な上に他の科目は成績が良かったし、数学がダメだとわかった光輝は文系で、(意外にも)英語は案外自分でも好きになりそうな科目だとわかった。
なのであまりフェアとは言えないが、同じくらいのレベルである相手との勝負はお互いにいい刺激になると思った。
それに、勉強はわかってくることが多いと楽しくなるものだった。それがちょうど光輝の英語に当てはまっていた。
「朝から勉強とは真面目じゃないか青天目君」
純が参考書を開いている光輝を見て言った。
「当然だ。席も一番前でおかげさまで集中できるぜ」
光輝は自虐的に言った。
「英語か……光輝は英検受けないんか?」
「俺が受験できるのはせいぜい四級レベルだろうよ。お前は三級だろ?」
「まあ、そうだけど。受かったら受験に有利になるかなーって思ったけど、三級じゃあまり意味ないかなあ」
「そうか? 中学卒業程度だろ? 卒業までに受かるのなら、ないよりあった方が明確にマシだと思わないか」
「そうなあ……ああ、この問題集か」
純が参考書のタイトルに気付いて言った。
「これ、わかりやすいんだ。光砂からもらったんだけど」
「へえ、青天目さんもこれ使っているのか」
「……まあ、一年の時のらしいけど」
「って、一年の時点でこれ使ってたのかよ。やっぱ違うな。去年準二級受かってたもんな……その時に学校で唯一」
「そうなのか」
「そうなのか、ってお前が知らないのかよっ」
純は思わずつっこんだが、そもそも二年生のころは不登校の真っ最中だったから、学校の話題には何の関心もなかった。
◇ ◇ ◇
(しまった――忘れてた)
四時間目の授業が終わって初めて光輝は気付いた。この後は給食だった。
(ぐっ……こ、これは……まずい)
給食の時間は机を向かい合わせにする。つまり、光輝と恵は机が隣同士になるのだった。
(く……)
光輝はしばらく固まっていたが、やがて班のクラスメートが机を合わせ始めたので仕方なく自分も机を合わせた。恵も机を合わせて光輝と隣り合うようになったが、光輝は絶対に隣を見たくなかった。絶対に自分のことを嫌だと思っているに違いないと思っていたからだ。
もちろん机はぴったり隣り合わせにはしていない。微妙に光輝が机を外側にずらす形にしていた。気に食わなかったのは、それでもなお、恵が机を光輝とは反対側に少し離していることだった。
(嫌な女だ……!)
本当にこんな状況が毎日続くかと思うと、光輝は神経がすり減って本当にまた不登校になりそうな気分だった。
その後も光輝と恵の冷戦は続いた。初日の給食の時間で恵の意思が改めてわかったことで、最初は受け身ではあったが、だんだんと対抗心のようなものが出てきた。
互いに無視は当たり前だし、会話なんてもってのほかだった。けれども心のどこかでやはり後ろめたさのようなものがあり、「逃げ」の部分も目立つようになった。
そもそも友達の数で言えば光輝の方が圧倒的に不利である。それに、自分への当てつけなのか〝元A組〟の友達を自分の席に来させて話をしていたりすることも多くあった。その度に光輝は英語の参考書のページをめくった。
「本当、どうにかなりそうだよ」
体育の時間、光輝が伸一に漏らした。
「まあ、ある種正義感というか、責任感が強そうな感じがあるからな。城ヶ崎は」
「責任感っていうか目の敵だな。まあ……原因は結局俺だけどさ」
「けど、春日井は許してくれてるんだろ?」
「まあ……けどさ、城ヶ崎はどうせ謝ったって無視するぜ。それじゃ俺だけが馬鹿を見ることになる」
光輝は苦々しく言った。
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