第一話 久しぶりの学校

 翌朝、光輝はドンドンという音で目が覚めた。


「光輝、起きなよ」


 部屋の中に入ってきた光砂がベッドの前にやってきて言う。


「うるさいな、さっさと行けよ学校に」

「お前が言うな。ターニャが来てるのよ。光輝が出てくるまで道連れだって言ってる」

「はあー? 道連れってなんだよ」


 光輝はベッドから身を起こすとカーテン越しにそっと外をのぞいた。すると金髪の女の子が家の前に立っている。


「じゃあお前が一緒に学校に行けよ……」

「だーかーらー、アンタを学校に連れて行かないとあの場を動かないって言ってるの」

「マジかよ……」

「このままじゃターニャ、皆勤賞取れなくなっちゃうよ? いいの? 二年間無遅刻無欠席だったのに、アンタのせいでとうとう……」

「あーわかったよ!」


 光輝は跳ね起きた。


「あとから行くから、先に行ってろって」

「無理よ。ターニャはアンタが出てくるまでたぶん動かない」

「……」

「今、七時五十五分。校門が閉まるのが八時二十分。ちなみに私はもうすでに十分も無駄に時間を消費しているわ」


 光砂は腕時計を見ながら言った。光輝はため息をつくと、


「……五分で支度するからちょっと待っててくれと伝えてくれ」


 光輝は久しぶりの制服を取り出し、大急ぎで着替えた。カバンをひっつかんで朝食もとる時間もなく玄関までやってきた。


「おはよう!」


 英莉香が明るい笑顔であいさつした。


「お前……一体どういうつもりだよ。光砂は?」

「光砂なら先に行ったよ」

「こんな真似するなら――」

「やっと今日から登校だな」

「……」


 英莉香はにっこりして言う。これ以上は何も言うまい、と思い光輝は彼女と共に歩き始めた。

 しかし、他の生徒の姿が見えてくるにつれて光輝は立ち止まった。


「ターニャ、俺と離れて歩かないか?」

「えっ? なんでだよ」

「その……目立つだろうが」

「何を言っているんだ、早く行かないと私も遅刻だぞ」


 英莉香は光輝の腕をつかんで歩かせた。


「脅迫じゃないかこんなの……」


 光輝は学校が近付くにつれて本気で嫌になってきた。下駄箱を通過すると軽い動悸すら覚えてくる。これは対人恐怖症とかそんな感じに近い気がした。


「なんで、ここまでするんだ?」

「えっ?」

「今までこんなことまでしなかっただろ」

「そんなこと、わかりきったことじゃないか」


 英莉香は当たり前のような口ぶりで言った。


「今年で最後なんだ。みんなで同じ学校にいられるのも」

「俺は別に……」


 むしろ、光砂も含めて今の中学の連中とはおさらばしたい。誰も俺のことを知らない高校に行きたいんだ――そんなことを心の中でぼやいているうちに三年生の教室がある三階に上がっていた。

 みんなが自分をチラ見しているのがわかる――まぁ、隣にいるのがターニャだから仕方ないが。


「さてここだ」


 英莉香はD組の前にやってきて中に入った。


「あ、ターニャおはよう」


 クラスメートが英莉香に声をかける。が、その後ろにいる光輝を「えっ?」という感じで見ていた。


「光輝の席はここだ」


 よりによって教室のほぼど真ん中の席だった。昨日席替えした時に決まったらしいが、自分のいない間にわざとここにされたんじゃないかと光輝は疑心暗鬼になっていた。


「……」


 光輝は黙って席に着く。教室の喧騒が聴こえる。


(ものすごく嫌なサウンドだ。みんな俺の方を見て何か言っている――くそったれ。なんで俺はここに来たんだ?)


「おい光輝、学校来たのか!」


 顔を上げると伸一がいた。


「ああ……そういえば同じクラスだったな」

「昨日来なかったから三年も来ないのかと思ったぞ」

「俺だって来る気はなかったんだ」


 光輝は机に顔をうずめながらちらりと英莉香の方を見た。彼女は楽しそうにクラスメートとおしゃべりをしている。


(ああ、あんな風にターニャはいつもみんなから好かれているんだろうな。どうしてあいつは俺に構うんだろう?)


「なあ、部活にも来るだろ?」

「まさか」

「なんでだよ。三年は一学期で引退だぞ?」

「じゃあなおさらいいじゃんか。俺は忙しいんだ」


 光輝は自分で言って心の中で自嘲した――誰が、忙しいだって?


「ああ、受験もあるからな。志望校とか、決めないといけないけど……なあ、青天目さんはやっぱりもう決めているのか?」


〝青天目さん〟というのは当然光砂のことだった。


「俺は知らん」


 光輝はぶっきらぼうに言った。


「けど頭いいからなあ。きっと紹蓮しょうれん女子だろうな」


 紹蓮女子、というのは全国一位の超名門女子校だった。小学校からあり、女子校でのトップというだけでなく全国の学校の最高峰だった。


「あいつ、そんなに頭良かったか?」

「だっていつも学年一位じゃないか」

「この学校トップなんてたかが知れているだろ。普通の公立中学校で……」


 そう言いながらも光輝は光砂が優秀なことは身にしみてわかっていた。すごく頭が良かったし、小学校のころは親に中学受験を勧められ、塾に通っていた。

 結局本人の意向で受験はしなかったのだが、今となってはどうして受験してくれなかったのだろうとも思った。


(そうすれば光砂アイツと同じ学校に通わずに済んだのに……)


 そうこうしているうちに朝のホームルームの時間になって担任の佐倉田が教室に入ってきた。


(ちっ……嫌な担任だ)


 佐倉田は五十代くらいで外見はいかつい雰囲気のする冗談もきかなそうな典型的な叩き上げの教師だった。生活指導も担当しているので光輝にとっては「融通の利かない生活指導の先生」というイメージだった。

 そして、一年生のころの光輝の担任でもあった。


「青天目」


 ビクッと光輝が反応する――早速俺を名指しでご指名?


「……はい」

「昨日の配布物だ。さっさと取りに来い」

「……」


 光輝は黙って席を立ち、教壇まで取りに行く。その行動だけで全員の注目を浴びるのがたまらない。


(こんなの、光砂に渡しときゃいいのに)


 幸い何も言われないまま受け取って席に戻ろうとしたが、その直前に「放課後、職員室に来い。あと、その髪なんとかしろ」と言われた。


(……)


 光輝は心の中で舌打ちをした。声に出さずともクラスの連中がクスクスと笑っているに違いないと思った。やっぱり今日来たことを光輝は後悔していた。



 ◇ ◇ ◇



 朝のホームルームが終わると英莉香が光輝の席にやってきた。


「ほれ、ブラシ貸してやるから寝ぐせなおしてきな」


 英莉香はブラシを差し出した。が、すぐに近くの女子が、


「ちょっと、ダメだよターニャのブラシを使わせるなんて」

「いいじゃないか、別に減るモンじゃないし」

「……いい、自分で直してくる」


 光輝はそう言って席を立つと一人で教室を出ていった。その後でポツリと呟く。


「本当、その通りだよ」


 ――ターニャが自分に何かしてくれる度に女子は俺を目の敵にするだろう。なんでこんなやつに構うんだ、って。

 光輝はトイレで髪をおおざっぱに直しながら独り言のように心の中でつぶやいた。


「……」


 鏡をじっと見つめる。……帰りたい。


(配布物も受け取ったし、もういいか)


 そんなことを本気で考えていると他の生徒が入ってきたので慌ててトイレを出た。

 すると廊下でばったりと光砂とその友達に出くわした。光砂は光輝を見ると「ターニャはちゃんと仕事をしてくれたようね」と言って友達と一緒に行ってしまった。


(本当、余計なおせっかいだったよ)


 光輝は教室に戻るとさっきの配布物をカバンに詰めて帰ろうとした。


「どこに行くんだよ? もう一時間目始まるぞ?」


 英莉香が目ざとく光輝に言った。


「帰る」

「なんでだよ。せっかく来たのに」

「配布物ももらったし、いいだろ」

「じゃ、私も帰るぞ」

「……」


 光輝はまた苦虫をかみつぶしたような表情をした――今朝の件といい、コイツはやりかねない。

 そう判断すると、光輝はしぶしぶ自分の席に戻った。

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