青天目兄妹の冴えない方と金色の天使

滝川エウクレイデス

プロローグ

第一話 クソみたいな人間

光輝こうき、本当に行かないの?」

「行ってら」


 部屋のドア越しに聞こえる妹の声に、光輝はベッドの上で寝転がりながらそっけなく言った。

 しばらくドアの外側で「新学期なのに」とか「今年から受験生」だとか何か言っていたようだったが、やがて妹の気配もなくなると光輝はカーテンの隙間から外を眺めた。新学期にふさわしい晴れやかな青空が広がっている。

 今日から中学三年生に進級して新しいクラスだが――


(……)


 下を見ると妹の光砂ありさが家を出ていくのが見えた。

 受験だろうが、何だろうが、結局自分は何も変わらない。今更学校に行ったところでどうせイタい兄貴と言われるだけで何の得にもならないだろう――光輝はそう心の中で毒づくと、再びベッドの上に寝転がってため息をついた。

 青天目なばため光輝は中一の時に起こしたとある事件をきっかけに、いわゆる不登校状態となっていた。

 しかし半ばひねくれた彼の性格の原因は妹にあった。

 妹の光砂は光輝の双子の妹で、元々兄妹仲も良好だった。けど、妹が優秀すぎたのだ。小学校のころまでは普通の明るい元気な男の子だったが、中学に入学してからはだんだんと「現実問題」を意識し始めていたのだ。

 光砂は小学生のころからとても成績が良く、中学受験のために塾にも通っていた。学級委員を務めることも多かったし、得意なピアノ伴奏で賞をとったこともある。

 ついでに言えば、男子からは人気があったし、同性の女子からも頼りになる存在として慕われているのだ。

 とはいえ、光輝も明るくて運動もそこそこ得意だったし友達もそれなりにいたが、だんだんと自分が光砂の下位互換なのだと意識せざるを得なかった。

 せっかく成績が上がっても母親からは『光砂はほとんどオール5だったわ』と言われたり、友人から訊かれることと言えば自分のことではなく光砂のことだったりする。

 些細なことかもしれないが、その積み重ねが積もり積もって中一の一学期が終わるころには、自分は『青天目兄妹の冴えない方』と揶揄やゆされていると勝手に思い込んでいた。

 そのためかクラスメートのしゃべっている姿を見ると、自分のことを馬鹿にしているんじゃないかとかそんな風に感じるようになっていた。

 そうなってからは光砂と顔を合わすだけでも嫌になっていたが、本当に嫌になったのは自分自身だったのだ。

 自分でもわかっていた。それは単なる光砂に対する劣等感で、勝手に自分でやさぐれているだけなのだと。「光輝」というこの名前すら皮肉に感じていた。

 光砂のことが嫌いになったというより、自分ができないのではなく彼女ができすぎていると、言い訳にしているのだ。彼女みたいにみんなからも尊敬されるような人間からすれば自分なんてゴミみたいな存在だ。


(本当、俺ってクソみたいな人間だよな……)


 光輝は再びため息をつきながら、カーテンの隙間から見える青空を見上げていた。



 ◇ ◇ ◇



「なんだ、やっぱり来なかったのか光輝のやつ」


 光砂が光輝を置いて学校に向かう途中、彼女と一緒に歩いている金髪の女の子が言った。


「どうしようターニャ……あいつ、このままじゃ中学も卒業できないかも」

「いやいや、中学は卒業できるでしょ」


 ターニャ――金髪の女の子はまさか、という風に手を振りながら言った。

 彼女は日本人の父親とロシア系ルーマニア人の母親を持つ日系ハーフの女の子で、本名は「新良木あららぎ英莉香えりか」。

 英莉香の両親は日本でもなじみのある「エリカ(Эрика)」という名前を名付けたが、本人は母方の祖父母のつけてくれた「タチアナ(Татьяна)」という名前が気に入っており、ルーマニアにいた頃はタチアナと名乗っていた。また、ルーマニア語も話すことができる。

 英莉香はみんなに自分のことをタチアナの愛称である〝ターニャ〟と呼んでくれと言うので、仲の良い友達はみんなそう呼んでいた。

 性格は明るくあか抜けており、男子からだけでなく女子からも好かれている女の子で、光輝や光砂とは小学生のころから仲が良かった。

 小学生のころから言葉遣いが男子のようで、一見小柄なヨーロッパ風少女の見た目とはかなりギャップを感じるが、当然友達はみんな慣れていた。

 校門を抜けると新クラス発表の掲示がされている。みんな自分がどのクラスになったかで盛り上がっていた。


「どれどれふむふむ。ありゃ、光砂とは別のクラスになってしまったな。代わりに光輝と同じクラスだ」


 英莉香は掲示板を観察するかのような仕草をしながら言った。


「今年で最後……」


 光砂がふとつぶやいた。英莉香はその表情を見て、「大丈夫。光輝のことは私に任せてくれ」と、ドンと胸を叩いて言った。



 ◇ ◇ ◇



 光輝はようやく起き上がると、下におりて母親が用意した朝食を食べ始めた。両親は共働きで、母親もすでに仕事に出かけている。

 きっと帰ってきたら学校に行かなかったことで怒られるだろうと思った。昨日の夜まで、さんざん三年生からは必ず行きなさいと口酸っぱく言われていたのだ。

 しかし今さら学校に行く気にはなれなかった。


(けど、初日くらいは顔を出すべきだろうか……自分の席だってどこになるかわからなくなるし――いや、どうでもいいや。どうせ行かなきゃいいんだし。それに、下手に自己紹介とかやらされても面白くない)


 光輝は納得したように心の中で言った。


(本当、俺はクソみたいな人間だな)


 これが光輝の口癖だった。

 ただ、引きこもりというわけでもなく、外出もする。

 光輝が学校に行かなくなり、親からゲーム機を没収されてからは小学生のころから通っているビリヤード場かゲームセンターへ行っていた。ただし、平日の昼間から出入りすると店員に声をかけられたりするので、仕方なく時間を午後にずらしたりしている。

 このままだと高校にも行けないと親からは叱られるが、どこかしら入れる学校はあるだろうと光輝は高をくくっていた。


(偏差値なんてどうでもいい。どう頑張ったってどうせ俺は光砂と比べればクソなんだ)


 光輝は今日も一人で打ちに行こうと、ビリヤードのキューケースを持って出かけようとしていた。


(今日は新学期初日だし、このくらいの時間から出かけても大丈夫だろう)


 が、こともあろうかちょうど家を出たところで学校から帰ってきた光砂と英莉香の二人にばったりと出くわしてしまった。


「またビリヤードとゲーセン?」


 光砂が開口一番、言った。


「さ、散歩だよ」

「キューケース持ちながら散歩ってどういう散歩なわけ?」


 光砂は腕を組みながらキューケースを右肩に背負った光輝を見て言った。


「う、うるせえな……関係ねえだろ」

「なんだ、光輝。ビリヤードに行くのか? じゃあ私も一緒に行きたいな」


 英莉香が明るく言った。

 英莉香も小学校のころから、ビリヤードをプレイする光輝に倣ってやるようになっていた。光砂とも仲が良かったので、光輝が登校しなくなってからもたびたび家を訪れており、今では数少ない光輝の気の置けない友達の一人でもあった。


「よし、久しぶりにやるか」


 すると光砂がかみついた。


「よしやるか、じゃないわよ! 学校に行かずにまた遊んで、お母さんに絶対怒られるわよ!」

「えーっとターニャ、俺、何組だった?」

「幸運にも私と同じ、D組だ」

「そうか。俺は学校に行ったことにすればいい。母さんにD組だった、って話しておけばいいんだろ?」

「あのねえ……」

「ターニャ、行こうぜ」

「おう」

「待ちなさい」


 光砂は自分より頭一つ分小さい英莉香の首根っこをつかまえた。


「ターニャ、あなた光輝を学校に行かせるって約束したでしょ」

「ああ、そうだった。思い出したよ」


 英莉香はわざとらしくポン、と手のひらに手をのせて言った。


「光輝、同じクラスになったことだし、明日から私と一緒にラブラブ登校でどうだ?」

「遠慮しておく」


 クラスの人気者でもある英莉香が自分と一緒に登校など、より一層に変な目で見られるに違いないと光輝は思った。


「光輝は恥ずかしがり屋だな。とりあえず打ちに行こうか。光砂も来るだろ?」

「行・き・ま・せ・ん!」


 光砂はそうピシャリと言うと家の中に入っていってしまった。


「あいつは、頑固だ」


 英莉香は家のドアを見ながら言った。



 ◇ ◇ ◇



 光輝と英莉香の二人は駅の近くにあるビリヤードの店に入った。やや年季の入ったビリヤード場のある店で、光輝はこの店に小学生のころから通っている。


「それで? 担任は誰になったんだ?」


 光輝はキューを構えながら訊いた。


佐倉田さくらだ先生だった」

「げっ、何だよそれ。最悪じゃんか……」


 佐倉田とは、生活指導の担当もしている男性の教員だった。


「そうかな? 佐倉田先生はいい思うけど?」

「はあー? 佐倉田のどこがいいんだよ。一年の時だって――」


 そう言いかけて光輝は言うのをやめた。


「だって佐倉田先生は私のことをちゃんと〝ターニャ〟って呼んでくれるからな。他の先生はみんな『新良木』としか呼んでくれないのに」

「そりゃ、お前は新良木英莉香なんだからな」

「タチアナが私の本名だ」


 英莉香はわざとらしく手を胸に当ててポーズを決めながら言った。


「本当、お前って変な奴だよ……自分は百パーセント日本人だーって昔から言い張っているのに」

「そう、私は百パーセント日本人のつもりでもある。けど、名前は別だ」

「ああそうかい」


 英莉香が名前にこだわる理由は光輝も知っていた。

 英莉香は日本で生まれた後、両親の仕事の都合で母親の故郷であるルーマニアへ両親と共に移ったものの、基本的には母方の祖父母の元で育ったのでおじいちゃんおばあちゃん子だった。

 彼女の祖父母は英莉香を「タチアナ」と名付けたかったので、いつも彼女のことを「ターニャ」と呼んで可愛がっていたのだ。

 英莉香が両親と共に日本に再び戻ってきたのは八歳の時だった。


「そんなに好きなら、ミドルネームとかにすりゃいいじゃんか」

「残念ながら日本ではミドルネームを名乗れないんだ」


 英莉香は本当に残念そうに言った。


「もし『タチアナ』の名前を入れるとなると、『英莉香』の前にそのまんま『タチアナ』という名前がくっついて姓が『新良木』、名が『タチアナ英莉香』となってバランスが悪くなる」

「タチアナ英莉香さーん、どうぞー」


 光輝がふざけて言うと、英莉香はキューで光輝の背中をつついた。

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