第26話
ビル街の隙間を走る高速道路を降りて、灰色の森を抜けた先に現れたのは、五メートルの壁に囲われた巨大な施設。上空から見下ろせば、街の中心部に穴が穿たれているように見える場所だ。ただし、敷地内の手前側には、ビル街と同じように高層建造物が林立している。
広大な敷地だが、入口は一箇所だ。手前の林を抜けた奥は、兵士を育成するための演習場になっている。
ここが、かつて俺が希望を抱き、絶望を知った施設。統一国家・アンドリヴァの第七二区画都市の最重要拠点。この街を支配する者が集う管理庁舎だ。
庁舎の入口の手前で、
先に進み、自動車やバイクが乱雑に駐車されている箇所でバイクを降りた。ヘルメットを外して座席シートの上に置く。隣に停めたシルヴァもヘルメットを脱いで、顔を左右に振って黒色の長髪を整えた。
彼女は対人だけでなく対機械にも機能する特殊な長柄武器を背負っていた。軽装の腰周りにはポーチがいくつも提げられている。その全てが、長柄武器に装填して使用するフレア・バレットの予備だった。
俺とシルヴァは無言のまま頷き合い、庁舎の入口の方角へと急いだ。
庁舎の敷地内からは、地獄を彷彿とさせる銃声と悲鳴、爆発音が絶えず響いている。
辺りの空気に、硝煙の臭いが混ざっていた。
入口に人だかりができていた。ニーベルングの面々が突入の指示を待っているのかと思ったが、集団の大半は緑の軍服を着たアンドリヴァ軍の正規兵だった。敵同士であるにも関わらず、私服のテロリストと国を守る軍人達は、厳しげな表情、或いは恐怖に怯える弱々しい風貌で庁舎の内側に目を向けている。
「来たか」
何人かに口頭で指示を出していたリリアが、激務の合間を縫って声をかけてきた。彼女の片手には、長距離射程を誇るライフルではなく、ドラムマガジンを装着したアサルトライフルが握られていた。
「師匠、これってどういう状況なの? なんで敵が一緒にいるの?」
「彼らは友軍さ。映像を見せただろう。真実を知り、加勢を約束してくれた仲間達だ。一部の連中は、手を貸すつもりまではないそうだがね」
言われてリリアの視線を追ってみれば、離れた位置にも正規兵が密集していた。連中は一様に俯いており、表情に暗い影が差していた。
「増援はまだまだ増えるだろう。だが〝敵〟の数が想定より多い。ベリルの誘導で分散できたと思っていたが、奴ら、襲撃部隊を正規兵だけで編成していたらしい」
国の勅命によって陰で手荒な仕事をこなす秘密組織。その組織の所有する最新兵器が飛んでいくのを目撃したから、地上からは赤服の殲滅部隊が移動しているのだと考えていた。
正規兵は真実を知れば戦意を喪失するだろうから、一人でも多くの赤服を庁舎から遠ざけることが、盗撮映像を流したリリアの思惑だった。
その考えは甘かった。
敵の最新兵器が送り込まれた意味を、俺達は履き違えていた。
「まさか……味方すらも兵器の実験に利用しようとしてたってことか……ッ!」
「輸送したヘリの乗組員は〝騎士〟だっただろうがね。天国から地獄を見下ろして、愉悦にでも浸ろうとしていたんだろう。今頃、楽しみだった実験を邪魔されて、血相を変えてこちらに向かっているに違いない」
渋面を作ったまま、シルヴァが期待せずに訊く。
「爆発に巻き込まれた可能性はないの?」
「残念ながら、それは〝確かめた〟。そもそも、軍用のヘリはともかくとして、あの〝悪魔〟がそう容易く倒れてくれるものか。アレはこの馬鹿げた国が誇る最新鋭の殺戮兵器だ。我々が総力を賭して、ようやく倒せるか、倒せないか、といった代物だ」
「そのとんでもない兵器が、こっちに戻ってきてるってこと? いま戻ってこられたら、まともに相手なんかできないじゃない」
「ああ。だからこれは時間制限付きの作戦だ。アーク・ソロモンが現れる前に、庁舎全域を制圧する。そして、万全を期して戻ってきたアーク・ソロモンを破壊する」
制限時間を設けておきながら、刻限は不明瞭な作戦。無茶苦茶だと思ったが、そんなことはリリアも承知のはずだ。それより、いかにして作戦を成功させるか思案せねばならない。
「庁舎は広い。連携が重要になると思うが、通信は使ってもいいんだよな?」
「使えるのなら、な。庁舎内の映像機器をジャックした後、敷地周辺では一切の通信機器が使用できなくなった。流石は情報規制が十八番の国直属の部隊だ。敷地内の機械を乗っ取ろうにも、電波が遮断されているのでは手の打ちようがない」
「ジャミング装置を見つけて破壊すればいいんじゃねぇのか?」
「そちらを優先した場合、〝悪魔〟の到着に間に合わなくなるがね」
打開策の介在しない、絶望的とも言える状況。
だというのに、リリアの横顔には普段通りの余裕があった。
「悪い状況だが、連絡手段がないのは敵も同じだ。同条件なら、我々にだけ不利に働いたりはしない。ジャミング装置は偶然に発見したら破壊すればいい。それだけを探す価値はない。我々はスタンドアローンの戦いに慣れているしな」
「敵は自分で自分の首を絞めたってわけか。確かに、最悪、というほどではないかもな」
「量産されたアーク・ロードが跋扈しているが、我々も相応の準備を整えてきた。現段階までは問題なく、充分に応戦できている」
喋っている途中で、リリアは入口の方角を一瞥した。
眼光を飛ばした先を視線で辿ると、開け放たれた門の内側から一体のアーク・ロードが姿を現した。
空気が張り詰める。待機していた部隊が各々の武器を構えて、機械の心臓に対して一斉に照準を合わせた。
アーク・ロードが機関銃の片腕を突き出した。人間を殺害するにしてはあまりに仰々しい武装は、応戦を試みる者達の後方へと向けられた。
敵兵器の射線上に、俺とリリアが立っていた。
避けるつもりはなかった。リリアが堂々としているから、命中はありえないと確信した。
その未来は具現する。機械の腕が掃射を始めるより、機械の脚が背後から破壊されるほうが早かった。バランスを崩したアーク・ロードは陽が落ちて暗くなった夜空を仰ぎ、体勢を立て直すことなく待機部隊から銃弾とフレア・バレットの雨を浴びて爆散した。
黒煙をあげた残骸の傍らを歩いて、漆黒のドレスを着た金髪の少女が入口から出てきた。煤で頬が汚れているが、軽く観察した限り目立った外傷はない。少女は左手に立体移動を実現するためのアンカーを持ち、右手に得意武器のサブマシンガンを装備していた。
「本館の守りが厚くて苦戦しているようです。増援を頼みに来ました」
「なんだ、私を助けるために駆けつけたのではなかったか。がっかりだな」
「総帥は死なないでしょう。もしも死ぬことがあるのなら、是非見てみたいものです。興味があります」
「それが正しいとすれば、君の興味は生涯果たされないだろうな」
リリアは愉快そうに鼻を鳴らした。弛緩した顔のまま、待機部隊の長に声をかけた。
隊長が号令を飛ばして、入口に密集していた集団が戦場になだれ込んだ。統制された動きで四方に散開する。
「私達も行くぞ。私とアレスは本館を制圧する。最上階には軍の責任者もいるだろう。私はマナーにうるさくてな。敵対組織の頭目として、挨拶をするのは最低限の礼儀だ」
「私とヘカテは行かなくていいの?」
シルヴァが合点のいかない表情を見せた。
「君達はアーク・ロードの殲滅に尽力してくれ。シルヴァの武器は対アーク・ロード用に製作したものであるし、ヘカテはアンカーの使い方を熟知している。遮蔽物の少ない演習場では不利だと思うなら、建屋が乱立する手前側に誘い込めばいい。そこでなら、君達であればたとえ一対一の状況下でも勝利できるはずだ」
「普通に考えれば無茶なんだろうけど、師匠のお墨付きなら安心ね。昨日はやられかけたし、この機会に汚名を返上させてもらうわ!」
「気合が入っているな。活躍を期待しているぞ」
尊敬するリリアからエールを送られて、シルヴァとヘカテは第二陣の突入部隊に少し遅れて、喧騒の絶えない戦地に身を投じていった。
彼女達を見送った後、俺は自分の装備を確認した。
ショルダーホルスターに差していた拳銃を手に取り、安全装置を外して弾丸を装填して戻す。腰周りのポーチには予備弾倉が四本。両肩からは袈裟にかけたホルダーが交差しており、それぞれに五本ずつ、対アーク・ロード用のフレア・ダガーが差してある。
予備弾倉が少ないかもしれないと憂慮したが、今回に関しては拳銃はサブウェポンの位置づけになる。四本と装填した一本があれば、無駄な発砲を控えれば弾切れになることはないだろう。
メインの武器は、腰の後ろでベルトに挟んだ短刀だ。左手を伸ばせば、抜刀から振り抜くまでに一秒もかからない。室内での戦闘であれば、近接武器のほうが適した場面も多いはずだ。
「アレス、私が許可するまで鬼神は使うなよ」
「あ? なんでだよ。これは俺のために用意した武器なんだろ? ここで使わずにどうすんだよ」
「使うなというわけじゃない。ただ、それは少々強力すぎる。持てば常に|裏次元(アカシャ)と接続された状態になる。未来から無意識に記憶を受け取り続ける状態になるのだ。脳への負担は尋常ではない。勝負どころでのみ、使用を許可しよう」
「そんなもん俺自身で判断できる」
「そうかもしれないが、気分が高揚して濫用した挙句、力尽きて倒れられては困るのでな。私の目が届く間は、私に管理させてくれ。いいな?」
「ちっ……いちいち訊くな。拒否権なんざ、初めからねぇんだろ?」
「よくわかってるじゃないか」
庁舎の入口の境界に立って、内部の状況に視線を巡らした。
私服と緑服の兵士。灰色の機械と赤服の兵士の連合軍同士が、視界の至るところで激戦を繰り広げている。いくつも並んだ建物の窓では火花が弾けて、時折爆発が起きてガラス片が地上に降り注ぐ。
真正面にある最も高い建屋を見上げてから、リリアは拳銃を引き抜いた俺に言った。
「集中しろアレス。この|未来(さき)は、君にとって厳しいものになりそうだ」
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