Un-Fiction≒Record

のーが

第1話

 夜気に沈む港を駆けていた。

 背後には五人の男女。集団は、焦燥と苛立ちを織り交ぜた絶望を一様に浮かべている。


「なんだよッ! なんなんだよッ! なんで俺たちが――ッ!」


 己の運命を呪う無意味な叫びは、その命が最早長くないのだと、そう悟ってしまったが故の本能の嘆き。

 待ち受ける結末は真実として覆しようがない。逃走する先に現れた害意を前に、無力な彼らは抗う術を持たず、総身を弾丸に穿たれて、短い生涯は呆気ない終焉を迎える――

 はずだった。


「伏せろッ!」


 俺は諦めた連中に指示を与えると同時、構えた拳銃で闇を裂く。

 放つは二つ。対面からは、自動小銃の連射が飛来する。

 相手の狙いは、甘かった。例外なく虚空に溶けて、真空を生んだ音は虚しく遠ざかる。

 対して迎撃する閃光は、吸い込まれるように害意の胸部を貫いた。


「死にたくなけりゃ、俺について来いッ!」


 数瞬前に終わったはずの男女に視線を投げて、遠くに見える街の明かりを目指して走りだす。その明かりは、様々な色のコンテナと巨大な倉庫に覆われた港から、永遠に辿り着けないほど遠くに見えた。

 重く灰色の空。雲に隠れる薄っすらとした月は、この夜の不運を祝福しているようだ。


 ――させるかよ……ッ!


 彼らだけでは免れなかった不幸かもしれない。だが、彼らは俺と出会った。死に直結する人生最大にして最悪の悪運を前に、それら全部をひっくり返すほどの幸運に巡りあった。


 ――俺と出会ったなら、俺を頼ってくれるなら、絶対に死なせねぇ……ッ!


 そのために――そのためだけに、俺は生きている。

 倉庫が並ぶ区画に到達して、護衛対象を物陰に隠れるよう誘導する。

 瞬間、濃密な殺気を察知して自らも身を隠した。

 闇雲に乱射された鉛の豪雨が、壁面のコンクリートを荒々しく破砕する。


「先に行けッ! ここを抜ければ出口はすぐだッ!」

「あ、あんたは?」

「見りゃあわかんだろッ! それとも後ろから撃たれてぇのかッ!」

「わ、わかった。その……ありがとう」


 男女は口々に簡素な感謝を述べて、港の出口がある方角に疾走していった。

 去り際にかけられた言葉を、静かに頭の中で反芻する。


 ――命を秤にかけて得たのが、ただのつまんねぇ言葉か。


 拳銃に差してあった空の弾倉を放り投げ、予備弾倉を差し込んだ。銃弾を装填して、己が培ってきた感覚を研ぎ澄ます。

 敵の気配は、二人分。

 追ってきた連中の足音が、俺の潜伏する物陰に到達する寸前、


「――そいつは、最高だなァッ!」


 全力で地を蹴って横に跳び、視界に映った二つの頭を、着地するまでの間に正確に撃ち抜いた。

 一縷の希望すらない圧倒的な実力差。反撃の隙も与えられずに肉体を離れた魂は、きっと己の身に起きた出来事を容認できず、現世を彷徨うことになるだろう。


「恨むなよ。悔しかったら、来世で腕を磨くんだな」


 念仏代わりの選別を告げて、逃がした者達の後を追おうと出口に目を向ける。

 五〇メートルはある倉庫脇の通路の中間地点を越えたあたりで、どういうわけか、逃げたはずの男女が全員引き返してきた。


「おい――」


 その質問は、訊く必要がなくなった。

 まだ幼さの面影が残る若い面立ち。その純真な色は、絶対不可避な恐怖によって乱暴に塗り潰されており、

 逃げ惑う彼らの背景――倉庫の陰から現れた〝信じられないモノ〟が、俺と彼らのどうしようもない終わりを決定づけていた。

 機械仕掛けの魔物が立ってた。灰色の装甲に覆われた曇天色の体表は冷酷で、人間ならば腕があるはずの部位に付けられた機関銃は、俺の身長ほどもある。まるで、生命の死が具現した代物のようだ。

 それが敵わない相手だと理解するまでには、一秒すら必要なかった。

 片方の機関銃が、喧しい駆動音と共に秒間数十発の弾丸を射出する。

 たったそれだけで、一瞬にも満たない刹那に、俺の成し得た偉業は白紙と化した。

 俺が救ったはずの生命は、救われなかった死骸に変貌した。暗く沈む夜の港に、赤色の海が広がっていく。

 哀しい――そして、後悔。

 他に感想はなかった。この身が滅ぶ事実なんかより、救おうとした命を救えなかった己の至らなさのほうが、ずっとずっと認めたくない現実だった。

 機械に慈悲はない。嘆いても未来が変わるはずもなく、俺にも等しく最後の瞬間が訪れる。

 一度は止んだ殺意の雨の再来を、眼前にそびえる機械仕掛けの魔物の片腕が予告した。

 凶器の腕が吠える。

 次の瞬きすら許されない。絶命の結末は、一寸先まで肉薄している。


 ――終わるのか。まだ、誰も救ってないのに。


 誰かの救いになりたいという、漠然とした強い願い。そのためだけに生きていこうと決めたのに、決められたのに、

 生きていく理由として掲げた指標に、俺の手はついぞ届かなかった。


 ――けど、それは俺が、〝足りなかった〟せいか。


 原因の一端は、自分にある気がした。そう考えた途端、激しく抵抗していた気持ちはどこかに失せた。

 諦めていた。それが自分の天命だったのだと、不思議なくらいさっぱりとした心境で、己の死を受け入れようとしている自分がいた。

 自分なりに精一杯に生きてきたつもりだった。それでも駄目だったのだから、俺にはもう、これ以上〝先〟に進む意味などない。

 自らの手で幕を下ろすように瞼を閉じて、目の前の死を諦観して迎え入れようとした。


 だが、目前にまで迫っていた死は訪れなかった。

 

 凶弾に穿たれるはずの身体は、空から現れた影に抱えられ、倉庫の屋根にまで運ばれていた。

 自分が終わるはずだった場所が無数の弾丸に抉られる光景を眺めて、隣にある存在を次に見た。

 凛々しい美術品のような瞳。闇より深く長い黒髪が、冷たい夜気に濡れている。滑らかな前髪には、銀色の髪飾り。髪飾りは遠い輝きを反射して、微かな光を帯びていた。服装はショートパンツと無地のシャツ。身軽そうな格好をした女性は、右手に見たことのない長柄武器を持っていた。


「怪我は?」

「い、いや、問題ねぇ」

「そう。よかった」


 心から安堵しているように微笑む彼女。

 その後方で、魔物の銃口が彼女の背中に向けられる。


「ヤバいッ! 狙われて――ッ!」


 必死に叫んだ危険の伝達は、

 突如として魔物の背面に出現した少女の奏でる銃声にかき消えた。

 左脚に集中砲火を浴びて、機械仕掛けの魔物が片膝をつく。機関銃の照準はぶれて、雨粒は厚い雲の彼方に消えていった。


「大丈夫。ここにいてね」


 状況は、頭の処理が追いつかないほどに目まぐるしい。

 俺を助けた彼女は、待機の指示を残して倉庫の屋根から飛び降りた。

 ワイヤーを伝って高度約一〇メートルから降下した彼女は、淀みない動作で移動の自由を断たれた魔物に接近する。瀕死の魔物に銃口を向けられるが、彼女は怯まなかった。魔物の折れた片脚を駆け上がり、彼女は厚い装甲に覆われた魔物の頭上に背面から跳んだ。

 高く跳躍した彼女は、槍の両端にそれぞれ斧と円錐の棘が付いた未知の武器をかざす。

 満身の膂力をもってして、棘を魔物の胴体に打ちつけた。

 鋼と鋼が衝突した音が重く響く。元来静寂を湛える港の夜空が、あまりの衝撃に震撼する。

 刺した部分を軸に柄を回して地表に近づいた彼女は、突き刺さった異物を魔物の身体から抜く前に、柄の底をガチャリと下方に引いた。

 何をしたのか不明だが、打ちつけた棘は鋼の胴体に突き立ったまま残り、

 着地して魔物の股下を抜けた彼女が武器を虚空で薙ぐなり、俺に死を与えるはずだったモノが、鮮烈な閃光と熱風を伴って爆散した。


 ――すげぇ……。


 その現実には、驚嘆するより他にない。

 俺に乗り越えられなかった障害を、俺が諦めていた壁を、彼女はいとも容易く悠々と超えてみせた。

 彼女の強さ、度胸は、俺自身が夢見た理想の形でもあって、

 俺は、凛々しくも勇猛な魂を持った彼女の背中に――


「――憧れるか?」

「ッ!」


 続く言葉は、音もなく背後に現れた長身の女性に言い当てられた。

 長柄武器の彼女よりもさらに長い淡色の髪。女性としての魅力を極限まで詰め込んだかのような肢体が、清純な白いブラウスと脚の長さを際立てるジーンズに包まれている。


「ああ、そうだ。ついでに次の質問にも答えておくとしよう。そのほうが、訊く手間も訊かれる手間も省けてウィンウィンだろう?」


 まるで新しい玩具を見つけた子供のように、純粋な楽しさに口角を吊り上げて女性は言った。

 ……この身が滅びるまで、絶対に他言するつもりはないが、

 子供の頃から、俺は彼女が名乗ったような存在に、ずっと憧れていたのだった。

 

「我々は、いわゆる正義の味方というやつだ」

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