第20話

 ルドルフから情報を受け取り、シュウはカナデの所属している小隊の面々にゆっくりと近づいた。

 男性が二人に、女性が一人。足音が届く位置まで近づくと、彼らはシュウに向き合った。


「どうかしたんですか?」

「いや、ちょっと訊きたいことがあるんです」

「誰にですか?」

「あなた達全員に、ですかね? カナデさんと同じ小隊なんですよね?」


 カナデの名前を出すと、彼らは互いに顔を見合わせた。

 シュウに応対していた男が、困ったように眉尻を下げた。


「カナデの知り合いでしたか。それなら知っていると思いますが、彼女はここにはいませんよ」

「知ってます。だからそのことについて聞きたいんです」

「聞きたいといわれても、俺達にだってよくわからないんだ。昨日の夜は一緒に小隊長の作戦説明を聞いてたのに、朝になったら姿が消えてたんだから」


 男はお手上げといった具合に両手を小さく挙げた。砕けた喋り方になったが、襟元の階級章を見る限り彼のほうが階級が上であるため、シュウは敬語を維持した。


「予兆というか、いなくなりそうな言動はまったくなかったんですか?」

「さあ。小隊内でもその話題はでたけど、誰も心当たりはないみたいだ」

「僕も昨日彼女と話したんですが、そのときも今日の作戦への参加を嫌がっているようには見えませんでした。むしろ命を懸けて戦おうとしているような、そんな感じに見えたので一夜明けていなくなったっていうのが信じられなくて」

「小隊で集まって作戦の段取りを打ち合わせてるときも、覚悟を決めた顔つきで聞いてるように見えた。あいにくだが、俺達も君と同じ程度の情報しか持ってないようだ」

「そうですか……。わかりました。もうすぐ作戦ですので、そっちに集中します」


 協力的な態度で話してくれた同胞に敬礼をして、シュウはレオナルドのもとへ戻ろうとした。


「――ねえ、ちょっと待って」


 歩きだす直前、女性の声が背中にかかった。

 カナデと同じ小隊の一員らしき眼鏡をかけた女性が、レンズの奥の瞳でシュウを見据えていた。

 眼鏡の女性はシュウに話をした男にちらりと視線を移した。


「あのことは本当に関係ないのかな? ほら、作戦地域がレングラードだと知ったとき、カナデ少しおかしかったでしょ?」

「あれは単に、仲の良かったお友達の故郷が戦場になったからだろ。ハルカ三等兵――いまは一等兵か。すげえよな。生前は男顔負けの勇猛果敢な戦い方で輝かしい戦功をあげ、死後は戦闘AIを滅ぼす存在に生まれ変わって敗北が確定した戦況を覆そうとしてんだから。短髪で凛々しい横顔も素敵だし」

「あんたがハルカ一等兵のファンだとかはどうでもいいの。カナデはこの土地に一層の思い入れがあるみたいだったから、また戦場になって荒れるところを見たくなかったんじゃないかな?」

「これ以上荒れようがないだろ。壊されたくないものがまだ残ってるなら、わからんでもないけど」


 島中が戦闘AIによる虐殺現場だというのに、価値あるものが残っているわけがない。男の主張に疑問を投げた眼鏡の女性は納得できたようではなかったが、腑に落ちない表情を浮かべながらも首を縦に振った。

 シュウの反応は、彼女とは違っていた。

 眼鏡の女性の発言が、昨日リベックの作戦本部で見たカナデの必死な表情を思い出させた。

 顔を見られて妙なことを尋ねられないうちに、シュウはレオナルドのもとへ歩き始めた。

 眼鏡の女性の言葉と昨日会ったカナデの言動が、絶えず脳内をぐるぐるとかき乱している。何か重要な事柄を見落としている気がしてならない。


「その様子では、カナデ四等兵がいなくなった理由は聞けなかったようですね」


 一目で察してしまうほど、シュウの顔は暗い色に沈んでいた。落ち込んでいるわけではないのだが、悩みと向き合っているがために顔色がよくなかった。

 声をかけられたあと、僅かに遅延してシュウは顔をあげた。


「もうすぐ作戦開始だ。知ったところで何かが変わるわけじゃないし、残念だけどカナデさんのことはもういいよ」

「聡明な判断ですね」

「破壊されちゃったけど、レングラードが僕や亡くなった姉ちゃんの故郷であることに変わりはないからね。二度も蹂躙されるなんて許せないし、まだ島に敵が残ってるなら追い出したい。ここは僕達の島だから――」


 そういった直後、前触れもなく唐突に、シュウの頭にある無数の点のうちの二つが、線で結ばれた。

 線の両端が脳内に散らばっている情報に次々と結び付き、不可解だった事柄に明瞭な答えが与えられていく。

 シュウの時間は止まっていた。

 いや、止まっていると本人が錯覚するほどに、彼の頭のなかで流れる時間が早すぎた。


「そうか……僕と彼女は、同じだから……」

「彼女と、同じ? 彼女とは何です?」


 無意識にシュウから漏れた呟きに、レオナルドは怪訝な反応を返す。

 シュウには彼の顔も見えておらず、声も聞こえていなかった。

 脳内から恐怖や願望の一切が消失した。

 ただひとつ“やるべきこと”だけが思考に残る。シュウがその感覚を体験するのは二度目だった。

 一度目は実の姉の亡骸を見た瞬間。

 二度目は――。


「レオナルド、ごめん」


 一方的にいって、シュウはその場から駆け出した。

 橋上の灰色のコンクリートに、軍靴を踏む音はよく響いた。

 先遣隊の面々が一様に奇異な視線を向けるなか、彼を追う足音が聞こえる。


「い、いきなりどうしたのですかっ! どこへいくつもりですっ!」


 レオナルドの速力はシュウと大差なかった。ゆえに間合いは離れない。

 先をゆくシュウは上官の運転していた車の運転席に乗り込み、迷わずにエンジンをかけた。

 人の話し声と波の音しか聞こえなかった空間に、機械の駆動音が混じる。

 話し声が、不穏なざわめきに変わった。周囲から集まる奇異な視線の濃度が濃くなる。

 遠くから、上官が鬼の形相で何事かを怒鳴りながら駆け寄ってきた。

 周囲の反応を目にして、耳にして、迷惑をかけて申し訳ないと思う気持ちが湧き上がってくる。


 だがそれだけだった。シュウの決意は鈍らない。

 発車の直前、人が変わったように積極的な行動を見せたシュウを追いかけていた友人が、助手席に乗り込んできた。

 レオナルドは肩で呼吸を整えつつ、シュウを見て唇の間から白い歯を覗かせた。


「なにを考えているか知りませんが、奇跡は二度も起きません。単独で暴走すれば、今度こそ生きて帰ってこれませんよ」

「止めるつもりなら無駄だよ。すぐに降りて」

「止める気はありません。車を出してください。軍曹殿に引きずり降ろされますよ?」


 レオナルドは普段の落ち着き払った口調に戻っていた。

 自分の耳を疑ったシュウは、横に座った友人の表情を見た。

 満足そうな微笑を、口元に作っていた。


「昨日シュウが一人でリベックを出ていったあと、ついていけばよかったと後悔しました。同じ過ちは繰り返しません。ふたりなら、奇跡も必要ないでしょう」


 一つの目的のために盲目になっているシュウの心に、友人の想いは深く刺さった。

 小さく頷いて、シュウはアクセルペダルを踏み込んだ。

 一瞬駆動音が大きく耳朶を打ち、車高の高い軍用車両が発進した。

 先遣隊の面々はシュウの上官を除き、公然と命令違反するシュウとレオナルドを唖然とした瞳で見送った。

 先遣隊の面々が呆気に取られたのは、ハルカの件に続いて二度目だった。

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