3月31日(金)_別れの季節
三月は別れの季節だ。
喫茶『ヴィンテージ』も例外ではなく。
解人は女子二人を離れて見守る。
「美奈さん! これ、プレゼントですっ!」
「わぁ、くるるちゃんありがと~」
花束を抱えた美奈は、空いた手で紙袋を受け取った。落ち着いた黒が大人っぽいデザインだ。
周りから拍手があがる。
常連の客たちがキッチンカウンター越しに祝っていた。
今日は美奈が勤める最後の日。
誰もが祝福と応援を捧げる。看板娘として愛されてきたのは一目瞭然だ。
美奈は大ごととして扱われるのが恥ずかしかったので辞めると吹聴するつもりはなかったが、古谷店長が閉店まで待ち切れず、客の前で花束を贈ってしまったものだから送別会のムードになっていた。
人々に囲まれる美奈を、解人は一歩引いて眺める。中学の卒業式と少しだけダブる。まだ去年の出来事だ。
ちょうど父兄ポジションの人もいるしなと、隣でスマホを構える店長に声をかける。
「店長、写真好きですね」
解人はバイト初日を思い出す。ぎこちなく勤めはじめた自分とくるるとで、互いの写真を撮り合ったのだ。
自分やバイト仲間が働く姿を覚えておいた方がいいからと提案したのが店長だった。
「明石くんは好かないかい? 今どきの若い子の方がたくさん写真を撮っているイメージがあったがね。関心を寄せたらすぐにパシャっと」
「俺はあんまり撮らないですね。店長も興味があったらすぐ撮る派ですか?」
「それもあるけどね。私くらいの歳になるとあらゆる記憶は薄れてしまうのさ。だから記憶より記録、ってね」
笑いつつ、店長が再びスマホを構える。
「時の流れは残酷だろう。どんなに素敵な瞬間だろうと、記憶は風化してしまう。だから撮るのさ。忘れても思い返せるように」
店長が画面をタップすると、シャッター音と共に、美奈とくるるが笑い合う光景が刻まれた。
「思い返せるように……」
「写真を見るだけで、当時の感情が鮮明に蘇る。なんて経験はないかい?」
言われて、半月ほど前の記憶がフッと浮かんだ。
口元にごはんつぶをつけたくるるの、きょとんとした顔。
散歩をして、公園で一緒にご飯を食べたときのことだ。飾らず自然なままのくるるが愛おしくて、気付けば解人はシャッターを押していた。
何度も見返しては、その度にニヤけてしまう。
今も、解人の頬はおのずと緩んでいた。
「思い当たる節があるようだねえ」
「……っ! ええ、まあ……」
「ははは。気が向いたら明石くんも彼女の写真を撮ってあげるといい。きっと喜ぶだろうさ」
「……ですかね。写真うまくないですけど」
「それでも私なら喜ぶ。手ブレしてても、今の自分を撮ろうと思ってくれた気持ちが嬉しいからね」
ああ、素敵な解釈だ。
たしかに相手に興味も湧かないのにレンズを向けるなんてことはない。
その瞬間を写真に収めたいと思っているのだ。
解人はズボンからスマホを取り出すと、カメラアプリを起動する。
「七海さん、桜間さん」
声をかけると女子たちが振り向く。
美奈の抱える花束が甘い香りを広げる。
「あっ、美奈さん! ほらほらカイトくんが!」
「わ~撮ってくれるの~? ありがと~」
そろって前髪を整え始めるものだから、ついつい解人は笑ってしまった。
「じゃあ、撮りますよ」
美奈とくるるがキメ顔をした。
シャッターを押す。
花束に負けないくらい満開な、二人の笑顔が咲いていた。
◇ ◆ ◇
閉店して客がいなくなると、美奈はくるるから受け取った紙袋を片手に微笑んだ。
「ね、くるるちゃん。開けてもいい?」
「どうぞどうぞ!」
美奈が袋からギフトボックスを取り出す。包みを解いていくと現れたのは。
「お~! ボディスクラブだ~!」
「えへへ。私たち二人からのプレゼントです! ね、カイトくん」
ボディスクラブとは。
これで洗えば肌が最強になるんだよ、と解人はくるるに教えてもらったが、未だによく解っていない。
洗って肌が綺麗になるというならボディーソープと何が違うんだ?
訊いたが最後、くるるは美容効果について目を輝かせて語ってきたので、解人の脳はパンクした。
「見ての通り桜間さんのセレクトです。俺は付いていっただけっす。なんも解らなかったので」
「もうっ、カイトくんだってお金出してくれたでしょ!」
「逆に言えばそれだけだよ?」
「もー、照れ屋さんでひねくれものなんだからっ」
やりとりを聞いていた美奈が笑みをこぼす。
「明石くんありがとね。なんにも解らないのにくるるちゃん一人で行かせないでショップまで行ってくれたんでしょう?」
「さすがにそれは最低ラインでしょう。七海さんにはお世話になりましたから」
「その気持ちが嬉しいんだよ~。もちろんボディスクラブはすごくありがたいプレゼントだけど、なにより私のためを思ってくれたのが嬉しいの」
店長と同じようなことを言うんだなと解人は思う。
「……っす。あざっす」
「カイトくん照れてる~?」
「明石くん照れてるの~?」
女子二人にからかわれて、顔を赤くする解人だった。
◇ ◆ ◇
バイトの時間が終わった。
くるると解人は閉店作業を代わると申し出たのだが、最後までちゃんとやっていきたいと言われてしまっては引き下がるしかなかった。
二人は美奈に礼をして店を出た。
月明かりの下、駅まで続く桜並木をならんで歩く。
「やっぱりお別れって寂しいなぁ」
鼻声でくるるが言う。瞳が潤んでいるのにも解人は気付いていたが、触れないでおく。
「俺は……なんだか不思議な感じだ」
「不思議? 不思議ってどんな?」
「中学の卒業式を思い出したんだよね。でも、それとも違うような気がしてさ」
「んむ? 違うの?」
「式典とは違うからかな。別れといっても心の中でハッキリ区切りがついた感じがしなくってさ」
「そー言われるとそーかも。これで終わりですって誰かが言ってくれるわけじゃないしね」
解人は頷く。
「正装して、卒業証書を渡されて、校歌を歌って、在校生を置いて体育館をあとにして……っていう一連の流れは、いま思えば、別れを解りやすくするためだったのかも」
「解りやすく?」
「うん。今日思ったけど、日常の別れはぼんやりとしすぎてる。だから、式典では解りやすく区切りをつけられるようにしてるのかなあ、なんて」
「日常の別れはぼんやりとしてる、かぁ……」
月を見上げながら、くるるが呟く。照らされた横顔が近いはずなのに遠く感じられて、解人の心はざわついた。
「カイトくんは聞いた? 来年になったら別々でシフト入ることになるかもって話」
「えと、店長から一応」
「来年度になったらクラス替えもあるもんなぁ~」
話のつながりが解人には解らなかった。
くるるは天を仰ぎながら歩き続ける。
危なっかしいなと思い、解人はくるるを支えられるように一歩だけ側へ寄る。
「私たちもクラスが変わったら、離れ離れになっちゃうね」
眉根を寄せてくるるが笑いかけてきた。
困ったような、強がっているような表情が解人の胸を締めつける。
「桜間さん……」
なんと声をかければよいのか解らなかった。
最近は解らないことばかりだなと、解人は唇を噛みしめる。
「んー! ま、いっかぁ!」
くるるがパンっと手を叩く。
「へ?」
「よく考えたら自分にはどーにもできない話だしっ」
「そりゃそうだけど」
「明日のエイプリルフールでつく嘘を考える方が有意義だよねぇ」
「ええ……」
急に明るくなったくるるに、解人は肩透かしをくらう。
「LINEでなにか仕掛けちゃおっかな~~~」
「先に言ったら効果なくない?」
「じゃあ一回忘れてもらおっ! 頭に強い衝撃を与えるといい……って漫画で読んだよ!」
「良い子は絶対に真似しないでね、ってやつじゃん」
「じゃあ悪い子でもいいぞ~~」
解人の目の前を桜の花びらがひらりと舞っていく。
「ああ、もうすぐ葉桜かぁ」
季節は変わろうとしている。
桜並木の下、少しだけ近づいた二人はならんで駅まで歩く。
くるると解人の関係性もまた変わろうとしていた。
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