3月16日(木)_海辺の本音ゲーム

 終業式がおわった。

 くるるの通う高校は総じて休みの期間が長い。代わりに課題が多く、自学自習を前提としている校風なためだ。

 ホームルームも締めくくられ、クラスとして集まる最後の機会に幕が下ろされる。

 クラスメイトたちが名残惜しさから写真を撮り合い、駆け込みで思い出を作り上げるのをそこそこで切り上げ、くるると解人は教室をあとにした。


 二人は昇降口を出て、校門までの桜の咲く道を歩いていく。


「俺、一年分の写真を撮られた気がするよ……」

「ふふ。みんなあのクラスが終わっちゃうのが寂しいんだろうねえ。カイトくんって意外とノリ良いんだね」

「そりゃ、一緒に撮ろうって言われたら、応えるさ」

「優しいね。カイトくん、帰ろうとしてたでしょ」

「いや。うーん、と」


 解人とて、さくっと帰ろうと思っていたわけではなかった。

 半ば無意識にどこかの誰かと帰るつもりで、もたもたと帰り支度をして教室に留まっていたところ、理央たち明るい女子グループに捕まったのだった。


「あれれー? もしかしてカイトくん、帰るつもりじゃなかったの?」


 くるるが、からかうように言う。


「ぐ……」

「えっ。ホントにそうなの? ……もしかして、私のこと、待っててくれたり?」

「…………否定はしない」

「え~ごめんねえ~言ってくれればもっと早く切り上げたのに~」

「や、それはダメだ。俺が勝手に待ってただけだし。思い出はちゃんと残した方がいいでしょ」


 解人は、くるると一緒に写った写真が撮れて良かったと思っている自分に気付いていた。ツーショットではないがそれでも嬉しいと思っていた。口が裂けても言えないが。

 解人は心の中で理央へと感謝の合掌をした。おそらく気を回してくれたであろう、そして全てお見通しであろう彼女に。


「むー。そういうもんかなー」

「桜間さんはよかったの? 高馬さんたちはこのあとボウリング大会だって言ってたけど」

「んー、今日は良いかなあ」

「今日はって、今日だからの集まりなんじゃないの?」

「春休みにクラス女子会はあるし! それにさ、カイトくんも言ってたじゃん。思い出はちゃんと残した方がいいって」


 くるるがタッと駆けて校門を抜ける。ステップを踏むようにして振り返ると、くるるは両手をメガホンみたいにして声を張る。


「春だから、どっか行こうぜー、カイトくーん!」


 花びらがひらひらと揺り落ちるなか、くるるがお日様みたいに笑っていて。

 春だから、という理屈は解人にはよく分からない。けれど、彼女の笑う顔を見てしまっては、拒否するという選択は選べるはずもなく。

 真っ直ぐな彼女は眩しいなと解人は目を細める。


「どこへでも」



 ◇ ◆ ◇



「う~海だ~~~~~~」


 くるるが打ち寄せる波に向かって叫ぶ。

 解人は遠い目をしていた。

 二人は電車を乗り継いで二時間超、江ノ島のビーチに来ていた。

 江ノ島と言えば、家族連れや恋人たちで賑わうレジャースポットの代名詞だ。

 夏であれば。

 今はまだ肌寒い浜辺でしかない。

 今日にいたっては風が強く、くるるの髪もばさばさと揺れている。


「や、どこへでもとは言ったけどさ」

「とか言って、来てくれるんだもんね」

「……まあ、バイトもないし。一人だとぜったい来ないからさ」

「いいぞっ! その意気だっ!」

「桜間さんなんかテンション高くない?」

「そりゃそうだよ! 海だよ? 海! 春休み0日目、遊び倒そっ!」


 くるるは言うが早いか、カバンを放り出し、その上にブレザーを置く。流れるようにローファーを脱ぎ捨て、靴下をするりとおろし、素足で駆けだした。

 風吹きすさぶなか、脇目も振らずに波打ち際へ。スカートの裾をつまみ、足元で行き来する海から逃げたり追いかけたり。くるるが動くたび白いブラウスが風を受けて雲のように形を変えていく。


 解人にはくるるが踊っているように見えた。

 しばらく眺めていると、くるるが思い出したように顔を上げる。


「ほらっ、カイトくんも」

「うっす」


 解人は近くに落ちていたくるるの荷物を担いで歩く。

 砂浜の、濡れていないところへ二人分の荷物をまとめて置いた。解人もくるるに倣い、ブレザーを脱ぎ、靴を脱ぎ靴下を脱ぎ。

 ワイシャツを腕まくりして、ズボンの裾をまくり上げて、いざ海へ。


 解人が塩水に足をさらす。

 三月の海は冷たかった。


「俺、制服で海とか初めて」

「んっん~私も~」

「これは何をするものなんですかね。追いかけっことかするんですかね」


 解人は、青春ドラマなどで海辺で戯れる光景を想像していた。


「カイトくんは駆けっこしたいの?」

「いや、そこまで……。走りにくそうだし」

「そうだなー。どうしよ」


 くるるが足元に視線を落とす。足の指先がにぎにぎと動き砂を掴まえる。解人はなんだか凝視してはいけない気がして目を逸らす。


「じゃあ、本音ゲームしよ」

「本音ゲーム?」

「いま考えた! ここからスタートして、本音を言うたびに相手は海に向かって一歩進むの」

「相手? 桜間さんが言ったら俺が海に歩くの?」

「そう! 先に引き返した方の負けね! はいスタート!」

「えっえっ」


 解人が戸惑っているうちに、くるるは海に叫んだ。


「ぶっちゃけ、水、つめたーーーーーい! そんで、せっかくセットした髪、ぼさぼさで悔しーーーーー!!! はい、カイトくん二歩進んで!」

「叫ぶの必要なの?? てかこれ、油断してたら……やられるっ!」


 浜辺の濡れた砂をペタペタと進む解人。足の裏の冷たい感触に焦りを覚える。


「俺も、ええと、なんか言わなきゃ、ええと……」

「駅前に売ってたプリン、買えばよかったって後悔してるーっ! 今日で一年生が終わるの寂しい! クラスが変わっちゃうの寂しいっ! みんなで写真撮れて楽しかったっ!」

「あ、ちょ、桜間さん、待っ」

「ほら歩いて歩いて! カイトくんの背が高いの羨ましいなーって思ってる!」


 反撃の言葉を考えながら、解人は海へと向かっていく。もう足首までが塩水に晒されている。


「背が高いって……平均なんだけど。ええと、桜間さんの髪留め、買ってよかった」

「へぁ!? ほ、本音を言わないと反則だよーっ」

「や、だから本音を言ったんだよ」

「う、うぐぐ……」


 解人が肩越しに振り返ると、くるるが悔しげに一歩を踏み出している。


「そっちがそゆことするなら、私にも考えがあるからねっ」

「そゆこと、とは……?」

「節分のとき生徒指導室まで来てくれたの嬉しかった!

 ショッピングモールへのお出かけに誘った時すっごく緊張してたっ!

 カイトくんが窓に描いた絵を笑っちゃったの悪かったなーって思ってる!

 バレンタインでチョコ取ろうとしてくれたの嬉しかったっ!

 テストヤバかったらバイトできなくなるかもって考えたらすごく寂しかった!

 ひなあられを持ってるときにカイトくんと先生に追いかけられたの、ぶっちゃけ楽しかったっ!」

「えっえっ、ちょ、多くない!?」

「ずんどこ進めーっ! 六歩だよ!」


 駄々っ子のようなくるるの声を背に、解人は海へと歩いていく。

 すねまで海水に浸り、このままではズボンが濡れてしまう。同じくらい本音をぶちまけて相手のリタイアを狙うしか逆転はない。

 解人が背後のくるるになんと言おうかと考えていると。


「カイトくんといると楽しい。から、ずっと一緒にいてよ」


 強風にかき消されそうなほど小さな声だった。先ほどまでの大海原へ向けた遠慮のない叫びとは違う。

 けれど解人の耳には届いていた。ただ、聞こえることと理解できることは別で。


「えっ」


 解人が振り向くと、くるるは逃げるように陸へ向けて走り出した。追いかけようと踵を返す解人。


「桜間さん、いまのって……」

「ちゃ、ちゃんと一歩進んでよっ! わ、私プリン買ってくるからーっ!」

「え、あ、え、うん。……え?」


 裸足のまま遠ざかるくるるの背を、解人は呆然と見続ける。

 それから前を向いて、一歩、ちゃぽんと進む。

 春の海が跳ねてズボンを濡らす。

 解人は、再び振り返り、くるるが消えていった方をじっと見つめる。


「……え?」


 やがて帰ってきたくるるがプリンを掲げて声をかけるまで、解人は口を開けたまま突っ立っていた。

 それから二人は、砂まみれの素足をさらして無言でプリンを食べた。

 ぎこちない距離を春の風が吹き抜けていく。

 くるるが無言で解人に肩をぶつける。解人はされるがままに反対側へ倒れかけ、ゆっくりと戻る。すると再びくるるが襲う。解人は再び倒れかけ、元に戻る。


 江ノ島の浜辺で、二人の影はメトロノームのように揺れていた。

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