3月14日(火)_ホワイトデーのお返しは

 朝早く。学校のベランダ。

 解人は悩んでいた。

 登校してすぐ、朝練が無かったと嘆く友人の剛志を捕まえて、教室のベランダで相談に乗ってもらっていたのだ。

 頭を抱えているのは、ホワイトデーのお返しについて。


 バレンタインのあの日、友チョコと称してチョコクランチを分け合ったものの、その前に貰ったチョコに対するおかえしはしなくてはと解人は考えていた。

 いたのだが、肝心の品が買えていなかった。


「なに!? 解人オマエ、まだ渡すもん決めてねえの!?」

「声がデカい! 聞こえるだろ!」


 解人は剛志の肩を掴んで揺する。野球部の体幹はビクともしなかった。


「わりーわりー、ビビっちまったぜ。決めてないも何も、今日がホワイトデーだぞ。もう手遅れじゃん」

「何を渡したらいいか分からなくって悩みすぎたんだよ……」

「そんで結局なにも買えなかったん?」

「だから、もういっそ相手に選んでもらおうかなって。デパートの催事場なら、さすがに欲しいものは見つかるだろうと思ってさ」


 悩み続けた解人の苦肉の策。

 しかし剛志は呆れた顔をする。


「ぜってーやめとけよ」

「えっ」


 相手が欲しがるものを贈る、これに勝るものはないのでは?

 解人はそう思っていたのだが。

 

「だってよー、ホワイトデーってのはお返しだろ? 贈りたいと思ったものを相手に渡す日じゃん!」

「そりゃそうだな」

「俺は自分で選んだやつを持ってきたぜ? 理央が喜ぶかは、まあ、わかんないけどさ」

「どういうことだ? 相手が喜ぶ方がいいんじゃないのか?」


 剛志がやけに大きくため息をつく。


「解人ってたまにアホだよなー」

「なんだよ急に」


 ムッとして言い返すと、わざとらしく肩をすくめる剛志。


「だってよー、プレゼントなんだぜ? 自分で選ばないで相手が欲しいものを言われたとおりに買ったら、ただの財布係じゃん」

「そうかもしれないけど……でも、相手が喜んでくれるかどうかわからないだろ? それでもいいのかよ剛志は」

「いい!」


 剛志が即断するものだから、解人は驚く。


「な、なんでだよ。喜ばれたくないのかよ」

「喜ばれたいっつーか、喜ばせたい・・・・・んだよ」

「? どう違うんだ、それは」

「なんつーかさ、俺が渡すプレゼントなんだから、あくまで俺のワガママっつーか。だから、喜ばれてもそうじゃなくても、ぜんぶ俺の責任だし、俺の手柄な!」

「なる……ほど……」


 解人はハッとした。

 確かに一理ある。自分じゃ選びきれないと思って逃げていたのかもしれない。


「それによー、ホワイトデーっていったら何を贈るかで意味が変わるっていうじゃん」

「ああ、聞いたことくらいはあるな」

「それを相手に選ばせるってのはどーなのよっつー話じゃん」

「うー……む、一理ある」


 うなる解人。

 これが彼女持ちとそうでない人間との経験値の差かと感心してしまう。


「自分で渡したいと思ったもんじゃねーと、プレゼントって言えねーんじゃねーの? 相談して決めるのが悪いとは言わねーけど……なんかプレゼントってより記念の品を買うとか、そういうやつじゃね?」

「たし、かに」


 相手の欲しがるものを与える行為は『貢ぐ』というのではないか。

 自分がホワイトデーにくるるにしたいことはそうではない。

 だとしたら、今の自分にできることは。

 解人は腹を決める。


「三送会が終わったらデパート直行して、俺自身の目で選ぶよ」


 三送会とは、文字通り三年生を送る会という学校行事。卒業式よりもラフに在校生の有志や教員が出し物をして卒業を祝うイベントだ。

 今日がその日だった。

 三送会は午前中までなので、終わってすぐに行こうというのが解人の作戦だった。

 しかし、剛志が疑問を投じる。


「まてまて解人。選ぶったっていつ渡すんだ? こーゆーのはタイミング大事だろ。明日に渡したら台無しじゃねえか?」

「そうだなあ。風情は無くなるけど……一緒に買いに行くか」

「へ? オマエそれも絶対やめ────」


 朝のチャイムが鳴った。

 いつもならばホームルームの始まりだが、今日に限っては体育館に向かう流れだった。


「行こう、剛志」

「……まあ、うん。がんばれよ解人」

「? ああ、ありがとな」


 剛志がなにか言い淀むのに気付いた解人だったが、彼が言葉を呑みこんだために追及はしなかった。

 解人は、すぐに思い知る。

 自分がいかに恥ずかしいことを考えていたのかを。



 ◇ ◆ ◇



 三送会を終え、解人はくるるを連れてデパートの催事場に来ていた。

 ホールには白を基調にした飾りつけで多くの焼き菓子やスイーツ、デザートが並ぶ。

 甘い匂いが二人の鼻先をくすぐった。


「カ、カイトくん。ここは……?」

「何を返そうか悩んでたら結局買えなくてさ。だから、今から選ぼうかなって思うんだけど」

「今から!?」

「準備の悪い男でごめん。すぐに選ぶけど、もしあれなら……」

「待って!」


 くるるは解人の言葉を遮る。

 頭の中が情報でパンパンだった。整理しなくては、と巻いた前髪を撫でながら考えを巡らせる。

 正味くるるは、自分でもはしたないとは思いつつもお返しの品を期待していた。

 友チョコとしてチョコクランチを半分こにしたため、解人はそれでおしまいだと思っている可能性も考えてはいた。

 それでも、期待をしてしまうのが乙女というものだ。

 しかし、ふたを開けてみればどういうことか。


 まだ買えていないからこれから買おうというのだ。

 しかも目の前で。


 準備不足とはなんたる不届き者! ということを言いたいのではない。

 くるるはホワイトデーのお返しの品にはそれぞれ意味があることを知っていたのだ。なんなら昨日の夜には、一覧を眺めて妄想を繰り広げては、一喜一憂していた。

 どんなお菓子かな、どう思われているのかな、と。

 ホワイトデーのお返しとは、くるるにとってそういう意味のものだった。

 それを目の前で選ぶということは。

 くるるの心臓がドキドキと跳ね始める。

 つまり、『あなたのことをこう思っていますよ』という札のついた品を目の前で吟味されるということで。


 恥ずかしすぎる拷問だあ……!


 自分で妄想するのとは次元が違う。実際に、隣りに、側に、間近に、解人がいるのだ。

 彼の指先がキャンディーからマシュマロへ向かい、クッキーを経由してマカロンに辿りつき、かと思いきやまた別の場所に……なんてことになったら。

 そのたびにくるるの心は上下して、そして今日ここで判決を下されるのだ。


 耐えられるだろうか、今の自分に。

 ……いや、変わると決めたんだ。彼の思いを知ろうって。ちゃんと見届けよう!


 くるるは覚悟を決めた。

 解人にタイムを要求してからわずか二秒。くるるの冴えわたった脳はそう結論付けて答えを返そうとした。

 しかし。


「あっ」


 解人が声を上げる。

 彼の視線の先、催事場の中央には大きな看板があり。


『ホワイトデーのお返しには特別な意味があります! こめられた意味一覧とおすすめギフト!』


 解人は自分のしようとしていたことが、目の前で相手への返事を用意するという恥ずかしい行為だった、とようやく気付いた。


「……いっかい休もうか」

「そ、そうだねっ」


 二人は近くの休憩スペースに腰を落ち着かせた。



 ◇ ◆ ◇



 呼吸と鼓動を落ち着かせた二人は、自分たちのてんやわんやを反省していた。


「俺たち、現代の情報に踊らされすぎ……?」

「うう、ほんとだよお。だいたい意味が真逆のやつもあるんだから、気にしなくていいんだよ!」


 さっきまで信じきっていたとは思えない言い草のくるる。誰かの考えた意味に振り回されてもうこりごりといった疲れ顔だった。

 こんな思いをするのなら、とくるるは考える。


「カイトくん、もういっそテキトーなのでも……」

「それはダメだ。ちゃんと選ぶから、俺が」

「っ……!」


 くるるは解人の真剣な表情にドキッとしてしまう。


「でも、俺もすぐには浮かばないから、気分転換でもしようか」

「そうだね……ここからはいったん逃げたいよう」

「桜間さんはどこか行きたい?」

「うー、そうだなあ」


 くるるの提案で、二人はファッションのフロアへと向かうことにした。エスカレーターを昇ると、一面に服屋が並んでいる。

 大人な女性向けのブランドが多く、解人は男子高校生が制服で足を踏み入れてもいいのかと挙動不審になってしまう。

 しかし、隣のくるるがさして気にした風もなく歩いていくので、解人は慌てて後を追うことにした。


「もうすっかり春服だな~。どれもかわいい~」

「そう、なの?」

「春っぽい色だし、ちょうちょが飛んでるみたいでしょ」

「蝶が……言われてみれば、ひらひらしてる、かも?」

「そゆこと! 冬には着られなさそうでしょ。寒くってさ」

「ははあ。勉強になる」

 

 くるるは、特定の店には入らず、店頭の商品をなぞるように眺めながら歩く。

 いわゆるウィンドウショッピングだ。

 そして、目を通した店が二桁に差しかかるかなというころ。


 くるるは解人とはぐれたことに気付いた。


「あれっ、カイトくん?」


 慌てて来た道を振り返るくるる。

 解人はアクセサリーショップの店先で足を止めていた。くるるは、とてとてと早足で合流する。


「ごめん~見てたの気付かなかった~」

「見つけたかも、お返し」

「ほへ?」


 解人の手には小さな花が握られていた。



 ◇ ◆ ◇



 夜。

 くるるは、震える指先で写真を送信する。


[くるる:じゃん]

[くるる:どう]

[くるる:ッスか]

[解人:似合ってる]

[解人:ッス]


 くるるが送ったのは自撮り。

 それも、ヘアアレンジを施して着飾った自分の写真だった。

 目を引くのは、柔らかな髪の毛に咲くヘアクリップ。

 桜をかたどったものだ。

 金色で華やかながらもくるるの明るめの髪は引けを取っておらず、透きとおる桜色のストーンも彼女を引き立てるように輝いていた。

 

 解人のお返し・・・だった。


[解人:前に言ってたから]

[解人:髪型に気を遣ってるって]

[解人:今日も前髪巻いてた? みたいだし]


「~~~~~っ!」


 くるるは身体を左右に揺らして嬉しさを部屋中にばらまいた。

 ヘアアレンジをしていなければ、クッションを抱きしめながらベッドでのたうち回っているところだった。

 髪に凝ってること、憶えててくれた。それに今日も気合入れてたことに気付いてくれた。

 その上で、自分の名前にもなぞらえた髪飾りを贈ってもらえた。


「ホワイトデー、さいこーだぁ~!」


 くるるは思わず、こぶしを突き上げて叫んだ。


 その声をリビングで聞いている二人がいた。

 くるるの父と母だ。

 

「なにを叫んでいるんだくるるは」

「ふふふ、最近のくるるったら、どんどん可愛くなっていくわねえ」

「ホワイトデー最高と言ってたし……彼氏か? 彼氏なんだな?」

「こらこらお父さん。そんな顔してるとくるるに嫌われちゃうぞ」

「しかしだなあ。あのくるるに彼氏とは……大きくなったなあ……」


 今日はホワイトデー。

 思い人からの贈り物に喜ぶ娘と、娘の成長に涙腺をゆるませる父の姿があった。

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