第19話
食べすぎ気味な食事を終えて、時刻はちょうど正午。
食べた量は想定外だったが、昼食後の予定に影響はない。事前に考えていた通り、次の行動に移ろう。
「このあとだけど、俺このへんって全然知らないから、散歩してもいいかな?」
「歩くの? でも私運動靴じゃないし、汗かいちゃうよ……」
「ゆっくり歩くから大丈夫だと思う。嫌だったら散歩じゃなくてショッピングモールでもいいけど、どっちがいい?」
「うーん……モールは涼しいんだろうけど、私も唐橋は駅の周りしか知らないし、散歩も悪くないかも」
「そうだろ? 色々知っておいたほうが、後々役に立つこともあるだろうし」
「隆志くん視野が広いね。私も見習わなくちゃ! でも、歩くのはゆっくりにしようね。汗対策はしてきたけど、もしも臭っちゃったらショックだもん」
「別に臭いはそんな気にしないけどな。まぁ時間はあるんだから、ゆっくりまわっていこう」
少し強引に決めてしまったかもしれないが、こんな強引さも時には必要なのだと思う。
幸い、樹理に心底嫌がっている様子はない。
この勢いに乗じて手を繋いでしまおうかとも過ぎったが、正式に告白をしたわけでもないのにそれはやりすぎだと冷静に判断して、伸ばしかけた手を引っ込めた。
特段祭りのようなイベントがあるわけではなく、俺達が歩いているのは知らない街の日常だ。そこに価値を見出せるかは人しだい。確実にいえることは、決してありがちな休日の過ごし方ではないことだ。現実に、俺達以外に目的もなくさまよってそうな人はいない。
「少し離れるとシャッターが閉まった店ばかりだな。辺りの人も急に少なくなったし、ここまで歩いてくる人はいないってことか」
「そうなのかも。私もこっちまで来るのは初めてだもん」
「駅にはあんなに人がいるのに、五分も歩けばこんなに減るんだな。まぁ店がやってないんだから当然といえば当然かもしれないけど」
「大きなショッピングモールが出来ちゃったからかな? ドラマで見たことあるけど、本当にお客さんって流れちゃうもんなんだね」
「俺達の地元にある商店街がわりと生き残ってるのは、町にモールがまだないからか?」
「あの田舎にモールを作っても赤字ですぐ潰れちゃうよ」
「それもそうか。ならあっちはしばらく安泰だな」
閑古鳥の鳴く寂れた商店街は人通りが少なく、樹理の声がよく聞こえる。本来は買い物をすべき場所なのだろうが、二人で散歩するには悪くない環境だった。
「自動車は結構通るんだな。流石、栄えてるだけある」
「隆志くんは将来乗りたい車とかある?」
「特にないけど、自分が頻繁に遠出とかするイメージが湧かないし、軽自動車で充分じゃないかな。普通の車って高いだろうし」
「そうだよね。私も免許は取りたいって親にお願いするつもりだけど、すぐには買わないだろうなぁ。大学にいったら意見が変わるかもしれないけど」
「なかなかこの歳から自動車に乗ることは考えられないよな。俺達の地元は田舎で、車がないとまともに生活できないから買うんだろうけど」
「でも……大人になっても変わらず金井市に住んでるとは限らないから。都会に住むようになったら、やっぱり車はいらないかも」
「樹理、東京の大学にいくつもりなのか……?」
それは初耳だった。まだ高校一年の二学期なのに、彼女はそんな未来まで見据えているのか。
驚愕を帯びた俺の返答に、樹理は慌てて手をぶんぶんと振った。
「決まってるわけじゃないよ? そういうこともあるかなーって思って」
「そうなのか……いや、そうだな。そういうこともあるんだろうな」
「隆志くんは将来どうしたいとかないの?」
「考えたことないなぁ。さっきの自動車の話も、質問されて考えただけだし。――じゃあもしかしたら、高校を卒業したら樹理とは会えなくなるわけか」
「え、えと……その、それは、わからないけど……もしかしたら、そうかも」
歯切れの悪い返事は、俺の耳に入ってこなかった。
樹理が遠くの大学を受けて合格すれば、俺達は会えなくなる。幼稚園から一緒だったが、関係は大学で遂に途絶えるのだ。
いまの関係を昇華させずに大学生になれば、樹理はその大学で彼氏を作るだろう。彼女と同じように、地方から都会の大学に行こうと考える人などいくらでもいる。加えて、国の学生恋愛活動支援制度もある。早く関係を深めなければ、長く続いた俺の初恋も成就せず終わってしまう。
ああ……なんというか、これもまた恋愛系創作物にありがちな状況だ。ヒロインと別れる可能性を知って、主人公は気持ちを伝えることを決意する。玲奈の家で呼んだ少女漫画も、そんな展開だった。
つまり予習済みだ。こういうことをいわれたら、どう返すかはもう考えてある。
「都会の大学にいったって成功するとは限らない。俺は、地方で頑張って成功する人のほうがかっこいいと思う」
創作物の世界でも、ヒロインの夢は応援するのが定番だ。だから、地元に留める方向で助言した。そうすれば、〝期限が迫ってるから〟なんて理由で中途半端な告白をすることにはならない。
「えと……うん。隆志くんのいってることは正しいかも。まだ進路を決めるまでは時間あるから、少しずつ考えてみる」
「部活動を頑張りながら考えればいいよ。うちのバドミントン部、全国手前までいったことあるんだろ?」
「うん。練習すごい厳しいから、あんまり考える暇ないかもしれないけど」
「落ち着いてから考えればいいって。これから先、なにが起きるかわからないし」
「……う、うん、そうだね!」
なんとか説得できた……と考えていいのだろうか。樹理の反応は『なに』の部分に多大な想像を巡らせているように感じたが、たぶんこれは気のせいではない。気のせいでなければ、結局俺の行動しだいで彼女の未来が決まるということか。
「あ、見て隆志くん、あそこで〝なに〟か跳ねてるよっ!」
「お、おう。あれは川魚だろ」
「川魚なんだぁ。こんな栄えているところにも魚っているんだね」
急にそわそわしだした樹理は、渡っている橋の下を指差したかと思うと、今度は山のほうに目を向けた。
「見てみて隆志くん! 山の一部分が削られてて〝なに〟かあるよ」
「ゴルフ場だろ。ああいうところは一回遊ぶのに数万かかるらしいぞ」
「あー、あれゴルフ場だったんだぁ。唐橋きたときってあんまり山のほう見ないから気づかなかったなぁ」
「こういった栄えた街の近くにあるとは思わないもんな」
「うん、そうそう。あっ、見てみて隆志くん、あっちにも〝なに〟か――」
演技めいた反応を繰り返す樹理が、また別の方角を指差して俺の注意を変えさせた。
限りなく確信に近い推測だが、彼女は最初にいった『なに』の正体について勘付かれるのを恐れているようだ。頬がさっきから段々と紅潮を増しているあたり、相当に恥ずかしいのだろう。
ここはどう対応するのが正しいだろうか。
……思いつくまで彼女のぎこちない演技に付き合うことにしたが、俺が対応を思いつくより、彼女のネタが尽きるほうが早かった。
「と、とりあえずもう少し歩こうか」
「う、うん! うん!」
過剰に首を振る樹理とともに、俺は自動車が頻繁に行き来する橋をあとにした。
自動車の排気音が遠くなると、地面の下でまた川魚の跳ねる音が聞こえた。
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