第13話
「さ、椅子に座ってマウスを持ちなさい」
後ろ向きで飛び乗るようにベッドに座った玲奈は、至極ご機嫌だった。
「俺はまだこの得体の知れないゲームをプレイするとはいってないぞ」
「やらないならそでもいいわよ。その場合はすぐに帰ってもらうけど。あたしのゲームをやらないなら、隆志を家に置いておく理由がないもの」
「俺はお前の作ったゲームのテスターとして呼ばれたってわけか?」
「テストは済ませてあるわ。いっとくけど、あたしはあんたのためを思って誘ったのよ? このゲームで非王道を学んで、明日のデートをありきたりで陳腐な内容にして彼女を退屈させないために、なにより王道を真似て自分が相手をどう思ってるか判然としない思考停止デートを避けるために、あたしはこのゲームを勧めてるの。やらないのは、あたしの誘いを断るってこと。あたしの家にあがったのも無かったことにしてもらうわ」
「せっかく雨のなか自転車を漕いできたのに、たった数分滞在して帰れっていうのか」
「知らないわよ。あたしだってパソコン立ち上げて待ってたんだから。お好きなようにどうぞ」
投げやり気味にいうと、膝を折って玲奈はベッドに仰向けで倒れた。
そんな状態でいたら、白いワンピースに皺がつくし、サイドで結った長い髪の毛も乱れてしまう。なにより、引っ張られた裾が露出させた色白な脚が、目に悪いというか、良いというか……とにかく危険だと理性が警鐘を鳴らした。
玲奈の部屋に入ってから立ち尽くしていた俺は、パソコンデスクの前にある青色の椅子を引いて座り、キーボードの横にあるマウスを右手で包んだ。
「……悪かった。せっかく用意してくれたのに、遊びもせずに否定するのは良くなかった。だけど、本当に明日の役に立つのか? これをやったか、やらないかで運命が左右するとはどうも思えない」
「遊びもせず否定するのは良くないんじゃないの? 一言のなかで矛盾を起こさないでくれる?」
「よく聞いてるなぁ。ああ、わかった。じゃあ宣言どおり、やってみてから判断しよう」
「そ。なら始めましょう!」
そういって、玲奈は一息にベッドから上体を起こした。急激にご機嫌を取り戻した彼女の煌々とした瞳を眇める。不機嫌な様子は演技だったらしい。騙したのかと非難しようとも思ったが、いったところで不毛なため心中で吐露するだけにした。
「このタイトル画面の《すたーと》をクリックすればいいんだな?」
「それであってるわ。あ、でも、《えんど》から始まるのもアリかもしれないわね。それを思いつけないなんて、あたしもまだまだね」
「それだと《すたーと》でゲームが終了するわけか? そんなのバグにしか思われないだろ」
「でもゲームをやめれば止まっていた人生が再開するわけだし、ゲームを始めたら人生が終わるかもしれないわけだから、《えんど》が始まりで《すたーと》が終わりでもいいと思わない?」
「タイトル画面にメッセージ性を詰め込みすぎだろ……」
まさか、こいつはそんな〝始まりが終わりで終わりが始まり〟みたいなことを起きてる間ずっと考えてるのか? もしもそうだとすると、このゲームも半端な出来ではないだろう。勧めてきた以上、本人的にも自信があるということだ。何の自信かは知らないが。
いい加減始めようと思い、俺はマウスを操作してディスプレイ上のカーソルを謎の恋愛ゲームの《すたーと》に合わせた。
「押すぞ?」
「どうぞ。非王道とは何か、たっぷり勉強しなさい」
なぜ非王道を勉強するのか咄嗟に思い出せなかったが、たぶん大したことではない。気にかけず、右手の人差し指でマウスを左クリックした。
タイトル画面が暗転して、よくある街角の風景と画面下にテキストウインドウが現れた。
《タカシ:あ~いっけなーいっ! ちこくちこくぅ~!》
反射的にゲーム画面の右上にある×ボタンを押した。
「ちょっとっ! なんで最初の一文で閉じてんのよっ!」
「いや閉じるだろっ! 閉じる要素が少なくとも二つはあったぞ!」
「なによそれ! いってみなさいよ!」
「まず名前な! なんで俺の名前なんだよ! 俺が遊ぶからって、わざわざ名前を変えたのか!?」
「そんな面倒な作業しないわ。単なる偶然よ。変えるなら漢字も合わせるわ。だいたい、タカシなんてありふれた名前じゃないの。被ることがそんな珍しい?」
「なんか腑に落ちないけど……そう言い張るなら偶然で納得しておく。だけどタカシの台詞は絶対おかしいだろ!」
「あんたのいいたいことはわかるわ。非王道を謳ってるくせに王道すぎるってことよね?」
「このタカシは見た目は男だけど心は女だから王道じゃないとか、そういうわけか?」
「このタカシも完全な男よ」
「おかしいだろっ! たとえ創作の世界でも男にいわせる台詞じゃない。そんなの王道とか非王道以前の問題だろ!」
「そんなことないわ。続きを読めば違和感も解消されるわよ。ほら、ゲームをもう一度立ち上げて読んでみなさい」
玲奈はベッドから身を乗り出して俺からマウスを奪い、かちかちっと手慣れた動作で再度謎のゲーム画面を開いた。
どんな超展開か設定にすれば、さっきの台詞に違和感が無くなるというのか。なんとなくくだらない展開が待っていると予想しつつ、再び《すたーと》をクリックした。
《タカシ:あ~いっけなーいっ! ちこくちこくぅ~!
爽やかな朝の匂いが残る午前八時の住宅街。
食パン片手に学校へ走りながら、俺はそう叫ぶ。
条件は整った。あとは視線の先にある角を曲がれば、
俺はきっと、イケメン転校生と運命的な出会いができるは》
文章の表示途中で、反射的にゲーム画面の右上にある×ボタンを押した。
「ちょっとっ! なんでまた閉じてんのよっ!」
「閉じるだろっ! いま閉じたことに説明がいるか!?」
「ここで美少女転校生と出会ったら陳腐で古風なシナリオになっちゃうじゃない! イケメンと正面衝突して『大丈夫か?』って声かけられたら物語は王道を外れて、誰も予想できない方向に展開していくわけよ!
そう。そこは同性愛を重罪として裁く国。世界の片隅で産声をあげた禁忌の恋は、やがて世界全体を巻き込むほどに成長していく……どう? 先の展開が想像できる?」
「まったく出来ないし少しおもしろそうだと思ってしまったけど、同性愛である必要性があるか?」
「これが男子と女子だったら一気にどこかで見たような話になってしまうわ」
「『あ~いっけなーいっ!』とかいっちゃう奴が男子なら、非王道の要素として充分だと思うけどな!」
俺の意見を聞いて、玲奈は白いワンピースの裾から伸びる細い脚を組んだ。
「うーん……しかたないわね。じゃあ通常版に変えてあげるわ」
「なんだよ通常版って! いまのはなんだったんだよ!」
「女性向けバージョンよ」
「最初から通常版をやらせろよ! つーかなんてゲーム作ってんだお前!」
「どんなゲームを作ろうとあたしの勝手でしょ? あんたに文句をいう権利ある?」
「あっ、いや……そんな堂々とされると……その……すみません」
「口は災いの元なんだから、発言には気をつけなさい」
そこまで偉そうにいわれるのは釈然としない気持ちがあったが、ここは彼女のマイホームであるし、いっている内容は正しいので黙って首肯しておくことにした。
彼女はまたマウスを掴んで操作して、〝ゲーム〟と書かれたフォルダにある先ほどとは別のアイコンのファイルをクリックした。
〝ゲーム〟フォルダのなかには大量のゲームが収められていたが、そこには触れないことに決めた。
彼女の選んだゲームが起動する。
開いた画面には、《非王道恋愛ゲーム(仮)》と表示されている。
「さっきと同じじゃねーか。これが本当に通常版か?」
「やってみればわかるわ」
「いったい今度はどんな超展開が待っているのやら……」
マウスを握る手を玲奈と交代して、実は少しだけ、ほんの少しだけ期待しつつタイトル画面の《すたーと》をクリックした。
《タカシ:あ~いっけなーいっ! ちこくちこくぅ~!
爽やかな朝の匂いが残る午前八時の住宅街。
食パン片手に学校へ走りながら、俺はそう叫ぶ。
条件は整った。あとは視線の先にある角を曲がれば、
俺はきっと、美少女転校生と運命的な出会いができるはずだ》
「主人公の設定は変わってないんだな。それ以外はほぼそのまんまか」
「ここからよ。さぁ、先に進めなさい」
玲奈のテンションが上がり始めていた。よほど自信があるようだ。
促されて、俺はゲーム画面上でマウスをクリックした。
《タカシ:あ――っ!
???:え――っ! きゃっ! いったぁ。
タカシ:あ、あの、大丈夫ですか?
……計画通り。魅力的な異性と出会えるおまじないを行使して
俺は同じ学校の制服を着た美少女と曲がり角で衝突した。
それも見覚えのない子だ。転校生の可能性は充分にある。
モデルのように身長が高くスリムな美少女は、スカートを
抑えて立ち上がり、腰まで伸びた金髪をかきあげた。
???:殺しなさい。
黒服 :Roger。
その声は背後から聞こえた。
振り返ると、サングラスをかけた二メートルの黒人が立っていた。
わけもわからず美少女に視線を戻す。
ゴミ捨て場に群がる害虫を見るような瞳をした彼女に、俺はいった。
タカシ:俺は――。
タカシ:俺は、君の盾になって罪を償います。
???:……よろしいですわ。あなた、名前は?
タカシ:タカシです。タカシ=ハラダ。
???:長いですわね。あなたの名前は今日からタカよ。
タカ :ありがとうございます。
この出会いは、紛れもなく運命的なものになった。
そう。それが俺と、
???:自己紹介が遅れましたわ。わたくしはアルテミリアシュトラウス=
クルッセイドヴァリウル=レイナ。レイナと呼んでくださいまし。
この金髪美少女、レイナとの出会いだった――》
「おい。ひとつだけだ。あとは我慢してやるから、ひとつだけ教えてくれ」
「あー、確かに説明がちょっと不足してるわよね。ヒロインが黒服を呼んだのは、ぶつかったタカシを敵の殺し屋と勘違いしたからよ」
「知らんわそんなもん! そんなのより、このヒロイン……こいつがヒロインでいいんだよな。こいつの立ち絵が金髪のウィッグを被ったお前の写真な時点でまさかと思ったが、俺だけじゃなくヒロインもお前の名前じゃねぇか!」
「しょうがないでしょ、絵は描けないんだから。名前は別にいいじゃない。あたしの作ったゲームなんだから」
「お前よくこれを俺にやらせようと思ったな……」
「タカシなのは最初だけだから。このプロローグ以降はタカが主人公だから」
「まあいい。このとんでも展開にどこまでついていけるかわからんけど、耐えられるところまでやってやるよ。外の雨も強くなってきたし、いま追い出されると困るからな」
「斜に構えちゃって。ほんとは先が気になるんでしょ?」
「……少しだけ、な」
くすくすと笑われたのは屈辱だが、ここで嘘をつくのはかっこ悪いと思った。
これは恋愛ゲームなのだから、それが滅茶苦茶な内容でも、主人公のタカとレイナが惹かれあっていく展開になるはずだ。
その結末を知れるなら、多少の恥を忍ぶ価値はあると自分を説得して、俺はマウスを握り直した。
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