長政転生記
@yakyusoku
プロローグ 浅井の滅亡⑴
時は1573年
時の将軍足利義昭により作られた対織田家軍事同盟。通称「信長包囲網」の一角が破滅しようとしていた。
小谷城ー浅井家の本城であり浅井家に残されし最後の城である。
小谷城主そして浅井家当主である浅井長政は深く考え込んでいた。しかしその姿は苛立ちを決して隠せてはいなかった…
「ええい、武田はこない!本願寺もこない!…公方様はなにをやっておらっしゃるのだ!」
浅井家の単独の力は大したことは無い。
事実織田との開戦に踏切った際、浅井は自国より強国な越前の朝倉家の力を頼りにしていた。いや朝倉よりもっと期待をしていたものがいた。通称甲斐の虎武田信玄だ。あの信長が唯一恐れたと言っても過言ではない男。信長は度々彼にご機嫌取りの手紙を送っていたりする。
しかし現実は悲惨だった。武田信玄は同年4月に既に病死。頼りにしていた朝倉家は織田の侵攻にあい殲滅。残すは本願寺と浅井だけであったのだ。
「だから私は織田とは手を組んだままで良いと言っておったのにあやつら…」
そもそも浅井家が織田との戦争に踏切ったのは長政の父親の久政の影響が強い。
浅井家中では常日頃から、古くからの縁が強い朝倉と手を組むべき派と新参ながら婚姻を結び勢いもある織田と手を組むべき派の二つに分かれていた。特に親子はそのリーダー格
として対立していたのだ。
そのため織田との婚姻同盟を結ぶ際、朝倉領に侵攻しないことを条件にしたと言われている。
しかし、上洛に応じない朝倉に対し織田は攻撃を仕掛ける。
これを機に浅井家中には織田と手を切るべきという派閥が力を強め長政も従わざるを得なかったのだ。
結果、金ヶ崎に進軍してる織田との縁を切り背後から襲う。通称「金ヶ崎の退き口」である。あとから振り返ればこのタイミングしか織田を潰せる機会は無かったであろう。
だが木下秀吉の決死の殿などによって織田信長を取り逃してしまう。
これを機に戦力を建て直した織田は着々と力を貯め、姉川合戦により浅井朝倉連合を完全に追い詰め、朝倉義景を一乗谷で自害させて現在小谷城で浅井を包囲している…
「殿!恐れながら申し上げます!」
「赤尾か。よい申せ。」
赤尾清綱ー浅井三将の1人で浅井家の重臣である。
「京極丸が織田軍に占拠されました!」
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