陶芸コラム『火と土の芸術』
篁千夏
第01回:瀬戸焼と陶芸の変遷史
■一万年以上前の縄文式土器に始まる日本の焼物の歴史は、実用的な弥生式土器を経て、その系譜に連なる赤褐色な土師器となりました。その後は
■素焼の壷に水を入れておきますと、じんわり水分が染み出して、表面から蒸発します。夏場に室内に置くと、染み出した水が蒸発するときに熱を奪う気化熱で、室温を下げることができます。ですが、実用の器として考えた場合、中の水分が減ってしまっては都合が悪い場合が多くあります。このため焼物には
■釉薬とは「うわぐすり」とも読みます。その名の通り、素焼きの焼物の表面にガラス質のコーティングを付けることにで、吸水性を減らすため用いられました。釉薬に含まれる成分によって、焼き上がった後に多様な発色をするので、装飾的な目的でも使われるようになりました。日本には七世紀後半に、鉛を使った鉛釉による技法が伝わりました。
■鉛釉を使った場合は、緑色の発色が中心ですが、それまでの茶色や黒と言った地味な色の須恵器に比較して、格段に焼物は華やかになりました。
■九世紀になると鉛釉に加えて、釉薬に植物の灰を利用した『灰釉』が登場します。中部日本の猿投窯では、いち早くこの技術を取り入れて灰釉の陶器を作り、これが近隣の瀬戸や常滑、美濃にも九世紀後半には伝わったようです。こうして東海地方の窯は、東日本から関西へかけての陶器を供給する、一大生産地へと発展していきます。
■時代が下って十七世紀頃。磁器の制作技法が日本にも伝えられます。陶磁器と一緒くたに言われますが、単純に言えば材料に粘土を使うのが陶器、粘土に加えてカオリンと呼ばれる特殊な材料を加えるのが磁器となります。陶器は土物で磁器は石物と言われるように、カオリンは蝋石の中に含まれることが多いので、こう呼ばれます。
■昔は蝋石をチョークのように使って地面に絵を描いたりしたので、知ってる方も多いかもしれません。カオリンは中国最大の製陶地として有名な景徳鎮の近く、江西省の高嶺(中国読みでカオリン)から産出するので、この名前があります。日本では「磁器は十一世紀の北宋で生まれ、カオリンを原料に使う特殊な製法の焼き物」という定義になります。
■歴史に詳しい方なら、十世紀にはすでに高麗青磁は作られているが、これは磁器ではないのかという疑問が、起きることでしょう。中国での磁という文字は磁州──現在の河北省磁県彭城鎮などの白土を用いた焼物と、それに似た色の陶器の総称です。また中国や朝鮮の白磁も、上掛けした白土や釉薬によって白く発色した物ですから、製法は陶器と同じです。
■つまり、カオリンを原料に含む磁器とは、同じ磁の文字が使われていても、製法が異なります。磁器は陶器に比較して硬質なため、薄くても割れにくいという特徴もあります。陶器と磁器を厳密に分けるのは日本独自の分類方法で、細かく分類をするのが好きな日本人ならではの考え方とも言えます。
■磁器の製法は複雑で原料も特殊なために日本では十七世紀まで国内生産はできなかったとされています(明の亡命陶工によって十六世紀前半に伝えられたという異説もあります)。しかし、磁器そのものを作ることはできませんでしたが、海外からもたらされる硬質で軽く白い焼き物に魅了された日本の陶工は、その姿を真似しようと工夫を重ねました。
■唐津や志野では白磁を真似、白地に銹絵と呼ばれる顔料で絵を描く技法が発達します。遅れて瀬戸や美濃でも、中国の青磁や白磁を真似て作陶が始まり、黄瀬戸と呼ばれる独特の陶器を生み出します。このように、瀬戸焼に進取の気質があった点を、見逃してはいけません。老舗料亭ほど、時代に合わせて柔軟に味を変化させるから生き残ると言われます。
■それは陶芸の世界にも当てはまるようで、加藤民吉による有田からの磁器製法導入がスムーズに行われた影には、三彩や
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