一章 魔女は人外ではない。
1-1
高校生活も三年目に突入し、魔法使いとの記憶がさらに過去へと深くなる。『三上春間』を支えている存在は、なおも復活できていない。
宝石を模したガラス。
割られるステンドグラス。
どちらもガラスの魔女が関わったものだった。
昨年の冬に終結したステンドグラス事件については、あの日の衝突がウソのように穏やかな関係性へとおさまっていた。いや、正確にはあの
ベンチで他人ごとのように考えながら、腕を持ちあげる。
蒼矢サイダーのボトルを傾けて、俺はため息を吐いた。
目先には芝生が広がっていて、外縁は森に囲まれている。見あげた向こうにはタープが設けられていた。人工的な日陰へ避難するように、友人たちがひしめきあっている。
この暑さにも関わらずシスター服を身につけたミノリ、そのとなりに付き添う木陰。俺をエアコンの下から引っ張り出した妹と母。そして、情報屋を巻き込んだ片勿月シオン。タープの周辺は賑やかだ。
太陽が照りつけるこんな日にバーベキューなど、どうかしているんじゃないかと思う。
この暑さのくせして、天気予報は「今日は比較的涼しい気温で過ごしやすい」などと宣う始末。
ほんとうに、どうかしている。
俺はおかしいのかもしれない。
喧騒から外れて生きた日々。たったの数年間にしては濃すぎる過去において、魔法使いは魅力的すぎた。顧みれば、あの出会いから価値観が歪んでしまったのだ。こうして平和を観測する行為に居場所を求めてしまうのが何よりの証拠。かつてふたりで訪れたときも、魔法使いはただ億劫な現実から俺を連れ出してくれた。連続する俯瞰の景色――この場所は、そのひとつだった。
「お兄ぃー。休んでないで肉焼いてよ」
こちらに気づいた妹が、トングを振って呼び寄せる。
今度は重々しくため息をつく。
失ってわかったことのひとつ。魔法使いとの邂逅は、俺の世界に変化をもたらした。そう簡単に離してくれそうにない誰かがいるのだと、こうして実感させられる。他人との温度差を受け入れていた自分が目の当たりにすれば、複雑な顔で失笑するに違いない。だけど、今はこれでいいのだと思える。
全部、魔法使いにもらったものだ。君を失ってはじめて気づいた変化だ。それに振り回されるのも、たまには悪くない。
そうして、腰をあげようとした、そのときだった。
耳に、場違いな囁きが届いたのは。
──ちりん、りり、ん。
「……ん」
鈴をつけた子猫でも通りかかったかと錯覚するほど、透き通った音。
幻聴とすら感じられるソレを見逃す気にはならず、立ち上がったまま辺りを見渡した。
深緑に囲まれたキャンプ場には、俺たちと同じように楽しむバーベキュー客が複数。とはいえ、ひしめき合うほどの量ではなく、数メートル先で二集団ほどが陣取っている程度だ。片方はまぁまぁなお年寄りたちが談笑したグループで、チェアーで缶ビールなんかを飲んでいるのがみえた。もう片方は子連れのファミリーが集っているらしく賑やか。まぁ、田舎の、しかも駅からバスで数十分のキャンプ場なんてこんなものだ。自然な光景である。
俺は視線を巡らせた。
背後は森林が鬱蒼と茂っていて、頼りないロープがカタチばかりの境界線を引いていた。掻きわけて進んだところで、風鈴が吊るされているとは思えない。あったらあったで少しホラーかもしれないけれど、みたところそういった展開はなさそうだ。そのうえこの微風。風鈴も木々に阻まれ、満足に鳴けないように思えた。
……俺は訝しんだ。
そも、風鈴は海がメインステージのはず。その時点で、こんな山奥で探すのはお門違い。向こうに一軒だけ木造の建物――おそらく管理事務所――もみえるが、『かき氷』と記されたのぼりだって見当たらない。人の気配もない。ともすれば本気で熱中症になってしまったのだろうか。
額にペットボトルを当て、太陽を睨んだ。
気にすれば気にするほどに、紛れた風鈴の音は不自然だ。
じわじわと照らす日光。
汗が吹きだし、考えるのも億劫になる。
ああでも――懐かしい。この独特の雰囲気は身に覚えがある。
「いったいどこから……」
拭えない違和感を、どうしても無視できない。気にしないようにと心がけたところで無意味、いつのまにか音の源をさがす自分に気づくに違いない。染みついた習慣ともいうべき本能──魔法使いの面影を追いかける生き方は、夏といえども健在だった。
「どったのお兄ぃ。熱中症? それとも腹痛とか?」
「なんだお前ぇ、生肉でも食ったんか? それとも丸焦げ肉か」
妹と情報屋が俺を気にかけたところで、我に返った。
怪訝な顔がふたつ、遠目に俺をみている。
肩をすくめて、気のせいだと自分に言い聞かせた。いろいろ釈然としないままタープの方へ近づくと、半ば強引にバーベキューグリルの前へ引っ張り出される。燃え移らないように離されているため、当然太陽に晒されている。加えて木炭のすさまじい熱気が俺をおそった。
一気に汗が噴き出て、対面をみる。
汗だくのシオンが、苦しそうに肉や野菜をひっくり返していた。ショートカットの髪を結わえ、前髪の隙間から汗を流して。
「はいこれもって」
妹にすかさずトングを渡される。
外れ役を任された俺へ、地獄の先輩が歓迎の声を発した。
「災難ね……」
「お互いにな」
どうやら同じく犠牲に選ばれてしまったらしい。本日は地獄行き、日光炙りの刑とみた。しばらくはここから解放されそうにない。
だが、ちょうどいい。後方――タープの下で楽しんでいる五人を背に、俺とシオンは肉の面倒をみながら雑談をはじめた。さきほど耳にした音について訊ねてみる。
しかし。
「聞こえる、ワケ……ないでしょ……」
「だろうな」
いつもは騒がしいこいつも、さすがにやつれた声で答えた。
グリルに集中していればさすがに気づかないか。いや、もしくは。
「もしくは、あんただけにしか聞こえてないんじゃない?」
「やっぱりそう思う?」
後方のやつらの目を盗み、エリンギを口に放り込む。暑さは紛れない。シオンも真似して咀嚼しながら、グリルに目を落とした。
「またこの前みたく変なことに巻き込まれてるってことじゃないの。そういうの、お得意でしょう」
「お得意て、俺が引き起こしてるわけじゃないんだけど」
「でもあんたが引き金になってるのは事実。ちがうかしら?」
「……ちがわない」
しばしの無言。肉と野菜の焼ける音、背後からの楽しそうな談笑だけが流れた。シオンが頬を伝う汗をぬぐい、俺は前髪をかき上げた。
ついでとばかりに木陰と情報屋が肉をかっさらっていき、俺たちは会話を再開する。
「で? なにが起こってるの。いえ、正しくは何が起こるのか、ね。アヅ……この地獄を吹き飛ばしてくれるような出来事だと嬉しいんだけどッ」
「残念ながら、俺に未来予知の才能はないぞ」
「占いは?」
「今日のラッキーカラーは赤らしい」
「灼熱の赤ね……要するにあやかるだけの一般人ってこと」
「はじめからわかってただろ。俺はただ巻き込まれ体質なだけなんだ」
「でしょうねぇー。あいつから聞いた限り、個人的なモノらしいけどぉ」
目配せした方を一暼すると、豪快に笑う情報屋がいた。幼馴染ゆえか、それとも情報屋という肩書きが理由か。情報共有は欠かせないらしい。
「どこまで聞いてる?」
「あんたがヤバめな女に好かれてるってことくらい!」
なるほどなあ、と納得する。
『好かれてる』の部分は間違ってるのだけど、離してくれないという意味では正解だ。
シオンはだいぶぼかしたが、宝石騒動の出来事を中心に、非現実的な現象……即ち魔法の存在くらいは把握していると判断した。
果たして予想は的中し、シオンが核心を突いてくる。
「風鈴にまつわる出来事となると、どんなのがあるの?」
「知らん。魔法つか──彼女の動向は予想しにくいんだ。今回ばかりは行き当たりばったりで対応するしかないよ」
仮に魔法使いの残した遺産が関わっているとして。俺が事前にできることはほとんど皆無と言っていい。宝石騒動とはワケがちがう。アレは二年前から魔女に告げられていたからこそ、悩み、行動できた。でもそれ以降は真っ暗闇だ。
「俺としては、そっちを頼りにしてるんだけどな」
「私たちを? 良いでしょう! チカラを貸してあげ――たいところだけど、今は無理」
「この状況で、風鈴の音を追いかけるもくそもないわな」
依然として熱気を巻き上げる肉と野菜。香ばしい匂いとともに煙を吐き出し、頭上からは日光が照りつける。
数分とはいえ、ずっと立っていると意識が飛びそうだ。べったりと張り付いたシャツが異常気象を指し示している気がしてならない。
「くっ……このシオンさまを、よくも炎天下に立たせたわね人間ども……!」
「……すげぇなしおりチャン、その口調を維持できるなんて」
「だから本名で呼ばないで!」
体力お化けか。こっちはそれなりにセーブしてるっていうのに、疲れがじわじわと迫り上がってくる。
と、そんなやりとりをしているところに、横から声がかかった。
「お兄ぃ、お肉ちょうだーい」
取ってつけたように渡された紙皿に、ピーマンと玉ねぎが溜められていた。妹の苦手な野菜だ。代わりに、妹は新しい紙皿へ焼けたばかりの肉を掠め取っていく。
「……」
「……」
俺とシオンはそろって去り姿を睨むと、加減の良さそうな肉を割り箸でつかまえ、口へ運んだ。もはや目を盗むことも諦め、熱気をころす勢いで味わう。
みんなのためにおいしいおにくを――そんな大事な役割を放棄して、トング持ちなのをいいことにグリルを独占する。悪い思考に走るという部分において、この瞬間は息がぴったりだった。
しかしそういう悪事を見逃さないポリスがいたということを、俺たちはすぐさま思い知る。
「コラっ!」
「んぐふっ」
頭上から手刀。共犯者のシオンがむせ、後頭部をおさえた。
俺はごくりと飲み込んで、シスターを見やる。日差しの温度を黒い服装に集めながら、腰に手をあてて言う。
「なに仕事をさぼって自由に食してるんですか? 獣になったのですか? そのトングは飾りですか?」
「バカを言うな、ついさっきまで仕事してたんだ。俺たちはちゃんと役目を全うしたはず。そうだろ、シオン」
「そっ、そうよ! 私たちは被害者ッ! 汗と涙と汗と汗の結晶であるミートなのよッ!? それを片手間に消費するなんてひどいったらないわ! やはり人間は悪!」
「待って、待ってあなた待って。シオンさんと話すと体力をもっていかれます。一言にツッコミどころが多いのやめてくださいません?」
同感だった。
「しかも、サボっていたことは否定しないんですね……」
呆れられた。
しかしながらシオンは悪びれる様子もなく、むしろどこか誇らしげに胸を反らして言う。
「もう十分働いたのだし、これくらいの報酬はあってもいいはずじゃないッ! この気候で体力がごっそり奪われていくんだから、肉のひとつやふたつ噛んでないとやってられんのよ!」
「そんなガムみたいな感覚だったんですか」
「し、仕方のない結果よ! 任せきりにしたあなたたちが悪い! やはり人間は」
「悪ですね。はいはい」
「ちょっと!」
……仲が良さそうで何よりだ。
ステンドグラスを巡って知り合ってからというもの、ほとんど接点のなかったであろう二人。それが今は幾らか打ち解けているみたいで安心する。
この場では秩序と規範の象徴であるシスターも、ため息混じりに「仕方ないですね」と認めるほどだ。やはりこいつのコミュ力には想像を超える何かがありそうだ、と感想を抱く。
が、それを口にするタイミングはなく、話題は再度、振り出しにもどった。
「ちょうどいいわ! あなた、この男のカノジョについて教えなさい!」
グリルのまわりに、もうひとりが加わる。仕方なく肉をひっくり返す俺を余所に、魔女談義がはじまる。
紙皿に売れ残った野菜たちを掻き集めていたシスターは、まずは手を止め、きょとんと俺をみつめた。
「三上さん、ついに普通の女性に乗り替えたんですか?」
「ちがう。乗り替えてない。こいつが勘違いしているだけだ」
「なるほど。では魔女のことですね」
魔女、という単語に、シオンの眉がぴくりと震える。
「『魔女』? またずいぶんと大仰ね! 事件のにおいがプンプンするわ!」
「事件の匂いもなにも、主犯だ」
「でしょうね!」
頷いて、俺は口をひらく。
硬いにんじんを飲みこみ、傍らに置いていた炭酸で暑さを誤魔化した。
「世界でたったひとりだけの魔女。ガラスの魔女。俺は魔法使いと呼んでる。その人が、シオンが知りたがってる『ヤバめな女』だよ」
「へぇえええ! なにそれなにそれ、お伽話!?」
「残念だけど現実」
「なおさらすごいじゃない!」
関心を示しながら、シオンはまた生肉を追加した。
「シオン、情報屋から聞いた魔法について、どこまで把握してる?」
「人を消したり化け物にかえたり……ってところかしら! にわかには信じがたいけど」
「それでいい。それが普通だ。きっとシオンの感想は正しくて、狂ってるのは俺たちの方だ。あんなの、実際に目の前で使われでもしないと信じるなんてできやしない」
シスターが微かに笑いながら同意する。
「そうですね。一番身近で使われていたあなたや私たちの感性こそ、おかしくなっているのでしょうね」
「じゃあミノリもみたことがあるの?」
「ええ。生前に」
「せいぜ──は?」
そういえば、情報屋は魔女のことを知らないのだから、シオンの反応もごもっともだった。
驚きのあまり手を止めたシオンに、俺とシスターは顔を見合わせた。さすがに騒がしさが取り柄のシオンも、柄にもなく表情を強張らせている。
もぐもぐと咀嚼しているシスターが肩をすくませたため、俺が説明役を買う。ふぅと一息挟んで。
「いいかシオン。魔法っていうのは、現実にあっていいものじゃない。それを唯一もっていたのが、魔法使い──ガラスの魔女だ」
「え、ええ」
「あらゆる手順をすっ飛ばし、人の命を紙きれ同然に切り裂き、常識を書き換えてしまう。それくらいに魔法は非現実的で危険なんだ。綺麗だけど、それ以上に残酷だ。そんな代物を扱っていた魔女は、大きすぎる対価を払わされた」
ごくりと、シオンか固唾を呑む。
「対価……命で支払ったということ?」
「本人曰く、それが『魔女の寿命』らしい」
「な、なるほど」
夏休みのバーベキューに似つかわしくない話題だ。暑さを和らげてくれるくらいには暗い。だけど、こんな機会でもないと話す機会もないと思い、止めることはしなかった。
シオンは真剣に考え込んでいる。口元に指をあて、魔女の死について思考を巡らせているようだった。次いで口をひらいて放った疑問は、とても理性的だった。
「……亡くなったのは、いつごろ?」
情報屋の名はダテではないらしい。何気に初めて目にする彼女の調子に、俺も引っ張られる。
やはり、シオンに詳細を共有するのは正解だったようだ。『情報屋』を支える凄腕パートナーとはよく言ったものだ。悲劇は悲劇、と現実に折り合いをつけて腰を据えるところは、素直に好感がもてる。
「中学三年目の秋に。っていっても、寿命なんて名ばかりで、正体は『絶対に避けられない死の運命』だったわけだけど」
「寿命……避けられない死……物語もあるところにはあるのね。察するに、あなたの目的は魔女の蘇りってコトかしら」
間を置いて、肯定する。
わずかにシオンが眉をひそめ、心なしかシスターも静かになる。
「……軽蔑したかな」
ほとんどの素性を明かしてしまった俺たちを、彼女はどう思うのだろうか。
非人道的だと糾弾する? あるいは、ある程度信じた上で「できっこない」と否定する? シオンならばどんな反応もあり得そうだった。
果たしてその反応はというと、彼女は結論を探す素振りさえみせず、首を横に振ったのであった。
「いいえ。理不尽な死を覆そうって話なら、倫理観とか道徳とか、そういうのに目を瞑る」
俺はすこしだけ安堵した。
実のところ、復活の機会を台無しにしているのは俺自身という皮肉な状況ではあるのだが。それを話すと複雑になるので黙っておく。
大事なのは彼女に生き返ってほしいと本気で願っていること。大雑把に捉えてしまえば、行き着く先は同じなのだし赦されるだろう。
「気になった点がひとつ」
しばし熟考ののち、シオンが指をたてた。
「どうぞ」と促すと、彼女は箸の手を止めたまま首を傾げた。
そうして口にした疑問は、俺とシスターをきょとんとさせた。
「魔女の死因はなに?」
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