ガラスの魔女は復活できない。Ⅲ

九日晴一

オモイデ

 覆うひさしはときに雨を遮り、ときに日光を遮る。

 黒いカラスの止まり木としても役立つらしい。

 頭上でちょうど、屋根が終わっている。斜めで滑らかな人工の材質。ただし雨風に晒されたソレは、錆びたトタン屋根とそう変わらない。無言でとまる一羽のカラスは、そんな微妙な先端を好むらしい。


『九番線に入る列車は――、八時二十分発――、……行きです』


 車両が入っては抜けていく、駅のホーム。

 見渡せる範囲に、線路とホームが折り重なっていた。俺と魔法使いが立っているこの島も、そのひとつだった。規則正しく並んだ島。大地の上に敷かれた線路、そのさらに上の島。鐘之宮駅の九番線は最も外側で、改札から遠い。背後を振り返れば、緑のツタが張る、高い柵が設けられていることを、俺は知っている。




「だから、 こでお まい」




 ノイズがかった声で、魔法使いは言った。手が届きそうな距離で立つ黒い服。風に揺れる色素の薄い髪。途切れた屋根に阻まれて、日差しが魔女帽子を半分だけ照らしている。

 夜色の瞳はまっすぐにこちらの内心を覗きこんで、みつめていた。


「――、」


 息を呑んだ。見惚れていたとか、そういう次元じゃない。君の薄い微笑みを目にすると、理由もなく腕を掴みたくなる。けれど身体は動かなくて、ただ、痺れた右腕を持ち上げた。

 喧噪けんそうは彼方。ここは他に人がいない。

 なぜかって?

 単純な話だ。ここは端っこも端っこ。ホームに入った列車の先頭車両も、数メートル先で停車する。


 動悸が激しく叫びをあげる。

 呼吸を忘れて、俺は引き込まれるように凝視するくらいしかできない。その気になれば、彼女は他人のすべてを支配できる。

 こんな結末はイヤだと、口にする。ノドが掠れて、声らしい声はかけられない。壊れた蓄音機みたく、いびつな音しか発せられない。

 痛みに耐えながら右腕を伸ばし、ボンドで貼り付けられた脚を半歩だけまえへ運んだ。それだけで、マラソンをしたあとのような疲労と頭痛に襲われる。

 そんな自分をみて、困ったように、すこしだけ嬉しそうに、魔法使いが微笑んだ。

 トン、と黒い靴のかかとがさがる。

 半歩を越えた一歩の距離。ほんのすこし遠ざかった魔法使いに、声にならない悲鳴を漏らす。

 トン、とさらに靴が一歩下がる。



 ――最後の隙間時間は、とても綺麗だ。



 とても綺麗で、残酷だ。

 魔法で創られたのだから当たり前か、と納得する俺がいた。

 透明なふたりだけの世界。皮肉なことに、儚さが彼女らしい。

 澄んだ空気に包まれた、現実から隔離された非現実。

 音がひとつ刻まれるごとに、『三上春間』というこころが削られていく。


 トン、と靴の音が耳に届く。

 すべての雑音が消えて、自身の破裂しそうな鼓動で支配される。

 優しく、存在が薄れていってしまう。


 トン、とかかとが後ろに下がる。

 すでにそこはホームの端。体重を傾ければすぐにでも島の底。

 待って、と縋りたい。それでも君は許してくれない。


 そこで――魔法使いは片足だけ浮かせながら、ノイズを脱いだ声音を響かせる。

 見開いた目が、彼女から離せない。

 今までにみせたこともない、輝くような笑顔。精一杯はにかんだであろうその表情に、イヤだ、と泣きそうになる。目尻の涙をみて、熱いなにかが頬を流れた。

 そんな別れはイヤだ。

 こんな最後はイヤだ。

 だって魔法使いを、俺は――、






「ごめんね」





 染みこむ言葉。

 バサバサバサ――!

 羽ばたきがきこえる。頭上でカラスが飛び立ち、途端に重力から解放されたように身体が軽くなる。


「魔法、つか……! 行くな、魔法使いッ!!!!」


 転ぶように四つん這いになり、ホームから下を覗きこむ。

 伸ばした腕の先には、ただ真っ暗な線路があるだけだった。





 そうして俺は、彼女を失った。死期を悟った黒猫のように、彼女は世界から消えてしまった。




 三年まえの秋――魔法使いが、死んだ。





◇◇◇





 薄暗い天井に手を伸ばして、目覚めた。

 無地。脳裏にちらつく線路の光景。自分はなぜ、ホームであんなことをしていたのだろう。考えるが、よくわからなかった。

 こうしているうちにも、鮮明に覚えているはずの映像は消えていく。砂浜に描かれた絵が波に飲まれ、引いて、を繰り返すように薄れていく。声が、遠のいていく。

 起き上がり、思わず自分の手のひらを見下ろしてしまう。

 夢でみたということは、何かしら現実にヒントがあるのかもしれない。記憶や経験の整理、無意識な思い出を捲る時間こそ睡眠なのだと、俺は認識している。どこかの本で読んだ気がするし、なんなら魔法使いが偉そうにそんなことを語っていたような気もする。


 ……。

 …………。


 今日はなんだか、いつもと違う目覚めだ。

 アラームが報せるまえに覚醒することは珍しい。毎朝だれもいない教室で過ごすため、真っ暗なうちから起きていた昨年でさえも、アラーム音に頼っていたというのに。


「――、そういうことも、あるか」


 今日はみんなでバーベキューに行く、なんてイベントがあるのだった。机のカレンダーを眺め、ぼんやりとそんな事情を思い出した。早起きしてしまったのも、どこかで心待ちにしていたからなのかもしれない。

 魔法使い抜きで楽しむのはどうしても罪悪感が拭えないけれど。それでも、最近はこの平凡な現実ですら、君がのこした魔法であるように感じている。


 開け放った窓。揺れるカーテンの隙間から、まだ大人しい夏の風が吹き込んでいた。

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