64限目 無謀ではないのだ

 我が家に、盆に母さんの実家に帰るという習慣は存在しない。母方の祖父母に対する記憶はほぼ皆無なのだが、話によると父さんが蒸発してから母さんと実家は不仲らしい。なんであんな男を選んだ、とか散々言われたとか、なんとかで。一応母さんには妹がいてその人にも子供がいるが、いとこに対する記憶もほぼない。俺より年上だったのは覚えている。まぁ俺自身が遅めに生まれた子だから当たり前かもしれないが。ちなみに俺と母さんの年齢差は38だ。正直よく産んだなと思う。


 というわけで、盆の時期も相変わらず俺は家にいるのだが、愛の家はと言うと父方の実家に帰省しているとの事で話し相手がいなくて暇になる。勉強が進むからいいのだけど……それはそれとして当然寂しくはある。陽キャにボヤいたら「本当にさっさと告れや」との返事が全員から来た。何度も言うがそれが出来たら苦労はしない。もしもだ、もしも愛に告白した、なんてそれだけの事実が知られてみろ。知ってる人は家に来るし知らない人は家を調べるし、調べた上で喚いて暴れて「愛してくれないなら死んでやる!」してくるに決まってる。そんな人生でもっとも要らないイベントを発生させるほど俺は無謀ではないのだ。


 それにしても、この期間バイトが大変だった。

 10人連れで中学生が来るわ、迷惑客が居座り続けるわ、食い逃げを計画するやつが出て警察沙汰になるわ、誠一さんに迷惑をかけて出禁になった主婦が来るわで世紀末?と思うくらいのやばさだった。ここはもっと静かなカフェだと思っていた俺が悪いのだろうか。

「た、大変な盆でしたね……」

「まさか警察沙汰になるとは……」

「なんでこんなことになったの……?」

 麻衣さんが溜息をつきながらぼやく。……前言撤回、やっぱりここは静かなカフェで間違いないようだ。すると、店長が悩んでいるような顔で来た。

「原因っぽいものがわかったよ」

「なんですか?」

「これ」

 店の宣伝用SNSだが……これがかなり拡散されていた。こんな事は今まで無かったし、ここはただの小さな個人店なのに、だ。

「なんでこんなに拡散されてるんですか?」

「どうやら、前うちに来たお客さんが結構なインフルエンサーだったみたいだな」

 そう言って店長がそのアカウントを見せてきた。俺は知らない人だが、他の人には見覚えがあるらしく、「あ!」と反応していた。

「この人陽向くんが入る前に来てた……!」

「桜のタルト大量に持って帰った人だ! YouTuberだったのか!」

「そう、その人。最近になって有名になり始めたみたいだ。まぁいい意味か悪い意味かはさておきな。秋元さんについては偶然だけど……なんにせよこれで人が増えたんだろう」

 秋元さん、というのは出禁の人だ。店先で尋問された際、人が多いからバレないかもしれないと思った、とか言っていたらしい。

「まぁ少しすれば落ち着くだろ。それまで頑張ろうな!」

 笑顔の店長に俺達も笑顔で応えた。

「さ、そういうわけだ。あと2時間、頑張るぞ!」

 店長は嬉しそうだ。まぁ、迷惑客は困るものではあるが、それでもインフルエンサーの手により拡散されて客が増えるのは嬉しいのだろう。8月の14日、盆休みは基本明日までだ。明日は店は定休日だが、明日は営業するらしい。俺は休みが貰えたのだが、そうじゃない人はきっと大変だろう。

「そうだ店長、そろそろ結城にあれ教えてもいいんじゃ? 今は人の波も引いてますし」

「ん? あぁ、そうだな! じゃぁ頼むぞ、指導係!」

「?」

 アレとは何か、と誠一さんを見ると、誠一さんは手招きをした。コンロの前だ。

「まずは簡単に、ナポリタンな」

「! あれって……厨房作業ですか!?」

「お、嬉しそうだな。教え甲斐がある」

 そりゃ嬉しい。元々俺は厨房希望だったのだから。ずっと洗い物とケーキや飲み物の準備ばかりやりつつホールを教わっていたが、ようやく料理に携われるのだ。

「まず麺を茹でるのはここな。ここにタイマーがついてるから、茹ですぎと茹で足りないってことがないように注意な」

「茹で時間って何分ですか?」

「ものによるが、ナポリタンは後で加熱するのと、この麺の太さで3分って決めてある。まぁそこはおいおい教えていくから、とりあえず今はナポリタンだけ覚えておいてくれ」

 エプロンからメモ帳とペンを取りだしてメモをしていく。茹でてる間に、と誠一さんは野菜を取りだした。

「野菜を切る。最初のうちは俺も一緒に切ってくけど、後々は一人でやってもらうかもしれん。具材は……」

 俺は料理はできる、とは事前に言ってあるのだが、俺は基本的にご飯とおかずと味噌汁みたいな飯を作るので、パスタというのは慣れない。それも言ってあるので、誠一さんは丁寧に教えてくれた。

「この店での具材は1口大だ。あ、でもピーマンは他より小さめにな?」

「1口大、ピーマンだけ小さめ……」

「焦らなくていいぞ」

 そんなことを話しながら、バイトの時間は過ぎていった。




 家に帰ると、姉ちゃんは誰かと電話しているようだった。

「うん、明日の昼には帰るよ。……やだ、そんなの気にしないでいいのに。そっちこそ、何も要らないの? ……そっか、わかった。……あ、ごめん、そろそろ切るね。……だから違うってば! 弟が帰ってきたの! 年に二回しか帰らないんだから家族の時間は大切にしたいでしょ! うん、またね。……おかえり、陽向」

「あ、うん……ただいま。恋人?」

「うん。家事をやらされてるのかって心配されちゃった。そんなことないって言ってるのに、大袈裟なんだ」

「……家庭事情話してあるんだ?」

「まぁ、色々あってねぇ」

 姉ちゃんは少し逡巡したあと、静かに語り始めた。付き合う前まで話は遡るらしい。

 その当時、相手の人は恋人と別れたばかりだったらしい。フったのは男の方。恋人のわがままと金銭感覚の緩さ、そして他の男に色目を使ってとにかくちやほやされたがるという性格に嫌気が差した、とのことだ。学生の恋愛ならまだしも、もう社会人になったのにそれでは……と、苦言を零していたのだった。そして、家族にも実は反対されていた、と彼は言っていたらしい。

「……ってことは、紹介したことがあったのかな?」

「そうみたい。あ、彼は私より3つ上なんだけどね、そろそろ結婚も考える頃かなとか思ってたらしいの。でも、ご両親と弟に反対されたんだって」

「へぇ……理由は?」

「なんていうか、その女の子の本性を見抜いてたみたい。特に弟さんが」

 それで結婚に反対され、彼自身も彼女の本性に気づいて……という形だったのだろう。

「ってまぁ、家族の反対とかはいいんだけど、そこで彼が、『特に1番反対してたのは弟だった。しっかり者の弟で良かった』って言ってて、私も、『実は私もしっかり者の弟がいて……』って話をして、そこから流れるように母子家庭って話になっちゃったんだよね」

「父さんの話驚かれなかった?」

「めっちゃ驚いてた。蒸発なんて早々聞かないって言ってたよ」

 そりゃそうだろう。俺もあの3人に驚かれた。

「そこから家族の話になってね……事情を話したの。話しやすい人だからさ。でもやっぱり1番盛りあがったのはお互いの弟の話だったよ。会ってみたいって言ってた」

 ──…………会ってみたいって言ってるってことは……口に出してないだけで、相手も姉ちゃんとの結婚を考えているのでは?姉ちゃんは「考えてるだけでその人にその気があるかは分からない」とか言ってたけど、考えてなければ弟さんに会いたいとか言わないだろう。余程の天然でなければ。

「そうだ、陽向夏休み中にこっちに来たら?」

「へっ!?」

「彼も会いたいって言ってるし、陽向も都会に一度は行っておきたいでしょ? 一緒に帰ろうよ!」

「ええっ!?」

 ──そうして、突如として俺は、姉ちゃんと一緒にと買いに行くことになってしまったのだった。

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