62限目 時が止まった。俺だけ。

 翌日、バイトに行く前に愛の家のチャイムを押すと、愛が出てきた。

「陽向!」

「はい愛、お土産」

「わっ、ありがとう! このぬいぐるみストラップ、陽向が取ったの?」

「まぁ、頑張ってね」

「すご!」

 照れくさそうに笑ってしまい、愛はそんな俺を見てニヤニヤ笑った。と、ここで時間を潰してる訳には行かないのだった。

「ごめん、バイトそろそろ行かなきゃ」

「あ、そうだよね。行ってらっしゃい!」

 心は弾んだまま、俺はバイトへ向かった。




 そうして、俺はバイトと家事と宿題をこなす日々が続き、10日。土曜日の夜──今日は母さんも仕事で休みを貰い、珍しく台所にたって料理を作っている。俺も手伝い、皿やコップを並べていると、ガチャガチャと玄関の鍵を開ける音が聞こえた。パッと俺と母さんの顔が玄関の方に向く。やがて、ガチャリとドアを開く音がした。

「はぁー、ただいまお母さん、陽向!」

「おかえり、姉ちゃん!」

「おかえりなさい、陽依」

 姉ちゃんの半年ぶりの帰省だ。

「うっわーいい匂い! ありがとうお母さん!」

「腕によりをかけて美味しいもの作ってるからね。さ、陽依、荷物置いて手を洗ってきて」

「はぁい」

 洗面所で手を洗ってきた姉ちゃんは、ニヤッと笑って俺を見た。

「見る度でっかいねぇ陽向、もう180行った?」

「行ってないよ。あと3cm」

「あとちょっとじゃん」

「2人とも、できたから座って」

 母さんはそう言うと、揚げていた唐揚げをテーブルに置いた。いい匂いだ。

「わぁいい匂い!」

「沢山食べてね陽依、貴方また痩せたんじゃない?」

「そんなことないよー」

 にこにこしながら姉ちゃんは早速唐揚げに箸を伸ばした。

 姉ちゃんが帰ってくる初日の夜と、明日帰るという日の夜は母さんがご飯を作ってくれる。これは別に俺に家事をやらせていることを露見させたくないとかそういうことではなく、単純に母さんも姉ちゃんが帰ってくるのが嬉しいのだ。姉ちゃんっ子な俺も勿論嬉しいし、いい事づくめだ。

「陽向は今バイトしてるの?」

「うん、姉ちゃんが前バイトしてたところ」

「えっ、エトワール? そうなの!?」

「店長さんも俺のこと覚えてくれてて……あ、あと麻衣ちゃんがいた」

「麻衣が!? へーそうなんだ! 全然聞いてなかったよ!」

「あら、連絡とってないの? 高校生の時はとても仲良しだったわよね?」

「うーん、卒業して暫くはとってたけど、今は全然だなぁ。でもこの機会に顔出してみようかな」

「……恥ずかしいから火曜にして。俺来週の火曜は休みだから」

「あはは、はいはい」

 来週は日曜日が山の日なので、月曜日が振替休日になる。そのため、月曜の出勤を頼まれて、代わりに火曜が休みになったのだ。

「陽依は仕事どう? 上手くいってる?」

「勿論! この前は企画書が通ってさ、それでGWは帰れなかったんだけどそのチームのリーダー任されて──」

 姉ちゃんの近況の話を中心に、楽しい食事の時間は進んで行った。




 夜になって、シャワーを済ませて部屋に行くと、愛もいつも通りでいた。そして俺の部屋には、姉ちゃんもいる。

「あ、陽向……陽依お姉ちゃん!」

「やほ! 久しぶりだね愛ちゃん! 高校生になってさらに美人だなぁもう!」

「や、やめて下さいよ! 全然変わってませんから! ほ、ほら、陽向もなんか言って!」

「俺!?」

「言えないよねぇ? こんな美人な幼馴染じゃ」

 全くその通りである。愛のことを冴えない子と言われて怒った男だぞ俺は。

 その後姉ちゃんと愛は楽しそうに互いに現状報告などをしたあと、姉ちゃんはリビングに戻った。母さんが、メロンを切ったと知らせてきたのだ。俺も愛に手を振ったあとリビングに戻り、久々の一家団欒を楽しんだのだった。

 メロンを食べて母さんが皿を洗い始めた頃、姉ちゃんが母さんの後ろ姿に声をかけた。それも、少し姿勢を直して。

「あ……あのね、お母さん、陽向。実は話があって……」

「?」

「どうしたの? 真面目な話?」

 洗い物をしながら聞く話では無いと察したのか、母さんは洗い物をする手を止めて姉ちゃんの方を向いた。

「うん。真面目な話……今、付き合ってる人がいて……その人と結婚を考えてる」

 ──時が止まった。俺だけ。……………………結婚?凍り固まる俺の横で、母さんは驚いた顔をしている。

「まぁ! あらあら! そうだったの、そんな話聞いてなかったから驚いちゃった! どんな方なの?」

「まだ、考えてる時点ってだけで……その人にその気があるかは分からないんだけど……取引先の会社の人で、2歳年上の人でさ……何度か話し合いで会ううちに仲良くなって、プライベートでも会うようになってさ……彼から……」

 あはは、と姉ちゃんは恥ずかしそうに頬をかいている。……ハッ、呆けている場合では無い!姉ちゃんが変な男に引っ掛からないように!ここは弟の俺が探りを入れなくては…………いや落ち着け俺!どうやって探る気だ!

「へ、へぇ……どういう外見の人?」

「ちょっとぽっちゃりで……背は低めで、ほんわかした雰囲気の人だよ」

「ふ、ふぅん……」

 なるほど、うちの家系とは正反対なタイプの人か。

「ちょっと奥手の人だから、中々話は進まないかもだけど……」

「いい人そうならいいじゃない。でも気をつけなさいよ、お父さんみたいな人を選ばないようにね」

「うん、分かってるよ」

「お母さん応援してるからね、陽依」

「ありがとう、お母さん!」

 2人は笑っている中、俺だけ素直に祝福出来ずにいた。もう高校生なんだからいい加減姉離れしろ、という話なのだが、これから姉ちゃんはどんどん俺が知らない交流関係を深めていって、いつか俺の姉ちゃんから、誰かの奥さんになって、そしていつかは母になるというのが、どうしても実感が湧かなかった。俺自身、日々、きっといつか誰の旦那になって、父親になるのだろう。同じことなのに、それが姉ちゃんとなると無性に寂しい。

「陽向? どうしたの?」

 でも、姉ちゃんは幸せそうに笑ってる。

「……ううん、なんでもない」




『結婚!? お前の姉ちゃんが!?』

「まだわかんない……そう考えてるだけって話」

 火曜日、俺は課題をしながら4人で通話していた。時刻は5時をすぎていて、姉ちゃんは再会した麻衣ちゃんと夜ご飯を食べてくるとのことだった。運動部の3人は部活が終わった時間だ。

『はーん、それで寂しさ大爆発ってわけね』

「そ、そうは言ってないだろ!?」

『でもそういうことだろ?』

「う……」

 何も言い返せず撃沈すると、3人はケラケラと笑った。くっそぉ、他人事だと思って……いや実際他人事なんだろうけど……。

『そっかー、姉ちゃんいるとそういうことあるんだな』

『男女兄弟だとそういうの面倒くさそう。俺兄貴が結婚とか言われてもフーンで済ませそうだわ』

『馬渕はどう? 妹いるだろ?』

『結城んち程歳離れてないけど……でも妹、中学ん時俺が告白された話したら興味津々で聞いてきたから、全然寂しがらないかも……』

『何お前中学の時告白されたん?』

『結城はされた?』

「ほぼ常に伊藤さんのマークがあった俺を他の女が狙うとでも?」

『なんかすまん……』

 結局愚痴を言うにも当然のごとく共感を得られることはなく、課題もろくに進まないまま夜になった。学校の夏休みの強化講習に行ってた愛も帰ってきたので電話を切って、いつものように他愛もない話をする。愛には、姉ちゃんが結婚を考えている話はしていない。距離が近すぎて、俺から言うのもどうかと思ったのだ。

 ……結婚かぁ。愛と出来ればいいけれど、でも愛もいつか、俺の知らない人と交流を持って、いつかいい人と結婚するんだろうなと、そんなことを思う夜だった。

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