第二章:春夏の流れ、だらだらと、滔々と、ころころと巡る月日 第一章:目覚めて、その後。

      第二章:1 初仕事



【刑事と云う仕事は、事件の在る限り消えず。 その始まりは、或る便りから】



         1



やっと目覚め、悪霊の件から解放された木葉刑事。 然し、‘刑事’と云う職業に在る事には、何らの変わりは無い。


そして、里谷刑事と話しながらの食事も終わる頃か。 自身のスマートホンがメールを着信した時だ。


“ブーン・ブーン・ブーン”


スマホからバイブ音が鳴る時、木葉刑事は幽霊を感じる気配を強く覚えて目を見張る。


(え? あれは、か・・和世さん?)


視界の先、テラス席に出る窓型の扉の手前に置かれた観葉植物。 その鉢から伸びる室内観賞用の桜の木陰に立つのは、古川刑事の奥さんだった和世の霊。


(手を合わせて、俺に頭を下げて居る?)


そんな和世の霊を見た木葉刑事は、胸騒ぎを感じてスマホを取り出す。 そして、メールを読むと…。


「里谷さん、もう出ましょうか」


テーブルの上の品を全て食べた里谷刑事は、眠気も来た処だった為か。


「あ・・そうね。 もうお昼も過ぎて、2時近いし…」


料金を割り勘にして払い、二人して車に乗り込んだ時。 助手席に座ると、またスマホを見た木葉刑事が。


「里谷さん。 実は、詩織ちゃんからメールが来てるンですがね」


こう話す木葉刑事が、人前ではそんなに悩まないのを見知った里谷刑事。


(記憶喪失の後遺症で沈ませない為には、メールも丁度イイわね)


と、内心で想いながらも。


「あら、美人刑事に宅まで送らせておいて。 後から美少女と浮気?」


半笑いに絡むのだが。 見た木葉刑事の顔は、過去に悪霊と対峙していた頃のように厳しい真顔へ変わっていた。


(あら?)


“どうしたのか”


こう思う里谷刑事に対し。 メールの画面を開いたままの木葉刑事は。


「いえ、里谷さん。 それが、あまり良くないメールですね」


引き締まった真面目な声で言うのだ。


「何?」


里谷刑事の眠気が払拭されて、木葉刑事は刑事の顔をすると。


「何の魂胆か、フルさんの不審死を含め御家族の死の内容を知りたい、とね。 今、フリーライターのあの‘遠矢’が、詩織ちゃんの居る学園に訪ねて来てるそうです」


その話を聴いた途端だ。 里谷刑事が勢い良くエンジンボタンを押して。


「詩織ちゃんのトコ、ソッコーで行くわ。 あの遠矢に絡まれて、イイ目に遭った遺族は居無いっ」


勢い良く走り出した里谷刑事の車は、狛江市の聖凛学園へと向かった。


走る車内にて、メールを見る木葉刑事が。


「今の店で、古川さんの奥さんが現れて俺に頭を下げてました。 多分、詩織ちゃんの事を案じて現れたのでしょう」


一方、眠気覚ましにガムを噛む里谷刑事だが。


「それでっ、詩織ちゃんの状況は? まさか、もう脅されてるっ?」


「いえ、そう成り掛けた処でしたが。 友達が異変を察して、教師を呼んだそうです。 これから園長さんが、彼と直接に話し合うと云う事ですが…」


すると、刑事らしく目を鋭くさせた里谷刑事。


「捕まらない程度に、飛ばすわよっ」


「はい」


刑事の二人が、高がライターの一人を相手にこんなに慌てるとは…。


然し、それは無理も無い現実が在る。 フリーライターの〔遠矢 清彦〕《とおや きよひこ》は、フリーの記者の中でも最低最悪の人物と云う。 事件の被害者・加害者遺族に纏わりついて、時には暴力を誘って記事にすると云うのだ。 過去には、連続殺傷事件を起こした被疑者の家族を、云われ無い噂から事実をねじ曲げた記事から自殺に追い込み。 それを“独占取材”と云う体の良い見出しを付けて記事にしたり。 別の事件の際には、被害者遺族の家族を悪質な取材や噂で追い詰め、ノイローゼ状態へ落ちた娘一人を風俗店に売り渡した・・と噂される。 詩織は、あの通りに見た目が良く、然も両親を含めて異様な死に方をしていた。 また、法曹界の権威だった祖父も亡くしたことで、その身を寄せる庇護は越智水医師のみ。 遠矢のような者に絡まれては、その被害は越智水医師の家族にまで及ぶだろう。


急ぐ二人は、狛江市に在る〔聖凛学園〕に向かった。 3時頃には学園へ着く。


さて、今日からゴールデンウイークで学生は休みだが。 部活や勉強の強化補修の授業をやっている学園に、生徒が多数登校していた。 その生徒が活動する最中、第二応接室に於いて。 頭の左右側面に虎刈りを入れて、堅気とは思えない柄物のスーツ姿をし。 紫色の入ったサングラスを掛ける男が、態度も悪くソファーに座っていた。


その人相からして悪い人物と相対するのは、園長の中年女性。 女性の園長は、薄い紫のレディスーツに黒いベアトップ姿をして、黒髪を背に流していた。 外見的に見ても、中年の色香が漂う女性で。 園長と云う肩書きが無ければ、高級ホステスか、魅力的な社長夫人みたいにも見える。 然し、態度の悪い相手を見る園長の顔は、憤りに染まりつつ有り。


「遠矢さん、前々から言っていますが。 生徒にお金を渡す様な、そんな取材は止めて下さい。 妄想からの噂を、さも真実の様に書かれては、此方も困りますっ」


と、完全に抗議をした。


然し、横柄な態度にて園長の話には聞く耳を持たない、とそんな様子の遠矢と云う記者。 180センチを超える立派な体格から、圧しは効きそうな不貞不貞しい面構え。 身体も鍛えているらしく、スーツ下のタンクトップから見える喉元や胸元は、引き締まっていた。


「あのねぇっ!」


明らかに態と大声を出した遠矢はニタニタと顔をさせながらも、目付きだけで園長を睨み付けると。


「私は事実を取材して、それを書くだけですよぉ。 お宅の学園で、去年に次々と死んだ不良の三人。 ヤクの密売をやってたり、恐喝やら傷害もやってましたよねぇっ!」


これは園長も全く知らない所からの話で、彼女も内心の本音は非常に困りながらも。


「いくら私達でも、学生の私生活を監視までは出来ません。 それが事実ならば、警察が然るべき行動をしますっ」


と、毅然として返す。


処が。 この遠矢と云う男の眼は、更に獲物を追い詰める様なものに変わりながら。


「園長さん、それは~チョイト無責任でしょうよ。 最後に殺された‘横川’って学生は、あの三人から酷いイジメを受けていたそうじゃ~ないですか。 然も、学園の内外でっ」


「そっ…」


これには、園長も強く言い返す声が出ない。 惨殺事件の後の内部聞き取りにて、先生がその事を認識していたと知るからだ。


然し、この園長が見せた態度は、遠矢と云う人物には正に‘待ってました’と云うもの。


「まぁ、別に過ぎ去った過去の事は、書かなくてもイイんですよ。 このネタは、既に一部のゴシップ雑誌に載っている訳ですから。 でもね、古川刑事の不審死を含め、あの美少女はイイ記事に成る。 その取材だけ、アンタが許可して貰えれば、・・・ねぇ」


悪魔の囁きの様に、語りの途中から下手に出る様な言い出し方をした遠矢。


だが園長は、この非道な男の言いなりへ成り下がるのは御免と。


「そんな許可はっ、絶対にしませんっ! そんな交換条件を突き付けるなんて、貴方は卑怯です。 もうお帰り下さい。 貴方の事は、此方も弁護士さんを交えて考えます」


キッパリ、こう言い切った園長。


すると遠矢は、徐にスーツの内側に手を入れて、一枚の写真を出した。


見たくも無い園長だから、写真を手に取らずして。


「コレは、一体何ですか?」


一方の遠矢は、勝ち誇った笑みを浮かべ。


「アンタの破廉恥な写真だよ」


と、蛇が獲物を睨む様にほくそ笑む。


遠矢の脅しめいた言葉に驚く園長は、その写真を慌ただしく手にした。


園長が写真を確認するのを見た遠矢は、


「独身のアンタが、他校の学生を夜に自宅へと招き入れている。 こんな写真が出回ったら、この学園の信用も…」


と、彼女を言いくるめに入った。


然し、その喋りを遮る様に、園長は机に写真を叩き返し。


「勘違いもイイ加減に為さいっ! 卑怯な上に、脅しまでっ。 これは脅迫として警察に訴えます!」


園長が毅然として怒鳴った。


相手が屈しないと見た遠矢は、ガバッと立ち上がると。


「このぉアマぁっ! 警察に言えるものならっ、言ってみやがれっ! お前の所の嘗ての副園長が、学生と乱交していたのもバラすぞぉ!!」


まるで押さえ付けるように怒鳴り散らす。 明らかな力押しだった。


一方、それを受けた園長は、写真を見る前の態度から一変して冷静に成りながら。


「それは、どうぞ御勝手に。 あの一件は既に警察の調べも入り、彼の行為は副園長の引退後と結論が出ています。 貴方の様な薄汚い記者に、此方も易々と屈しませんよ」


と、此方も徹底抗戦の構えを態度で見せた。


すると遠矢は、残虐性の強い眼を顔に現して。


「それならこっちも、それなりの手段を取るぞ。 お宅の学園の一般コースには、まだまだ現役で悪さをしてる学生が居る。 その悪さを全部記事にして、学園の印象を地に落としてやるっ」


と、こう云うではないか。


これには、園長も顔色が強張った。 何故ならば、実際の方針として、優秀な生徒にはしっかりとした教育の場と運動場や器具を備え。 質の高い講師や選りよく質の在る環境を用意するには、それなりにお金が必要だ。 そして、そのお金を生むのは寧ろ、この学園に出席だけして。


“この有名学園を卒業した”


と云う、そうゆう事実を欲しがる、裕福な家庭の生徒で在る。 もし、下手に悪い噂が流されれば、その方面の収入が激減し。 家庭環境の貧しいが才能の在る若者などを優遇して受け入れてやれなく成る。


此処にきて、強く反論の出来ない園長と優位性を見出した遠矢の眼が、立った者と座る者と云う斜めにして噛み合った。


そんな緊迫した其処へドアが開くなりに。


「はい、其処まで」


と、乾いた女性の声が。


遠矢と園長が、知らない第三者の声を受けてドアの方を見れば。 里谷刑事が応接室内へと入り、警察のライセンスを突き出して見せながら。


「私は、警視庁捜査一課の里谷と云います。 脅迫と威力業務妨害で、現逮ね。 フリーライターの遠矢さん」


突然な刑事の出現に、園長も、遠矢も、鳩が豆鉄砲を食らったかの様に固まった…。


然し、直ぐに遠矢が顔を苛立たせ始め。


「そんな証拠がっ、何処に!」


強気に言い返すも。 里谷刑事の後ろから部屋へと入って来た木葉刑事が。


「アナタ先程に、古川詩織って学生に脅しを掛けましたよね? その子の友人が、その様子をムービー画像で録画してましたよ。 それから、今の園長さんとの遣り取りは、此方が全て録音させて頂きました」


こう言いながらスマホを揺らす。


其処で園長は、以前に聞き込みで来た木葉刑事を見覚えていた。


「貴方、確か捜査一課の…」


その言葉を聞きながら頷いて近付く木葉刑事だが、遠矢の間近まで来ると。


「ご無沙汰です。 以前は捜査協力をして頂き、ありがとうございます」


こう園長に一礼を現してから、次に遠矢へ向く木葉刑事。


が、この時に木葉刑事の眼は、或る異様な光景を映す。 それは、霊能力を持つ木葉刑事だから視えているのか。 それとも、あの悪霊と関わり、異質な力に目覚めた彼の眼だけに視えているのか、それは定かではないが。 この場に居る“生ける人”ではない、然し人の念を持った者が無数に視えていた。


(この男、一体これまでに何人の人を…)


自分以外の誰にも見えていない光景を前にし、遠矢の隠された罪を視た木葉刑事。 その瞬間、このままの逮捕では、詩織を生涯に渡って守るなど困難と察した。


だから…。


「まぁ、遠矢サン。 古川詩織さんに、これ以上の付きまといは止めてくれませんかね。 そっちが此処でスンナリ折れてくれるならば、こっちも‘微罪’での逮捕は見送りますが・・。 どうします?」


と、甘ったれたことを言うではないか。


この物言いには、入り口にて様子を見守る詩織も、園長も、里谷刑事ですら驚いた。


一方、遠矢自身は、警察に園長との話を聴かれた上にやり取りを録音され。 また、詩織の友人に脅した所を録画までされた手前。 逮捕されたら裁判では、執行猶予まで運ぶのもどうか・・と思う。 だからこの木葉刑事の話は、渡りに船の好条件と思い。


「ふっ、フンっ! 仕方ネェっ」


負け惜しみの威勢だけ見せて、部屋を去り始めた。


「あっ」


遠矢を逃がしてしまうと、小さく声を出した園長だが。


遠矢を見送る木葉刑事は、細めた眼を彼に向けたまま何も言わない。


そして、遠矢と睨み合いながら、入れ替わりに部屋へ入って来る詩織。


「木葉さんっ、どうしてっ! どうしてっ、あの人を捕まえてくれないんですかっ?」


被害者として、先行きを心配する詩織だ。 越智水医師の家族に心配や被害を及ぼさないためにも、この悪辣非道な男の逮捕を見たかったのだろう。 木葉刑事の目の前に来て、当たり前の事を問う。


また、里谷刑事でさえ、このまま遠矢を行かせていいものかと心配になり、行かせた木葉刑事を見返す。


だが、木葉刑事の鋭い視線は、去った遠矢の後を見たままに。


「詩織ちゃん、あの男は・・こんな微罪で許される人物じゃないよ」


こうハッキリ云う。


彼の意見を聞いた里谷刑事は、薄汚い噂が付き纏う遠矢だから。


「まぁ、調べて叩けば、舞う埃で先が見えなくなるぐらいとは思うけど…」


感じたままに呟いた。


然し、遠矢を野放しにした形の木葉刑事は、詩織を軽く見た後に、園長の方を向くと。


「園長さん」


声を掛けられた園長は、怪訝な顔をして。


「はい?」


「あの男の事は、全て此方に任せて下さい。 直接この一件で訴えると、あの卑劣な男の事だ。 後からどんな仕返しをするか解りません。 我々は、全く別の方面から、あの男の裏側を調べてみます」


確かに、蛇の執念深く、犬よりも鋭い嗅覚で人の弱みを探る様な、そんな雰囲気を持つ遠矢だ。 関わり合わずに居れるならば、それが一番いい。 だが、園長はそれでは済まない気がしてか。


「それは・・構いませんが。 それで、古川さんを含めて、学園は大丈夫でしょうか。 古川さんは、まだお父さんの事で他の記者さんに絡まれたり。 ヘンなスカウトも、偶に…」


こう言われると、今度は木葉刑事も詩織をしっかり見返し。


「この外見の良さは変えられないけど…。 詩織ちゃんは、もう将来の向かう先を一点に決めて進んでる。 今は、もう少し時間を掛けて、生活を徐々に落ち着けて行くしかない」


と、こう言い。 そして、また園長を見て。


「ですからもう少し、彼女のサポートをお願いします。 我々は、アイツの“微罪じゃない罪”を調べますから」


何となく意味深な事を言って、廊下に向かって行く木葉刑事。


さて、木葉刑事がこう言って動くのを見て、里谷刑事は何かを敏感に感じる。 木葉刑事の態度は、密かに悪霊を追う時の彼に重なって見えていた。


また、


(‘微罪’じゃない‘罪’って、・・まさかっ)


詩織や園長への脅しを、彼が微罪と言い切った。 その言葉の裏側に見えた意味に何となく気付くと、里谷刑事もまた気持ちを入れ換え。


「園長さん。 あの男については、此方に任せて下さい」


と、言い。


また、不安げに木葉刑事を見送る詩織には、


「見た目には頼りないお兄ちゃんだけど。 頭のキレは、他の誰よりも在るから安心なさい」


こう安心させる為に言いおく。


そして、先に廊下を行く木葉刑事に、後から追い付く里谷刑事が。


「ねぇ、チョット。 もしかして、‘微罪’じゃなくて、‘大罪’が視える訳?」


肩を並べた木葉刑事に小声で問うた。


問われた木葉刑事は、立ち止まって里谷刑事を見返した。 ちょっと驚く様な顔で、見透かされたと顔に出ている。


それが、返って複雑な気持ちに成る里谷刑事。 然し今は、目の前の悪党に向かうべきと。


「貴方が幽霊を視える事を私は知ってるって、さっき言った筈よ。 それより、あの男をどうするの? 放って置いたら、絶対にもっと汚い遣り方で悪さするわよ」


確かにそうだった・・と思った木葉刑事は、ちょっと落ち込む様に溜め息を吐いた後。


「ま、隠さない相手が居る方が、楽は楽か…」


こう小声で呟いた後。


里谷刑事と肩を並べ、人気の少ない廊下を歩きながら。


「此処だから本当を言いますと、あの男を見た時に内心で腰が抜け掛けましたよ。 忘れ掛けていた或る記憶の一部が、爆発する様に目覚めました」


「えっ? それって・・まさかあの事件の?」


まさか、あの悪霊が引き起こした事件の記憶か、と驚く里谷刑事。


然も、高みの窓より校庭を眺め見る木葉刑事は、校庭のど真ん中を偉そうにして歩き。 生徒を威圧しながら出てゆく遠矢の姿を目敏く見つけておきながら。


「あの遠矢って男は、甘く見ても‘傷害致死’事件を起こしてますね。 然も、何とまぁ広縞の事件に関わって、被害者遺族を直接的に暴力で死なせて居ます」


「はぁ、広縞・・って、あの広縞? 直接的にって・・ま、マジ?」


「えぇ。 また驚くことにですね。 その亡くなった被害者の女性とは、実は俺の知っていた人物ですよ」


この話で、里谷刑事の眉間が刑事らしいシワを作り、木葉刑事の睨む遠矢の背を見る。


代わって。 部活をする生徒に脅しめいた睨み付けをしながらも、木葉刑事達より逃げる様にして学園を出たフリーライターの遠矢は、校門前で学園に振り向くと。 怒りと悪意をギラギラと眼に出し、高い位置に在る応接室辺りへ睨み付ける。


(チキショウっ、あのクソガキめっ! 親父の伝からだろうが、一課の刑事を呼びやがってぇ…。 然し、もう親父や法曹界の有名人なジジィも死んだんだ。 あんなイイ面を放って置くのも勿体無ぇ。 どうにか脅して誘き寄せてから、服をヒン剥いてはだかを食ってやるっ。 その後は、ヤクの味でも覚えさてから、AVの女優としてでも売り出してやるぞ!!)


この異様と云うべきか、異常な悪意と云うか、偏執的怒りは、逆恨みか。 恐ろしいこと考える遠矢は、まだ詩織を狙うらしいが・・。 この意欲は何処から来るのだろう。 おそらくこの実態の理由は、木葉刑事も知らないだろう。


実は…。 遠矢と詩織の父親の古川刑事とは、ちょっとした過去が有った。


若い頃から違法もクソ食らえの取材方法を取る遠矢を、一度は古川刑事が捕まえた事が在る。 その時は高い金を弁護士に払い、執行猶予で済んだが。 自分の遣った事など棚に上げて無視する遠矢だが。 自分の人生に土を付けたと言える男の娘を、その庇護も消え去ったからとボロ雑巾の様にしてやろうと思っていた。


さて。 魂胆を潰され苛立ちながら駅の方に歩き始めた遠矢は、どうやって詩織と園長を潰してボロボロにするか、本気で考え始めた。 この男の頭の中での女性など、金儲けの道具としか思わない。 若い頃から人の弱みに漬け込む性格だし。 彼のする交際など、正に隅から隅まで真っ黒けで在る。


最近では、一年ちょっと前から京都や大阪の方で、その黒い交際の伝を使い地元議員の献金疑惑を嗅ぎ付け。 記事に書かない代わりにと、議員の年が離れた妻を襲って力ずくで乱暴し。 その時の映像をネタにして金蔓にしていた。 それが、突然に古川刑事の死亡を聴いて、こっちにまた戻って来たので在る。


この遠矢から逃げる為に夜逃げした家族の数など、手と足の指を足したぐらいでは到底に足りない。 更に或る時には、脅した子供が泣き出したので黙らせ様と、怒り任せに思いっ切り蹴っ飛ばして頭を強打させ、一生残る障害を負わせた事も在る。 だがこの性格の遠矢だ、そんな事など既に忘れているだろう。


そして、余罪はまだまだ他にも掃いて捨てるほどに在る。 振り込め詐欺グループと接触し、彼らからカモにしていた老人のリストを貰い。 既に財産など無い老人を取材しては、さも耄碌した老人が悪い様に書き立て。 その被害を訴えると言って来た弁護士の弱みを握り、家族ごと自殺に追い込んだ事すら自慢話にした男だ。 ‘黒い’にしても、その心や行動に透明度は全く無い。 ドブよりも、掃き溜めよりも汚い奴がこの遠矢で在る。


だが、この男の世渡り上手な処は、得た金の使い方だ。 暴力団に然り、権力者に然り、潰さないで傘を借りる相手には、金と女を渡す。 付き合いの裏側で、非常にバランス良く、上手く動いて居るのも確かだ。 その為に、彼に弱みを握られた側や利用する側は、常に彼の味方をする。 彼の握る情報が明るみ出ること、情報源を失わない為のことで。 持ちつ持たれつとなる中には、政治家や財界人も居る。 その庇護が、警察が彼を追い詰めても、どうしても捕らえられない原因に成っていた。


然し、折しもこの日は、彼のそんな生き方を破壊してしまう日となる。 その原因は、木葉刑事と関わった事だ。 詩織にさえ関わらなければ、彼もまだ悪人として威勢を張れていただろうが…。


さて、悪辣な事を考えながら道路沿いの歩道を行き。 時々に立ち止まると、誰かに連絡を取ろうかと考えたりする遠矢。 だが、刑事に関わってしまった手前、熱りを冷ますまでは大人しくしようと思い立ち。 最寄りの駅に向かう為、突き当たりのT字路を右に曲がると、突然。


「遠矢さん、ちょっとイイですか」


曲がり角の先へと先回りして、待ち伏せしていた様に現れた木葉刑事は、学園の広い敷地を囲う白い壁に凭れて立っていた。


(チッ、さっきの刑事か。 しつこく釘を刺しに来やがったな)


こう察する遠矢は、思いっ切り身構える。


だが、対してヘラヘラした感じすらする木葉刑事は、近場のコンビニ脇の公園を見て。


「ちょっと、貴方が昔に行った大罪について話しませんか?」


と、歩き始めた。


‘大罪’と聞いて、ギュッと目を凝らす遠矢。


(俺の大罪だとぉ?)


唐突に大罪と言われても、数え切れないからどれかと思う遠矢。


そして、大型連休の初日と云うことでか、多くの子供達が遊ぶ公園にて。 公民館の所有となる公共プール施設のピンク色をした壁に凭れた木葉刑事。 また、その目の前に仁王立ちする遠矢。


先に遠矢が録音の出来るペンを出し。


「刑事サンよ、お宅の話が言い掛かりだと困るんでネ。 全て、録音させて貰うぞ」


こう木葉刑事を牽制した。 言葉尻の何一つも逃さず、後で難癖を付ける為に録音する。 ライターである遠矢ならではの常套手段で、彼より甘い汁を貰う悪徳弁護士がバックに居ることすら臭わせる。


だが、言われた木葉刑事は、何故か珍しくニヤリとして。 録音されていることも構わずに話し始めた。


「今から、そぉ~ですね、ざっと・・・2年近く前。 まだ世間では、広縞の行っていた連続事件が起こっていた最中です」


「あぁ、そ、それが?」


「と或る日。 東京都足立区では、二件の殺人と、二人の被害者が出ました」


「・・・」


殺人事件の話が始まると急に、急にだ。 遠矢が顔色を変えて、ガッと黙った。 木葉刑事の話に、それまでは喧嘩でもしそうな怒りを孕む顔が、驚きの一色へと豹変した。


その表情の変化を、木葉刑事は決して見逃さない。


「あら、もしかして事件について覚えが有る?」


尋ねる事で、遠矢の心の隙に踏み込む木葉刑事。


「な゛っ、何をっ。 心当たりなんか、在る訳が・ない」


しどろもどろと成る遠矢だが。 対する木葉刑事は話を止める事もせず。


「さ~き~さ~か~は~る~か~さん。 〔向坂 遥果〕《さきさか はるか》さんのことは、遠矢さんもご存知ですよねぇ~」


と、ゆっくりした物言いで名前を言う。


その瞬間だ。


「う゛っ!」


ビクッとした遠矢は息を飲み込んで、木葉刑事に目を向けて凝らした。


その、完全に心の虚を突かれた様な、遠矢の狂気が剥がれた驚きの顔。 それを見る木葉刑事は、柔和な邪気一つない笑みにてニッコリとして。


「あらら、や~っぱり。 あの事件の犯人は、貴方か…」


木葉刑事の話に、遠矢がまた豹変。 噴き出す怒りを形相へ浮かべると、木葉刑事へと強くにじり寄って。


「な・何の言い掛かりだぁ? 刑事だからって、勝手な疑いを掛けるなら裁判に出るぞっ」


周りに子供が居る手前、小声にしながらも無理やりに脅し返す遠矢だが。 その内心では…。


(そんなバカな゛ぁっ!!!!! アレがっ、あの夜の事がっ、他人にバレてる訳がネェっ!)


明らかに動揺して、心底から浮き足立つ。


一方、遠矢に睨まれて脅された木葉刑事だが、その様子には全く怯える事も無く。


「遠矢さん。 アンタ、ザ~ンネンだったね」


「何がだっ?!」


「貴方が遥果さんを殺した、あの晩にね。 貴方と向坂さんが会った場所の足立区では、あの広縞が、同じ区内では二件目となる殺人を犯していてさ。 環七と国道461線の交わる交差点から、警察署に近いあのお寺の境内。 新設された新型の防犯カメラに、なぁ~んとバッチリと映ってるンだよねぇ………」


この話を聴いた遠矢は、目をギョロッと見開いた。


(は・・ハッタリじゃねぇ…。 コイツ・・どうっ、どうしてぇ…)


そして、どれくらいか。 10秒以上は間を開けてから。


「な・なな・・何が、言いたい・んだ?」


毒気の抜けた声を震わせて、問い返す遠矢。


すると木葉刑事の目が、ゆっくりと細くなり。


「遠矢さん、貴方ならもう解ってるクセに・・。 刑事の俺は、あの時に女性を殺害した広縞を捜す為、防犯カメラの映像をチェックしていたんだけどさ…」


木葉刑事の語る話が進むにつれて、遠矢の頬が引き攣る様にヒクヒクと動く。 木葉刑事の眼に映る遠矢の顔は、明らかに動揺している顔だった。


そして、遂に喋れなくなった遠矢に、木葉刑事はナイフの切っ先をゆっくりと刺し込む様な感じにて。


「ひ・と・ご・ろ・し」


と、態と間を空けた言い方で言葉を紡ぐ。


「嘘・・だ。 そっ、そんな訳が・・な゛・無い」


慌てながらも、緊張と恐怖により言葉が上手く言えなくなった遠矢。


だが、言葉のナイフを突き刺した木葉刑事は、その踏み込んだ気持ちを抜く気も無い。


「彼女の遺体は、確か・・奥多摩で見つかった。 だが、可笑しいですよねぇ。 彼女の住まいは、足立区の中央本町。 普通、彼女が自分から用もなさそうな奥多摩に行く訳が無いし。 また、用も無いのに、あの遅い時間帯で、あんな人気の無くなった寺の敷地には来ない。 然も、聴き込みをして回った俺の記憶が確かならば、貴方を見た証言まで手帳に書き留めて在る。 それに、ね。 その時の聴き込みでは、確かに貴方の名前が挙がってましたよ~。 刑事の間では、貴方は有名人ですから・・ねぇ」


またズブっと、言葉のナイフを遠矢に刺し込む。


「う゛っ!」


“嘘を言うな゛っ!”


こう吼えそうになる遠矢。


だが、少し離れた周りには、子供がいっぱい遊んで居る。 此処で大声を上げれば、明らかに自分は不審者だ。  そして、その内心では。


(ぐぅぅっ、な゛んてこったぁっ!! コイツっ、あの広縞の事件を担当していた刑事かっ! あの日の夜の映像だとぉ? 事件で押収されてるなら、まだ処分もされて無ぇっ!!!!!! ヤベェ・・この刑事はヤベェぞっ!)


内心で焦る遠矢には、明らかに心当たりが在る様だ。


そんな遠矢の焦りを見抜くのか。 木葉刑事は、また柔らかくニタリとして。


「明日からゆっくりと、向坂さんの未解決事件を捜査させて貰いますよ。 防犯カメラの映像もそうだけど。 オービスの映像も、ね。 近年は新しくサーバーが強化されて、何年もの記録が残るんだよね。 レンタカーか、他人に借りた車か、犯行の足跡が残っていそうな処からじ~っくり調べさせて貰うよ」


と、此処まで言うと。 今度は、木葉刑事から遠矢に態度で踏み込み。 鋭い睨みを相手の眼に入れると。


「向坂 遥果さんの無念、アンタにはしっかり償って貰うからな…」


こう言っても、尚も刑事として犯人を特定して追い詰める時の、まるで獲物を見詰めた狩人のような鋭い視線を保ち。


「遠矢。 アンタが問われる罪は、それだけじゃないぞ。 苛立ちから蹴っ飛ばして、重い障害を負わせた子供とか。 借金を返させる為に追い込んで、自殺させた人も大勢居るンだろう?」


こう木葉刑事は続ける。 遠矢の背負う全ての罪を見透かして居るかの様に、低い小声で言い放つのだ。


愕然と立ち竦む遠矢。 その事実は、他人には絶対にバレてないと自負する事が出来ていたからだろう。 今日はまだ肌寒いのに、自分の遣った罪を見透かされた気に成った遠矢は、冷や汗をタラタラと流し始める。


「な゛、何で・・お前が・そっ・それを・・知ってるン・だぁ?」


遠矢が信じられないとばかりに呟くと。


睨む木葉刑事は、顎で遠矢の肩をしゃくり。


「解らないのか? アンタのその背中にはな、これまでオタクが人生を奪って来た人々の怨念が、血で付けた手跡の様に。 ベタベタと、ベッタリとくっ付いてる。 “早く死ね”、“お前だけは許さない”って、今にも首を絞めそうだ」


(そんなっ、バカな゛っ?!!!)


驚愕の顔をして振り返る遠矢は、賑やかな子供達の遊ぶ光景を見るのみ。


然し、その左肩の後ろからは…。


「首を洗って、覚悟しとけよ。 アンタの首には、縄が掛かる。 視えるぞ、冷た~い荒縄が掛かって、奈落へと突き落とされる姿がな」


木葉刑事の氷のように凍えた声がする。 まるで、首に手を掛ける様な、非情に覚めた声だ。


「はぁっ!!!!!!」


息を吸い込む様な声を出してまた振り返る遠矢。 その視界には、駅へと去って行く木葉刑事の背中が見える。


(じ・じょ・・・冗談じゃ・・ネェ。 だっ、だだっ、誰が捕まるかぁーーーーーっ!!!!!!!!!!!)


苛立ちより、逃避より、恐怖から怯えてこう思う遠矢。 その気持ちが全て行動に繋がるのか、ゆっくりと木葉刑事を追い始めた。


さて、散々に遠矢を脅しておきながら、何故か放り出した木葉刑事は。 スマホにて午後の4時を回った今の時間を確かめると。


(なぁ、遠矢さんよ。 警察も実は、意外とハイテク化してるんだゼ。 遠矢さん、憎っきアンタを潰せるならば、警察は人を幾らでも遣う)


こう思いながら電話は掛けず、画面を指で打つ。 それは、新しい連絡機能として、警察が掲示板に書き込める様な仕様と似たアプリケーションを導入したのだ。 木葉刑事のスマホに入るのは、篠田班の中でのグループコミュニティーだが。 その内容は、警視庁と警察庁が管理している。 音声を文書に変換も可能なものだ。


この時、木葉刑事の打つ情報は、もう里谷刑事に伝わっていた。 遠矢が罠に掛かったと里谷刑事は見ると直ぐ様に、本庁で残る篠田班長へ文字にて連絡を付ける。 一報を貰った篠田班長は、自身も妻帯者で子供が居る身だ。 あの悪い噂しか無い遠矢に、古川刑事の娘で在る詩織が狙われて居ると知った瞬間。


「な゛んだとぉぉぉっ! それでどぉしたぁっ」


と、部屋中に響く声を出した。


その班長の声が音声認識ソフトを介して里谷刑事のスマホに文字として返れば、木葉刑事の作戦をメールにて送る里谷刑事。 その文面にて作戦を知った篠田班長は、その危険で大胆な計画に驚いたが。 木葉刑事のする時間稼ぎの合間に出来る事は、さして多くないと察し。


ー 里谷、話は解った。 諸々の手配は、この俺に任せとけっ -


こう音声変換機能にて返事をした。


木葉刑事を密かに追いかける遠矢を監視する里谷刑事は、その返しを見て準備は整い始めたと知る。


(木葉さんの計画、案外スゴいかもね。 よぉ~し、待ってろよ・・遠矢っ!)


警察が手を拱(こまね)いて来た悪人逮捕に向けて、眠気も覚めた里谷刑事はサングラスを掛けて遠矢の後を続けて着けた。


一方、一人で行動する木葉刑事は、駅まで歩いては小田急小田原線に乗って都内へ行く。 乗り継ぎを一回経て渋谷駅に来た木葉刑事は、‘しぶちか’を回ったり、百貨店で買い物をしたりした。


そして、夜の7時を回った頃か。 一人、目黒区に在る警視庁の新・宿舎へ戻るべく。 田園都市線で、最寄りの池尻大橋駅で降りた。 そこから新・宿舎へ向かって歩いて行く木葉刑事は、駅前より細い路地を選んで向かう。 自転車や他の歩行者も多数見えるが…。 大きい工務店とか、家電の本社やらが在る建物群の中を抜けて行き。 大学の舎屋脇を抜けて、木葉刑事の足は北沢川緑道へと。


この北沢川を挟んで左右に沿う様に伸びる歩道は、桜の木を中心とした植物が植わり。 その反対側は、住居や店舗が壁の様に並ぶ。 木葉刑事が歩く歩道は、右に建物が沿い。 左は、川沿い。 その街灯の灯りやコンビニの灯りも見える、川沿いの遊歩道へ差し掛かると。 他人の往来が途絶える切れ間を見て、宵闇の中で木葉刑事に走り寄る黒い影が一つ。 そして、木葉刑事が桜の木の影に入る辺りで、その走り寄った影が街灯の明かりを反射するモノ。 サバイバルナイフを抜いて、木葉刑事の背中へと突き出す。


処が、その刺され様か、と云う処でパッと振り返った木葉刑事は、ナイフを仰け反ってかわした後。 態勢をよろめかせながらも思いっ切り後ろへと飛び退いた。


「遠矢さんっ、遂に凶行ッスか?!!」


里谷刑事からの情報で、遠矢が来ると判っていた木葉刑事がこう云うと。 桜の木の影より、木葉刑事へとにじり寄る黒い人影。


「チッ。 気付いて…」


いつの間にか黒いパーカーを羽織った遠矢は、フードに隠した顔を忌々しげに歪ませた。 木葉刑事に尾行が気付かれていたと焦ったからだ。


然し、まだ周りに人の気配は無く。 木葉刑事は一人と見て、一気にカタを着けようと迫る遠矢だが。


「遠矢 清彦っ! 殺人未遂の現行犯ねっ」


突然、真後ろから女性の声がする。


「何ィっ?」


里谷刑事の声と察し、警察が来て居ると知り慌てて振り返る遠矢だが。 木葉刑事の引いた先に在る橋から、遊歩道の右の建物の間の路地から、拳銃を携帯した刑事が次々と現れる。


黒いスーツの捜査員に包囲された遠矢は、木葉刑事を睨み付け。


「キッサマァァっ、俺をハメたのかぁっ!!」


と、漸くハメられたと理解して怒鳴り散らした。


だが、川向こうの歩道へと架かる橋の欄干に手を掛ける木葉刑事は、


「貴方みたいな‘チョー’の付くヤバい方を相手に、一人で暴走なんてしませんよ。 俺への殺人未遂に、過去の向坂さんへの殺人をオマケに付けて。 其処へ、過去の未発覚事件も乗っけます。 いい加減、そろそろ罪の清算はしないとね」


「このぉぉぉぉっ!!」


殺人未遂の現行犯として逮捕されることが明確となり、ヤケクソに成る遠矢だが。 そんな彼の背後に迫った里谷刑事が素早く動く。 遠矢の左膝裏側に蹴りを入れ、バランスを崩し掛けた彼の右太股の上部外側へ、特殊警棒に因る鋭い一撃を叩き込む。


「う゛わぁっ」


前のめりと膝を崩す遠矢へ、右脇から来る刑事が警棒でナイフを叩き落とすと。


「武器が離れたっ、全員っ、確保おっ!」


大声が上がり、刑事達が一斉に遠矢へと襲い掛かった。 里谷刑事に右足の関節を踏まれてしまった遠矢は、十人以上の刑事に取り押さえられてしまう。 歩行者の規制までして万全の包囲網は、こうして遠矢逮捕を現実のものにした。


また、遠矢の現行犯逮捕を聴いた警視庁の刑事部長を筆頭に、捜査一課長や篠田班長は大喜びをしたと云う。


その後、午後8時過ぎ。


夜分の警視庁別室にて、木葉刑事が広縞の事件の資料から直ぐ様に防犯カメラの映像を持ち出した。


「多分、コレですね~」


何故、それかと解るのかはさておき。 何処にどう犯行が映るのかの説明付きにて、鑑識の映像解析を行う者が居る所へ押収したDVDを提出する。


其処で、彼と一緒に居るのは、里谷刑事の他に別班の刑事達。 篠田班長が木田一課長に掛け合い、木葉刑事が遠矢に狙われて居ると言った。 遠矢の事は、警察官の誰もが敵視する‘親の仇’を超える相手だ。 遠矢の罪を追求する時、必ず議員だの、政府関係者だの、暴力団だのと関係が在る弁護士が現れて。 遠矢の罪を有耶無耶にし、警察の冤罪だとダミーの犯人を用意する。 弱みを握られて居るのか、情報屋なのか、何等かの利益の受諾が在るのか。 何故か、有罪を覆されるのだ。


だが、 木葉刑事の探し出した防犯カメラの映像には、遥果さんを殺す何者かの映像がバッチリ映る。 この証拠映像と目撃詳言に、遥果さんに遠矢らしき人物が接触していたらしいと言う近隣住民からの詳言もある。 その追求から彼女の殺害を仄めかす遠矢の供述で、彼への‘家宅捜索礼状’の取得も確実となった。 映像を解析して、彼を見掛けたなる詳言の時間帯との合致も認められた。 殺人として追求する証拠を得た刑事達は、遠矢に対して取り調べを開始する。 向坂さんの未解決事件を扱う、奥多摩に出来た捜査本部の刑事たちと。 今回の木葉刑事を狙った殺人未遂事件を含め、捜査一課の二班が投入され、素早い証拠固めと余罪追及の捜査が始まった。


さて、過去に遠矢の起こした殺人事件とは、一体どんな事件なのか。


全ての始まりは、‘向坂 遥果’(さきさか はるか)と云う女性が、連続強姦殺人犯の広縞に妹を殺された事に端を発する。 ‘向坂 遥果’は、広縞に犯され殺された妹の3つ年上となる姉だった。


そして、その頃に。 ‘或る事’のカモを探していた遠矢は、事件の取材にかこつけて被害者遺族を取材する。 そして、一体何処から探し出して来たのか、彼女と彼氏のセックス映像を持って来た。 驚く姉の遥果さんに、遠矢は映像を拡散しない代償として、性行為を要求。 その映像も隠し撮りして、課金アダルトサイトに流出させた。 遠矢の探していたカモとは、金蔓となる若い新たなる女性の存在だった。


だが、約束が破られた上に自分の裸がネットへ流出したと知る彼女は、遠矢に怒るのは当然だろう。 覚悟を決めた遥果さんは、警察に行くと言い始めた。


そんな彼女を言いなりにさせ、自分の庇護者との性交渉相手をさせようと目論んでいた遠矢。 何とか黙らせる為、彼女に更なる脅しを掛ける。 だが、ヤバい男達をけしかけると脅しても、大学に言い触らすとしても、遥果さんは絶対に訴えると言い張った。


流石に困った遠矢は、密かにグルと成って居た彼女の元彼を遣う。 元彼に、遥果さんを足立区の或る寺に呼び出すよう依頼した。


彼女へ電話をした元彼の男性は、金に釣られてセックスの映像を渡してしまった・・と誤る一方、遠矢の秘密をこっそり教えると云う。


遙果さんとしては、呼び出されることについて嫌々だったが。 遠矢を警察に突き出すことを願った遙果さんだったから、指定された夜に元彼の待つお寺に向かったのに…。 其処に現れたのは、何と遠矢だ。 脅える彼女は声を荒げ、二人の話し合いはすぐさま決裂する。 頭に来た遠矢は遥果さんを監禁しようと、そのまま連れ去ることに決めた。


然し、必死で抗う遥果さんの態度に、遠矢も激怒。 暴力を振るい彼女を殴り倒すとそのまま馬乗りと成り、彼女の頭を木の根に何度も打ち付けて殺害したのだ。


処が。 その夜にはなんとあの連続殺人犯の広縞が、これまた近くで別の被害者を襲っていた。 更に、女装して逃げる広縞の逃走路がこれまた偶然か、遠矢が犯行を行ったお寺のすぐ近くだった。 その為、不審な人物を集めた防犯カメラの映像の中に、遠矢の犯行を仄かに映す証拠映像が警察に押収されていたのだ。 実は、この犯行映像は、変装して逃げる広縞を探す為に押収されたモノで。 広縞が亡くなった今は、その事件の重要な証拠となるもの以外は近々、破棄される予定だった。


詰まり、木葉刑事が遠矢へ脅しを掛けた時に、この映像が証拠となるとは誰も知らなかった。 また、誰かが暗い寺の境内で暴れているとは薄ら解るとしても、それが人殺しの証拠となるとは認識も無かった。 証拠を取り出す鑑識員の班長の1人の片岡なる者は、その奇跡的な繋がりに感心したと言う。


それでも、よくもまぁ警視庁の刑事達が何十人も動いたモノと言えるか。 やはり、その理由は、相手があの遠矢だからだろう。 そして、何より遠矢が古川詩織に脅しを掛けた事実が、刑事達のヤル気に火を付けた。 流れは復讐でも、あのバラバラ事件で犯人を捕まえようとしていた古川刑事の行為には、刑事の中でも意見を二分にするほど理解が得られていた。 その古川刑事の娘を狙ったとなり、相手があの遠矢。 刑事達も、絶対に捕まえると士気は最高に高まっていた。 流石の遠矢も、大勢の刑事の目の前で木葉刑事への殺人未遂から捕まって居るだけに。 その発端ともなる遥果さん殺害の経緯は、渋々と話し始めていた…。



           ★


その日の深夜。 篠田班の部屋には、残業として残る篠田班長と。 事件の経緯を捜査本部の刑事へ説明したりした木葉刑事と里谷刑事が居る。 部屋の窓側に或る円形の青いテーブルに就いて、三人が顔を向かい合わせ一息吐いた。


三人分のお茶を煎れた篠田班長は、一緒に好物の“御手洗団子”のパックを持ち出してくると。


「木葉ぁ~、お前ってヤツは、本当に飽きさせないヤツだな。 あの遠矢を現行犯で逮捕させるとは、早速のお手柄だぞ」


と、口を湿らせる為、お茶を軽く啜る篠田班長。


一方、駅にてカツ丼と鰻重弁当を買って居た木葉刑事は、空腹に我慢が出来ず中身の乱れたカツ丼を食べ始めながら。


「いえいえ。 それよりも・・その手柄は・・向こうの班に渡しましょう。 詩織ちゃんが無事なら、それで・・って、冷えてもこのカツ丼、凄く旨いな」


と、弁当にガッ付く。


篠田班長の開いた御手洗団子のパックから、真っ先に一本を取る里谷刑事は、


「でも、あの遠矢をサービス残業で捕まえたのよ。 なぁ~んか、ご褒美は欲しいわ~」


と、図太い事を言いつつ団子を食べる。


里谷刑事の功績を察したのか、お茶で口の中の処理をすると木葉刑事は里谷刑事へ。


「それなら、他班の水島サンに掛け合って、合コンでも頼みましょうか?」


と、こう言えば。


断りなしに団子を取った里谷刑事に不満げな横目を向けつつ、一本目の団子を取る篠田班長。


「‘水島’って、山田班の色男か?」


「はい。 一流大学の卒業者で、同期には銀行員から公務員系のエリートがワラワラ…」


ワラワラに合わせて手を動かす木葉刑事。


その時、篠田班長が二本目に入る前に、新たな串をサッサと取る里谷刑事で在り。


「エリートかぁ~。 どっちかって言うと、浮気をしない男がイイなぁ」


と、団子をカプカプ。


断りも無く次々と食べる里谷刑事を細めた眼で眺めながら、団子の入れ物を引き寄せる篠田班長は。


「なら・・顔より性格で、選ぶしか無いな~」


要望が出てニヤニヤする木葉刑事。


「高橋班の吉岡サンに、合コンの手配を頼むのは? ガテン系の知り合い、い~っぱい居るみたいッスよ」


「ガテン系か~」


思案する里谷刑事は、言いながら最後の御手洗団子に手を伸ばす。


‘断固拒否’


そう云わんばかりに、自身では二本目の串を取りつつ睨む篠田班長だが。


“寄越せ~寄越せ~”


力強い手付きで寄越す様に手招く里谷刑事。


仕方無く、残り一本を明け渡す篠田班長。


「里谷、完全に食い気が先行しとるぞ」


一応、イヤミを言ってみるも。


最後の一本を素早く奪い取る里谷刑事は、


「いえ、班長。 この世には、魅力的な男が警察関係に来てないですっ。 勉強と柔剣道って縛り、この際だから止めましょう!」


と、力説して返すではないか。 その後、奪い取ったような団子をカプカプする里谷刑事。


そんな事を無視しても、何を基準に採用すればイイのかと呆れる篠田班長だ。


里谷刑事の我儘に、苦笑いする木葉刑事は鰻重弁当に向かいながら。


「然し、退院初日からあの遠矢に関わるとは、驚きを超えてビビリましたよ」


お茶のお代わりを注ぐ篠田班長は、立ち上がって貰い物のウェハースの菓子をデスクより持ち出しながら。


「いやいや、あの遠矢って聴いた時には、こっちも驚いたぞ。 然し、選りに選って詩織ちゃんに近付くとは、偉い事をしやがる」


と、席に戻って就く。


団子の串を使って、星形を作ろうとする里谷刑事。


「でも・・、ん、これで、遠矢も終わりね。 余罪も明らかに成れば、‘死刑’だって在る」


逮捕が出来て安心した物言いをした。


だが、鰻を食べて噛む木葉刑事は、


「モゴモゴ・・、ん~~~」


と、何かを臭わせる様な間を見せるではないか。


里谷刑事も、篠田班長も、木葉刑事を見て黙る。


口の中のものを食べた木葉刑事は、薄い灯りの点く天井を見上げながらに。


「でも、あの遠矢の事ッスよ。 また、何処からか弁護士が現れて、罪を軽くするかも…」


これまでの遠矢の事を考えれば、それは在ると二人は押し黙る。 何故ならば、この逮捕成功に当たって会議室に来た捜査一課長の木田からも。


﹣ 遠矢への調べは慎重に遣れ ﹣


こう念を押された特別捜査本部。 それほどに遠矢と云う人物の扱いは気を遣うと云うか、デリケートと云う事らしい。


話が一段落のちに、篠田班長は。


「さぁ、二人とも、後はこっちに任せて帰れ。 里谷は、ちゃんと二日は休んでいいし。 木葉は、四日間の休養を無駄にするな。 お前の囮をやってた姿を見た他の捜査員は、動きが遅くて遠矢に殺されたと思ったらしいぞ」


体力も著しく低下した木葉刑事は、目覚めてから毎日、病院の庭を歩いたり体操したりしていたらしいが………。


その意見には、里谷刑事も同じ意見を持った。


「私も、一瞬はそう思った。 木葉さん、まだまだ筋力が戻ってないわね」


腕組みしながら指摘するその姿は、まるで専属のトレーナーの仕草だ。


そんなこと、ぶっちゃけて“当たり前”と思う彼は、困った顔で。


「詩織ちゃんを守るために、徒手空拳でやったからですよ。 罠を張る時間をもっと稼げたなら、誰かに代わって貰いたかったです。 事実、もう足に筋肉痛が・・痛たた」


その情けない彼の姿には、篠田班長もバカらしいと。


「おうおう、その体でよくやった。 亡くなった古川さんも、奥さんと二人でお前を褒めてるよ。 さ、弁当を食ったら里谷に送って貰え。 ついでに、明日と明後日は、里谷とジムにでも行って体を鍛えろ」


面白そうな話と、里谷刑事は拳を鳴らす。


「御望みなら、護身術のレクチャーもするわよ」


だが、思いっきり引く木葉刑事。


「じょっ、冗談じゃないッスよ。 里谷さんにそんなモン習ったら、復帰するのが半月先になりますよ」


弁当を食べ切るまで、ダラダラと下らない話を続けるも。 日付けの代わった後に駄話も終わりで、二人は篠田班に宛がわれた部屋より立ち去る。 そんな二人を見送るため、廊下まで出た篠田班長はイキイキとしていた。 やはり、木葉刑事のこのトラブルを持ち込みながらも、常人とは思えない捌き方をして退けるこの雰囲気に、ヤル気が漲る思いがするのだろう。


だが・・。


真夜中に帰る木葉刑事と里谷刑事は、車で二人の寮となるマンションに戻る。 車内で長話をした二人は、駐車場に降りると別れるのが早かった。 軽い挨拶を一つで去る木葉刑事に、里谷刑事が言った返事は、短い“はい”。 漸く目覚めた彼だが、記憶を失っている割には不思議に思える暗さが背中に在る。


エレベーターの在る方に消えるまで木葉刑事を見送った里谷刑事は、その後に思う。


(悪霊と対峙した彼は、記憶を失っても生きてるみたいね。 でも・・・)


里谷刑事の心には、或る疑問が蟠った。 木葉刑事が学園の応接室にて遠矢を見た時、立ち止まった彼の表情は確かに驚いた。 死んだ人が見える彼だが、遠矢を見たと同時に何を視たのか。 その事には、木葉刑事が触れずに居る。


(私にソレが視えたとしたら、どうなるんだろう・・)


背筋に走る寒気は、気温の所為ではない。 女性寮へと向かう里谷刑事は、遠矢を捕まえた達成感すら忘れていた…。




           2



5月始め、ゴールデンウィークの真っ只中の頃。


捜査一課の刑事として復職した木葉刑事。 里谷刑事の車で一緒に来た彼が、篠田班の持ち部屋に来た瞬間。 木葉刑事を待ち構えていた飯田刑事は、


「木葉、ちょっといいか…」


と、コーヒーメーカーの前に呼んだ。


木葉刑事より頭一つは背の高い飯田刑事。 真ん中分けの頭髪をした、インテリ然とした風貌のナイスミドルだ。 然し、この飯田刑事は、基本的に家族と仕事と読書と剣術にしか興味が無く。 飲みに行く付き合いも少なく、愛娘を溺愛し、一般的にして誰の目からしても普通の見た目と云うふっくら体型の奥さんを‘美人妻’と言い張る変わり者。 だが、ゆったりとした言動、印象としてふっくらした奥方は、外見の美を超えた人間性の完成型が在るらしく。 恐妻家の篠田班長は、飯田刑事の奥さんを最高の妻君と言い切る。


さて、部屋の隅にて。 黒いスーツ姿の木葉刑事を捕まえた飯田刑事は、備え付けのコーヒーメーカーで二人分のブラックを作りながら。


「お前、随分とデッカいヤマの犯人を他に渡したみたいだな」


「相手は、あの遠矢ッスよ? デカい、じゃ済みませんよ」


「確かに。 その相手が相手だ、 この半月ほど暇だった第3強行犯の4係に加えて、5係までの投入を木田一課長が決めたそうだ。 過去の未解決事件も捜査対象だからな。 捜査本部の皆、全く進展が無く捕まえられなかった遠矢を漸く追い詰められると、もう馬車馬みたいに動いてるぞ」


コーヒーを紙コップで受け取る木葉刑事は、窓側の方を眺め見て。


「ですが、あれから少しは捜査が進んでますかねぇ…」


と、意味深に呟いた


自分の分のコーヒーを持つ飯田刑事からは。


「遠矢本人は、お前の殺人未遂は完全に認めてる。 然し、向坂とか云う被害者の方は、あくまでも傷害致死として供述を重ねているらしい。 強要が通じつ、帰ると暴れられた為に行動を制ししようとした結果で。 殺意は無かった・・とな」


思った通りと、ほろ苦く困り顔をして見せた木葉刑事で。


「や~っぱり、‘傷害致死’か」


「あぁ。 それから、他の余罪は絶対に認めない構えだそうだ。 あれは死刑を逃れて無期懲役を視野にしてる・・って、向こうの捜査本部の刑事が言ってたよ」


経過を聞いて、予想の範囲内だと頷く木葉刑事。


「未解決事件の幾つかでも進展すれば、追い風になりましょうが。 その辺に光明が射さないと、過去の執行猶予や微罪の全てを足しても30年。 弁護士や裁判次第では、もっと早く出て来るかも知れませんね」


近場で聴いていた里谷刑事も、それは聞き捨て成らないと。


「なぁにそれ、朝の木葉さんの云う通りじゃないっ。 あのヤロ~めっ、詩織ちゃんを狙ったクセにぃっ。 アタシが捜査を担当してたら、‘アイアンクロウ’からの‘ネックハンギングツリー’で、即吐かせるのにぃぃ…」


プロレスの大技名が出て、木葉刑事と飯田刑事が固まる。


“お前は怪力レスラーか”


二人が頭の中でツッコミを入れた事は、デスクに居る篠田班長だけが知っていた。


さて、篠田班の主力刑事の三人と、新たに加わった四人の刑事。 市村刑事、如月刑事、織田刑事、八橋刑事が揃い。 新生・篠田班が揃った。


そして…。


‐ 篠田班へ、世田谷にて男性の遺体が発見され。 所轄・機捜の人員不足により、初動捜査から捜査へ参加されたし。 ‐


これと同時に、篠田班長の持つ専用タブレット端末機へ、捜査一課長の捜査命令が書面として入る。


「さぁ、仕事だ。 世田谷区船橋の住宅地が現場だ。 木葉と飯田は、現場で鑑識から情報を得てくれ。 他のみんなは、機捜・所轄の刑事と一緒に聴き込みだ。 捜査本部が出来るまでは、おそらく時間が掛かる。 電光石火で解決しても構わんぞ」


入電の情報を各自専用のスマホに取り込むと。


「木葉、現場まで運転するか?」


と、動き出しながら云う飯田刑事。


「イイッスよ。 休みの間に、里谷さんの車を借りて勘は取り戻しましたから」


話ながら二人して部屋を出て行く。


その後ろから、黒と赤のストライプネクタイをした市村刑事は、里谷刑事と並びながら。


「車を貸してたなら、里谷は休みをどうしてた? 確か、ドライブが趣味なんだろ?」


「近場で、ジムと食べ歩きしてたわ~。 木葉さんの助手席に乗ろうとしたら、木葉さんは詩織ちゃんとデートとか。 持ち主を差し置いて、美少女と不純異性交遊よ」


言われたい放題の木葉刑事だが。


「そんな事したら、あの世に居るフルさんに殺される。 実は、遠矢の件でこの先にも危なく無い様に、元刑事の弁護士さんを紹介しただけッスよ~」


廊下を先頭で歩く木葉刑事の話に、遠矢の事を聴いていた一同は抜け目が無いと感じた。


さて、今回の事件の現場は、戸建ての家が集まる一角の公園が近い二階建てと成る家の側面だった。


篠田班が現場に到着すると、渋滞に巻き込まれたと云う鑑識が少し前に到着したばかりで。 事件の管轄区域を預かる所轄や機捜の刑事達が聴き込みを開始していた。


一応、様々な事件に臨んで捜査に至る流れは幾つか在るが。 普通ならば、初動捜査を所轄の刑事課なり、本庁の起動捜査隊が行って。 事件性が確認されていながら犯人が見つからず、事件の内容に於いて必要と判断されると、一課長の判断から捜査本部が作られる。


だが、今は警視庁も各所轄の警察署も大変な時。 広縞の連続殺人事件より端を発した未解決連続殺人事件のしわ寄せが一カ所に集まらない様に、特別な指示で捜査一課が初動捜査より出動する態勢に在るのは、悪霊の招いた事件の後遺症で在る。


さて、現場に到着してみれば、そこには事件性を調べる庶務課の担当者、望月主任が居た。 この望月主任は、これまで木葉刑事を目の敵にしていた人物の一人だったが。 その刑事としての師は、なんとあの古川刑事だった。 身長2メートル近い体に、ある種の不気味さすら窺えるタレ眼で、尖った鷲鼻の持ち主と云う望月主任が現場に到着した篠田班のなかに木葉刑事を見付けると。


「すまん、後を頼む」


現状資料の担当者や鑑識班の者に一言を遣って、其方へと動く。


一方、所轄署の刑事課主任と落ち合う木葉刑事達。 捜査主任から今の経緯を聴こうとする時だ。


「牛若主任、此方が代わる」


遣って来た望月主任は、所轄署の牛若主任を下がらせると。


「庶務課の望月だ。 篠田班の刑事諸君、事件の情報を伝える」


望月主任の話では、亡くなったのはこの家の家主と云う‘東城 弘巳’、51歳。 ‘バンタナ商事’の営業部部長だとか。 ゴールデンウィークの連休にて、一昨日より家に居た。 家族は、娘3人と妻と父親だ。


事件当時、親族は全員が家に居た。 被害者の呻き声を聴いたのは、一番下の12歳の娘だ。 朝の6時過ぎに母親を起こして、祖父と母親が二人して家の裏側に行くと。 隣の家との境目の柵の脇で、砂利の上で倒れている被害者を発見した。


被害者は救急搬送されたが、先ほどに病院にて死亡。 死因は、脳内出血や喉を絞められた事が原因だとか。 遺体を調べた医師の話や現場の様子を総合して判断すると、被害者は顔を何か固いもので殴られ、家の外壁に倒れた時に頭部を強打したようだ。 脳の血管破裂は、この時に。 その後、犯人に襲われて首を絞められたらしい。


話を聴いた里谷刑事は、太った巨漢の八橋刑事、白髪混じりの髪を後ろに束ねる織田刑事と一緒に、聴き込みに向かうべく動く。


ダンディな市村刑事は、そのニヒルで整った顔を周りの住宅に向けると。


「如月、聴き込みに行くか」


ニヤけた丸顔の如月刑事は、手を揉み込んで。


「はいはい、頑張りますよ~」


二人して肩を並べて別方向の聴き込みへ。


さて、木葉刑事と望月主任を会わせたく無い飯田刑事は、


「木葉、先に現場を見ておくか」


と、誘うのだが。


その魂胆を見透かす望月主任は、


「飯田、余計な気遣いをするな」


と、釘を刺した後。


「木葉、ちょっと車の後ろに乗れ」


こう望月主任は云うのだ。


「はい…」


またイヤミでも言われるのではないか、と観念する木葉刑事。 停まっている覆面車両の後部座席に、左右から木葉刑事と望月主任が乗り込むと。 頭が窮屈に成る望月主任が。


「お前、遠矢の事はお手柄だったな」


「いえ、古川さんの娘さんが狙われたので、イタズラに危険を犯しました。 里谷さんのお陰様で、なんとか怪我無くおれました」


「なるほど、退院早々で大変だったな。 それで、詩織さんは大丈夫か?」


「はい。 今は、自分と親しい大学病院の外科医准教授、越智水先生の御一家と同居して居ます。 古川さんが、万一の時には自分か越智水先生を頼れといっていたそうで…」


「ほう、古川さんがそう言った人物ならば、大いに安心だ」


「ま、それでも古川さんは、事件をこれまで沢山解決した分。 一部の常習犯や危険な人物との接点も多いですから。 先日、後藤弁護士を詩織ちゃんに紹介して於きました」


「後藤弁護士・・、後藤 飛鳥(ごとう あすか)弁護士か?」


「はい」


「心憎い事を…。 古川さんの教え子で、元刑事の彼女を教えるとはな」


「逆に、他に適任者が思い当たらなくて…」


「いやいや、最高の適任者だ」


「ですが、早速あの遠矢には、もう弁護士が就いたとか」


「あぁ。 然も、議員の方からも、企業からも、な。 無料の弁護団が出来上ったぞ」


「やっぱり、何等かの弱みか、旨味が遠矢に在るから、みんな救済するんだ。 其処を攻めないと、今回はどんなに頑張っても無期懲役で終わる…」


「それは、俺もお前と同じ見解だ。 お前の殺害も未遂だし。 向こうの女子大生殺害も傷害致死に成ったら、無期で15年から20年で出て来るかもな。 そうしたら、また何をやらかすやら…」


悔し声で云う望月主任。


その物言いに、木葉刑事は家宅捜索が不発に終わったと察し。


「その様子ですと、望月主任。 遠矢宅へのガサ入れは、全て不発ですか?」


「ん・・いや、微罪の証拠や捏造の一部は、押収したスマホやパソコンから解った。 だが、ヤツの強力なコネに関わるものは、一切無い。 おそらくは何処か別に、隠れ家が在る様な気がする」


「其処は、遠矢も喋らないと思います」


「同感だ」


話も終わりが見えたと思う木葉刑事だから。


「では、望月主任。 自分は、捜査に」


「解った。 佐貫さんや古川さんが亡くなった以上、お前たちには働いて貰うぞ」


「刑事部長からも、そう言われました」


「当たり前だ。 お前は、もっとコキ遣ってやる」


苦笑いしながら車から出た木葉刑事は、待っていた飯田刑事と肩を並べ現場の家の前の柵の前に立ち。


「望月主任も、遠矢の事が心配みたいッス。 死刑に、成って貰いたいみたいで…」


「遠矢なんか、誰だって死んで貰いたいさ。 生きていて欲しいなんて云うヤツは、利用する旨味が在るか、弱みを握られたヤツだけだろう」


「ですね」


すると、現場の家の敷地より若い鑑識班の者が来て。


「木葉刑事、片岡班長が呼んでますよ」


鑑識班第一班の班長をする片岡は、もう定年を控えた小柄な初老だ。 その鬼瓦の様な顔から、‘夜叉’と渾名される。 実は、広縞の1件にて、鑑識課の課長、係長、管理官が総入れ替えとなった。 新たな人員の入れ替えが不足していて、この片岡班長は係長の仕事も一部兼任とする。 他に、4人ほどの班長が同じとなり、その結果として現状に班長以外の者が臨場はしない。 実質、一時的処置としてだが、鑑識の責任が班長の古株となる5人に託された。


その1人にして、誰からも恐れられる片岡班長だが。


「飯田さん、今度は片岡さんです。 苛められに行きますか?」


「フン。 片岡班長が作業中に現場へ刑事を呼ぶなんぞ、年配の刑事以外だとお前だけだぞ」


「あれま」


ビニールのカバーを足に履く二人は、玄関前の柵を越えて左側に回る。 動く鑑識班の者を避けて行くと、ボコンと家側に凹む一角が在る。


「木葉、こっちゃ~来い」


凹みの奥に、眼鏡をした小柄の痩せた老人みたいな鑑識員が居て。 木葉刑事を見付けると呼んで来る。


「片岡さん。 現場は、此処ですか?」


「あぁ」


腰を伸ばす片岡鑑識員は、軽く叩きながら。


「家族も~な、不思議がってるよ。 こんな場所に、どうして被害者が倒れていたのか。 早朝で来る意味がぁぁぁ~解らないと」


だが、そう語る片岡鑑識員の前では、何故か上目遣いに壁を睨む被害者の霊が立っている。


その視線の先に、プラスチックの何かが外壁より出ているのを見た木葉刑事は、脚立を持つ鑑識員を見かけるなり。


「あのっ、其処の脚立を持った君っ」


脚立を持った若い鑑識員は、声に反応し木葉刑事を見て。


「自分ですか?」


「そう」


やって来る彼に木葉刑事は、トイレのものと思われる小窓の向かって左側の壁。 高さ2.5メートルぐらいの所で出っ張りのプラスチックカバーを指差し。


「あれ、調べられないかな」


若い鑑識員は、木葉刑事の指さしたものを見て。


「分電盤かなんかのカバーだと思いますけど…」


と、明らかに面倒だと言わんばかりに脚立を置く。


だが、壁を見回した片岡鑑識は、小窓に眼を留めて。


「あの二階の小窓の向こうは、おそらくトイレだな。 トイレの中より斜めに窓を見上げると、あのプラスチックのカバーも見えそうだ」


何の意見かと思う若い鑑識員は、渋々にその片手の拳大と似た大きさのカバーを間近で見ると目を見張った。


「あっ、片岡班長っ! このカバーの上の埃に指の跡が有ります。 然も、よく見るとドライバーか何かで強引に開けた痕跡も・・・って、こりゃ何だ?」


一人で興奮し始める若い鑑識員だが、カバーを開くと。


「あっ! あぁっ、かっかか、片岡班長っ! こんな処に、盗撮用の極小型スコープが在りますっ」


その声を聴いて、片岡鑑識員は木葉刑事を見ると。


「お前の勘は、や~っぱり天賦の才だ」


と、木葉刑事を褒めた。


ただ、若い鑑識員へ向くと。


「バカっ! 指紋を見つけたら、先ずは写真だろうが!」


と、怒鳴った。


だが、霊体の様子に変わりは無く。 他に此処に居ても何にも無いので、木葉刑事は苦笑いし。


「早朝に此処へ来るなんて、誰かが居た~とか。 害虫が出たとか、野良猫が入ったとか、何等かの理由が無いと来ないッスよ」


其処で、片岡鑑識員がパチンと指を鳴らし。


「また当たりだ、木葉」


「はぁ?」


何が当たりなのか・・と、飯田刑事と見合う木葉刑事だが。


片岡鑑識員は、木葉刑事の前まで来ると。


「犯人の逃走経路は、向かいの家の庭と解ってる。 野良猫のフンを踏んで、逃げて行ったからな」


汚い話に、呆れた木葉刑事。


「フンを、踏んでね~」


‘上手い’とは言えぬ木葉刑事の一言に、飯田刑事は肩を竦めたが。


「フンフンフン~、黒豆よ~」


古臭い歌を披露して、ニタリと笑う片岡鑑識員。


スマホを取り出す木葉刑事で、


「フン付きの靴が有れば、有力な証拠ッスね」


と、音声認識ソフトを介して短い文のやり取りが出来る機能にて、仲間の刑事に新たに分かった情報を流す。


その様子を窺った片岡鑑識員は、


「カラオケ仲間とライン仲間に入ったが。 警視庁もタブレット端末にこんなシステムを導入とは、ハイテク化が進むぞな。 んじゃ~木葉、捜す方は任せたぞぉ~~~」


と、また鑑識作業に戻る。


‘夜叉’の渾名を持つ片岡鑑識員が、何故か木葉刑事に甘いのか。 飯田刑事は、その答えを見たと。


「お前、他人からの扱いが善いか悪いか、極端だな」


「普通って言葉、結構好きなンですがね~」


現場の様子を窺った二人は、逃走経路も確かめる。 ネコのフンが付いた所為か、汚くも証拠が残る訳で…。


隣の家、その隣の家と、鑑識員の調べを見ながら行くと、片側一車線の道路へ。


飯田刑事は、現場の家の前に伸びる路地とも繋がる道だから。


「盗撮用カメラに、早朝の犯行。 犯人の元々の狙いは、あの家の娘の盗撮かな」


自販機前の防犯カメラを見つけ出した木葉刑事は、


「ヘンタイ相手とは、これは大変ですねぇ~。 で、飯田さん」


「ん?」


「あれ。 防犯カメラ、発見」


と、指さした。


「よし、コツコツ映像集めと行くか」


「ですね」


捜査員の足りない今、機捜も、所轄の刑事も地取り(聴き込み等の情報収集)に手一杯だから、防犯カメラの映像の手配をやろうと二人で探しながら映像入手に向けて連絡をする。


然し、八橋刑事からのラインで。


‐ 被疑者発見。 フンを付けた革靴も押収。 ‐


と、捜査本部が出来る前に連絡が。


仕事用のスマホにて、早期解決が見えたと木葉刑事。


「あらら、フン様々~」


普段の彼らしい戯言が出た。


さて。 八橋刑事と織田刑事に捕まったのは、都内の会社員と云う大手保険会社のエリート男性。 もう40歳だと云うのに、結婚が出来ないからと盗撮をし始めたとか。 都内の女性用トイレに、女装して盗撮用カメラを仕掛けたりしていたが。 それでも映像が観足りないと、あの家のトイレにまで目を付けた。 が、然し。 最初にセッティングしたカメラの角度が悪く、それを直そうとまた忍び込み角度調節をしていたが時間が掛かり。 朝方に起きてきた被害者に悟られたとか。 殴ったのは、ドライバーの柄を握った手で。 倒れた被害者の呻き声を何とかしようと首を絞めて居た途中で他の人の声がしたと、家から出て来た人の気配を感じて逃げ出したらしい。


正に電光石火の解決だが。 被害者と被疑者の家は、500メートルも離れていないと云うのだから、取り調べをした里谷刑事も呆れてしまった。


余罪の盗撮は、別の係と所轄署の刑事課に引き継ぎ。 送検の手続きが終わり次第に、全2日で経費削減として初回のこの事件は終わる。 本来は、起訴まで続く捜査だが。 余りに証拠から証言が揃ったので、検事も捜査本部の即終了に納得したのだ。


ネコのフン様々と云う事件だが、死人の出る理由が下らな過ぎた一件だった。


刑事に復帰した木葉刑事。 突発的に発生した遠矢の逮捕、世田谷で起こった傷害致死事件と早期に二つも事件を解決した篠田班。 木葉刑事は、事件の合間に特例措置で休みを挟んだが。 他の刑事達は、事件を待って引き続き出勤していた。





この日は、ゴールデンウィークも残り3日で終わると云う日だ。 


休みで浮かれて居た若者達が遊ぶ金欲しさに、ひったくり、恐喝、強盗を続けて働いた上、逃げる際に店員やら路上の人を何人も怪我させたと云う。 同一の集団による犯行の上、その怪我のさせ方も悪質と判断され、木田一課長の判断から帳場(捜査本部)が立ち。 その捜査に割り当てられた篠田班だから、捜査の末に彼らを追うことになった。


まぁ、犯行は若者の暴挙で、計画性などあまりない遣り方。 防犯カメラの映像にも、目撃証言にも、その人物像が浮かびすぐに解る。 彼らが在籍する学校も割れて、親に確認して名前が割れた。 都内の彼らが屯する場所に向かえば、警察の手が回ったと慌てる若者らは散り散りに逃げ回る。 それを追いかけて捕まえるまでの労力が大変で真夜中までかかり、漸く捕まえたが。 取り調べしてみれば、泣くわ、喚くわ、キレるわと、大人を困らせる為だけに事件を起こしたかの様。


その中でも、一番遠くまで逃げた少年を捕まえた里谷刑事は、取り調べで逆ギレする相手に手を上げかけた。 取り調べを終えた後、


「少年法なんか破棄しろっ! こんな悪質でワガママなガキっ、実刑で構わんっ!!」


と、篠田班長を相手にブチ切れた。


そして、それから三日後。 世間でも休み明けとなるこの日に、木葉刑事と市村刑事と如月刑事は警視庁の班の部屋に来て居た。 曾祖母にハーフが居たらしく、市村刑事は碧眼で緩やかな癖っ毛だ。 顔の整い方が良いのは、その所為かも知れない。 カラフルな格子柄のネクタイをして、第四強行班の7係を束ねる尚形係長に朝っぱら捕まり、お堅い上司よりイヤミを言われて居たらしいが…。


女性の元より直接出勤して来たらしい彼は、随分と眠そうなご様子。 そんな彼だが、コーヒーを飲む木葉刑事の脇に来ると。


「なぁ、木葉」


「はい?」


「あの遠矢って奴を調べてる捜査本部のヤツ等、何であんなにピリピリしてんだ? お前への殺人未遂も、女子大生への殺人も、まだ固まりきらないのか?」


朝からかしわ餅をパクつく木葉刑事は、口の中を空けると。


「・・まぁ、自分への殺人未遂は、他の刑事等の目の前でしたからね。 俺への殺人未遂は、確定でしょうよ」


「ふぅ~ん。 その割には、何だか焦ってるみたいな感じだが?」


木葉刑事も、遠矢を渡した手前で色々と情報を貰える立場に在り。 遠矢に関わる捜査本部の焦りは知っていた。


「恐らく、問題は向坂さんの事件の方でしょうね。 殺人で立件したい本部ですが、検事は傷害致死で確実性を得たい構えらしく、でして…」


「検察と本部の意向が食い違ってるじゃないか。 もしかして、殺害に対する証拠が無いのか?」


「いえいえ、証拠と云えるモノは、鑑識の調べから出たハズですよ」


「ほう」


其処へ、‘ミスター・ワイドショー’と渾名される如月刑事が出勤してきて、横から飛び込む様に会話へと入って来る。


「てか、その女子大生の事件の方。 あの新人のアイドル鑑識の〔智親〕《ともちか》が、夜叉こと片岡さんと現場と成った寺の境内に行って。 ばっちり、証拠を見つけ出したってさ」


話好きの如月刑事に、テーブルへ腰を預けた形の市村刑事が。


「バッチリって、事件発生から一年半以上も経過してたンだろう? それなのに、そんなしっかりした証拠が見つかったのか?」


「みたい。 何でもあの被害者を呼び出したって云う寺で、争って押し倒した映像を元にして境内の木を調べたらサ。 意外にも、大量の血の跡が出たってさ。 然も、根っ子のうろに突っ込まれたゴミに、そこそこ古いケド腐食して固まった血がベッタリだったって…」


木葉刑事は、其処から繋ぐ様に。


「そういえば、奥多摩まで遺体を運んだルートも、オービスやら防犯カメラに映ってたとか」


ガクンと頷いた如月刑事は、さも自分が捜査したかの様に。


「あ、それから、‘向坂’って云う女子大生の元彼が遠矢に言われて、公衆電話を使って呼び出したのも確認されたよ。 元彼も、殺人か、傷害致死の片棒を担ぐか、担がないかの瀬戸際だ~。 ペラペラらしいよ」


其処まで聞いた市村刑事は、


「そうなると、2つの事件は確定だな」


と、理解する。


コーヒーを一口飲む如月刑事も、


「・・だぁな~」


と、またカップに口を付ける。


それなら何で・・と最初の疑問へ帰る市村刑事は、木葉刑事へ向いて。


「なら、何でピリピリしてるんだ?」


そもそもの疑問へと話の流れを戻した。


木葉刑事は、次のかしわ餅を口にしてしまった処。 すると、昨日までは連続強盗の捜査本部に居たが、もう解散したので此方に来て居る篠田班長が。


「そんなの、決まってるだろうが。 あの遠矢って奴には、明らかに成って無い沢山の余罪との関与が疑われてる。 然も、海外と違って、日本の‘無期懲役’じゃ~刑務所の態度次第で刑期も短縮、出所も十分に有り得る。 もし、何年経とうが出所して来たら、ヤツの事だ、また薄汚いやり方で悪事を働くさ。 その悪事が解る時は、新しい被害者が出る時。 焦ってる向こうの捜査員は、他の余罪を明らかにして、ヤツを死刑にしたいのさ」


死刑と云う罰則に対して、人の考え方はそれぞれだが。 死刑を敵討ちの様に捉えるのはキライな市村刑事。 刑事の口より死刑にしたいと出て、その端正な顔に一抹の困惑を臭わせると。


「班長、噂には聴いてますが。 ‘遠矢’って奴は、そんなにあくどい奴なんですか?」


すると、珍しく篠田班長が目を険しくして。


「当たり前だっ。 あんな奴、人が見て無いなら・・俺が撃つ」


温和で気の弱い方の班長がそんな事を云うなど、市村刑事には意外過ぎた。


だが、今。 木葉刑事への殺人未遂で遠矢を逮捕し、向坂 遙果さんの事件を含めて調べてはいるが。 もう、拘留する事が出来る期限が今日に迫る。 木葉刑事への殺人未遂は、調べがすんなりと行き過ぎて居て。 担当の検事は、追加の拘留請求をしても、裁判所の受理は難しいと判断している。 捜査本部としては余罪追求の為に、‘向坂’なる女子大生殺人の容疑で再逮捕するだろう。 然し、もう彼女の事件についても、証拠や供述はほぼ揃っている。 警察としては、向坂さんの‘殺人’で起訴したいだろうが。 遠矢の供述は、‘傷害致死’と‘死体遺棄’。 彼女が死んでしまい、強迫やら強姦の証拠がイマイチ薄い。 ペラペラ喋って居る元彼の証言が何処まで遠矢を追い詰めてくれるのか。 それは、警察側の願う処まで及んでくれるのか、まだハッキリしないのだ。


余罪に関する決定的な証拠を探して、何班もの捜査員が血眼となり捜査をしている今だ。 遠矢と警察の攻防は、まだ道半ばだった。


遠矢のことについて話す篠田班の面々。 他の刑事が出勤してくれば、遠矢の関わった疑わしき事件の影が潜む話が次々と語られる・・。 遠矢の事を詳しく知らない刑事に、その話は驚きを誘うものでしかなかった。


そして、篠田班が勢揃いしてから、部屋で待機する昼前の11時過ぎ。 上石神井に在る戸建ての家で、老婆の遺体が発見されたと云う。 篠田班に、捜査担当の指令が下った。


車の運転をする木葉刑事は、里谷刑事と飯田刑事を乗せて現場に向かう。


その車中にて。


「う゛~、お腹が減った」


お腹をさする里谷刑事が唸る。


「全くだ。 愛妻弁当を食べる暇が無い」


とは、ちょっと不満げな飯田刑事。


空腹の里谷刑事は、


「サラッと幸せぶるな゛っ」


更に不満を1つ積み重ねて募らせる。


然し、急に覚めた顔をする飯田刑事は、後部座席で優雅に脚を組み。


「里谷、その不満は食欲と関係無い。 羨ましいなら、早く結婚しろ」


つい先日、若者達の起こした傷害事件では、散り散りに逃げ出した若者達の所為で合コンに行きそびれた里谷刑事だから。


「うお゛ーーーーーーーーーっ!!!!!! あのクソガキ共等め゛ぇっ! 散り散りに成って電車とバスとバイクに分かれたのが悪いンじゃーーーーーーーーー!!!!!!」


車内にて、大迷惑なほどの大声を上げる。


その一件の詳細を知る木葉刑事なだけに、顔は迷惑そうにしながらも。


「里谷さん、勢い余ってバイクの方を車で追い掛けて、神奈川まで行きましたもんね」


「言うな゛ぁぁぁ!」


助手席の怪物が煩く、運転に集中が出来ない木葉刑事と。 幸せは手に入れ、勝ち誇る笑みを浮かべた飯田刑事。 木葉刑事のカバンに‘甘食’が在ると知るや否や、野獣の様に引っ張り出した里谷刑事は、合コンに行けなかったことをウジウジと嘆いて居た。


さて、上石神井と石神井の狭間にて。 現場に来た木葉刑事達は、年季を経たブロック併に囲まれた、小さい平屋に来た。 開かれた玄関からは、鑑識や所轄の人間が出入りする。 野次馬も来て居る中でテープを潜ると、‘歯抜けの狸’みたいな印象の、鑑識班班長の〔進藤〕なるジサマがやって来た。


少し前の悪霊が引き起こした連続殺人事件の時も、この進藤鑑識員や片岡鑑識員と共に木葉刑事は捜査をしていたが。 幽霊から情報を得て遺留品の真実を見抜く木葉刑事には、古株の鑑識員ほど一目を置く。 木葉刑事の真似を中堅の捜査員でもすれば、片岡鑑識員などは怒鳴り散らすだろうが。 警視庁に来る前、来てから、木葉刑事の眼に狂いは無い。 その為か、鑑識員の班長は木葉刑事を邪険にしない。 意見を聴いた方が、不思議と遺留品に宿る真実へ早く到達するのだがら………。


「お゛~、木葉ちゃん。 よ~やく、現場復帰じゃん」


言われた木葉刑事は、二人の刑事と一緒に落ち合って。


「進藤さん、状況は?」


鑑識がウロウロする部屋を玄関先に立って見返す進藤鑑識員は、


「殺意の在る殺しかどうかは、まだハッキリしないがよ。 おそらく被害者は突き飛ばされて、そこの段差に頭を強く打ったのは確かだと思う」


と、玄関の一部を見た。


古めかしいトタン屋根の一軒平屋で、住んでいた〔茂坂 すず〕《もさか すず》さん77歳が死んでいた。 発見者は、近所の住人。


ざっくりと経過状況を言った進藤鑑識員は、其処から。


「タダし、チョイトした問題は~~~」


と、野次馬の方に視線を移す。


一緒に、木葉刑事達が視線を移すと…。 集まった野次馬の中に、見知った或る人物を先に見つけた木葉刑事が。


「あら、ありゃ迅だ」


すると、飯田刑事も続いて。


「何で、組対室の彼が、この現場に?」


二人の隣に立つ里谷刑事が。


「彼、3月から二課に移動したわよ」


「何?」


移動の事を知らなかった飯田刑事。


「暴力団の資金源を断つ為に、振り込め詐欺なんかの特殊詐欺を専門で扱う捜査の担当班へ移動したみたい。 一昨年だっけかな、組織対策の方から移動した二課のその専門を担当する係長が、組対室の長に土下座して貰ったみたいよ~。 あのエースをネ」


「まぁ、頭の良い迅は、確かに二課向きだわね~」


オネェみたいな返しをする木葉刑事は、知り合いの捜査員となる迅の方に向かって行く。


木葉刑事の在籍した大学の後輩で、司法試験と公務員Ⅰ種試験を突破し、警視庁に来た〔居間部 迅〕《いまべ じん》は、180センチを超える立派な体格を動かし。


「先輩、ご苦労様です」


と、木葉刑事が近付くなり、頭を下げて来る彼。


「迅、二課に移動したんだって?」


スポーツ刈りが少し伸びた様な頭をしながら、顔は真面目なインテリ的と言える端正な‘居間部 迅’だが。


「はい。 ですが先輩、今回は此方の不手際です」


と、非常に無念そうな表情で云うのだ。


木葉刑事達三人は、被害者の遺体が在った家の方を見てから。 また、迅へ顔を戻す。


木葉刑事が、現場となる家を指差すと。


「迅、それはこの事件ヤマの事か?」


頷いた迅は、非常にバツが悪そうにして居て。 此方へと来ない、後方に居る先輩刑事 を一瞥する。


“何かある”


木葉刑事達は直ぐにそう思い、彼を黄色テープの内側に入れて話を聴くことにする。


野次馬から離れた現場の敷地内にて、対峙する刑事達。


「んで、何故に二課が出張ってるのさ」


尋ねる木葉刑事へ、迅が答える。


「実は、あの被害者は・・特殊詐欺の被害者でも在りまして。 また、詐欺の二次被害で詐欺を働いた犯人と口論したと思われます」


これを聴いた飯田刑事は、木葉刑事の脇にズイっと出ると。


「まさか、この事件の被害者をそっちがマークしてた訳か?」


明らかに苛立ちが含まれた言い方と察する迅は、また深々と頭を下げて。


「スミマセン。 此方の完全な不手際です。 犯人を泳がせ、アジトを抑える手筈だったんですが…。 話の行き違いから被害者が誤って、犯人を一人で問い詰めた可能性が…」


この話に、今度は里谷刑事の方がムカッと来たらしい。


「ちょっとっ、行き違いでも不手際でもいいわよっ。 それより二課が出張ってるなら、どうして最悪の被害が出るのよっ!」


野次馬等の周りが在る。 声は大きく荒げないものの、明らかに責める言い方をする。


然し、全く態度を変えない木葉刑事は、


「まぁまぁ、現場の状況確認と機捜機動捜査隊の報告を聴いてから、迅に詳しく話を聴きましょう。 突っ立ってても、捜査は始まりマヘン」


と、おおらかな対応をした。


「先輩、誠にスミマセン」


大変な迷惑を掛けると謝る迅だが、其処は木葉刑事も醒めた物言いにて。


「迅~、謝る相手が違うダロ~が。 被害者へ、が先だよ」


アッサリと、最もな事を言われた迅。


ムスッとして踵を返した里谷刑事は思う。


(何が‘エース’かっ! 知性は彼の方が上でも、人間としての成熟度は木葉さんの方が断然に上じゃないっ)


と、強く感じる。


さて、殺害された被害者は、サンダルの飛び具合から見ても。 両開きの玄関戸の外側から突き飛ばされて、後頭部を玄関と廊下を繋ぐ段に強打。 脳挫傷の失血死と判断された。


最も早く現場に来て初動捜査をする機動捜査隊、彼らの目撃者への聴き込みでは、事件発生の前後。 スーツ姿ながら、“まるで格闘家ではないか”と思われる様な体格の若い男が。 今時に袱紗の様な包みにくるまれた丸いもの、サッカーボールぐらいの物を抱えて逃げた・・と言うのだ。


石神井の所轄には、捜査本部(帳場)が立った。 其処に顔を出す事にした木葉刑事は、二課の刑事三人にも同行して貰う。


さて、捜査本部の出来た会議室へ集まった40名ほどの捜査員。


「起立!」


立ち上がった捜査員達を前にして、今年3月から新しく一課長に成った〔木田〕が入って来る。 後に続くのは、中年女性の管理官の〔郷田〕《ごうだ》、前一課長の頃から理事官の〔小山内〕《おさない》なる者だ。


刑事達と対面に座る彼等だが。 基本的に、捜査本部のトップで在る所轄署の署長と、尚形係長の代理も兼ねて篠田班長が列席する。


さて、新たに就任した木田一課長は、元より係長の頃から、刑事の頃から歴戦の強者(つわもの)的存在の刑事だった人物。 痩せた身体だが、戦国武将でも演じれそうな威厳が在り。


「諸君、また痛ましい事件が起こった。 皆、一致団結して、捜査に臨んで欲しい。 尚、この捜査本部は、理事官の小山内が見る元で。 新たに管理官と成った郷田警視が指揮する」


すると、木田一課長の左側に居る、ふっくらした印象ながら女性にして背の高めとなる堂々とした女性が、刑事達を見て回した後に頭を下げた。


「郷田です。 皆さん、宜しくお願いします」


木葉刑事の右横に座る如月刑事が、頭を下げながら。


「あの人、警視副総監の娘だってよぉ~」


と、小声で言う。


並んで座る木葉刑事と里谷刑事は二人して、


“恐れ多い”


と、ばかりに首を竦めた。


今日は、早朝から昼前までで、4つも殺人事件が都内で起きた。 昼の食事も取れない程に忙しい木田一課長は、後ろ髪を引かれる想いで、この捜査本部を後にする。


其処へ、遅れて〔尚形〕《なおかた》係長がやって来た。 別事件の送検まで様子を見た後らしい。


さて、面子が揃って、事件の発覚から通報までの経緯、鑑識からの報告や機動捜査隊が聴き込んだ情報が報告されると。 木葉刑事は突然にすんなり手を上げた。


「失礼します、管理官。 篠田班の木葉と言います。 一つ、情報を述べて宜しいでしょうか」


場に居る刑事達が一気に木葉刑事を見る。


前面に座る指揮系統の中で、ぽっちゃり体型の郷田管理官が、


「事件に関係の在る事ですか?」


と、鋭く聞き返して来た。


その言葉に、何故か横を向いた里谷刑事は、


(それ以外で、ナニを話すのよ)


と、呆れてしまう。


まさか、この場で管理官の好みのタイプを聴くとは有り得ない事だ。


一方、木葉刑事は当然とばかりに話を続けて。


「はい。 今回の被害者は、どうやら捜査二課の特殊詐欺対策班がマークしていた人物らしく。 その情報について、捜査二課の刑事さんにも話を聴こうと、同行して貰いました。 もし、管理官さえ宜しければ、この場で説明を一緒に聴いて頂けたら・・と」


いきなり、捜査二課とは…。 集まった捜査員達に軽いざわめきが起こる。 先に着いた機動捜査隊も、所轄の刑事課も聴いて無かった。 迅は、先輩刑事に言われ、進藤鑑識員に挨拶しただけだった。


さて、新米管理官と云う事で、小山内理事官と云う一課長の片腕的存在も居るのに。 郷田管理官は、その人物に相談もせず。


「分かりました。 此方へ呼んで下さい」


と、応えた。


廊下に顔を出した木葉刑事の声で、捜査二課の特殊詐欺事件を扱う居間部刑事と、主任(班長)の〔導〕《しるべ》警部が入って来た。


窓側に椅子が用意されて、二人がパイプ椅子に座る。


早速と郷田管理官は、


「捜査二課のお二人は、被害者をマークしていたとか。 今回の事件に関係が有りそうならば、是非にその内容を教えて下さい」


と、言う。


すると、立ち上がろうとした居間部刑事を抑え、導主任が立ち上がった。 ちょっと神経質そうで身嗜みに注意の欠けた、胡麻色の髪を乱した痩せ形の人物で在る。


「今回の事に関しましては、此方の不手際も在ります」


と、頭を下げた形で、捜査の話をし始めた。


さて、殺人まで起こった今回だが。 実は、裏に新手の詐欺が関係していた。 その詐欺商法は、ある種の霊感商法に近い物なのだが。


“持って居るだけで、振り込め詐欺を撃退する事が出来る”


と、云う触れ込みのモノだ。


然しその実態とは、詐欺の一団の中で、別々に仕事をするグループ同士が手を組んで。 50万円から200万円程の、品質や作り手の表示全てが嘘っぱちな物品を売る事なのだ。 この詐欺商法、去年の夏前から行われ始めたのだが・・。 捜査二課が注目して取り締まりを強化した問題は、此処からが本題に成る。 それと云うのも、だ。 詐欺集団も、一応はこの商法自体が詐欺だと、カモの中高年にバレない様にするため。 別の半グレ不良グループを遣い、偽の振り込め詐欺を商品を売った者に仕掛け、態と失敗をする・・。 そんな作戦を計画し、彼等はそれを演じたのだ。 然し、この詐欺方法、人件費や儲けを考えると振り込め詐欺より黒字は少ない。 だが、最近の取り締まりが厳しい振り込め詐欺の経験から、金を払った事に関して詐欺だと気付かせない様に、と。 詐欺集団も試行錯誤して、この演技をしたつもりだった。


が。 何とそのその効き目が、彼等の想像を超えてしまった。 効き目が有り過ぎた。 何と、商品を買った消費者が、必ず詐欺を撃退する事が出来るので。 ツイッターやSNSで、その効果が絶大と書き回った。


ま、確実に1回は詐欺を撃退する事が出来たのだ。 それは確かに、他人にも教えたく成る。


然し、商品を売った相手へその効果を信用させるのは、最初の演技のみ。 二回目は無いし、他の関係ない詐欺集団の事は彼らの考える範疇に無い。


短期間でネットやら口コミから急速に広がった商品の有益情報は、また短期間で地に落とされる。 そして、一度でも販売に成功した者に再度販売しようとする頃には、別の詐欺集団の販売員とバッティングしたり。 二回目以降の他の振り込め詐欺からは、全く効果が無かったと苦情が出て、返って悶着に成る。


そして、今回の亡くなった被害者も、その詐欺被害に遭った一人だ。


然も、昨日の時点で、昼頃に警察へ連絡が来た。 二課の迅が所属する班に、その対処が任された次第。 迅は、昨夜の入りに被害者と接近。 次の商品購入の打診が有ったと知って、金を用意する時間が欲しいと一日の猶予を作った被害者。 迅は、バイヤーが来たら密かにメールを送る様に依頼する。 被害者は老婆だが、電話やメールは簡単に出来ると言った。 騙されたと知る被害者は、絶対に警察へ突き出すと堅く誓ったらしい。


処が、今朝に成って、変装した刑事を呼ぶ手筈の連絡が、被害者から一向に来ない。 導主任は、迅が話を通した事と共に、所轄の警察官に巡回を頼んだから安心し。 迅や他の部下は、その詐欺グループの情報収集に動いていた。


詰まり、昨夜の被害者はノーマーク状態に成っていた。


だが、機捜の聴き込んだ報告では。 昨夜の10時頃か、夜に帰って来たホステスが見たのだが。 警察官が巡回がてら・・と云う感じにて、被害者宅に話を聴きに来たと云うのだ。


然し、連絡を受けた周辺の所轄署は、そんな命令を出した覚えも無いし。 また、個人的にそれをした警察官も誰か、確認が出来なかった。


其処まで聴いた郷田管理官は、想像するままに。


「話の経過からしますと、その警察官は・・詐欺グループの変装で。 警察官を装った者が調べに入って、被害者を殺した、と?」


其処へ、鑑識の進藤班長が。


「此方での検死では、死後・・約8時間から10時間。 死亡推定時刻は、昨夜の10時から12時前後です」


篠田班長は、隣の尚形係長に身を近づけ。


「証言は、一致しますな」


事件発生の流れは、これで朧気に見えたと頷く尚形係長。


「猶予を欲したから、逆に怪しんだか?」


「はい」


二人のヒソヒソしたやり取りを聴いた郷田管理官も、二人のやり取りの内容は的外れでは無いと思った。 そして、これはその詐欺を働いた組織絡みに成ると。


「話は、此方も分かりました。 今回の事件は殺人の疑いが濃厚と成りましたので、先ずはその詐欺グループを追って捜査を始めましょう」


と、方針を固める。


そして、ペアが組まされる。 だが木葉刑事は、医者の命令で必ず定期的休暇を与えなければ成らない。 だから里谷刑事と組んで、木葉刑事が休みの時は、所轄の二人のペアに加わる事に成る。


そして、捜査会議が終わった後は、導主任が郷田管理官や小山内理事官と話に入り。 その話を係長や班長が聴く事に成る。


一方、廊下に出る木葉刑事と里谷刑事。


「さて、ど~するの?」


と、里谷刑事が言えば。


「そぉッスね~」


考える為に立ち止まった二人を余所に、警察署の玄関先に向かって行く他の刑事達だが。


木葉刑事の眼は、警察署の玄関先に立つ老婆の霊を見ていた。


(ど~するもこ~するも、ねぇ…)


刑事達が出て行く姿が消える前に、木葉刑事は二人ペアの所轄署刑事を呼び止めた。


「あの、葛城さん」


年配の所轄署刑事で在る葛城は、木葉刑事に呼び止められて。


「お、木葉。 お前・・エラい怪我をしたんだってな」


先輩刑事の葛城は、中肉中背のノンビリ屋。 然し、堅実な捜査をする苦労人で在る。


「はい、ちょっと長く…」


答えた木葉刑事へ、葛城刑事は近付くと。


「んで、どうした?」


葛城刑事が話を聴く体勢に入ると。


「いや、さっきの話なんですが」


「ん?」


「警官に変装は出来るとしても、頭っから足元まで全てなんて・・微妙ですよね。 然も、巡回の警邏(パトロール)に化けるには、自転車も必要ですよね?」


これには、葛城刑事と共に一緒に組む若い刑事が鋭い眼を向けて木葉刑事を見て来る。 その様子に気付く里谷刑事で、彼女の視線に気付く葛城刑事も、彼を見て気付いた。


「おい、木葉よぉ。 まさか、ウチの署員を疑うのか?」


すると、首を左右に振る木葉刑事が。


「警官らしい制服は、ネットでも手に入れられますが。 自転車や警棒は、ちょっと面倒です。 この警察署で警邏けいらに使う自転車が盗まれてた・・、なんて無いですよね」


木葉刑事にこう言われて、葛城刑事は直ぐに絶対に無いとも言えず。


「警察署だって、完全な監視下に在るとは言えないな。 調べるなら、足元から行くのも仕方ない」


「葛城さん。 この署だと、自転車って何処へ止めて在るんですか?」


疑いを晴らす為には、とにかく調べる必要が在ると察した葛城刑事は、返ってある種のゾッとする寒気を背筋に覚える。


「待て、それならば先ず、署の総務課の係長と話を付ける」


こう言った葛城刑事は、総務課に向かった。 やはり、所轄としても真実を知るには、ちゃんとすべきと慌てたのだろう。


だが、其処に残された若い所轄の刑事は、明らかに木葉刑事へ不快感を顔へと現す。


その様子を脇で見る里谷刑事は、敵意剥き出しとなる若い刑事に。


「あのさ、やる気が在るのはイイけど、これぐらいの事で怒る訳? こんな時ほどに冷静に成らないと、事件なんて追えないわよ。 てかさ、犯人を見つけ出した時にそんな顔したら、話を聴く前に逃げられるわ。 おっかない…」


里谷刑事に言われて、若い所轄の刑事は更に嫌悪感を現す。 自分の所属する警察署の何も、疑いたくは無いのだろう。


然し…、不思議な事が、この後に起こる。


話を聴いた総務課の係長は、話が信じられないと婦警二人と一緒に遣って来た。 葛城刑事の案内で木葉刑事たち二人は、イライラした若い所轄の刑事も伴って警察署裏の自転車置き場へ行けば。 警察署が保管する自転車は、其処に全て存在していた。


自転車の数が揃っている処で、総務課の係長や若い刑事も安心を得た。 処が、安心も束の間、その一台に血痕が付着しているものが発見される。  被害者の霊が見詰めるので、木葉刑事は最初からその一台が怪しいと睨んでいた。


さて、その血痕の発見で、警察署も慌ただしくなる。 血痕の血液検査をする事と成り、警察署の防犯映像の調査も必要と成った。 昼下がりの騒動で、話を聴いた郷田管理官は驚いていたが…。


推理から自転車の存在を突き止め、その報告をした木葉刑事だが。 その報告を受けた郷田管理官は、事態の判明の仕方が不意打ち過ぎるとキツい眼差しをして。


「木葉刑事。 貴方は、あの血痕をどう見ますか?」


と、尋ねて来る。


だが、冷静な木葉刑事に、これはある種の愚問である。


「郷田管理官。 血痕の事は、調べが終わって答えが出てから判断すべきです。 我々は、機捜が調べた目撃情報を追いましょう。 逃げた方向の監視映像から、確実に分かる影を追う。 それで、一つ一つ済し崩して行くのが、捜査です」


‘ナシ割り’と云う、血痕など証拠から事件解決を追う手柄をその目に入れず。 所轄の刑事に任せて、‘地取り’(聴き込み)に回ると云う木葉刑事。 刑事は、事件の真相を追って、犯人を逮捕するのみ。 刑事で居られるならば、他に望みは無い。 木葉刑事の今の生き方は、其処に終始している。


さて、午前中に逃げ出した格闘家の様な男は、どうやら犯人では無さそうだ。


然し、存在が解れば手掛かりには成る。 逃げた男の目撃情報を追って、木葉刑事は里谷刑事と別の所轄からの応援として来た若い女性刑事と3人で聴き込みをする。


午後の6時前。 篠田班長より、あの血痕の血液型は被害者と一致した・・と連絡が来る。 DNAの検査には、まだ時間が必要と云う事だが。 ほぼ被害者の血液と見て間違いない、そう云うのだ。


だが、そうなると、誰が血痕を付着させたのか…。


午前中に事件の発生を聴いて現場に来た警察官は、午後の3時まで現場の立正をしていた。 それは、応援で来た箱詰め(派出所)勤務の中年警察官が証言した。


そうなると、外部の第三者か。 若しくは、内部の誰か、か…。


然し、その事実も夜には解る。 監視映像に因ると、どうやら警察官に変装した何者かが、夜の入りに来て自転車を盗み出し。 夜中の11時半過ぎに、こっそりと返していた。 また、カメラの角度の影響だが、帽子で顔は見えず、身長が175センチ前後。 痩せ形だが、明らかに天パの様な癖っ毛が特徴的な男性らしき者がそうだ。


篠田班の飯田刑事と所轄の駒沢刑事に〔多田羅〕《たたら》と云う女性刑事が組んで、そっちを調べ始めた。


一方、夜の入りまでには、事件現場から南方の上石神井の駅まで、袱紗を持って歩く不審なスーツ姿の若者の目撃情報は繋がり。 西武新宿線で池袋へと向かったと、防犯映像からその姿が確認された。


池袋の駅構内の‘アゼリアロード’の壁に凭れた里谷刑事が、篠田班長へ電話し。


「班長、午前中に目撃された若者の足取りは、池袋から山手線で渋谷方面に。 JRから時間を限定した範囲の映像を一気に収集して、降りた駅を特定します」


すると、電話の向こうで篠田班長が。


「あ、その連絡は、こっちに任せろ。 里谷と木葉は、今日はもう直帰してイイ。 一緒の玉郡たまごおり捜査員にも、直帰を言ってくれ」


「あら、班長。 まだ夕方の6時台ですよ」


「こ~れ~は、郷田管理官の指示だ。 今日の所轄署の血痕騒ぎは、内部の動揺を誘っただろう? 今日は早めに切り上げ、明日の捜査会議でもう一度・・気を引き締めたいらしい」


「あらら、新人は意外とビビりですね」


これには、電話向こうの篠田班長も薄い笑いを出して。


「そう言うなよ。 管理職は、そこそこ大変なんだぞ」


「ハイハイ、了解しました」


電話を終えた里谷刑事は、木葉刑事に事を伝え様と振り返ると。


「はい・・はい、そうですか。 すみません、わざわざ…」


木葉刑事も、誰かと電話していた。


今の内にトレイと消えていた長身となる玉郡刑事が向こうから来る。 筋肉質の体格となるちょっとオカメに似た顔の人物だが。 人への対応から此方への態度も、ちゃんとしている人物だ。


互いに電話を終えて、帰宅ラッシュの人通りが多い中でまた寄る三人。


里谷刑事が、先に。


「今日は上がりで、このまま帰ってイイみたいよ」


了承したと、頷く木葉刑事。


時計で時間を確かめる玉郡刑事より。


「まだ6時・・ですけど?」


同じ思いの里谷刑事だが。


「所轄の中身が、昼間の衝撃から立ち直れて無いンだって。 今日は少し早く切り上げさせて、明日に引き締めようってコトよ」


「あぁ…。 情報を挙げた御二方は、ケッコー睨まれてましたしね」


「まぁね」


サラッと言った里谷刑事。


頭を掻く木葉刑事は、少し済まなそうにして。


「自転車を調べるならば、周りより先に足下から・・って思ったら、ドンピシャだもんな。 確かに、怒らせたかね」


こんな意見に、玉郡刑事は少し同情はしつつも。


「でも、見過ごしたらもっと大変です。 それに、私の居る所轄も近いので、同じ立場に近いですから。 嫌な事でも、間違いは無い事だと。 噂と違って、木葉さんは鋭い方ですね」


言われて苦笑いの木葉刑事をチラ見する里谷刑事より。


「だから、やっかまれるのよ。 でも、嘘やでっち上げなんてしないから、無害よ。 安心して」


「はい」


此処でスマホを確認する玉郡刑事は、メールを見ては。


「あ、じゃ私はお先に失礼します。 母の介護が有りますから」


「わっ、偉っらい」


「兄妹でしているンです。 兄さんの奥さんは介護士なんですが、今夜は夜勤で不在なので。 兄が残業となれば、私しか居ないんです」


玉郡刑事が地下鉄のホームの方へと去って行く。


見送る木葉刑事は、


「偉いなぁ」


と、感心する。


まだ両親が元気な里谷刑事で。


「ホントよ。 ウチは、まだ両親共に元気だから助かるわ。 で? 自由になっちゃったわよ」


「そぉッスねぇ・・。 じゃ~せっかく池袋まで来ましたから、ラーメンでも食います?」


いきなりラーメンとは。


「ハァ? もうちょっと…」


どうせなら、もう少し気の利いた店を求めたい里谷刑事。


然し、ボヤンとした木葉刑事は、


「里谷さんの奢りなら、何処でもイイですけど。 一年ぐらいの間に3回も入院してた上、2年も減俸を食らった貧乏人に、そんな期待をされても困るッス」


酷く当たり前の事だが。 夢や期待感や頼り甲斐の無い答えが、更なる追い打ちをして来る感じがする里谷刑事。


「もうイイわ。 池袋で有名なのがラーメン・・だけじゃないでしょ? 待ってっ、直ぐにイイ感じの店を探す」


何処かその精神に女性的な処を保つ里谷刑事は、リストランテ風の店を探し出すと。


「此処、二席とった」


横からスマホを覗く木葉刑事は、小洒落た感に不安を覚えて苦虫を噛む顔をする。


「高かったら、明日から文句攻めしますからね」


「木葉刑事、男らしく無いぞ」


「‘らしく’生きた事、これまでに無いッス」


木葉刑事の返しに、里谷刑事は昼間の彼を思い出し。


(出す処が、限定的過ぎるのよ)


と、先に歩き始めた。


さて、何となくイタリアンみたいな店の構えで。 中に入ればクラッシック音楽の掛かる、どちらかと云えば喫茶店みたいな雰囲気の店だった。 カウンター席が12と絵画を模様にした仕切りに区切られた、二席から多人数と成るテーブル席が広がる店内。 ウェイトレスと云うのか、女性版のギャルソンの格好をした店員に誘われ、向かい合うテーブル席に入った。 席に就くなりに里谷刑事はワインを頼むが。 まだ身体に軽い違和感の在る木葉刑事は、食事のみでジュースを頼む。


さて、料理を待つ間に。


水をゆっくり口へ含む木葉刑事が先に話をし始めて。


「さっき、遠矢の事を調べてる先輩から連絡が来ましてね」


「さっきの電話?」


「はい」


ちょっと沈んだ木葉刑事の様子から、里谷刑事も調べが難航していると解る。


「確か・・誰の差し金か、ウザい弁護士が付いたみたいね」


「らしいです。 自分の殺人未遂はまだ確定としても、向坂さんの事件は死体遺棄を付けた傷害致死が妥当にするしか無いみたいな事を…」


ワインを呷る里谷刑事で、遠矢なるライターを永久にぶち込みたいから。


「ん・余罪、相当に在る筈よ。 其処さえ解れば、絶対に仮釈放無しの無期に成るわ」


と、願望込みの推測を言った。


また水を飲む木葉刑事は、窓の外の街灯下の往来を見ながら。


「ですが、奴の絡む先には、暴力団やら政治家やら企業の権力者が居ます。 奴から罪を暴かれたく無い場合は、その弁護士を通じて証拠隠滅を計るでしょう。 何処まで立件が可能か・・、暗中模索みたいッス」


池袋の駅も見える窓の外を見る里谷刑事も。


「チッ。 悪い奴らってのは、何処までも…」


然し、其処は木葉刑事の方が冷静だ。


「ま、悪いことをしている方が、こんな時の為の自衛手段を確保してますよ」


埒が開かない闇にモヤモヤする里谷刑事。 ワインをグラスに流しながら。


「只の無期なら、20年もしないで出所するわ。 まぁ、木葉さんへの殺人未遂と重ねても、懲役の最高って30年でしょ? そんな弁護士が着くなら、刑期が決まった後でも色々と支援が付きそう。 15年から20年ぐらいして、模範で出れたら。 その頃は古川さんの娘さんだって、家族が居るかも知れない。 不安が残る決着は、余り嬉しく無いわ」


その不安は、遠矢の事件を担当する刑事全員の不安だ。 だから、内心で苛立ちが沸く。


さて、此処で前菜の料理が運ばれて来る。 マグロのカルバッチョ的な、野菜の多いサラダを食べる木葉刑事は、ふと窓を見て。


(仕方無い、か。 どうせなら・・強引にでも解らせてやろうかな。 悪足掻きは、もう通用しないってことを…)


詩織の未来のため、彼女を預かる越智水医師の家族の安全を考慮し、遠矢にもう後が無いことを解らせようと考えた。


では、どうするのだろうか。


黙る木葉刑事の静けさと、店内に流れるセレナーデ調の曲が不協和音をもたらした。


(ん、・・え?)


ふと、違和感を覚えて顔を前に向けた里谷刑事の視界に、木葉刑事の眼を映した時。 木葉刑事の眼に、明らかな殺意にも似た鋭さが浮かんで居るのを見つけた。


(・・・その眼、何?)


顔を込みで見るならば、一見するにボンヤリして居る様子だが。 その眼に在る虚無感と同居する冷めきった光は、一体何か。 空洞感が在りながらも、何処か怖さが漂う。


一瞬、背中に寒気を感じた里谷刑事は、ワインに逃げて。


(この彼を怒らせたら、悪人ほどヤバいんじゃない?)


木葉刑事が何か、遠矢を追い詰める手段を持って居る様な気がして、動物的感覚から寒気を覚えた里谷刑事。


そして、それは後日に解る。 木葉刑事はあの悪霊と戦って、只で居た訳では無い事を。 失うものが多ければ多いほどに、何かは得るモノも在るのだと云う事か…。


然し、それも束の間。 窓より視線を料理へ戻す木葉刑事が。


「そう云えば、里谷さんは刑事課に来て半年近くに成りますね」


「え? あ、まぁ~三ヶ月が過ぎたかしら」


「刑事課に来て、警護課との違いが気に成りますか?」


雑談に話が移れば、里谷刑事も口が動く。 言いたい事が山ほどあった。 友人は、一般の職業が多い里谷刑事だから、同じ職業で愚痴れる相手が居ないらしい。 9時過ぎまで、無駄話が続いた。


ま、見方を変えると、一瞬でも怖かった木葉刑事をまた見たくはなかったかも知れなかった。


さて、今回の事件だが。


次の日、木葉刑事と里谷刑事は、捜査会議に主席。 木葉刑事の読みには触れる事も少なく、血液の検査は被害者のものと一致となり。 所轄署内の防犯カメラの映像に映る者は、外部からの第三者が来た事と成ったが…。


朝、会議が始まる前に、木葉刑事の不安を聴いていた里谷刑事が。


「管理官、一つ宜しいですか?」


ちょっと怪訝な顔をする郷田管理官は、相手が女性の里谷刑事だから。


「里谷刑事、何か?」


と、すんなり指名する。


「はい、この防犯映像からしますと、外部から来た第三者ですが。 外から見え難い警察署の側面へ、辺りは気にしながらも真っ直ぐに入って行きます。 これは下見をしたか。 若しくは、署内の誰かから情報を貰ったか・・、疑わしいと思わざるえない様な気がしますが。 飲み会や友人との会話で、署内の様子を聴かれたりして話した人は居ないんでしょうか」


すると、飯田刑事も。


「今の事は、朝に木葉刑事が心配した事ですが。 自分も、それは気に成ります。 また、自転車は特注の物品ですから、搬入の業者にも話を聴くべきかと思います。 悪意は無く、自然な流れで言った事でも、犯人に繋がる可能性は全て追わせて下さい」


二人の話で采配に困った郷田管理官は、経験豊かな小山内理事官を見る。


だが、確かに盗まれたらしき自転車は、専用の鍵二つを外されていた。 軽い気持ちで欲したぐらいでは、この自転車は盗めない。


小考した小山内理事官は、聴き取りは必要かも知れないと言った。


列席しているこの警察署の署長は、困惑した顔をする。 これは出入りの業者も含む為、所轄署の職員には嫌な事だ。


だが、血痕のDNAが被害者と一致して、使った警邏が被害者宅を訪れて無い以上。 調べない訳には行かない。


郷田管理官は、更に突っ込んだ調べをする為に、その捜査もすると決めた。


その後、会議の後で。


「木葉」


廊下にて、ベテランの葛城刑事に呼び止められた。


「葛城さん、ご迷惑を掛けます」


呆れと疲労感を顔に出した葛城刑事の向こうには、此方を睨む所轄署の刑事等が居る。 葛城刑事は、そんな同じ署内の仲間を気にしながら。


「木葉よぉ。 事は大事なだけに、こっそりこっちにだけ回せとは言わないが。 あんな先走りは怖いぞ。 お前、あの仲間二人にだけ言ったって事は、あの話を後回しにする気だったのか?」


と、問い質す。


だが、まだ被害者の幽霊を所轄署の入り口に視た木葉刑事だから。


「葛城さん、おそらくは捜査が進むと、何れは同じ意見に達すると自分は思ったンですが…。 里谷さんも、飯田さんも、ウチの班で辞めた猪瀬刑事の事が在るから・・マジなんですよね」


「あ? ‘猪瀬’って、お前ン処の班に居て。 半月前ぐらいに懲戒解雇を食らった奴だろう?」


「はい。 ハニートラップに引っ掛かって、捜査情報を流しちゃったとか」


「誰に?」


「行き着けのスナックに居た、美人ホステス」


「ホステスが捜査情報を欲するって・・、まさか裏組織絡みか?」


「はい。 違法賭博へのガサ入れ情報を流す代わりに、そのホステスの身体とか、自分の借金と交換してたとか…」


警察側の汚点を聴く為か、苦渋に歪む顔をした葛城刑事で。 また、話から余罪の香りを嗅ぎ取り。


「その様子だと、一回や二回じゃ~無さそうだな?」


「はい。 猪瀬さん本人も違法賭博の場に出入りしたくて、情報と引き換えに会員に成ったとか。 其処での負けが込んだ時の借金が、弱みに成ったみたいですね。 後は、ホステスに甘えられた上に借金返済を迫られて、ホイホイと情報を流して居たみたいです」


全く自覚も無い、感覚が麻痺した様な話に、


「カァ~~~、サツカン遣ってる身でマジかよ」


と、葛城刑事も頭を抱えた。


「ま、二課と組対課の合同捜査で情報が漏れてると解り。 違法賭博の現場にて見掛けられてからは、もう目を付けられていたみたいッス。 んで、猪瀬さんにガセの踏み込み情報を流して、遂に発覚したとか」


「アチャ・・、救い様の無いバカだ」


「ま、そのホステスとの付き合い自体が、一課の刑事に成る前からで。 金銭や肉体の遣り取りを、今は監察官が調べてます。 篠田班長もその猪瀬さんを突き出す事で、何とか首の皮が繋がったみたいッスよ」


全くまだ表沙汰に成ってない情報に、冷や汗すら感じた葛城刑事。


「ま、追う側と追われる側の癒着は、今に始まった事じゃ無いが…。 あの打診した二人の刑事さんは、それを怖がったってか?」


「おそらく…。 ・・ってか、後手後手はイヤじゃないッスか」


「何だか、今回の二課サンの失態といい、今回のウチの疑惑といい。 嫌な流れは、広縞の事件やあの首無し惨殺事件の余波みたいだな」


葛城刑事の意見に、木葉刑事も続いて。


「上層部も、そのゴタゴタで疲弊した警察組織が漬け込まれたとは、認識してるかも」


「そうか・・。 お互いに、大変だな」


「自分より、篠田班長の方が大変ですよ。 俺は、あの時の記憶が無いみたいなんで、楽です」


‘記憶が無い’事を、‘楽’などと、普通なら簡単に言えるものでも無い。 葛城刑事は、そんな覚めた木葉刑事が、また何処かで無理をしないかと。


「お前も、無理するなよ」


「大丈夫ッス。 無理をする事も忘れました」


「ヌかせよ、本心を隠しやがって…」


若い後輩刑事の方に向かう葛城刑事は、手を上げて行く。


一方、入り口に向かう木葉刑事は、被害者の老婆が署内を睨み付けているのを視て。


(これで、消えてくれるとイイんだけどな…)


こう思うのみ。 これ以上この署内に居るならば、被疑者が署内に居る事と成る。 其処までは考えたくは無い、木葉刑事で在る。


さて、‘捜査一課情報分析室’、と云う警視庁の新しい部署から。


“逃げた参考人は新宿から中央線に乗り換え、御茶ノ水駅まで向かいました”


との情報を得たので、其処から足取りを追う事にする。 篠田班長が昨日に‘任せろ’と言ったのは、これの事らしい。 御茶ノ水駅に行き、参考人に変わったスーツ姿の若者の情報を追うと。 そのちぐはぐな姿が印象に残るのか、目撃者は多数に登る。


その日の午後1時過ぎ。


御茶ノ水駅より南下した神田にて、コンビニに立ち寄った参考人の情報を得て。 漸く、顔の良く判る画像を入手した木葉刑事。 本部の篠田班長に連絡すると。


「班長、画像を鮮明化して、顔をこっちに回して下さい」


「木葉、それはイイがよ。 こっちは、ちょっと大変だぞ」


「どうかしましたか?」


「それが、な。 どうも副署長の息子で生安課の巡査がよ。 半月ぐらい前、仲間との飲み会で色々と聴かれたらしい。 鍵の事とか、自転車の停めて在る場所とか、防犯カメラの位置とか、な」


「そうですか。 でも、それはそっちに任せましょう。 管理官にまでバレたら、副署長も隠すのが難しいでしょうし」


「それは、確かに」


すると木葉刑事には、まだ頼みたい事が在り。


「あの、班長」


「ん?」


「一つ、頼みが在ります」


「何だ?」


「はい。 この送った画像の人物は、新手の特集詐欺の下っ端の可能性も強いんで。 迅に・・、居間部刑事にも見せて下さい。 向こうの情報から、誰か判明するかも知れないんで」


木葉刑事の打診を受けて、篠田班長は魂胆を察する。


「お前ぇ、向こうのミスを助けるつもりか?」


「ま、そんな処ッス。 里谷さんから聴きましたが。 未解決の連続殺人事件が起こっていた今年1月は、結構な情報を彼方から貰ったンでしょう? 貸し借りを消化して、次の貸し分まで…」


「あぁっ、もういい。 お前の言いたい事は良く解った。 俺も、去年の年末から2月までの事は、思い出したくも無い。 任せとけ」


「ありがとうございます」


「フン。 猪瀬のお蔭で、お前の存在が尚更に有り難く見えるわいっ」


切られた木葉刑事だが、話は通ったと微かに笑んだ。


さて、そのコンビニ近くにて聴き込むと、格好は同じでも、背丈や顔の違う若者の目撃情報が多数挙がる。 これは、この辺に拠点が在ると、木葉刑事も、里谷刑事も察知した。 二人して相談し合い、目撃が多数集中する雑居ビルとビルの間を抜ける脇道を見張る事にする。 ただ、自分達が不審者では不味いので、その脇道に沿う入り口のファミレスに入る事にした二人。 参考人や他から目撃された場所は、雑居ビルの密集する裏路地の辺り。 こんな所に住めるのかは微妙だが、集まるならば拠点が在る筈だと見張ってみる事に。


店内に入るに当たり、わざわざ窓辺を指定した二人。 座って窓を見た木葉刑事。


「ひと月に数回って事は、常時に亘って屯してる訳じゃ~無いッスね。 一体、何処から来てるんしょ~かね」


お絞りで手を拭く里谷刑事は、タッチパネルのメニューを見ながら。


「大通りの左右に聴き込んでも、目撃例が在るのはこっち側だけ。 尚且つ、月に数回って云うのは、此処のみ。 通ってるのかしらねぇ~」


チキンソテーとカレーのセットを頼む木葉刑事。


「二課の不手際に、警察の備品が使われましたからね。 解決までに時間を長く掛けたく無いのが、上の本音。 あの管理官サマは、どんな指示をだすのかな」


木葉刑事の呟きを聴いた里谷刑事は、直ぐに問題と成った副署長の息子を想像して。


「それって、うっかり喋っちゃった若い子?」


「はい」


気にするに値しない話だからか、よそ見して大して気にも成らない里谷刑事だ。


「まぁ、叱責プラスの減俸ぐらいじゃない? 出世は遅れるだろうけど…」


「それなら、まぁ頑張れるかな」


優しい事をヌかす木葉刑事に、半眼の里谷刑事はスマホでニュースを見ながら。


「甘い、ヌルい、無駄。 副署長の息子だから、まぁ~見られる環境は変わるだろうけど。 貴方の今までに比べたら、まだ楽じゃないの?」


苦笑いをする木葉刑事。


「里谷さん、手厳しいッスね」


「フンっ。 親の七光り的な二世は、好かんっ」


篠田班長と似た言い方をする里谷刑事に、今度は素の笑みを返す木葉刑事。


木葉刑事はスマホを弄るフリをして、怪しいと思う通行人をカメラの映像に収めて行く。 大容量のミクロSDに、どんどんデータを送る。


里谷刑事は、長時間録画の出来る機器を背中の窓にセットして放置しているので。


「てかさ、木葉さん。 見張り続ける場所は、この辺だけでイイの?」


と、絞り過ぎてないかと気にする。


処が、木葉刑事も記憶が無い間の事件の経過ぐらいは、班長に求めて資料で埋めている。


「実は、里谷さん。 この辺りの路地を入った雑居ビルでも、1月から2月に掛けて、例の首無し遺体が見つかってます。 曰わくの憑いた空き物件は、返って奴らの拠点には持って来い・・でしょ?」


1月から2月に掛けて、振り込め詐欺のグループが惨殺された。 その犯人は、例の悪霊だが。 それを思い出した里谷刑事。


「それで、さっきの聴き込みで知ったの?」


「はい」


「ホント、仕事に関してだけは、抜け目の無い人だわ~」


と、言った里谷刑事。


実は、参考人や似た格好の者の事を聴き回りながら同時に、他にも何か事件は無かったか。 また、怪しい者を見なかったかと、併せて聴き込む木葉刑事だった。 余計な事を聴いて居る様で、実は違って居たのだ。


料理が来て、食べる間に。 聴き込みに走る市村刑事、八橋刑事、織田刑事に、音声認識・文書変換機能でラインの様な形で連絡のやり取りをする。 もしかしたら長く見張る必要が在るので、誰か手分けも考えて欲しいと…。


その頃の如月刑事は、殺人事件の犯人と思われる偽警官を追って居た。


今の処、彼から情報として上がって居るのは、


“袱紗を持った違和感の在るスーツ姿の若者は、他にも居て。 霊感商法的な詐欺を働いていた”


“警官の姿に扮した殺人の容疑者は、今だその身元が判明せず”


“副署長の息子から情報を引き出した若者は、暴走族に入っていた若者で。 今は暴力団の末端に近い、手下の様なことをしている”


と、この三点。


所轄署の刑事課の刑事達は、副署長の息子から情報を聴いた若者を全力で追って居る。 在る意味、意固地となっているので有ろう。


然し、この日の進展は此処までだった。


次の日は悪天候で。 車で乗り付けた里谷刑事と木葉刑事は、コンビニの駐車場から路地を見張ったり。 客のフリをして、本屋などから路地の入口を見張ったり。


一方、捜査本部の在る所轄より近い場所で傷害事件も在り。 捜査本部が30近く出来ている今にして、10名しか席の無い管理官だから、郷田管理官が其方の事件も掛け持ちをする。


さて、木葉刑事や里谷刑事が写した若者の一部には、やはり振り込め詐欺の末端に関わった者が居た。 その若者達は極少数派ながら、振り込め詐欺の末端で働く事を生業にする、一部の新たな隠語で‘中間’《ちゅうげん》と渾名されている。 名前の由来は、江戸期に大名や旗本の下っ端や遣いっ走りの事だが。 彼等は、色々な振り込め詐欺グループの末端をやりながら。 一方では、他のグループの情報から顧客を別のグループに売るなどして、個人的に金を得て居る信用の於けない者たち。 その為、組織力の在る暴力団系の詐欺グループには嫌われる。 が、その反面。 新たに出来上がったグループや、他のグループを潰してのし上がろうとするグループには、使い捨て要員として買われたりするのだとか。


二課の迅からそんな話まで聴けた木葉刑事だった。


そして、神保町にて怪しい路地を張り込むこと、3日目。


また、初日と同じファミレスに来た木葉刑事と里谷刑事。 曇り空と云う天候の中、脇道を見張って料理を食べる。 カメラを窓に仕込んだ里谷刑事だが、その眼に木葉刑事の指が見え。 直後、左へ向いたと向くと…。


「あら」


と、言うだけの里谷刑事。


然し、スマホを構えた木葉刑事は、袱紗の様な包みを持つ若者が目の前に現れ、問題の路地に向かって行くのを映す。


「目撃に在った参考人じゃ有りませんが。 ムチャクチャ違和感の在る姿ッスね」


フライドポテトを齧る里谷刑事は、頷くだけで口の中を空けてから。


「髪の毛が虹色で、筋肉ムキムキにピアスを耳に片側5個もして。 挙げ句に、全指に指輪してるのに、新社会人用の安いスーツ姿って・・ネェ」


木葉刑事は、他の若々しい普通の社会人も見て。


「アレも、目の前を通る立派な社会人同様、だとイイんですが…」


「ンな訳が在る? だとしたら、雇う企業の人事が見たいわ。 飲食店系か・・」


ふざけた話だと、戯れ言を続け様とした里谷刑事だったが。 途中で急に黙って、その眼を鋭く細めた。


これは、何事か。


処が、一方のスマホを弄って居るフリをしていた木葉刑事は、目の前を行き過ぎる3人の男達を見ると。


「あらら…。 あれは、〔鬼萄組〕《きとうぐみ》の幹部に座る〔岩元〕じゃ~ないですか?」


と、その人物等の写真を何枚も撮った。


‘岩元’なる、堅気の生き方をして居るとは到底に思えない人物へ、凶悪な犯人を前にしたかの様な鋭い睨みすら見せた里谷刑事。


「アイツ・・、この辺りに来てたのね」


「みたいッスね~。 三年前までは、〔企業恐喝の顔〕って言われた男だけど。 警察に一度捕まってから、振り込め詐欺のリーダーに変わったかな?」


何か胸に湧き上がる感情を隠す為、前屈みに成る様な態度にて。 余るフライドポテトに向かう里谷刑事は、怖い顔をする。


「アイツだけは、一生・・忘れられない」


彼方此方に写真を送ったり、メールを打ったりとスマホを操作する木葉刑事だが。 目の前の里谷刑事の雰囲気から、過去の事を思い出した。


「確か警護課は、岩元にケッコー泣かされましたよね。 アイツの脅しから企業側のマルタイを守る為、過去・・二人でしたっけ?」


「・・三人よ」


短く答え、食べる里谷刑事。


その事件は、刑事を遣っていればまだ記憶に新しいハズだ。 里谷刑事がまだ警護課の捜査員だった頃。 警護課は、捜査二課や組織犯罪対策班と協力して。 先ほどに歩いて居た男の一人、岩元から恐喝された企業の家族やら幹部職員を守り抜いた事が在る。


だが、総会屋の逮捕を含めて恐喝の全てを警察に封じられ、して遣られた事に腹を立てた岩元は、ワザと企業のトップの家族を狙って警護課に警護させ。 その警護をする捜査員を狙うと云う、卑劣な暴挙に出た。 その時は、警護課の捜査員もマルタイ(警護対象)を守る事に集中していたので。 いざ、岩元の手下から自分が襲われた時に、自分の身を守る事に神経が向かわなかった。 当時の襲撃時、都内数か所にて警護課の捜査員が6人も刺され、里谷刑事ですら軽傷を負いながらも凶行に及んだ犯人を二人も確保した。 警護課の捜査員が襲われた場所では道路が血で染まり、流血の惨事と大々的に報道された…。


襲撃犯は、怪我をしながらも警護課の捜査員により全員が逮捕された。 然し、首謀者のはずの岩元は黙りを通し、恐喝の容疑のみで起訴されて刑が確定し刑務所に入り。 警護課の捜査員を刺殺した三人の手下は、それぞれ殺人の初犯として無期懲役に。


この裁判に於いて検察側は、三人へ死刑を求刑。 現場に居た岩元にも、殺人教唆や共同正犯を問おうしたが。 死んだ捜査員の仇を法に訴えていると、裁判官に指摘された。 法律は犯罪に対する罰則を設けたもので、基本的には被害者や遺族などの恨みを晴らすものでは無く。 検察が警察の主張を丸呑みするならば、それも‘仇討ち’と時の最高裁判官が意見を出して、争った裁判は一審の審判のままの刑となった。


里谷刑事は別の班ながら同僚三人を失って、岩元が軽い罪にしか問えなかった事に強く激しい憤りを露わにした。 その為、前の上司で在る寺島班長より一度は班を外された。 それから一年して、また寺島班へ組み込まれた時、別件での入院女性に対する警護を押し付ける様に言い渡された。


そう・・、結婚詐欺の被害に遭った事から憎しみを抱き、悪霊と契約してしまった女性の事だ。


そんな経緯が在り、一番イヤな人物を見てしまった里谷刑事は黙る。 悔しさを押し殺すが故に、何も喋れなくなったのだろう。


だが、木葉刑事の眼には、何と今回の事件の被害者が視えていた…。 その事実は、事件を見通す決定打と云える。 木葉刑事は、今回の殺人事件の首謀者が、この目の前を通った岩元だと察した。


(そっか・・、そう云う事か。 巡回をする警邏の変装で、自分達を売り渡そうとした被害者を・・・ね。 恨みが有る警察に、罪を押し付け様って~~のね。 ま・・それなら売られた喧嘩だから、こっちも買いましょう)


路地に消えた岩元を、スマホを下ろして見た木葉刑事は、その胸の内にて。


(但し、そっちへの代償はべらぼうに高くツキますが。 こっちは二束三文で、激安で買い叩きますよ)


不敵な笑みを片方の口に浮かべ、岩元へ報復を誓う。 木葉刑事のその顔を、里谷刑事が見ていたかは・・解らないが。


さて、食事は終わったが。 デザートとコーヒーで、他に誰か来ないかと監視を続ける二人。 岩元の名前が出たことには、篠田班長もびっくりしたし。 スマホ上の連絡網で知る他の刑事達は、里谷刑事へ自重する様にと文字が走った。 警護課の事件は、警視庁の職員をする全員が知っていて当然の事である。


その後に、また袱紗を持つスーツ姿の若者が来て、それを写真に写す木葉刑事のスマホに。 大学の後輩で、捜査二課に所属する迅からメールが来た。


「迅からメールです。 岩元の事は、みんなびっくりみたいですね」


木葉刑事の話に、無言で頷き返すだけの里谷刑事。


さて、居間部刑事より来たメールを見ると。


‐ 木葉先輩へ。


〔大様会系鬼萄組〕《おおさまかいけいきとうぐみ》の岩元は、出所と同時に詐欺グループの統括に治まりました。


それからコンビニの映像に映っていたのは、一番下っ端の使い捨て要員です。


最近の組織は、‘受け子’や‘掛け子’を日雇いの素人を雇い入れる形で、幹部や組員と全く接触させない。 そんな周到なやり方をし始めました。


また、振り込んだ金を安全に引き出させる為、息の掛かった店舗にATMを設置して利用するなど、手口が巧妙化しています。


今回の一連の事件に岩元が絡むかは、まだ一切解りませんが。 他の‘売り子’が居る以上、怪しいと思われます。


それから、副署長の息子から情報を引き出したのは、彼の仲間である〔須藤〕と云う若者です。 逮捕される前から岩元の手下で、以前には傷害の前科が有り。 今、飯田刑事等が捜しています。


                               以上、居間部より ‐


メールを見た木葉刑事は、里谷刑事にも見せる。 内容を読む里谷刑事は、食い入る様に睨んでいたが…。 彼女が確認したとスマホを返して貰った木葉刑事は、スマホの画面を暗くさせて。


「里谷さん。 ここいらで一回、本部に戻りませんか? 報告以上に、此処からは勝手には出来ません」


唐揚げに付いて来たレモンを齧る里谷刑事。


「・・ん、解った。 岩元を目の前にして戻るのは、マジで腹立つけど…」


二人の意見は、すんなりと一致した。 ファミレスでの会計を済ませた二人は、所轄に立てられた捜査本部に戻った。


漸く晴れ渡った空の青に、夕方の赤い光が微かな存在を見せる午後4時過ぎ。 捜査本部に戻った木葉刑事は、郷田管理官を始めとした首脳陣達を前にしていた。 二課の迅が居る班長から同じ情報を得た郷田管理官は、小山内理事官、尚形係長を左右に置いて。


「木葉刑事。 現場を離れ、どうして戻って来ましたか?」


すると、ビッシっと立つ木葉刑事は、


「郷田管理官。 この鬼萄組の岩元と云う男の事は、幾らかご存知と思いますが?」


と、クソ真面目に言い切った。


すると、郷田管理官の眼がギュッと細く成り。


「知ってるも何もっ、我々警察の・・敵よ」


その態度には、明らかに苛立ちが滲む。 里谷刑事と同様に、亡くなった捜査員達の事は忘れて居ないらしい。 ま、警視副総監の娘で、警察機構に属するのだ。 怒り心頭するのも、理解するに容易い。


彼女同様に、尚形係長も、小山内理事官も、非常に厳しい顔をする。


木葉刑事は、捜査本部の管理をする面々の様子を一瞥すると。


「ご存知ならば、敢えて聴きます。 我々は、このままこの格好で調べ回っても大丈夫でしょうか? 変装など、悟られない対処は必要無いでしょうか? また、二課は彼等の詳細な情報を持っています。 これが只の詐欺グループなら、捕まえるのは二課の仕事かと…」


その打診を聴いた郷田管理官は、自分のすべき先を打診して来る木葉刑事が奇妙に思え。


「殺人に関わりが有るか、無いかを調べる気? 居る場所をおさ…」


と、途中まで言って、何故か止める。


小山内理事官は、郷田管理官に。


「どうしましたか?」


と、尋ねるのだが。


だが、其処で思案に困るのは、郷田管理官だ。 睨む様に木葉刑事を一瞥すると、


「調べる間に、向こうへ我々の存在を感づかれるのは…」


捜査一課や所轄の刑事が自分達の居る場所の周りを彷徨けば、向こうは捜査の手を察知するだろうと理解した小山内理事官。


「逃がす事だけは、絶対に出来ませんな」


それは当たり前と、頷くだけの郷田管理官。


だが、木葉刑事は、他の刑事達も居る前で。


「郷田管理官。 これは個人的で、妄想じみた推理かも知れませんが。 或る推測を言っても構いませんか?」


と、意見を言いたいとの事を申し込む。


すると、木葉刑事を好んで無い尚形係長が反応する。


「木葉、そんな曖昧な憶測は要らんぞ」


と、打診を一蹴した。


だが、木葉刑事を睨む様に、下から見上げ続けた郷田管理官が。


「本部に戻って来た理由は・・それですか?」


頷き返す木葉刑事で在り。


「幾割りか、は」


「・・いいわ、言いなさい」


すると。


「我々の担当する事件は、警察官に扮する被疑者が居ます」


「えぇ」


「警察署の自転車を使ったり、警察官に扮するなど。 遣り方からして、警察に罪を擦り付ける様とする意図が窺えます」


「返された自転車に、被害者の血痕が付着していた事実を知れば、直ぐに解るわ」


「では、あの鬼萄組の岩元は、企業恐喝をしていた時の計画、その全てを警察に阻まれ。 キレたからと捜査員を手下に殺させた人物。 今回の殺人事件を計画したのが岩元ならば、酷くすんなりと今回の事件の経緯といいますか、警察官の姿をさせた者が犯行をした理由が解る気がするのですが…」


木葉刑事の意見を聴くと、郷田管理官も、小山内理事官も、尚形係長までがピタリと黙った。 いや、内心で半分笑いながら聴いていた署員の刑事も、嘲笑う様な笑顔を消した。


木葉刑事は、相手が警察を憎む人物なので、刑事らしい格好は返って危険だと添える。


班長で在る篠田は、あの岩元を相手にまた犠牲が出るのは困ると感じ。


「管理官の御了承が在るのなら、変装に因る捜査も許可したいですな」


こう木葉刑事に順応した。


すると、俯いた郷田管理官は頭を軽く掻いた後。


「木葉刑事」


と、彼を見上げると。


「は」


「今日は、もう里谷刑事と二人して切り上げていいわ。 その代わり、明日から里谷刑事と市村刑事と織田刑事の四人に、本部へ召集した五人の応援の刑事を伴い。 捜査応援を頼む二課の班と合流をして、神田のその地域一帯を調べなさい。 そして、岩元が主犯かどうかはともかく、奴の拠点を見つけなさい」


「はい」


許可を貰えたと、一礼する木葉刑事だが。


直ぐに、


「但しっ」


と、言葉を強くして言った郷田管理官は、目をまた鋭くすると。


「此方の事件と岩元が関係無い場合は、即座に二課へ捜査を引き渡して撤収。 ですがこの情報は、此方が主導で引っ張って来た以上。 その判断が着くまでは、我々が主軸。 手柄をみすみす譲る様な真似は、絶対に許さないわ」


それは、ズブッと太い釘を刺された感じがした木葉刑事。


「はい、了解です」


郷田管理官は、木葉刑事の脇に控える里谷刑事に。


「二人して、このまま警視庁に戻りなさい。 二課の一班と合流して、明日への準備を。 篠田班他の刑事は、聴き込み等の捜査より戻り次第、順次に其方へ返します」


「はい。 里谷、了解しました。 変装の準備を総務課と掛け合い、調達させて頂きます」


すると此処で、木葉刑事が里谷刑事に向いて。


「里谷さん、それは‘私服’って事ですか?」


この期に及んで、トンチンカンな事を言う木葉刑事。


里谷刑事は、その彼の腕を小突いて。


「‘変装’の捜査なら、個人的に可笑しく無い服装って事よっ。 他に、GPSやら盗聴器に、小型監視カメラとか通信機など、色々と借り受ける備品が在るの゛っ」


「あ、あぁ・・そうなんだっけか」


子供の様にすんなり頷く木葉刑事だが…。


「でも、違和感の無い格好っていってもなぁ…。 自分の普段着はスェットかジャージに、冬はハーフコートか・・ジャンパーを羽織るだけだけど…」


必要な物と記憶する木葉刑事に、辺りの一同が固まり。


決してフザケてる訳では無いが、かなりズレた意見の彼に、ワナワナした里谷刑事は。


「恥ずかしいバカを言ってんじゃ無いわよっ! アンタの服装は、私と二課の人で用意するっ!」


と、木葉刑事をど突き。


「郷田管理官、これから準備に入ります。 我々両名は一旦、警視庁に戻ります」


と、敬礼する。


然し、緊張した間合いから、完全なる緩和に入ってしまい。 笑いが込み上げる郷田管理官は、目頭を抑えながら肩を振るわせる。


そして、


“いいから、行って”


と、手で払う様な仕草だけした。


木葉刑事の間が抜けた話には、戻って来た所轄の刑事等まで笑って居て。 尚形係長は恥ずかしいと頭を抑え。 素直に笑えた小山内理事官は、


“流石、木葉らしいや”


と、続けて笑ってしまう。


一方、里谷刑事と同様に、恥ずかしいと感じる篠田班長は夕日の差し込む窓側に向いて。


「さぁ~て、明日も晴れるかな…」


と、他人を装った。


まぁ、変装と聴いて、自分の普段着の事を言う者は珍しい。 現場で捜査するのだから、個人の普段着などどうでも良いのだ。


里谷刑事に押し出されて行く木葉刑事に、所轄の若い刑事やら婦警が失笑を禁じ得ずにクスクスと。


然し、署内調査の合間で本部へ休憩に来ていた葛城刑事は、その様子を見て。


「アイツは器がデカいか、タダのアホか。 頭のキレや運は、持ってるのにな~」


と、ニヤリとしてお茶を呷った。


さて、警視庁に戻った木葉刑事は、夕方6時を過ぎた頃か。 捜査二課の迅が所属する班と、わざわざ会議室一つを割り当てられた中で合流した。


入って来た迅は、木葉刑事を見ると。


「先輩、捜査本部からの指令は、此方も聴いています。 あの岩元が相手なのに、土の付いた我々を指名して貰って、本当にすいません」


長身を半分に折り曲げて礼を述べ、他三人の二課の刑事も頭を下げる。


然し、此処まで捜査を引っ張って来た木葉刑事は・・、と云うと大した事でも無いと言いたげな顔をしていて。


「迅。 まだ事件は何も解決してない。 ミスったら先ずは、後始末を付けてから沙汰を仰ぐもんだろ~。 それより、何だってあの岩元みたいな大物が、また稼ぎの悪いインチキ商法なんかに手を出す訳さ?」


「はい。 全ては、年末年始から始まった、あの怪事件の所為みたいです」


佐貫刑事や古川刑事と云う、犠牲者を出した事件が蒸し返されて。 聴く木葉刑事と里谷刑事も、自然と顔が険しく成った。


「それは、あの首無しバラバラ・・の?」


「そうです。 あの一件で、振り込め詐欺をすると殺される・・と、そんな噂が流れまして。 振り込め詐欺のグループも下っ端の人員を確保する事も出来ず。 また、‘凌ぎ’を確保する為。 新手の今の詐欺を、別の暴走族上がりの半グレとなる者達のグループと始めたみたいです」


「悪い奴と悪い奴のコラボレーションだな」


「はい」


此処で木葉刑事は、今度は自分から迅に。


「もしかすると・・やっぱり今回の殺人事件は、岩元が主犯かもな…」


と、言う。


一方、話を受けた迅も。


「自分も、今更ながらにそう思えて来ます」


「多分、その暴走族上がりって云うインチキ商法をしていた若い奴らは、被害者の金を用意するって云う猶予の話を信じた…」


「ですが、先輩。 あの岩元は、そんな甘い話をすんなり信じる奴じゃ在りません」


「だから警察官の格好に自転車まで盗んでは、警邏の仕草をさせて。 被害者に夜分遅くと云う時間帯を選び・・」


「探りを入れさせたら、警察と通じていた」


「だから、殺した・・か?」


木葉刑事の詰めの話に、迅は真剣な眼差しを返し。


「奴が直接的に手を下した訳では無いと、過去からの経験で解りますが。 奴の悪知恵無しに、こんな面倒な遣り方は在りません」


大学の先輩と後輩ながら、やはり付き合いが在る二人は息も合う。 横で聴くだけの里谷刑事は、自分も混ぜてやって欲しいと思うのだが。


迅の先輩刑事達は、木葉刑事の噂とは違う本質を見た様で、少し見直す素振りだった。


さて、幾らかの休憩を挟んでから、二課の知る情報を元にして、明日からの調べる範囲や行動段階を確認し合うことと成る。


迅と他の二課の刑事達は、昨夜から継続的に調べをしていたので。 食事やら仮眠に消える。


二人きりに成った里谷刑事は、木葉刑事の脇にくっ付き。


「い~わねぇ~、後輩とのコンビも息が合うわ~」


と、茶化してから。


「それで、今日は警視庁に宿泊でしょ? 夕飯は、何か食べる? 食堂のカツ丼なら、奢るわよ」


と、打診が為されるが…。


捜査初日の帰りに寄った池袋のレストランでは、ワイン代で木葉刑事より倍以上も高い料金なのに、折半を貫いた里谷刑事。 そんな里谷刑事を横目にする木葉刑事。


「へぇ~、580円なら奢れて。 3874円の差額は、折半ッスか」


小言を云う木葉刑事の話が耳に痛く、離れた里谷刑事は指一本を立てて。


「アイスコーヒーの一杯も、追加」


すると何故か、反対側へ顔を向けた木葉刑事で在り。


「其処のコンビニの新商品、‘キャラメルマキュアートチョコパフェ’追加で、手を打ちまひょう」


これには、里谷刑事も頭を抱え込んで。


「う゛っ、それは・・一昨日から発売の新商品っ! 食べたいと思いつつも、仕事で忘れていた一品ではないかぁぁ…」


一人分で800円近くする商品だが、自分も食べたいので。


「えぇい゛っ、乗った!」


と、勢いで言う。


ニヤリとした木葉刑事は、里谷刑事に向いて左手を見せると。


「い・た・だ・き・ま・す。 頂きます」


と、合掌する。


苦い顔をした里谷刑事は、


「古いし、一文字多いっ!」


と、買いに出る。


だが、里谷刑事が部屋を出てドアを閉めた後だ。 俯く木葉刑事の顔が、暗く怖く成った。


「・・なぁ、最初に言ったハズだよな。 お前の首には、冷たい縄が掛かる・・と。 抗って逃げる気なら、こっちも容赦しないぞ・・・遠矢」


こう呟いた木葉刑事は、獲物を見つけ出した獣の様な鋭い眼して、静かな歩みのままに会議室を出る。 廊下へと出れば済ました顔に変わるが。 向かうのは、まだ取り調べが行われる‘聴取室’だった………。


里谷刑事が警視庁の外に出て、20分ほどした後。


(新商品のパフェちゃん、待っててねぇ~ん。 カツカレーの後で、アタクシのお口に入れてあげりるぅ~)


わざわざお金を下ろした後、コンビニで新商品の為に並んだ里谷刑事が、珍しく‘ルンルン気分’で戻って来たが…。 警視庁内に入り、割り当てられた部屋に戻ろうとした時だ。


「退け退けっ!」


数名の刑事が血相を変えて、廊下を走って行く。


「あらら?」


何事か、と後を着いて行く里谷刑事は、取り調べ室に刑事やら職員が集まって居るのか見えた。


「え? え゛っ? な・にぃ?」


とんでもない騒ぎなので、取り調べしていた誰かでも脱走したなど、異常な事態が起こったのかと思ったが…。


取り調べ室の近くの壁際に、刑事課の女性職員が俯き背を併せて居るのを見て。


「沙樹ちゃん、どうしたの?」


震えてさえ居た女性職員は、頼れる女性の里谷刑事が来ると。


「さとやさぁ~ん」


と、抱き付いて来た。


そして、その後。 7時前ぐらいか。 トイレから戻ったフリをする気だった木葉刑事だが、まだ里谷刑事が戻って居らず。 久しぶりに身に着ける通信機やGPSを見ていると…。


廊下から走る足音がしたと思ったら、里谷刑事が飛び込んで来る。


「ねぇっ!! 遠矢の事を聴いたっ?!」


と、コンビニの袋をテーブルに置く。


己のした事だが、知らぬ存ぜぬを貫く気の木葉刑事だから。


「遠矢が・・どうかしました?」


と、里谷刑事に問い返せば。


息の荒い里谷刑事は、


「それ・がっ、狂った様に喚いてっ、気を失ったって!」


呼吸を落ち着かせようとする里谷刑事だから、語りの端切れ悪く聴いた事を語れば。


「あ、じゃあ・・さっきトイレに聴こえて来た大声って、それか」


息を整えた里谷刑事は、鋭い視線を向けて来ると。


「昼間に焼き肉弁当を平らげて刑事をコケにしまくってた奴が、持病も無いのに何で突然に喚いて暴れた上、気絶するのよっ」


このまま喋らせると、怒鳴られそうな木葉刑事で在り。


「俺に・・言われても、なぁ…」


と、生返事しか出来ないと見せる。


苛立って居る里谷刑事は、後の事が心配なのか。


「何を呑気な事をっ。 これを刑事の不手際にされたり、病気療養を使われて病院に入院したらっ! あのクソ弁護士達が何を言い出すかっ」


苛立ちを抑えきれない里谷刑事は、木葉刑事が遠矢を責めたとは思って無い。 寧ろ、起訴を渋る警察を欺く為に、遠矢自身が態とやったと思っていた。


困った様な態度をする木葉刑事は、頭を掻きながら。


「いっそのこと、逮捕じゃなくて射殺とか出来たら、良かったかなぁ~」


と、恐ろしい事を口にした。


それは言い過ぎとも言い切れない里谷刑事は、パイプ椅子にドカッと座って。


「あぁっ、パフェ食べよっ。 イライラして、気が落ち着かないわっ」


二人分の新商品を取り出し、八つ当たりの様に自分の方を食べ始める。


だが、木葉刑事は心配などして居ない。 遠矢は、遠矢自身の罪で死ぬと、ハッキリ理解していた。


夜に成って、警視庁が騒然としてしまった。 救急車で運ばれた遠矢だから、警視庁内でも混乱する。


“行き過ぎた取り調べは無かったか”


“何等かの薬物を飲まされた可能性は?”


“接見した弁護士から、何かを吹き込まれて居なかったのか”


憶測が飛び交い出して、騒動を聞きつけた悪徳弁護士が夜8時過ぎにはクレームを付けて来た。


“これはいよいよ、相手のいい様にされる”


と、刑事達も意気消沈する。


だが、そんな風に事が進む筈も無い。 木葉刑事の或る行動に因って、遠矢は地獄に堕ちていた。


さて、警視庁にて、遠矢の事を調べる刑事達が絶望感に浸って居た頃か。 


気絶した遠矢が目覚めたのは、警察病院での病室。 然し、目覚めた瞬間からまた気が狂ったかの様に喚いた遠矢で在り。 慌てる看護師が医師を呼び、彼へ鎮静剤を打とうとする医者だが。 遠矢は、そんな医師へと掴み掛かるなり。


「頼むっ! 刑事を呼んでくれぇっ!! 俺を今すぐっ、警察に戻してくれぇ!!!!!」


と、縋り付いて懇願したのだ。


遠矢の物言いに驚いた医師。 予想では、警察側の何らかの仕業で気を失ったと思っていたのだ。 困った医師は、直ぐに待機していた警視庁刑事課の木田一課長やら小山内理事官を呼ぶ。


病室ながら、刑事課の責任者が来るなりに遠矢は、木田一課長に飛び付くや有りっ丈の知る情報をぶち撒け始める。 先ず、大阪にて古川刑事が亡くなった事を知り。 その遺族をボロボロにしようと考え、詩織への接近を計った最近から話は始まった。


いきなり自分の罪を懺悔をするかの様に、余罪についての自白をされ。 木田一課長も、小山内理事官も心底から驚いた。


“とにかく、捜査本部の刑事達を呼べ”


木田一課長の指図で、病室での取り調べと変わった。


警察病院に呼ばれた刑事達は、


“もう地と天がひっくり返った”


本当にそう思うほどの驚きだったが…。


何か、自身の周りのあらゆる方向を見て怯え震える遠矢の話の続きを聴き始めると、次は京都での話だ。


京都と大阪の府議会議員の弱みを握り、その妻や娘を襲って手に掛けた事。 その握った弱みと云うのは、密かに官製談合が行われ、府議会議員の家族が関わる企業や暴力団関係者と関わりの有る下請けを有する企業に優先して、半ば意味のない公共事業を受注させた事を語る。


“事実確認を急げっ”


“起きている刑事、謹慎を言い渡された刑事も呼び出せっ”


取り調べの行われる病室の外では、木田一課長と小山内理事官が他の刑事達を呼び寄せる事で忙しく成った。


さて、更に脂汗を流して震える遠矢の自白はそのまま続き、なんと深夜まで続く。


そして、神奈川に住んで居た頃、都内にて向坂なる例の女性を殺害したと自供した。 その話は、広縞関連の取材を隠れ蓑にした計画性のある犯行だった。 更に時を遡って、麻薬の汚染を取材する傍ら。 快楽目的で、男からホステスやら風俗業の女性が麻薬を覚えさせられて。 その違法薬物の使用を見逃す見返りに、肉体やら金銭を要求し。 払えない者には、自分の個人的な付き合いの在る議員や企業幹部や闇の交際相手へ、彼女達を斡旋したと云う。


自分の遣ったことを詳細に、然も取り憑かれたかの様に話す遠矢。 そして、深夜に至る頃。 眼が虚ろになり始めた遠矢で、医師が休憩を打診。 刑事たちも疲れ、休ませる事には木田一課長も了承した。


然し、何処から情報が漏れたか、議員やら企業から依頼を受けた弁護士達が真夜中に警察病院へと駆けつけた。 この時に遠矢は、もう注射の影響から眠っていた。 それから朝方まで、遠矢を病気だの、警察の横暴が在っただのと言い面会謝絶と云う隔離しようとする弁護士達と、彼自身からの自白だと主張する木田一課長が対峙して一歩も引かなかった。


そして、明けた朝の8時頃。


ハッと目覚める遠矢は、絶叫を発して部屋中を逃げ回る。 自分を守ろうとする弁護士達を押し退け、食事もトイレも忘れ刑事達を呼んだ。 木田一課長は、其処で警視庁に彼の身柄を戻すとし。 遠矢も、病院から取り調べ室への移動を刑事達に懇願した。


その日の昼前には、遠矢の身柄は警視庁に逆戻りした。 場所を取り調べ室に移動して、遠矢の自白は更に過去へと遡って行く。


夜中に喋った薬物使用の記事を書く一件だが。 その切っ掛けと成ったのは、金の在る主婦の間に広がっていた麻薬事情の取材からで。 その取材中、一人のセレブを気取る重役婦人を脅して、性的暴行をして自分の言いなりにした遠矢…。 度々に、その女性へ肉体関係やら金やら、夫の会社の情報をせびった遠矢だが。 女性の息子が遠矢の存在に気付いた。 無論、この男のことだ、子供にも恐ろしい態度にて口止めした。 だが、母親が父親以外の男性と性行する現場を見た少年。 その様子が子供心には余りにもショックだったのだろう、父親に云うと遠矢から逃げようとした。 この遠矢の性格からして、子供相手とて容赦ない。 そうはさせじと怒りに任せ殴りつけた少年は、公園の階段から落ちて首の骨を折った。 以前に木葉刑事が視た少年の幽霊は、正にその時に殺められた少年だ。


此処まで聴いただけで、刑事達の頭はおかしく成りそうだ。 たった五年以内でこの有り様とは、この先を聴くのも恐ろしい…。 然し、昨日の夜に遠矢のした供述は、裏が取れ始めて嘘の供述では無いとなる。 この今、向こうから喋るのだ、この際に全て聴き出すつもりで刑事達も覚悟した。


これまでの余裕綽々とした態度が消えた遠矢から、恐喝やら誤報記事の話も続いたが。 次なる大きな事件の自白は、都内の或る病院で起こった薬物事件に関して。 都内大手の病院にて、副作用の危険性が高まって輸入禁止と成った薬品を、棄てるのは勿体無いからと使用し続けた。 その結果は、24人もの副作用重篤者を出した事に繋がる。


然し、それが遠矢とどう繋がるかと云うと…。


なんとこの遠矢は、自分とは正反対の生き方をする記者の家を盗聴させ、その薬物使用の事実を掴んだ。 そして、まだ事態が表面化してない頃に、その病院の院長へ恐喝を仕掛けた。 見返りは、その違法な薬品使用の実態を調べる記者の始末で在る。 金を受け取った遠矢は、盗聴マニアの若者を使ってその記者を殺害。 足が着く前にと、その若者を自殺に見せ掛けて殺した。


どうしたものかと困るのは、自白を受ける刑事たち。 正直に自白する遠矢の話は、どれも驚くものばかり。 然も遠矢は、様々な情報を隠す秘密の隠れ家を持っていて。 その場所の存在をも話し。 トドメには、なんと自分を弁護する弁護士の弱みやら、その派遣をした議員、企業の重役、暴力団関係者の弱みについてまで話す。


10年ぐらいの間に行った余罪を喋る遠矢は、


“俺を死刑にしてくれっ!! こんな世界はっ、絶えられないっ!”


そう喚いて刑事に泣きつく。


そんな遠矢を見て、余りにもすんなり自白する様に刑事達は、自分たちは騙されて居るんじゃないか・・、とすら思った。


だが、雨が降る午後。 夕方の闇が迫るこの間に、彼の自白に基づいて誰にも知られてない遠矢の隠れ家に行けば。 自白した余罪についての写真、データ、メール、資料と、遠矢の知る悪事の様々な証拠を押収する。


警視庁の仮眠室にて休み、朝に起きて来た里谷刑事だが。 刻一刻とその慌ただしく変わる事態や態勢に。


(ナニが、ど~~なっちゃた訳?)


突然の大変化にもう呆けるしかなかった。


取調室にて、遠矢が余罪を更に洗いざらい喋り始めたと云う事で。 取り調べの状況を聴いた木田一課長は、捜査一課の待機に回る二つの係、六班を全て投入する。


午後には隠れ家が発見されて、隠されていた情報の内容を聴いた木田一課長は、刑事部長に掛け合って二課の選挙違反から贈収賄を扱う係、組織対策課の違法薬物を取り締まる係も加わって貰う様に頼む。


この大掛かりな捜査態勢に、遂に刑事部長は‘特別捜査本部’の設置を決定。 それまでは、企業や議員から圧力を受けた警察庁の上層部が歯止めを掛けていたが。 遠矢が喋って証拠や情報がこんなに出ては歯止めも掛からない。 いや、歯止めをする者は、何らかの弱みを遠矢に握られていて。 後ろめたい事でも在るのではないか・・と疑われる事を心配しなければ成らない。


夕方には、


“遠矢関連特別捜査本部”


として、証拠の確実な犯行から、他の容疑者の確保に動く。


また、これに応呼する様に。 大阪、京都、名古屋、横浜、松本、津と、遠矢の語った余罪に関わる地方大都市にて、次々と捜査本部が立てられて捜査が始まる。 この一連の騒動を嗅ぎ付けたマスコミの方でも、夕刊の量を増した分に発行が遅れ。 表裏を合わせて10ページに及ぶ号外まで出した。 TVでは、昼過ぎから速報が立て続けに流れ。 昼下がりの2時を回った頃から、民放が次々と特番として警察の逮捕状況を中継し出した。


遠矢に着く筈の弁護士達は、依頼者の企業、暴力団幹部、議員から咎められたが。 本人達の遣った悪事の証拠が、遂に警察の手に渡ったのだ。 其処から慌て証拠の隠滅をしようとすれば、もう人目に付く事を覚悟する必要が在る。


まるで暴露本を書くかのように喋り続ける遠矢と、その自白の裏を取ろうとする刑事達。 この突然の忙しさは、本当に盆、暮れ、正月が一気に来た様なものだが。 警察がこれまで涙を飲んだ屈辱を取り返す、言わば奇跡の忙しさ。 俄然、やる気を取り戻した刑事達は、もう活き活きとして息を吹き返した。 あの悪霊の起こした事件で痛めつけられた警察が、ついにまた元気に復活し始めた。





遠矢の全面自供からの連続逮捕騒動から3日後、昼間。


神田から秋葉原に掛けて、あの悪霊の仕業と言えた〔首なし殺人事件〕の現場と思しき物件を調べる、変装した木葉刑事と居間部刑事が居る。


海外製の青いスーツを来たエリートサラリーマン風の格好をする迅だが。


(先輩、今日のその格好は…)


里谷刑事プロデュースの格好を、迷わず着ている木葉刑事。 白い帽子に、白いブランドスーツの上下と云う、マフィア映画のマフィアの主人公みたいな格好をさせられて居る。 周りから浮いて明らかな違和感を覚える迅だが、木葉刑事はサングラスまでして。


「迅、見ろ。 袱紗を持ってる奴が居る」


と、目を向けた。


木葉刑事達が歩く大通りの対岸側の歩道では、里谷刑事が所轄からの応援やら二課の刑事と歩いていた。 その格好たるや、以前に悪霊事件の時に変装した格好と似ている。 木葉刑事を悪霊の元へと連れて行った、あの時の格好と…。


さて、木葉刑事と一緒に歩く迅は、スマートホンを片手に喋るふりをしながら。


「此方、“チーム先輩後輩”。 袱紗を持つ若者を発見。 只今、尾行中」


近くの駐車場に停まったバンの中では、織田刑事と他の捜査員が待機をして機材を見ている。


‐ 此方、ベース。 尾行の件、了解 ‐


其処へ、


「此方、地下鉄の張り込み班。 今、別の袱紗を持つ若者を発見。 尾行を開始します」


と、市村刑事より連絡が入った。


さて、袱紗を持つ違和感の有る若者を、それとなく尾行する先輩後輩の二人。 下手な尾行などしない二人は、応援にやって来た里谷刑事達と上手く挟み撃ちにして、若者が入る雑居ビルを突き止める。


ー 此方、チーム先輩後輩。 対象者が、青と白の縦縞をしたビルに入った模様。 至急、探りを開始して下さい。 -


迅の歩きながらの話に、近くの車両にて待機する織田刑事他の捜査員が動く。


一方、木葉刑事は、


- 居間部と木葉は、すれ違う時に姿を見られました。 変装を交換する為、一旦は里谷刑事主導のチームにタッチします -


‐ 此方、ベース班。 了解です。 他の衣服も、此方にスタンバイして有ります。 ‐


張り込みより3日して、漸くまた若者達が集まり始めた。 迅の所属する二課の話では、若者達は各自勝手に詐欺を働き。 数日に一度、進捗状況の報告に集まるとか。


通りを行き過ぎた木葉刑事を、後ろから見送る里谷刑事が。


‐ ふっふっふ、私の苦心のコーディネートだぞ、もっと恥掻け。 ‐


と、ツッコミを寄越す。


それを聴いた迅は、力が抜ける思いがする。


(やっぱり、先輩への弄りか…)


明らかにコスプレの域だと、仕事なのに面食らった。


然し、問題は此処からだ。 どうやって若者達や岩元を逮捕するか…。


アジトが解ったと聴いた捜査本部は、直ぐ様に細い路地を挟んだ反対側の空きビルを借り抑えた。 詐欺の事務所と思しきビルの反対側で、車も入れない路地を挟んだ雑居ビルの二階に、新しいベースを作る事に成った。


処が、劇的な展開の幕開けと成ったのは、少し曇りがちとなった次の日の事。


新たに若者向けのスキニージーンズを穿いて、黒いジャケットを羽織るテレビドラマの主人公的な衣服をする木葉刑事は。 カジュアルなカーゴパンツに長袖と襟の有る黒いシャツを着た迅と二人で、ビルの見張りをする事と成っていた。


その日は、二日続けて来ていた若者達が何故か集まらず。 岩元と黒いスーツ姿の組織の構成員二人のみが、辺りを酷く窺いながらビルの中へ。


木葉刑事も、居間部刑事も、直感的に。


“何で、あの二人だけが? 何か可笑しい”


二人の意見に、外へ出て見張る里谷刑事や市村刑事の班は、


“昨日までに居場所が特定できた若者が新たに詐欺へ向かう方を先に追うべきではないか”


と、不満げだったが…。


然し、午後の3時過ぎ。 ビルを専門にする清掃業者らしき三人が、そのビルに向かって行く時。 それを見た木葉刑事は、殺された老婆がその業者を止める様に喚く姿を視て直感が働いた。


- 此方っ、岩元を監視する木葉。 至急、周辺に張り込む関係捜査員、全員に告ぐ。 現場に突入する。 繰り返す、現場に突入するっ。 ビルへ入る清掃業者を止め、岩元を確保っ! -


と、言った。


これには、横に居た迅も、聞いていた里谷刑事や市村刑事も、その耳を疑った。


然し、動き出した木葉刑事が躊躇する迅と応援の刑事3人を伴ってビルへ。


「いきなり今、ビルのクリーニングなどする必要なんか無い。 こっちの捜査に勘づいたから拠点を変える前に、ビル内に残留する証拠を消す気だっ」


疑問を出す迅へ、木葉刑事はこう言い迅速に動く。


先輩の暴挙に近い行動で、迅も、二課の刑事も、所轄の刑事すら混乱を極めて対処への判断を麻痺させてしまった。


車両に待機する織田刑事は、その言い合いを盗聴器にて聞いた。 そして、一緒に乗る刑事達に応援で来た私服警察官三人を伴って飛び出す。


これは賭と思う里谷刑事だが、木葉刑事の読みを信じて市村刑事と合流。 所轄の刑事二人に、二課の刑事二人含めた全員で、岩元の居るビルへと踏み込んだ。


一方、


“現場に木葉刑事が踏み込んだ”


この情報を受けた本部は慌てて命令を出す。


“青い袱紗を持って、詐欺の獲物を狙う若者を、容疑者として逮捕せよ。”


と。


その頃、多勢に無勢か。 岩元とその他二人の構成員は、殺人教唆の首謀者としての容疑にて逮捕に至る。 篠田班の面々、二課の迅などの刑事たちは、もうこのまま一気に押し切る様な捜査をするしかないと覚悟を決めた。 だが、木葉刑事にとって、これは一か八かでは無かった。


岩元が清掃業者を呼んだのは、須藤なる若者へ警察の手が及びそうに成った為で。 鑑識の調べが拠点のビル入れば、詐欺グループの詰め所的なフロアには、血を踏んだ靴の足跡痕が在ったり。 血液の着いた指にてあちこち触れた跡も出た。 物的な証拠が出て、捜査本部の郷田管理官や刑事たちも安堵し。 迅や篠田班の刑事たちも、何とか逮捕が正当なものに成ったと胸を撫で下ろした。


処が、里谷刑事だけは、その想像が食い違う。


(幽霊が視えていたんだわ。 証拠隠滅が行われてしまうって、事前に知ったのね)


何故に木葉刑事が暴挙に踏み切ったか、それを察したのだ。


だが、此処からが時間との戦いでも在る。 逃げ回って居る須藤なる若者を含め、特殊詐欺に加担する若者達を迅速に確保する事が求められた。


そして、この強引な逮捕劇で得をしたのは、迅ほか二課の捜査員達だ。 不意打ちに踏み込んだお陰で、詐欺を証明する証拠は大量に押収する事が出来たのだから…。


岩元逮捕より二日して。


一課としては、‘殺人の共同正犯’の容疑で逮捕と切り替える。


捕まった岩元としては、


“まだ自分まで辿り着くには、時間が掛かるだろう”


と、思って居たらしいが…。


逮捕されて木葉刑事から推測の事件の経過を聞かされた時、自分と部下の犯行を完全に立証された事を知る。 部下の履いていた靴裏に、殺された老婆の玄関先の土が血と一緒に付着していた事を清掃業者だけで悟られるとは…。


そして、事件の経緯が次第に解って来た。 殺人事件が起こる日の夕方だ。 集まった若者達から詐欺の進捗状況を聴いた岩元は、被害者の老婆とのやり取りを聴いて不振を抱いた。


“おい、そのババアは、本当に買う気が有るンだろうな? もしかして、サツと通じてると違うか?”


殺人の実行犯と云うべきか、被害者に詐欺を仕掛けていた若者へ、警察官の姿をして探りを掛けろと言った岩元。 こんな時の為に、詐欺を働く場所の警察署の情報を金で集めさせていた岩元で。 既に何着か警察官のコスプレ衣装は用意しておいたらしい。 そして、今回の捜査本部が出来た警察署の内情は、副署長の息子から飲み会の席で入手していた。 別の若者にも協力させてこっそり変装して警察署へ侵入し、自転車を借りて2人で行けとまで指示を出した。


被害者と警察との関わりを岩元より探る様に言われた若者だが。 深夜近くにて接触した被害者より、明日の対応やらあれこれと尋ねられては、しどろもどろと話すうちに警察官ではないボロを出してしまった。 警察官では無いと疑われて、問い詰めて来る被害者に掴み掛られたあと、力任せに被害者を玄関先で突き飛ばした。 頭部を強打して血を流し始めた被害者で、初めて犯す殺人に怯えた若者。 被害者が死んだかどうかを確認しようとして近づけば、まだ息の有る被害者に足を掴まれてしまう。 驚いた若者は、その手を振り払う時に血だまりへ足を置いて、更にその場で滑ったのだ。


だが、この探りを入れた若者の他に、警官の格好をして警察署へと自転車を盗みに入って、また返した若者は別人である。


被害者を殺してしまった若者は、殺人を犯したと狼狽の極み達し。 自転車を盗んだ別の若者は判断に困って、首謀者の岩元に連絡をしたが繋がらず。 対処に困って警察署に自転車を返した後、犯行を犯した若者を車でこの事務所に戻らせた。 岩元は事務所へと二人が戻った事を後で知り、事務所に来るなりに命令をして事務所を掃除させた。 だが、血の跡など簡単に消せるものではなかったようで、それが岩元を捕まえる詰めの一撃となった。


鑑識班が岩元達の使う事務所の捜索をして見れば、犯行時に犯人が着た警察官への変装用衣服一式が発見される。 この服に着いた体毛や皮膚のDNAが、若者のものと一致。 然も、血に染まった手袋の裏側に残る指紋も、素手で触った自転車に残った部分指紋と一致する。 また、警察官の衣服には、岩元の側近となる組員の指紋が付着していて、彼の周りに付き従う者も逮捕となった。


そして、其処に来て更なる駄目押しは、捕まった若い元暴走族の若者達がペラペラと詐欺の事を喋ったことか。


岩元の部下となる若者が言うに、自転車を盗んで警察官の犯行に見せ掛ける様に指示を出した後。


“いいか、そのババアがサツとツルんでるなら、どんな手でもいいからババアをどうにかしろ”


と云ったらしい。


だが、実行犯の若者は、‘殺せ’という意味では無かったかもしれないと思ったらしい。 処が、致命的な怪我をさせて事務所に戻れば。


“おう、服が血だらけじゃねぇ~か。 おしおし、ババアの口を封じて来たな。 サツカンの姿で殺ったなら、サイコーの出来だそ。 あはははっ”


こう喜んで自分達を称えたと言う。


岩元の狂気は、手下の若者達ですら困りものだったらしい。 だが、狡猾で金回りは良く、安定した報酬が払われるから付き従ったまで。 捕まったが最後、最後まで黙秘する義理立てもする価値がなければ、彼を守る人情も無い。 警護課の刑事達を襲った時と比べると、寄せ集めの集団に過ぎなかったらしい。


木葉刑事が岩元の取り調べに参加したのは、最初の一回だけ。 後から挙がる証拠を元に追求したりするのは、里谷刑事やら葛城刑事。 岩元がのらくらと追求を無視する間は、迅など二課の刑事と共に余罪追求の為、若者達の全員確保へと動いて居た彼だった。 木葉刑事他、一課の刑事にその捜査を命令したのは、誰でもない郷田管理官。 この手の特殊詐欺では犯罪が騙す相手にバレた時、逃げる為に怒った相手を怪我させる事件も起こって居る。 傷害容疑をくっ付け、岩元のグループを根絶やしにするつもりだった。


さて、外堀も内堀も埋められた岩元は、逮捕から8日後。2日ぶりに取り調べ室へと引きずり出された。 この日、岩元は木葉刑事と対峙して座り。 見張り役の様に壁へと凭れ居座る飯田刑事を睨み付けてから。


「デカさんよ。 俺は、もうなぁ~んも喋らないゼ。 ‘殺人の共同正犯’って、な~んで~すか~」


と、木葉刑事をからかって来た。


遺恨が残る岩元相手に、飯田刑事はそんな岩元を睨み返すが。 の~んびりと座る木葉刑事は、何を言われても気にしないとばかりに。


「黙ろうが、喋ろうが、須藤って若者も逮捕されたし。 下っ端の元暴走族の若者達も、み~んな捕まった。 そっちの指示と言う供述も取れてるからね。 もう、年貢の納め時だよ」


どっしり構えて受け答えした。


然し、須藤の取り調べに於いて解った事は、


“半月ほど前に、岩元から詐欺の捜査本部が立ち上がった警察署の下調べを受けた”


と云う事実のみ。 一課、二課、双方でそれぞれに、裁判へ向けての証拠固めをする最中の今。 郷田管理官の指示の元で指名をされた木葉刑事は、この今に岩元へと問う。


「なぁ、処で岩元さんよ」


調べが及んでしまった為か、捕まった時より幾分かは不貞不貞しい様子も成りを潜め。 頭を剃ったプロボクサーが暴力団に変わった様な岩元は、少しふてくされた顔をして対峙していたが…。


「あ? 何だよ」


「あのさ。 お宅、何で、この辺一帯の警察署の自転車の在処なんかを、あの須藤を始めとした若者達に調べさせたのよ。 振り込め詐欺の頭に納まったなら、警察署なんかど~でも良かっただろうにさぁ。 それとも、詐欺を働く現場の警察署は、ぜ~んぶ調べたとか?」


すると、不気味とニヤニヤした岩元で在り。


「俺はな、警察がだぁ~いキライなんだよ。 それ以上に、俺達の事をサツに垂れ込む阿呆は、軒並み全員を殺してやる。 大体、どいつもこいつも騙されるのは、老い先の短いジジイやババアだ。 死ねば国だって払う年金の量が減るだろう? 寧ろ、‘超高齢化社会’への打開策だよっ。 うひゃひゃひゃあっ、表彰をして欲しいぐらいだぜ!」


と、嬉しそうに言った。


この様子は、マジックミラーの向こうでは郷田管理官他、一課の刑事達、所轄の刑事達も見て居る。 里谷刑事を始めに、供述を聴いて拳を握る者が居る。 岩元の物言いに、刑事達は苛立ちを覚えて居る様だ。


だが、全く気に障らないのか。 呑気な態度でペンをクルクルと回す木葉刑事は、それで納得がいった・・と。


「ほぉ~、なるほどね。 だが、悪さを遣るんならサ、それはそっちの勝手だろうけど。 警察官のフリをするってのは・・頂けないね」


木葉刑事の緩い物言いに、寧ろ岩元の方がフザケて居ると感じる。


「フン。 テメェ等ケ~サツを潰せるならばなぁっ、な~んだってするさ! 俺がっ! 警察をぶっ潰す!! ミラーの向こうの奴らっ、俺の顔を覚えとけ!!」


机を叩いて言った岩元は寧ろ宣戦布告とばかりに、身振りや手振りを添えて大声を出して云う。


一緒に取り調べ室に居た調書を取る男性警官も、また岩元の左側後方に控える飯田刑事も、その態度に怒りと恐怖を覚える。 このままでは岩元が死ぬまで、この戦争の様なやり合いが続くのだと…。


だが、木葉刑事だけは、安穏とすら窺える態度のままに。


「ふぅ~ん、それはご苦労な事だねぇ。 ま、‘生きて’また出所して来れた時、お宅を取り巻く環境が良い方向に変わってると・・イイねぇ」


何故か、とても意味深な言い方をした。


その様子を見る郷田管理官は、木葉刑事の余裕が解せず。


「里谷刑事、木葉刑事は・・どうしたの?」


と、里谷刑事に尋ねる。


だが、相手は嘗ての仲間を殺したと言って良い岩元だ。 殺意すら湧く里谷刑事は、苛々して。


「さ・・さぁ、解りません。 でも、彼を指名して正解ですね。 私なら、もっ・もう我慢が・・出来ない」


元は警護課の里谷刑事だから、その本音を理解するのは容易い。 寧ろ、同僚ではないが、同じ警察官を殺す様に指示を出した相手を前にして。 あれだけ冷静に対応の出来る木葉刑事は、確かに他の刑事ですら認める処が在る。


さて、それは岩元も同じらしい。 警察の敵として対立する自分に対して、全く表情を変えない木葉刑事には、岩元の方が不審感を抱く。


「‘環境’だぁ? テメェ、何を言ってやがる」


机に身を乗り出し気味と成って、木葉刑事の腹を探り始めた岩元。


見ている里谷刑事や郷田管理官には、どっちが取り調べをしているのか解らない。


岩元が机を動かす為かペンを仕舞って、爪を見始めた呑気な態度の木葉刑事は、本当に詰まらない世間話の様な感じにて。


「君達さ。 このひと月ぐらい前かな~。 墨田区の方で、飲み屋を経営してる年配女性の母親から。 霊感商法的な他の遣り方で、400万ほど騙し取ったらしいじゃんか」


だが、岩元は金の管理はしていても、騙した客の名前などは一々覚えて居る訳がない。


「それがどぉ~したっ。 ニュースで詐欺の事なんか良くやってる。 だっ、まっ、さっ、れっ、るっ、そのババアが悪いんだよっ!。 俺等には、そんな頭の悪いババアの事なんか、なぁ~んの関係も無いねっ!!」


余裕のある木葉刑事に苛立ったのか、岩元が床に唾を吐いた。


「おいっ」


声を荒げる岩元が勢い付いてか、飯田刑事が鋭い言葉で窘める。


だが、岩元の態度に全く動じて無いのは、木葉刑事の方。


「ふぅ~ん、あっそ。 それならば・・生きてまた詐欺を働くならば、調べた方がイイかもね」


「あぁ? 何だそりゃっ?!!」


喋る岩元が、どんどんと増長して来る。 興奮させるとこの岩元は、何をするか解らない。 木葉刑事以外の刑事や職員は、張り詰めた緊張感を持ち始める。


だが其処に、木葉刑事は遂に或る事実を語る。


「あのさ~、岩もっちゃん」


岩元の事を腐れ縁の友達の様に、渾名の様に呼んだ木葉刑事。


そんな事を刑事に言われた岩元は、いよいよ苛立ち目を尖らせる。


「何だ、バカデカっ! 気安く呼ぶんじゃねぇぞっ!!」


と、机を叩いて立ち上がった。


郷田管理官も、これ以上の取り調べは危険と感じた時だ。


岩元の怒声にも全く態度を変えず、爪を弄る木葉刑事は続けて世間話のように語る。


「実は、さっきさ。 組対課から二課に移った刑事から、ちょろっと聴いたんだけどね。 墨田区でお宅等に騙されたその老婆って、関東最大の暴力団組織“葉山会”のトップの、あの三橋組長の母親なんだってサ~」


衝撃的な事実が告げられた時。 殺気すら孕んで立ち上がった岩元が、そのままに固まった。 そして、言葉を発せずに固まること、約1分後。


「な・・はぁ?」


いきなりの事で岩元は、意気の上がった態度が空回りしてしまい。 最大限まで高まった敵意を急速冷凍されて、自分で自分をどうして良いのか解らなく成る。


然し、言った木葉刑事の態度は、全く変わらない。


「岩もっちゃんが、今回の被害者を殺す様に指示した頃さ。 騙された事に気付いた墨田区のお婆さんは、息子の三橋組長に遺書を残して、家族に謝り自殺したってさ」


木葉刑事の話す内容には、マジックミラーの向こうでもざわめきが起こる。


だが、それは岩元とて同じこと。 ちょっと前まで、今にも木葉刑事へ殴り掛かる気配すら窺えた岩元が、急に顔色を変えると…。


「お・おい、俺がサツカンを殺す様に言ったからってよ。 そっそそ、そんなうっ、嘘を云うなよ。 そんな・・そんなバカな…」


あの岩元が、一人でコントでも演じるかの様に独り言を重ね、嘘だと笑おうとする。


だが、態度や雰囲気はそのままに、木葉刑事の追撃は続く。


「あの三橋組長って人の家は、サ。 親や兄弟に親戚も含めて、警察やら財務やら文部なんか省庁に勤める人が多い、所謂の公務員系一家らしいじゃん。 その家のしがらみを嫌ったあの三橋組長って人は、ほぼ勘当同然で極道に入ったのは、世間でも有名だったらしいけど。 唯一、律儀で義理堅い母親の事だけは、勘当されても大切にしてたみたいね~」


木葉刑事の話を聴く岩元の顔が、どんどんと怯えて行く。 その変わり様は、間近に居る飯田刑事が一番に良く解る。


(話がハッタリじゃ無いなら、こりゃあ岩元コイツもヤバいぞ)


さて、木葉刑事は爪を軽く擦りながら。


「あの墨田区で、自分の姉に飲み屋をさせる為にそっと金を出したのも。 そのお母さんの老後を守る為だったらしいよ~」


其処まで聴いた岩元の顔からは、既に毒気が全て抜けていた。


「ちょっと待て、ほっ・ほ・ホントに・・死んだのか?」


確かめ様と机に身を張り付けて、木葉刑事に迫って聞き返す岩元。


適当な態度で頷く木葉刑事。


「らしいね。 家族が自分の施設の費用とから聴いて持って居た金らしく、騙されては責任を感じたんでしょうよ。 然も、そのお母さんは、岩もっちゃんのしてた様な詐欺の遣り方を、お母さん成りに自分の息子で在る三橋組長に批判して、ね」


いよいよ己の置かれた状況が、捕まった事など些細に思えるほどにヤバいと感じたのだろう。 眼が泳ぎ、口を開きっ放しにする岩元。


だが、彼を見ない木葉刑事は、更に続けて。


「朝の組対課の方からの情報だとね」


と、言えば。


「何だっ?」


と、話に食い付く岩元で。


二人の様子は、既に刑事と容疑者では無い。


「母親の葬儀や初七日を終えた三橋組長が、独自に構成員を動かして始めてね。 お母さんを騙した詐欺グループの特定を、本気で始めたみたいッスよ」


「嘘・・だろ?」


岩元が呟くや、彼を見た木葉刑事が不思議な程に慎ましやかな笑みを返して。


「こんな話、嘘を此処で言うと思う?」


木葉刑事の返しに、自分が逮捕されて取り調べを受けている事を思い出した岩元で。


「マジかよっ。 嘘だ、そんなの嘘だろっ? な? な゛っ? 今回の事件も含めて、全部の事実を話すからっ! 嘘だと言ってくれっ、な、刑事さんよっ」


木葉刑事の肩に手を掛け、声をまた強くして言う岩元。


岩元の態度を見兼ねた飯田刑事が、


「離れろ。 いいから座れっ」


と、岩元を引き剥がす。


だが、それでも全く彼を気にしない木葉刑事。 本当に、全く岩元を恐れても居ないらしく、僅かばかりのささくれを弄りなから。


「一応、岩もっちゃんも同じ組織形態の一員だから、こっちより内情はよぉ~く知ってるって思うけどサ。 あの方々の組織力と情報収集の網は、警察と同じか、それ以上だ。 今は、あの遠矢の一件で、そっちの生きる裏側の世界は混乱もあるからね~。 最初は、我々に手下や遣いっぱしりを捕まえられたとしても、そのうちに主犯の岩もっちゃんを特定すると思うよ」


木葉刑事の話を聴く岩元は、‘嘘だ’と繰り返すままに泣き出して震え始める。


関東最大勢力の暴力団となる葉山組の三橋組長と言えば、その豪腕と古臭い一部の義理人情を以て、一代で総長とも言えるトップに登った人物。 手下の面倒見は、非常に大らかで立派だが。 反面、敵と認めた相手は、どんなやり方だろうが必ず潰すと云う。


「な・なぁ、なぁっ、嘘だろお゛ぉぉっ?」


態度が一変して、下手≪したて≫からの物言いにて泣きそうに聴いて来る岩元。


だが、彼に顔を向けずに居る木葉刑事も、その安穏とした中には南極の凍えた風よりも冷めた感情を秘めて居て。


「ふっ、お宅さんも、この期に及んでざけんなさいよ。 そっちも一応は、暴力団組織の幹部なんだから。 弁護士に接見した時にでも手下でも動かして、御自分で調べたら如何で?」


と、岩元を突け放す。


木葉刑事が、全く自分を関知する気すら無いと察する岩元が、泣き顔のままに固まった。


其処へ、軽く顔を動かし、視界のほんの片隅に岩元を入れた木葉刑事。 その顔を見た岩元は、この男が本当に警察官なのか疑った。 自分が死ぬかも知れないと知っているのに、その事へ何の心配も、不安も、危惧もしない冷たい普通の眼をしていて。


「もう、お宅の‘嫌いな警察’の遣り方は、十分に知ってるだろうけど。 お宅を起訴して裁判が始まったら、刑事なんてな~んも出来ないからサ。 それに悪いが、身辺警護を担当する警護課の刑事は、過去のアレから岩もっちゃんの事が大嫌いだし。 もっと云うなら警察全体が、岩もっちゃんの事を大嫌いなんだよね~。 偉そうに御託を並べて、人を簡単に騙したり殺したりするんだからサ。 自分の身は、自分で守ってね。 全部、自業自得だからさ~」


こう他人事の物言いをするのみ。


その様子を間近で見る飯田刑事も、調書を取る為に座る警察官も。 いや、マジックミラーの向こう側に居る一同が、キレ始めた時の岩元より今の木葉刑事が怖いと感じた。 所轄の刑事達は、あの普段からヘラヘラして居て刑事らしく無い木葉刑事が。 まるで、岩元を死刑に処する様に覚めた態度をする事に驚き。 里谷刑事他、班の同僚も木葉刑事の本気の片鱗を見た気がした。


彼を取り調べをする役目に指名した郷田管理官に至っては。


(木田一課長が、あの木葉刑事を特別視するのが、何となく解ったわ。 何だか、私より場数を踏んでるみたい…)


周りから悪い噂を流されてもここまで刑事を続けて来た彼には、その経験に相応しい度胸や感性が在るのだと察した。


岩元は、木葉刑事や飯田刑事に、助けてくれと懇願し始める。 だが、彼を全力で助ける助ける義理は警察にも無い。


“少しでも長く生きたいなら、まだ言って無い罪でも告白したらどう?。 取り調べされている間は、警察署の中だから安全でしょ?”


木葉刑事はサバサバと言い、飯田刑事も無言を貫く。 二人して取調室を去るのは、岩元への休憩の時間が迫ったためだった。


本来、送検して起訴するとなれば、被疑者なる者の身柄は拘置所に移される。 だが、あの悪霊の事件で拘置所は、一時改装の為に閉鎖されている。 緊急措置として、身柄は事件を担当した警察署か。 仮の特別施設への移送と決められた。 今回のこの事件は、警察署の留置所内への拘留に決まった。 毎日毎日、検事が来て取り調べ等を見ている。


今回、この事件を担当する検事は、木葉刑事の顔に一抹の恐怖を感じた。


然し、その同時刻だ。


都内の或る場所に在る閉店しているキャバクラの店内にて。 岩元の居る組の組長と、問題の三橋組長が顔を合わせていた。 やや朴訥とした印象の年配男性と思しき三橋組長は、中堅企業の部長の様な雰囲気だが。 その眼差しの中には、有無を云わさぬ気迫が在る。


“細かい事は、聴きたく無い。 岩元以下、詐欺に関わった者をそっちで殺すか。 若しくは、此方に好きにさせろ”


と、相手の組長に迫る三橋組長。


これは、事実上の脅迫だ。 むざむざと相手の意見を呑みたく無いのは、組を預かる長なら当然。 だが、母親の残した遺書を見せた三橋組長は、


“お宅の凌ぎやシマに手は出さん。 だが、呑めないならば、容赦なくやる。 大様さんには、もう話が通ってるから。 組を潰すか、金蔓を潰すか、どちらか決め為され”


と、選択肢を申し出した。


そんな事が外で起こって居るなど全く知らない岩元。 また、留置場に戻されてからは、警察に対する罵詈雑言を浴びせ続ける。 彼には、後どれだけの余命が遺されているのか。 それは、解らない。


この日は、朝から日柄も良く。 あの遠矢の関わる事件で、大阪と京都の府議会議員が警察に呼ばれて事情聴取を受け。 一方の東京では、麻薬の売人やら売春の斡旋を受けていた者の逮捕がTVに映る。


色々と忙しい警察全体だが。 あの‘首なし・バラバラ殺人事件’の記憶も薄らぎ始め、警察らしい日常が戻ったと云う雰囲気だった…。


一方、呑気な木葉刑事は、建て前として郷田管理官から情報の共有化を怒られたり。


一方、ミスを取り返せると意気込む迅ほか二課の刑事達は、詐欺事件の全容解明に奔走する。


消えた広縞の悪意を持った幽霊の脅威は、まだ都内の何処にも無く。 木葉刑事の平穏は、まだ続きそうだった…。




       3


5月下旬。


岩元の、被害者となる老婆殺人に対する殺人での共同正犯を送検した木葉刑事の属する篠田班は、其処で事件を所轄にバトンタッチした。 警視庁としては、二課が過去まで遡って余罪を喋る岩元の証言を元に、余罪を調べる。 他の新たに起こる事件に対応するため、本件の調べが終わった時点で警視庁捜査一課は手を引いておくらしい。


そして、その日は木葉刑事が2日の連休後、本庁に出勤して来た朝だ。 やや値段の高い、クリスピーなウエハースでアイスを挟んだ一品を余計に一つ買って、班の部屋に在る冷凍庫に入れた。 忘れた頃に引っ張り出して食べるのは、回り道をする喜びに似ている。


だが、自分のデスクで、班長と話し合いながら食べて居ると…。


「あ゛~~~暑い、まだ5月よ゛ぉ~」


廊下から里谷刑事の声がすると。


「仕方無いよ~、もう6月が目前だしさ~」


と、如月刑事の声がして。


「女性が薄着に成れる夏が目前だ。 喜ばしい事じゃないか」


と、市村刑事の声も。


篠田班長は、クーラーの利いた部屋で。


「お~お~、暑苦しいのが来たぞ」


毒口を吐く。


一方、温いお茶でアイスを食べる木葉刑事は、もうアイスに夢中で在ったが…。


ガバッとドアが開くなりに。


「あ゛ーっ、アイス食べてるっ」


喚いた里谷刑事がマッハの勢いで木葉刑事に近付くと。


「一口ぃ~、木葉サマぁ〜〜御慈悲を~」


目をウルウルさせる里谷刑事を見て、口を開けてアイスを入れようとして止めた木葉刑事は嫌がり。


「ウザいッスよ」


迷惑を訴える半眼を向けるのだが…。


「木葉サマ~、一口ぃ~」


里谷刑事には、その眼に因る訴えが効かない。 面倒臭い木葉刑事は、


「冷凍庫に、もう一個在りますが…」


仕方なしに言った瞬間だ。


「買ったぁっ!」


吼えた里谷刑事は、ポケットに入っていた小銭を取り出して200円とちょっとをデスクに置く。


その途端、如月刑事が。


「チョイ待ちっ! 俺も半分っ!」


と、名乗りを上げる。


此処に、不毛なる‘アイス争奪戦’が始まる。


後から来る織田刑事は、子供の様な争いにて定規まで持ち出し、折半を言い争う二人を見て。


「はぁ、幾ら煩くても、分け合うぐらいは知るウチの子供達の方がマシね」


と、呆れ。


最後に、飯田刑事と八橋刑事が来て、アホらしい折半合戦を見る。


「もう、溶けそうだ」


呟く八橋刑事は、2リットルのスポーツドリンクのボトルをバックから出す。


然し、暇は事件が起きるまでの間。 また、事件が起こる。


アイス争奪戦も一段落した頃、新たな事件の担当が入電された。 今回、篠田班が呼ばれたのは、あの岩元が逮捕された神田より近い秋葉原で在る。 車で向かう木葉刑事は、里谷刑事と飯田刑事を一緒に乗せる。


そして、走る車内にて。


飯田刑事は、助手席に座りながら。


「木葉」


「はい?」


「身体は、もう大丈夫か?」


「まぁまぁ、ですかね」


「そうか。 まぁ、年内は無理するな。 お前が居ると、ウチの班長も活き活きしてる」


「するってぇーと、自分はアイドル的な立ち位置ですか?」


彼の戯言が出た処で、飯田刑事がニヤリとして。


「そのバカなギャグが出る様ならば、まぁ大丈夫か」


窓から外を見ている里谷刑事は、詰まらないと。


(アイドルって顔? ヒモ顔よ)


と、此方も更に悪い。


さて、新たなる現場は、電気街の一角だ。 然も、雑居ビルの四階。 ちょっと変わった電化製品を売っている店の店主が被害者だと云う。 現場へ臨場した木葉刑事達は、鑑識班が移動に四苦八苦する様な、密集した陳列棚に呆れ顔となる。


その木葉刑事の前に、鑑識班の第3班で長を張る〔鈴木〕と云う、ノッポでモアイ像みたいな顔をした者が現れて。


「お~木葉~ッチ、色々と大変だったって?」


野太い低音の声を発する鈴木氏が横向きで通路側に出て来る様は、モアイ像が横向きで動いて居る様だ。


入る事を考える里谷刑事や飯田刑事は所狭過ぎると困る中、最も小さい型のエレベーター前にて木葉刑事と鈴木鑑識員は会う。


「スズさん、被害者は店主でしたっけ?」


自分より15歳は上の鈴木氏に、若い木葉刑事が‘スズさん’とは馴れ馴れしいが…。


「木葉ッチ、ガイシャは店主の〔持田 共広〕《もちだ ともひろ》、56歳。 この電気店を経営してた。 売ってるのは、ゲームの改造をする関連商品から、テレビ、パソコン、ゲーム関連の周辺商品を主に扱ってるみたいだぁ」


「ゲームね。 高橋班の吉崎さんとか居たら喜びそうッスね」


「あぁ、ヨシは好きそうだな。 でも、アイツの好きなゲームって、アダルト系だぞ」


「あらら、そっちか~」


馬鹿な話をする二人に、里谷刑事や髪が短いボーイッシュな〔愛禅〕《あいぜん》鑑識員が睨みを利かす。


この愛禅鑑識員は、まだ鑑識員としては二年目の24歳。 高卒で婦警になり、その後に人事配置の中で鑑識班を選んできた。 各鑑識班の班長が木葉刑事を優遇する理由を理解できない彼女は、木葉刑事と云う人間そのものを嫌っていた。


「里谷刑事。 あの人は、まだ刑事を続けられるんですね。 もしかして、誰かに強いコネが在るとかですか?」


木葉刑事と鑑識班班長の鈴木鑑識員の話より、もっと下らない話が出たと疲れる里谷刑事。


「コネ、ね。 それなら、コネの為に復讐の鬼となった古川刑事を止めようとしたり。 犯人と格闘して佐貫刑事と死に損なったりしたのかしら~。 遠矢や岩元を自力で捕まえた彼に、そんな下らないコネなんて必要ないと思うけど~」


と、店内の奥に向かう。


同性に見捨てられた愛禅鑑識員は、意見交換をする木葉刑事と鈴木鑑識班班長を見る。


然し、スマホを取り出してメモを取る木葉刑事は、そんな冷たい視線を余所にして。


「それで、死因は?」


モアイ顔の鈴木氏に問えば。


「現場が狭いから、遺体の初見はまだだよ。 ま、後頭部を強打して、内出血したと思う。 一部、店内で争った形跡も在るよ」


その答えを聴く木葉刑事だが…。


「処で、スズさん」


「何だい?」


「此処、エラい電波の状態が悪いッスね」


階段を左奥、エレベーターを右脇にした場所と見た鈴木鑑識員は、


「狭いビル内だから、かな?」


と、応えて来るも。


木葉刑事は、店内や施設内に設置する、電波の送受信を可能にする機器を店内入り口の天井に見て。


「アレが在るのに?」


と、指を差せば…。


鈴木鑑識員も、その機械に電源が入るのを見て。


「あらら」


そして、木葉刑事と鈴木氏が見合う成りに。 木葉刑事がスマホを捜査して電話を掛け、外で聞き込みに動く八橋刑事と話せばノイズの様な雑音が混じり。 機械に滅法強い八橋刑事より。


「木葉先輩、この変な雑音は、盗聴器か何かですか?」


こう返してきたではないか。


「木葉ッチ、発生源を調べてみるぞ」


「スズさん、こっちも外を見回ってみます」


「おう」


二人して確認し合うと木葉刑事は、里谷刑事と飯田刑事へ。


「あの~、外に行きますよ」


狭苦しい店内に入り掛けた二人は、


「あ?」


「はぁ?」


と、外へまた監視員を押し分けて出て来る。


然し、エレベーターに返る木葉刑事は、下りのスイッチを押すと。


「何か、妨害電波が来てますね。 送受信機が在るのに、こんなに電波が立たないのは…」


と、ゆっくり言えば。


元はその手の品物を仕事に使っていた里谷刑事なだけに。


「盗聴器や盗撮機か、電波を妨害する機械…」


「イェ~スっ!」


元気を出して言った木葉刑事のその腰を、予告なしにひっぱたく里谷刑事。


「らしく無い。 普通でイイわ」


腰をさする木葉刑事は、壁にヘタリ寄り掛かる。


二人のやり取りを無視するかのような飯田刑事は、そんな二人へ。


「って事は、その盗聴器とか何かから話を聴いてる輩を捜せってことか?」


壁にヘタリ寄り掛かる木葉刑事は、ガクンと頷いて肯定するのみ。


(一撃が強過ぎる…。 あ痛たた…)


さて、下に降りて外の通りに出た三人は、現場に来ている警察官に声を掛けると。


飯田刑事は、


‐ 現場周辺の聴き込みをする機捜の皆さん。 不審者や不審車両を発見し次第に、職質を願う。 現場に盗聴器の存在が疑われる。 誰か、聞き耳を立てて居ると思われる。 ‐


音声認識・文書変換機能で警察用に変換した連絡アプリケーションを使う。 下手なメールや電話より早いからで、捜査員が持つタブレットなどに文字として送信される。


そして、ものの五分とせず。


‐ 此方、機捜班の園岡。 〔秋葉原プラスフィールド〕付近にて、不審車両を発見。 職質を掛ける前に、不審車両が発車。 声掛けに止まらず、ナンバーも不明。 ‐


と、文言がスマホに箇条書きの様に並び。


その三分後。


‐ 此方っ、現場パトロールの味田っ。 昌平橋で不審車両発見っ! 職質をしようとした処、車は逃走っ! ナンバーは、品川の・・ほ、6973です! ‐


その内容をスマホにて見て居る木葉刑事に、今度は鈴木鑑識員から電話が。


「もしもし、木葉です」


「あ、木葉ッチ? 現場から盗聴器と隠しカメラも出たどぉ。 どっちも指紋ナシで、手袋痕のみ。 だけど、どっちも組み立て式だなぁ~。 中身の方も、持ち帰って調べるなぁ~」


「スズさん、リョ~カイです」


さて、捜査に関わる者へその情報を流した木葉刑事。 然し、返す刀の如く班の仲間にのみ、通信機能をスマホを切り替えると。


- 里谷さん、飯田さん、此方は木葉。 逃走した不明車両の片方は、そのまま機捜に任せましょう。 ナンバーが割れた方に、自分は心当たりが在ります。 -


その連絡を受ける里谷刑事は、


- はぁっ? -


と、返す。


然し、木葉刑事は二人を誘うと、一緒に居た警官を現場に戻した。


木葉刑事が運転する車で二人を拾うなり、どっちも木葉刑事へ次第を問う。 運転する木葉刑事は、新宿方面に向かいながら。


「品川ナンバーの〔ほ‐6973〕って、恐らく探偵の大磯さんだ」


飯田刑事は、過去に一度だけ絡んだ事の在る探偵と覚えていた。


「大磯って、あの前には広縞の事を調べてた…」


「えぇ。 でも、大磯さんと俺は、所轄時代からの知り合いです」


「はぁ? お前・・」


里谷刑事は、逃げ出した車両だから。


「てか、何で逃げるのよ」


と、口を尖らせる。


だが、木葉刑事は笑って。


「あの人は、仕事第一主義。 多分ですが、盗聴や盗撮をしていたならば・・依頼者が居ますね」


「それってことは、依頼者の要請で盗聴か盗撮をしたってぇの?」


「要請が有ったかどうかは解りませんが、仕事に必要だからしたんでしょうね~」


そして、木葉刑事の向かうのは、西新宿と本町の境。 立派・・とまで行かない小さいマンションだが。 地下の駐車場に入って見れば、警察官の読み上げたナンバーの黒いワゴン車を見付ける。


スマホを片手に、その車両と照らし合わせる飯田刑事が。


「本当に在った…」


と、木葉刑事に脱帽する。


さて、木葉刑事の誘導で、マンション三階の一室に来た二人の刑事。 インターホンを鳴らす木葉刑事は、


「大磯さん、木葉です。 令状取って、根刮ぎ持って行ってイイッスか~」


と、相手の反応も無しに声を掛ける。


すると、ドタバタと足音がして、40絡みと思しき無精髭を生やす男性が飛び出して来た。


「待ってくれっ、木葉!」


こう言って来たのは、細い顎をした小顔の中年男性だ。


木葉刑事は、そんな男性にニヤリとすると。


「大磯さん、証拠の録音か録画をご提出下さい。 俺に、嘘は言わない方がイイっすよ」


こんなひ弱そうな木葉刑事なのに、大磯なる男性は弱った態度にて木葉刑事たちを招き入れた。


さて、大磯の部屋に入った木葉刑事達で、データをUSBメモリに取り出す大磯だが。


「俺は、録音しか持ってないぞ。 ‘録画’って事は、誰かが盗撮してたな」


要らない分析をしてくれる探偵の大磯に、木葉刑事は畳み掛ける様に。


「盗聴の依頼者は、何の為に?」


「殺害された奴は、闇に紛れる高利貸しだ。 個人金融とでも言えばいいか」


それを聴いて、木葉刑事は何かを納得。


「ハァ~、お金を借りちゃった方々が、利子に苦しんでの逆襲かな?」


と、依頼を想像する。


だが、大磯は、


「然し、私の依頼者は、まだ未成年の若者を持つ母親だ」


「借金は、その息子さんが?」


「あぁ。 新しいスマホを欲しい余りに、店主の男の口車に乗ったらしい。 だが、‘トイチ’の利子に驚いて、母親に泣き付いた」


「それで、大磯さんに依頼が?」


USBメモリを差し出す大磯は、


「違法な金利だし、金融業の届け出も無い。 まだ、昨夜からのデータは聴いて無いが。 現場の近くに在る駐車場に車を止めて、録音を待つ間。 聴き込みを掛けたり、情報屋と会ったりして朝に戻って来たら、何でか警察が来ている音声が流れていてな…」


話しを聞く木葉刑事は、そのUSBメモリを受け取りながら。


「なら、大磯さん。 探偵さんの中で監視カメラを使う手法は、同業者なら誰が遣りそうですかね?」


と、問えば。


返答に困る大磯は、少し的が外れて居ると感じて。


「手法ってより、目的の違いじゃないか?」


「詰まり、大磯さんは金銭の遣り取りを違法に遣っていた、と云う証拠。 盗撮は、その証拠映像?」


「多分」


「なら、その相手を捜すとしますか。 大磯さんの指紋は、以前に警察で採取しましたから。 カメラの方からも出たら、令状を持ってくればいい」


すると、大磯は呆れつつ少しムッとし。


「出るかよっ。 盗聴器を仕掛けるのに、素手でやるか? 今時っ」


それでも、のんびりと構える木葉刑事は、


「組み立てから、手袋で?」


と、問えば。


「あ・・」


と、口が止まった大磯。


だが、その表情から彼はシロと見た刑事たち。


「大磯さんは、盗聴器だけね」


「あぁ…」


業務上の盗聴と云う事で、この件は見逃すことにした木葉刑事達。


さて、マンションを出る木葉刑事は、運転を里谷刑事に任せると。


「そろそろ、所轄にも帳場が出来上がりますかね」


と、後部座席から呟く。


今、事件現場より最寄りの警察署では、今回の事件以外にも帳場が立っていた。 自分達が入る捜査本部は直ぐには出来ないので、機捜と鑑識班の調べが終わるまで、現場に行かせて貰った一課だったが…。


帳場(捜査本部)の出来た万世橋署に入れば、早速の一撃で尚形係長より。


「遅いっ! 何処で油を売ってたぁ!!」


と、どやされる。


だが、係長・管理官の頃から木葉刑事を見て来た木田一課長は、ニヤリと笑って。


「木葉。 お前は‘油’を売るんじゃ無く、‘情報’を運ぶコウノトリだろ? 何処へ行っていた?」


事情を知る篠田班長は、片手だけで。


“出せっ、出せっ”


と、ジェスチャーして居る。


まだ一課の刑事に成り代わり半年に満たないからか、緊張する里谷刑事だが。 木葉刑事との付き合いから慣れて居る飯田刑事は、渡されたUSBメモリを出して。


「木葉刑事が、逃走したと思われる車両の片方の持ち主を知っていまして。 探偵と云う大磯なる人物の処へ行き、盗聴器の方のデータを入手して来ました」


飯田刑事の持つUSBメモリを見て、木田一課長が。


「ならば署員の誰か、聴ける様に準備を。 その間に情報の共有を図ろうか。 さ、三人も席に就きたまえ」


木葉刑事、里谷刑事、飯田刑事が座ると。 捜査会議は始まった。 今回は、新しい一課長の〔木田〕、理事官の〔小山内〕、〔尚形〕係長の三人と、新たなる司令塔として〔笹井〕なる管理官が幹部として来ていた。


さて、捜査会議の中で、店主が盗撮や盗聴されていたと言われ。 押収した二つの機器からは、組み立てる中で部品に指紋が付いていたらしい。 片方は、存じの通りに探偵の大磯の指紋が在る。 だが、もう片方のカメラにも指紋が在ったが、前(前科)が無い。


こうなると、頼みの綱は提出された録音だ。 その中身を聴く事に成る尚形係長が、


「ガセならどうする気だ?」


こう咎め立てる様に木葉刑事へ問うと。


木葉刑事は、別にど~でも良さそうに。


「その時は、令状を取って完全に突っ込めば宜しいのでは?」


さも当たり前の普通に言う。


そして、USBメモリの中身を聴けば…。


‐ 持田さんっ! アンタっ、貸す時に何て言ったよ!! 月に一割って言ったじゃないかっ。 何でっ、いきなり三割増しになるんだよっ! ‐


こう叫ぶのは、まだ若い男の声だ。 かなり興奮して居る。


そして、


‐ ウルセェっ! 銀行から金を借りるんじゃ無ェんだぞっ!! 耳を揃えて借金を返せ無ェんならっ、テメェの実家に押し掛けてヤラァ! 若造がっ、偉そうに説教をタレんなぁっ! ‐


此方もドスの利いた声で、若い男を殴る音がする。 そして、揉み合う声や動きがして、ドスの利いた声の男が。


‐ このガキゃあっ! 殺してやろうかぁっ?!! ‐


と、言い放ち。


直後には、若い男の声が苦しいものに変わり。


‐ や゛っ、めっ! やめ゛ぇろぉ!!!!! ‐


と、若い男の声がした。


そして、強く何かを打ち付ける音がして、ドスの利いた声が呻き声を微かに発するが…。


‐ も・持田・・さん? あの、ああ・・あ・の…。 あ゛っ、しっ、死んだぁっ! あああっ、どうしょうっ! ‐


狼狽する若い男の声がする。


その録音を聴き終わるなりに、木田一課長が。


「音声のままに聴くならば、正当防衛ならびに過剰防衛か・・悪くて障害致死。 映像が在るならば、声の主と共に探す必要が在るぞ」


すると、里谷刑事が手を挙げる。


木田一課長は、直ぐに。


「里谷、何か?」


彼女を指名すると、立ち上がる里谷刑事は。


「はい。 この音声を盗聴していた探偵の大磯は、依頼者が借金してしまった息子の母親と言ってました。 この、今に聴いた音声が偽りでなければ、持田なる被害者は隠れた金貸し。 自宅か店には、その貸した相手に関する何かが在る筈です。 一番確実なのは、貸した相手を当たる事です。 それについての何かは、出て来ましたか?」


と、問い返す。


此処で、所轄の刑事で佐々木なる刑事が手を挙げる。


「君は?」


木田一課長の声に反応するのは、モシャモシャ頭の小柄な男性刑事の佐々木だ。


「はい、万世橋署の佐々木です。 今、里谷刑事から出た疑問ですが。 実は、以前から勝手な高利貸しをしている者が居る、と云う垂れ込みも在ったり。 あの店の店主は、脱税の噂が立った程。 もしかするとそちらの警視庁の方か、国税庁の方からマークされていた可能性が在ります。 自分は、前に一度だけ、その捜査をする警視庁の方から事情を聴かれた事も…」


この報告を聴いて腕組みした木田一課長は、捜査の方針はある程度ながら定まったと。


「よし、其方の問い合わせは、此方が行う。 この現場は、笹井管理官に任せる。 皆、一日も早く解決を目指して欲しい」


こう言って席を立った木田一課長は、


「尚形係長。 君は、このまま品川の帳場に行ってくれ。 向こうは進展が無く、捜査陣も疲れている。 捜査状況を見極め、郷田管理官を補佐しろ」


「あ、はい」


「此処は、小山内理事官が見る。 笹井管理官の仕切り回しは、篠田班も居るから大丈夫だ」


と、大船に乗った様な安心感で言う。


篠田班を含めた一課7係に属する3班を束ねる係長の尚形は、木葉刑事の身勝手が常日頃から気に入らないらしい。 だが、一課長にこう言われては、尚形係長も動く必要が在る。


さて、一課長の右腕・左腕と云うべき二人の理事官の内、その右腕と云うべき小山内理事官は、穏やかな表情を浮かべる笹井管理官に場を任す。


優男風のほんのりした五十歳前の管理官で在る笹井は、


「え~皆さん、今年から管理官をします、笹井です。 さて、今の処は、情報の不確実性を埋めて、必要な証拠を集め、容疑者を逮捕する事が求められます。 事件の内容が盗聴されたものが全てとは過程せず、確実性の高い有効な証言や物証を一つ一つ追って下さい」


と、一同に言ってから。


「え~では、組み合わせを言います」


笹井管理官は、篠田班の一人一人に対して、所轄の刑事を二人づつ組ませる。 然し、最後に回された木葉刑事は、先ほどに手を挙げた佐々木と云う所轄の刑事と二人のみ。


また、女性の里谷刑事の組み合わせには、殺害現場の再捜査を。 女性刑事二人と組む飯田刑事には、被害者宅の捜査を回す。


一方、木葉刑事以外の刑事の組み合わせには、犯行現場から一定の距離内に在る防犯カメラの映像の収集等が割り当てられる。


そして、木葉刑事と佐々木刑事には、事件現場周辺の地取りを当てられた。 随分な差を付けられた割り当てで。 そして、捜査会議は御開きと成る。


会議が終わった後、木葉刑事の存在に対する幹部の感覚が、噂通りに千差万別と知った里谷刑事だが…。


被害者宅に向かう飯田刑事は、女性の刑事に会う前に先ずは木葉刑事へ。


「木葉、連絡は必ず繋がる様にしとけ」


こう言ってから、所轄の若い女性刑事を二人連れて行く。


また、他の篠田班の刑事も、木葉刑事に連絡の糸を切らない様にと打診しては、所轄の刑事を連れて捌けて行く。


ゆっくりする木葉刑事に近づいた、小柄でモシャモシャ頭の色黒な佐々木刑事は、


(この人、噂はあんなに悪いのに、班の中の信頼性は抜群なんだな…)


こう窺い知る。


さて、一番最後に外に出る木葉刑事と佐々木刑事。


「あの・・、これからどう致しますか?」


年下の木葉刑事だが、一課の刑事でも在ると遜った佐々木刑事。


然し、のほほんさえして見える木葉刑事は、


「此処は、佐々木さん達の庭じゃ~ないッスか。 効率的に聴き込むなら、其方に地の利は在りますよ。 どうぞ、自由に」


こう言われた佐々木刑事は、幾つか当たりは付いていると。


「じゃ、犯人が逃走した方向から絞り込みしましょう。 防犯カメラのデータは別に、夜まで開いていた店の店員や客の様子から」


さて、一方で。 犯行現場と成る店に戻った里谷刑事は、その所狭しと陳列されたコードやケーブル。 その他、ツールの類が並ぶ棚を抜けながら。


「どんな陳列よっ」


と、ウザがった。


その後に続く、若い所轄の女性刑事が。


「然し、貴女や篠田班の皆さんも、あんなお荷物の‘葉っぱ’さんが居る班に居て大変ですね」


その物言いは、木葉刑事の噂を鵜呑みにして居るらしい。


一番最後に続く所轄の年配刑事が、苦虫を噛む顔となり。


「おい、口が過ぎるぞ」


一課の刑事に云うなとばかりに、窘めと云うか・・咎めと云うか。


すると、レジの在る場所に辿り着いた里谷刑事は、覚めた物言いにて。


「木葉刑事の事をとやかく言える程、そっちが優秀なら助かるわ。 あの悪徳ライターの‘遠矢’とか、この間に逮捕した‘岩元’をやり込んだ木葉刑事より、貴方が優秀ってなら、一課に直ぐ上がれる」


若い所轄の女性刑事は、里谷刑事の話に苦笑い。


「そんなに優秀な刑事なら、何で一番に詰まらない役回りへされるンですか?」


調べを始める里谷刑事は、手を動かしながら。


「ハッキリ言うならば、貴方みたいな刑事のやっかみよ。 彼が証拠を捏造したり、態と隠して手柄に成る様にしてるなら、たった一人のお嬢さんを守る為に、遠矢に態と自分の命を狙わせる様な事をしないわ。 見ても無い噂を信用して、本当の彼を見ないで判断するなんて。 私からすると、先に貴方の刑事としての資質を疑うわ」


バッサリ言われた若い刑事は、みるみると顔に不満を現す。


だが、


「あら、やっぱり木葉刑事の云う通りだわ」


と、里谷刑事が言う。


二人の所轄の刑事が視線を向けると、レジの置かれた台からレジがスライドする様に外側に飛び出せる様になり。 其処に、7インチぐらいの画面となるタブレット端末機が。


「ナルホドね。 ‘死角’か~」


端末機を立ち上げる間、狭い通路を見て呟く里谷刑事。


若い所轄の刑事は、先を越されたと見て。


「何で解ったんですか」


立ち上がったタブレット端末機を操作する里谷刑事は、どうでも良さそうに。


「盗聴データを貰ってから、捜査本部に戻るまでの間。 木葉刑事が現場の違和感を言ってたのよ」


“普通、こんな狭い店舗内なら、商品が万引きされても直ぐに解る様に、レジから通りまでは見易くする陳列をすると思うのに。 現場の店は、な~んでまた視界を塞ぐ様に、入り口の片方に溢れんばかりの陳列をするんだろう。 もしかして、逆に視界を塞ぎたいんですかねぇ…”


「ってね」


語った里谷刑事は、保存されたファイルの一つに貸付金の一覧表を表し。


「やっぱり、違法な金貸しをしてたんだわ。 店舗の外を通る人の視線から、貸し借りをする様子を見られない様にしてたんだわ」


処が、木葉刑事の事を認めたく無い若い刑事なのか。


「そんなの、偶々ですよ」


と、言い切る。


年配刑事は、この若い刑事が意固地に成る方に理解が出来ず。


「‘偶々’だろうが、結果が全てだ。 その偶々も見せられ無いなら、見せられ無い方が劣ってる」


里谷刑事は、年配刑事の話に頷いて。


「流石に、年季の入った方は違いますね。 てか、この店内を見た木葉刑事は、探偵の家に行く時も言ってたのよ」


“あんなに商品を仕入れて、月にどれだけ売れるんだか…。 埃を被る品が入り口に見えるなんて、商売をやる気が在るンすかね”


「って。 金貸しが本業なら、こんな店の物なんてバイトみたいなもの。 半分ど~でもいいから、赤字だろうが、埃が在ろうが関係無いのね…」


画面に触れて操作をする里谷刑事の話に、年配刑事は納得が行く。


「なぁ~る。 こんなケーブルやコードなんて、種類を豊富に揃えるならまだ解るが。 同じ商品を大量に仕入れるなんぞ、在庫が余るだけだ」


そして。


「里谷さん、それでそのタブレットには?」


「貸した相手の記録が在るわね。 未成年者から会社員、店舗経営者にまで金を貸してたみたい。 でも、利子が法外…。 取り立てられる方も、これは大変だわ」


「ならば、随分と悪い奴が死んだものですな。 出来れば、盗聴データの内容がそのままに在って欲しいです」


年配刑事の溜め息の混じる話。


その話を聞きながら、100人超の顧客か、圧し貸しを受けた者か解らない名簿をSDカードにコピーした里谷刑事は。


「名簿の内部データは、こっちに貰ったわ。 顧客を当たるなら、この内容からして手数が必要よ。 笹井管理官にこのパソコンを渡して、その旨を伝えて頂戴」


と、里谷刑事は若い刑事にタブレット端末機を差し出す。


手柄に成る証拠品を目の前にして、自分が届けてイイのか・・と思う若い女性刑事で。


「自分でいいんですか? 発見は、里谷刑事では?」


だが、里谷刑事は幾分か覚めた様子から。


「捏造や不正をしてるらしい刑事の読みから発見した物証だけど、点数を稼ぎたいなら好きに言いなさい。 女性捜査員の事を贔屓してくれる笹井管理官へなら、貴女への点数評価も高いのでは? でも、見つけたのは私、その情報を寄越したのは木葉刑事。 この事実は、絶対に変えさせないわよ」


と、店舗内の他の部分の捜索に入る。 加害者の遺留品が無いか、他に見落としがないかと探す為だ。


点数稼ぎにガツガツする刑事が多い中で、この里谷刑事の態度は異質に近い。


然し、若い刑事から見られた年配刑事は、同じ同僚と云える刑事に。


「お前が任されたんだ、自分で選択しろ。 だが、どう言おうが真実は変わらないからな」


こう突き放した言い方で里谷刑事の手伝いに動く。


タブレット端末を押し渡され、見放された様にポツンと取り残される様な若い女性刑事は、


「では・・届けて参ります」


と、すごすごとした姿で外へ出て行く。


一方、現場を見て回る里谷刑事は、


「・・・ん~。 このゲームの改造ツールって、意外と値が張るのね。 一つで二万円以上って、どんなよ」


と、高額商品を手にして呟く。


然し、年配刑事は其処に驚いて。


「そんなにしましたか? 以前、娘に付き合ってゲームを買った時、そんな高いものは無かった筈ですが…」


と、返して来るではないか。


里谷刑事は、年配刑事が意外とゲーム事情に詳しいと知り。


「あら、お嬢さんが?」


すると、白く成った頭を掻く年配刑事。


「いやいや、私も競馬や囲碁・将棋は、ゲームで腕を磨いて居る方でしてね」


照れから、カミングアウトする。


家族の話は、厳しい刑事の時間には息抜きとなる暖かさが在る。 穏やかに微笑した里谷刑事は、


「あら、意外」


と、話に応えてから、また商品を見ると。


「でも、これって封が一度開かれた形跡が在る。 こんなの、不良品じゃないの?」


一方、近付く年配刑事は、箱を見ながら。


「中古品なら、可能性は在りますがね」


すると、其処にメールの着信音が。


「あら、ちょっと失礼」


と、里谷刑事が仕事用のスマホを見れば、木葉刑事から。


画面を見た里谷刑事は、


「さっきの若い刑事の噂の所為かしら、彼からよ」


と、スマホの画面を年配刑事に見せる。


「あぁ、木葉刑事ですな」


「えぇ、不正をするって噂の」


里谷刑事の醒めた毒口を聞いた年配刑事は、首を少し困らせる様に傾けると。


「それは、恐らくガセでしょうな。 2月に亡くなった古川さんとか、渋谷署のあの嶽さんなどは、彼の事を悪く言われるのが大嫌いですから。 噂とは、恐らく違う人物でしょう」


と、言ってくれた。


だが、メールの文面を見た里谷刑事の顔が、一気にガラッと変わった。


年配刑事は、その表情の変化を見逃さず。


「何か?」


「現場周辺で、夜分遅くまで開いている店とか。 他ネットカフェ・・コンビニなんかの、24時間開いてる店の店員の話だと。 この店は、常に夜分遅くまで開いていて、外国人やら水商売系の女性やら、売っているモノと関係の無さそう客の出入りが在ったりしたって…」


「はぁ?」


生返事をする年配刑事は、店内を見回してから。


「こんな店に、夜分遅くなってからそんな客とは・・変ですな」


頷いた里谷刑事は、更にメールの内容を読んでから。


「あの盗聴データの最初の‘そんなヤバい事’って、噂の脱税関係か、違法な何かでも扱っていたとか・・って、あ」


言っているウチに、里谷刑事は脇に挟んだ箱を思い出す。


「ちょっとっ、まさかコレって…」


いきなり、ゲーム関連の商品を開き始める里谷刑事。


「あっ、ちょっと」


商品に手を出すのは流石に不味いと年配刑事は驚くが…。


開いたパッケージの中から出て来たのは、表面に何のロゴすらも印刷されてないDVDで。 説明書の中には、小分けの袋に入った乾燥された草が貼り付けて在る。


それを見つけ出した里谷刑事は、


「これ、もしかして・・乾燥大麻?」


こう言いながら年配刑事と見合う。


その乾燥した草の入った袋を見て、予想は当たりかもしれないと頷いた年配刑事。


もしも被害者が違法な薬物のバイヤーならば・・と考えた里谷刑事は、店内の商品を見回しながら。


「すいません、他の商品で、値段が異様に高そうな箱、もっと調べて貰えますか? 私、本部と他に連絡を入れます。 大麻や違法薬物や脱法ハーブなら、被害者の自宅か、他に製造工場が在るハズです」


事が大きく成ったと、年配刑事はすんなり動いた。


里谷刑事は先ず木葉刑事に、予想通りに新たな事件が見えて来た事をメールした後。 飯田刑事には、自宅の植物事情を念入りに調べる様に頼み。 そして、本部に応援を要請した。


さて、待つ時間も少なく所轄の薬物専門をする刑事が来て、ざっくりと小分けの袋に入ったモノを見て貰えば。 この店で扱っていた商品は乾燥大麻のみならず。 脱法ハーブ、幻覚剤と成る様々な覇王樹(サボテン)の根の粉末など、多数の商品を扱っていたと推測された。


そして、飯田刑事の方からも、在庫や原料の密栽培プラントを見つけ出したと連絡が来る。


夕方に近い頃。 また面倒な付属が出たと、里谷刑事は気合いを入れ直した。


また、篠田班の皆が忙しく成る。 本庁の薬物取り締まり専門部署から捜査員も出張り、国税局から捜査員もやって来た。 それぞれの資料の分別やら、証拠品の分別から調べが忙しく成る。


処が。 その捜査の仕切りを行う笹井管理官は、奇妙とも言える人の使い方をする。 若い女性捜査員に、飯田刑事や里谷刑事を伴わせて重要な捜査に割り振り。 年配者や八橋刑事達には、重要な捜査から外れた捜査を割り振る。 明らかな女性優遇措置で、急に重要な捜査に回された若い女性捜査員は、気負い過ぎてバタバタと。 危うく証拠品をダメにしそうに成ったり、トンチンカンな見込み捜査を言い始める。


金を借りた顧客への聴き込みへ向かった里谷刑事や中堅のベテラン捜査員は、若い女性捜査員が暴走するのを何とか抑える事に大変となり。 薬物を買っていた者への聴き込みに回る飯田刑事や市村刑事は、直ぐに逮捕と言い出す女性捜査員に頭を悩ませた。


一方、その日の夜まで聴き込みをした木葉刑事と佐々木刑事だが…。


或る小型カメラや盗聴機器を扱う無線機器を販売する業者に事情を当たって、いきなり盗撮されたディスクを渡された。 70過ぎた店主は、ゲームの店と併せて雑居ビルの二階から四階までを使って商売をする人物。 然し、最近に成って知り合った若者が薬物所持で捕まったり、また別の常連客が中毒から入院したりして。 健全な秋葉原じゃ無くなると危惧し、ヘンな噂の絶えないあの店を監視する事にしたと言う。


この老人店主は、佐々木刑事の知り合いの店主なだけに。


「オヤッサン、何でこっちに…」


と、彼は悔し気な言葉を吐いた。


対して、しょぼくれた老人はレジ前に座るままに。


「まさか、人殺しの証拠を映しちまうなんて、思わなかったんだ。 それに盗撮した画像からして、相手は首を絞められて反撃した様だから。 コイツは正当防衛と思って…」


悪い方の人情だと、佐々木刑事は老人店主に怒る。


だが、木葉刑事はと云うと、その画像を何度も確認して。


「でも、音声と映像の符合性は極めて高いッスよ。 後は、被疑者が何の罪も犯さずに見つかれば、重い罪には成りませんね。 執行猶予は難しくとも、情状酌量は認められそうです。 あの最初の‘ヤバい事’を拒否する言葉が在る以上は、この映像と合わせれば・・ね」


それは、佐々木刑事も同意見。


「そうですね」


店主の逮捕はせず、日を改めて警察署に来て貰うとした二人。


処が、だ。 夜の9時を過ぎて。 木葉刑事が現場周辺の立正に立つ警官に話を聴いて、今日は一度、引き上げ様とした後。 二人して署への帰り道がてら、現場の雑居ビルの在る通りへと向かった時だ。


其処は、牛丼チェーン店と閉店間際のパチンコ屋の狭間で。 現場の雑居ビルを見る、怪しげな人物の影を木葉刑事が見つけた。


「佐々木さん、彼処。 辺りを窺う人が…」


店から外に漏れる光をほんの少し遮る影で、佐々木刑事も理解した。


だが、木葉刑事は佐々木刑事の肩に触れると。


「佐々木さん。 もし、あの誰かが容疑者ならば、ゆっくり話ましょう。 追い詰めて公務執行妨害とか、暴れられても困る。 まだ、歩行者などの人の往来も在りますし」


「あぁ、そう・・ですね」


下手に追い込んでは、犯人が興奮して逃走中に罪のない第三者を傷つけたり、人質にしては困ると悟る。 だから二人してゆっくり近付いてから、


「あの、ちょっと宜しいですか?」


「すいません、警察の者なんですが…」


紺色のパーカーに、穿き慣らしたジーンズ。 そして、髪が長くなり始めた小太りの男性へ、二人して自然に近い感じで声を掛けた。


すると…。


「あの・・私が遣りました。 た・逮捕を・・」


と、手を差し出す男性。


然し、木葉刑事はそれを無視すると。


「あの現場…」


こう唐突に言う。


「はぁ?」


思わず、木葉刑事を見返した男性。


木葉刑事は、犯人相手に身構えもせず。


「あの現場には、或る理由から盗撮と盗聴がされてましてね」


「へぇ?」


「貴方が、店主から借金返済の代わりに、何かを押し付けられようとしてから、それを拒む声。 そして、キレた店主に首を絞められて、命懸けに成って反撃した一部始終が映されてました」


「そ・そんな…」


驚く男性へ、木葉刑事は緩やかに。


「どうです。 この際なんで、自首・・しませんか?」


木葉刑事の話に、佐々木刑事は驚く。 何故ならば、当該機関(事件を捜査する側)が犯人を特定した場合、それから自首しても効果は薄いのだ。


だが、敢えて笑う木葉刑事で。


「佐々木刑事、自分は腹が減りました。 あの老舗っぽい蕎麦屋でカレー南蛮でも食べてから、この映像と行きますんで。 自首した彼に付き添って下さい。 警察署近くで告白を受けたとすれば、それでイイですよ」


木葉刑事の仕様には、心底から驚く佐々木刑事。


「ですがっ、逮捕すれば我々の手柄に…」


処が、済まなそうにする小太り男性を見る木葉刑事はと云うと。


「手柄だの点数は、警察内部の身内事。 被害者、被疑者、その家族に何の関係も無い事ッスよ。 悪人を捕まえて世間に貢献した気に成れるなら、それもイイッスが。 この事件に対しては、彼への正当にして厳正なる審査がされればイイ事。 此方が彼を特定して疑いを掛ける前に自白したのならば、別にそれでもイイでしょうよ。 未成年から他の人に圧し貸し(押し付ける様に金を貸す)して、犯罪の片棒を担がせようなんて、死んだ被害者も人が悪い」


と、蕎麦屋に向かう木葉刑事。


佐々木刑事は、どうして木葉刑事にヘンな噂が付き纏うのか、その答えを見た気がする。


(今時、自分ぐらいの若い人にも、こんな人が居るんだな…)


何となくやる気と云うか、毒気を抜かれた佐々木刑事は、小太りの男性を見ると。


「では、行きましょうか。 署まで付き添います」


「スイマセン、ご迷惑を掛けました」


小太りの男性は、律儀に深々と頭を下げる。


結局、自首を受けた佐々木刑事が署に彼を連れて、この男性を事情聴取した。 正当防衛か、過剰防衛か解らない事件は、起訴の行方を捜査本部に委ねられる。


間抜けなタイミングと云うか、後からDVDを届けた木葉刑事は、他の所轄の刑事から笑い物にされたが。 知る者は知る事から、寧ろ薬物の方面で被害者の事がTVの話題に成る。


次の日、午前中。 ‘一夜城’ならぬ‘半日城’の如く、後の捜査は所轄に任せ捜査本部は解散となる。 全く目立たずとして去る木葉刑事だが、事情を知る年配刑事と佐々木刑事だけが見送りに出た。


「お疲れ様でした」


所轄署の入り口にて、敬礼した佐々木刑事と年配の刑事だが。 ネクタイを緩めての姿でラフな敬礼をした木葉刑事は、


「お疲れ様~。 次の機会が有れば、またね」


と、どこまでも緩い。


里谷刑事と現場に出ていた年配の刑事は、去る木葉刑事を眺めて。


「不思議な男だ。 それに、何とも人間が出来てやがる」


頷く佐々木刑事で。


「点数や手柄より、正しさをあんなに緩く体現・・出来るんですね。 あの人には、敵いそうにないですよ」


「噂が出る程に、出来るんだよ。 理解が出来ないから、やっかまれる」


「また、一緒に捜査が出来ますかね」


「さぁ、な。 それより、起訴まで頑張ろうさ、佐々木」


「はい」


このまま明けの非番となる木葉刑事を見送る二人は、今にして不思議な刑事の存在を知った。 噂では解らない、不思議な存在感と確かな眼を持った刑事を…。


この日の東京は30℃を超えて、6月を前にして真夏だった。

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