読者への挑戦状

 ミステリの読者である以上、挑戦状を叩きつけられるのには慣れているはずだ。

 賢明な諸君にとっては、朝飯前の謎だろう。それならば、稚拙な作者を嘲笑いながら読み進めればよかろう。

 挑戦状は簡潔にあるべきだ。諸君に問おう。

 犠牲者は一体誰なのか?

 誰が犠牲者を手にかけようとしているのか?

 犯人の計画とはどのようなものなのか?

 そして、本当の山野エルはどこに存在するのか?

 わざわざ読み直さずとも、読者諸君の中に謎を照らす光は煌々と点っていることだろう。最後の問いへの答えは、山野エルへの救済になるかもしれない。

 ご存じの通り、山野エルは時間の流れのど真ん中に大きな岩を置いた。それが時間の流れを真っ二つにしてしまったのだ。どちらが本当の自分の歩むべき道だったのか、彼には分からないままだ。人間は常に誰かを羨んで生きている。別の人生を歩んでいる自分自身すらも羨望の的なのだ。彼はそんな詮なき感情と訣別することができるだろうか?

 事件の全貌は、諸君の前に余すところなく提示されている。

 謎をことごとく白日の下に晒すがいい。



 数日後、滅多に開かないSNSを開いた作者は、尋常でない数のコメントが自身のアカウントに寄せられていることに気づいた。コメントは六千件を超え、DMは二千件以上溜まっている。

 何事かと、最新のものから確認していく。

≪一切、説明されないのは、どうかと、思います≫

≪私は先生の行動を支持します! 心ない言葉に負けないで下さい!≫

≪自分で好戦的な態度を取っておいて、指摘されたら逃げるのって最悪じゃないですか≫

≪偉くなったつもりですか? あなたは読者と同等の立場にいることを忘れないで下さい。その傲慢な態度が小説家の凋落を如実に示していると思います≫

≪戦争支持者ならさっさと戦場に行けば?≫

 作家には身に覚えのない言葉の数々だった。

 すぐにネットニュースを開くと、答えが目の前に現れた。


ミステリ作家 新作小説内で読者に対し挑戦状 賛否両論の大炎上


 とあるミステリ作家が燃えている。

 突如として暴挙に出たのは、ミステリ作家のアマノ・ルーク・イェーガーその人だ。三年前に出版された彼のデビュー作『アノマリー・レポート』は好評を博し、年間ベストセラーにランクインした実績を持つ。そんな新進気鋭の作家が、ネット上に公開した小説内で、「読者への挑戦状」と題した文章を発表した。なぜ読者を敵に回すようなことをしたのだろうか? 作家事情に詳しい事情通はこう話す。

「出版業界も不況が叫ばれて久しいですが、そんな中でも、売れるコンテンツは売れ、売れないコンテンツは見向きもされないという二極化が進んでいます。アマノ氏はデビュー作で見事に成功を収めたものの、その後の作品は伸び悩みました。おそらく、今回の読者に対する挑発行為は、自作への興味を集めるためのものだと考えられます」

 つまり、アマノ氏の問題行動は炎上商法であると分析しているのだ。彼の決断は出版業界への追い風となるのだろうか。それとも、燃え盛る炎をさらに広げてしまうことになるのだろうか。


 アマノは記事を読んで唖然とした。

 ──いやいや、読者への挑戦状なんて、腐るほど見てきただろ!

 ──お前たちがきっと好きなやつだろ!

 ところが、世論は読者への挑戦状に対し「読者を軽視する言語道断な行為」の烙印を押し始めている。あろうことか、出版大手のKADOKAWAもプレスリリースを発表し、その中で、アマノを名指しこそしていなかったが、こうした宣戦布告行為に対して懸念を表明していた。

 ネット上に「アマノの時代錯誤の大罪」と題する記事が凄まじい勢いで拡散されていた。曰く、「アマノによる〝読者への挑戦状〟は、戦争時代の負の遺産であり、世界一致で平和の実現を目指そうというこの時代において、とても容認できるものではない」。

 ──どうしてしまったんだ、こいつらは? 読者への挑戦状なんて可愛らしい頭脳ゲーム開始の狼煙みたいなものじゃないか。

 アマノは書斎を出て、乾いた喉を癒すために階下のキッチンへ向かった。一人で住むには広い家だ。しかし、落ち着いて仕事をするにはこれ以上ない環境でもある。

 リビングに足を踏み入れて、どこからか風が吹き込んでいることに気づく。見ると、リビングの大きな窓の真ん中に穴が開いていて、そこから真冬の寒風が腕を突っ込んでカーテンを揺らしていた。割れたガラスの破片がフローリングの床に散らばっていて、紙で包まれた大きな石が転がっていた。身を震わせながら石を拾い上げる。それを包む石には、真っ赤なインクで文字が書かれていた。恐る恐る紙を広げていくと、怨念まとわりつくような筆跡が露わになる。


ミステリ作家への挑戦状

お前がなぜこのような卑劣極まりない悪行に走ったのか、

お前の矮小な脳味噌で考えたまえ


 どこにこれほどのことをする怒りを溜め込んでいたのか理解に苦しみながら、アマノはとりあえずそっと紙と石を床に置いた。

 ──お前の方がよっぽど好戦的じゃん。

 あまりの出来事に、警察へ連絡するという発想すら抜け落ちてしまったアマノは、冷たい風を防ぐように厚いカーテンを引いた。そして、力なくそばのソファに腰を落とす。

 ──つい昨日まで平和な世の中だったじゃないか。何がどうなってこんなことになったんだ?

 街の上空をジェット機が低空で飛ぶ音がする。遥か遠くにはヘリのローター音も轟いているようだ。街が騒がしい。

 混乱する頭を落ち着けようと、テレビの電源を入れる。「速報」の赤い文字が真っ先に目に飛び込んでくる。首相官邸で総理大臣が会見を開いているようだった。

『──……であります。日本国政府としましては、こうした宣戦布告に極めて強い懸念を示すと共に、アジア諸国およびアメリカ政府と連携を維持しつつ、極めて慎重に注視してまいります。現在、自衛隊による日本国領内における防衛体制は問題なく整っており、国民の皆様におかれましては、普段と変わらない生活を送りつつも、非常の際にはJアラートによる指示に従っていただきますようお願い申し上げます。これに伴って……』

 テロップには、でかでかと「アマノ氏宣戦布告に関する首相緊急会見」とある。思わず目を疑って、漫画のように目を擦ったものの、何度確認しようとも事実は変わらなかった。夢かもしれないと思い、アマノは別のチャンネルに切り替えた。海外の映像が流れている。

『──……に対して、EUは、国際秩序を乱す行為は断じて許すことはできないとの統一見解を示しました。また、チンラット・クッパンASEAN事務総長も緊急の会見を開き、平和のための協力を惜しまないと宣言しました』

 ここまで来ると、アマノはスーッと全身から血の気が引いていくのを感じた。

 ごく短い読者への挑戦状が、世界規模の重大事件に発展している。何度も頬を叩いて、何度もリビングで足踏みしても、夢から覚める気配はない。

『我々も、平和を愛する報道機関として、カメラを通じてアマノ氏に呼びかけましょう』

 アマノが振り返ると、キャスターが神妙な面持ちでカメラを見つめていた。

『アマノ・ルーク・イェーガーさん、何があなたを突き動かしているのかは分かりません。ですが、あなたの中にも平和を愛する心があると我々は信じています。あなたにも愛する人がいるでしょう。そして、それは我々も同じです。どうか共に笑い合える未来の実現のために、手を取り合おうではありませんか』

 ──いやいやいやいや、知らん、知らん、知らん! お前らが勝手に騒いでるだけだろ!

 ニュース速報の音が流れて、画面上部にテロップが表示される。


国際ハッカー集団アノニマスが世界自警集団アイリス発足を宣言

複数の国際テロ組織が賛同示す


『えー、現在ニュース速報が出ておりますが……、その前に、ホワイトハウス前から成田記者と中継が繋がっています。成田さん!』

 ホワイトハウスを背にした記者がマイクを片手にカメラを見つめる。彼の背後には大勢の民衆が大声をあげている。

『さきほど、アメリカのジム・フォージャー大統領が緊急の声明を発表しました。アマノ氏の宣戦布告を受けて、ロシアとの平和的提携を約束したとのことで、歴史的な瞬間となりました!』

 VTRが流れる。ジム・フォージャーが熱のある口調で喋っており、字幕が表示される。

『地球的な平和への挑戦状を叩きつけたアマノ氏の登場によって、我々は主義の異なる者同士でも固く手を取り合い、平和のために邁進する必要があると結論づけた。さきほど、ロシアのメレンチェヴィチ大統領と平和的に手を結び合うという共同声明の同意に至ったことをここに報告する。我々は地球市民である。地球の平和を維持するために努力を惜しむことはない』

 記者団から拍手が上がる。

 VTRが明け、成田記者の背後の民衆がUSAコールを繰り返しているのが映る。

 ──こいつら、なんで俺をダシに勝手に平和になってんだ?

 世界中の映像が流れていく。誰もが信念を持った表情を湛えていた。そして、手を取り合う喜びに笑顔を浮かべている。

 スマホを開いて、読者への挑戦状を擁する長編小説を掲載した「カクヨム」を開いた。該当の小説のページを開くと、アクセス数が爆発的に増加していた。

 ──仮に、これを今削除したら、一体どうなる?

 なぜか世界は一致団結をした。それはどういう風の吹き回しか、アマノが共通の敵として出現したからだ。

 世界中の笑顔を思い出す。

 このまま作品を残し続けることが、彼らのためになるかもしれない……アマノはそう結論づけた。全地球人のために泥を被る人間など、地球の歴史上初めての存在かもしれない。

 これから何が起こるかは誰にも分からない。

 アマノ自身の命も危機に晒されているのかもしれない。

 それでも、アマノはどこか誇らしげな気持ちで、その小説のタイトルに目をやった。


『許されざる悪魔の所業』

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