静謐な牢獄

 丸山出版が主催する第六十七回新世代ショートショート大賞の大賞発表式はオンラインでリアルタイムに配信される運びになっていた。この賞の歴史が始まって初めての試みで、文芸界への注目度を高めたいという編集長・織畑の発案で実施することになった。

 織畑は慣れないスーツに身を包み、発表式の会場に向かう。

 この賞の全権を握る彼にとって、今回は実験的な試みだった。著名作家たちによる選考によって、最終候補作十一作品はすでに決定している。その中から、審査員特別賞と優秀賞、大賞を選ぶのだが、大賞と優秀賞の決定は編集部が担うことにした。今日も登場する作家たちには、今日の発表式でサプライズ的に伝える。その後のリアルタイムの講評座談会で存分に作品について語ってもらう予定だ。

「頼んだよ」

 編集部のスタッフに声を掛ける。会場の隣室には、各賞の受賞作品と受賞者の書かれたカードを収めた封筒が並んで置かれている。その全ての中身を知るのは織畑だけだ。編集部での意見交換は経ているが、内部にもサプライズ的に報告する形になる。

「エンタメは発信する側もエンタメである必要がある」と無理を通した企画だったが、織畑は自分の冷たい両手に、思った以上にプレッシャーを感じていたのだと自覚していた。

 織畑の緊張とは対照的に。式は滞りなく進んで行った。そして、いよいよ大賞発表の時がやって来る。

「さあ、いよいよ第六十七回新世代ショートショート大賞の大賞の発表に移ってまいりたいと思います」

 司会役がそう読み上げると、隣室から封筒の載ったトレイが運ばれてくる。審査員長を務める作家が壇上に上がって、封筒に手を伸ばす。

「第六十七回新世代ショートショート大賞、大賞受賞作は……」

 会場にドラムロールのSEが流れる。封筒の中のカードに目を落とし、作家が口を開く。

「山野エルさん『論理的な殺意』です!」

 織畑の頭の中が真っ白になった。

 ──違う! 俺が大賞に選んだのは『スパイラル・タワー』だ!

「おめでとうございます!」

 間違いを正すには、もう遅すぎるように織畑には思われた。審査員の面々がにこやかに手を叩く。織畑には受け入れられなかった。確かに、最終候補まで残された作品ではあったが、審査員の中でも疑問を呈する声があったのだ。

「さあ、織畑編集長、こちらへ」

 我に返ると、司会役が壇上へ促す声がした。織畑は必死に頭を回転させながら立ち上がって足を運んでいく。その表情は強張っていたが、端から見れば単に緊張しているようにしか映らなかっただろう。

 壇上で何を喋ったのか、彼には記憶がない。どうにか言葉を絞り出して、その場をやり過ごした。

 審査員たちの講評を聞きながら、織畑は今朝食べたホテルのバイキングの品々を戻しそうになっていた。

 あの作品は、世界観の説明に必要以上に筆を割いていて情報の羅列になっているし、キャラクターも記号的で生きている感じがないし、いまいち情景が伝わらないなど色々な穴が目立つが、決定的なマイナスポイントが二つあった。

 ひとつは、作者の創作姿勢を疑いたくなるような凡ミスだ。

 序盤でキャラクターの「右頬」にあったほくろの位置が終盤では「左頬」になっている。これは単なる誤植で、作者の細部に至る心遣いが薄れていることを如実に示す。

 もうひとつは、作者が頭の中から捻り出して創り出したであろう宇宙の構造だ。宇宙が泡状であるという定説が作中では信じられていた。結局は、これが否定されるわけだが、肝心の反証ロジックが脆弱で、既存の宇宙観を即否定するまでには至っていないのだ。ブラックホールと思しき天体が気泡宇宙を反証してしまうというが、作中でキャラクターが言及していたように平行宇宙がブラックホールの向こう側にあるのならば、宇宙は穴を通して繋がっていると考えられる。結果的に、穴は別宇宙で塞がれていると考えることもできる。作者は既存の宇宙観を否定したいがために、脆弱なロジックで結末を強引に導出した。それは織畑にとっては、容易に受け入れられるものではなかった。


 発表式を上の空で乗り越えて、織畑は会社の自分のデスクで頭を抱えた。

 ──事前に封筒の中は確認したはずだ。いつ、誰が、どうやって入れ替えた? そもそも、そんなことをする理由は?

 あの作品をそのまま世に出すのは、自分自身の信頼に関わると織畑は危惧していた。だが、あの場面で勇気をもって式を中断できなかった自分の弱さに溜息を禁じ得ない。

 ぐるぐると頭の中を行き来する考えを打ち破るように声がした。

「まさか編集長があの作品を選ぶなんて思いませんでした」

 部下の成瀬だった。まだ若いがやる気に満ち溢れた女性だ。織畑の記憶が正しければ、あの作品を気に入っていたはずだ。織畑の中に計算高い考えが即座に湧き上がった。

「成瀬よ、お前やってみるか? 山野エルの担当」

「えっ? 本当ですか? 私でいいんですか?」

「その代わり、受賞作のブラッシュアップと受賞後第一作は大きな責任が伴うぞ」

「やらせて下さい!」

「こういう経験がお前を大きくするはずだから、目一杯やってみなさい」

 織畑にとっては、願ってもないことだった。まだ入社して日が浅い成瀬ならば、編集作業の中でもあの作品の大きな穴には目がいかないだろう。ある程度の彼の体裁を保つにはちょうどいい。

 かくして、成瀬にはテイの良い〝経験値稼ぎ〟の場が設けられることになった。

 山野エルには、成瀬から次回作への提案が送られた。その出来によっては、受賞作の失敗を帳消しにするかもしれない……織畑には賭けのようなものだ。

 山野からは二週間後に、プロットではなく、執筆した本編がメールで送信されてきた。織畑はチーム内に共有された成瀬のメールの添付ファイルを祈るような思いでクリックした。ワードファイルが立ち上がる。

 織畑は深呼吸をしながら、モニターに目を向けた。



隷属都市


 半径五キロの巨大なドームは透過度の高い材質で出来上がっていた。だから、陽光は降り注ぎ、閉塞感はない。都市ができてどれほどの時間が流れたのか、誰にも分からない。ドーム内にひしめく灰色の建物の間を碁盤の目状にまたしても灰色の道路が走る。そこには完全に自動化された車両が走る。これも灰色。整然と人が行き交う。彼らが纏うのも灰色の服。色のない街だ。それもそのはずで、特徴のないブロックを基本構造とした建物も、整然とした道路構造も、飾りけのない街並みも、全て機械が一から作り上げたものだ。

 道路の数メートル上を小型のドローンが飛び交う。高性能のスキャンシステムを備えたそれらは完全に自律して動き回る。

 今そのドローンのひとつが異常を検知して、細い路地を弾丸のように飛んでいった。そして、高層住宅の外壁のそばを猛スピードで昇っていく。ドローン用の進入口から通路に入ると、ある部屋の前に辿り着く。同じようにドローン用の進入口から室内に入って、中の住人に警告を発する。

≪秩序逸脱率が七パーセントを超えています。今すぐ行動規定に沿って、感情コントロールを行って下さい。繰り返します。秩序逸脱率が……≫

 住人は驚きの表情を向けながら、椅子に座って目を閉じた。即座に体内のナノマシンから感情抑制物質が供給される。その効果は絶大で、ドローンは素早く部屋を出て行った。住人は安堵の表情を浮かべて息をついた。

 この街では、人間の全ての行動は完全な監視下に置かれている。あらゆるデータが都市の中央管理機構・パルマに送信され、常に「規範市民モデル」との差異を確認される。その差異は秩序逸脱率として数値化される。これが六パーセントを超えると、警告が発せられる。十二パーセント以上は即時的な処罰の対象に当たる。体内のナノマシンが肺組織の機能を一時的に遮断することによって処罰対象者は窒息という苦痛を与えられる。

 彼らの生殺与奪の権を握るナノマシンは、パルマが発布する増殖計画によって生み出された子どもに投与され、一生涯の行動や健康をモニタリングする。そうして、人間は都市の中で生産活動と納品を行い、報酬を得ることで生活を成立させている。


 十六に区分けされた居住区のP区、とあるアトリエで神経質そうな顔つきの青年、ハマーが静かに筆を置いた。その表情には、内に秘めた充実感が滲み出ている。複雑な幾何学模様が目の前に広がっていた。すぐに平静を取り戻して、今しがた完成させた絵をイーゼルから外し、それを納品用の筒の中に丸めて入れた。

 アトリエの外に出て、向こうから足早にやって来たポーターとアイコンタクトを交わして筒を託す。本来は納品物回収車両に受け渡すものだ。だが、それではダメなのだ。

 彼をはじめとした、非効率型生産者はたいてい居住区の隅に追いやられていた。人々の心の中には、都市の生産性に直接寄与しない彼らに対する差別意識が根を張っていたが、それらはパルマによって徹底的に排除されていた。ハマーは「ペインター」と呼ばれる職業区分に所属し、今回の〝計画〟の最も重要なプロセスの一角を担っていた。それがたった今、二十九の命令系統と三百のプロセスのうちの二十八番目、二百七十三個目が完了したばかりだった。

 ペインターから筒を受け取ったポーターは、それを地下のインフラ施設へのドローン進入口へ突っ込んだ。筒が侵入口を通ることは調査の結果で分かっていたことだ。インフラ施設内に落下してきた筒のそばにキャタピラ付きのドローンが近づいてくる。ドローンは筒を回収すると、インフラ施設内を走行していく。このドローンはあらかじめプログラミングされており、都市のネットワークからは隔絶されている。

 キャタピラドローンは急勾配を駆け上がっていき、インフラハブの建物内へ。この建物と隣接する食器生産工場に、あらかじめ通過できるように細工した通気口を通って入り込む。すぐそばの作業員がドローンから筒を受け取って服の中に隠し持つ。


 翌日の夜、居住区のE区にある家に二人の男女が膝を突き合わせていた。お互いに顔をすっぽりと覆うマスクを着けていた。そのマスクには小型の変声機が装備されているが、それはお互いの心拍数などのバイオリズムをパルマに検知されないための工夫だった。さらに、マスクの表面にはあのペインターが仕上げた絵の幾何学模様が転写されていた。

「ようやく、この日が来た」

「そうね。翼が空を舞う時」

「頼む」

 男が短くそう言うと、女の方がうなずいて、男の腕に針のついたチューブを刺した。そのチューブは小さな機械に繋がっていて、その機械からは男の腕に差し込まれたもうひとつのチューブに繋がっている。機械が始動すると、男の体内から血液が機械へと吸い込まれていく。このダイアライザーが血中のナノマシンを除去していく。夜を通して血液を〝浄化〟した二人は、マスクを脱ぎ捨てて抱き合った。そして、唇を重ねる。

 パルマによる増殖計画は、市民の遺伝情報をもとに次の世代の市民を〝生産〟するようにできている。つまり、自由な恋愛はそこには認められない。本来であれば、このような逢瀬は即座に検出され、処罰対象となる。しかし、今や二人はナノマシンの軛から解放されているのだ。

 街を見下ろすベランダに二人で歩み出る。火照った体に夜空が優しく微笑みかけた。ただし、二人の顔にはマスクが装着されている。すぐそばを小型のドローンが飛んでいく。ドローンは何事もなかったように飛び去っていった。

「本当にこの模様で検知できなくなるんだ」

 女がボソリと呟いた。数年をかけて調べ上げ、さらに数年をかけて風が大地を削り取るようにじっくりと計画を進めてきた。表向きは市民の解放だ。この計画に賛同した市民グループ・クレアボヤンスは数百人に上る。彼らは機械都市に隷属する人生からの脱却を望んでいる。しかし、二人にとっては、お互いの間にそびえる愛の障壁を取り除くための手段でもあった。

 二人は固く手を握り合った。

「愛しているよ、ライプニッツ」

「私もよ、クロード」


 クレアボヤンスが秘密裏に建設したのは、例の幾何学模様の外壁を持つ地下施設だった。ここでは、多くの血液浄化が行われている。ここにいる誰もが、あの幾何学模様の服とマスクを装備している。一種異様な光景だ。ここでの浄化が予定通り完了すると、この浄化施設は機械への叛逆を開始する中心基地になる予定だ。

 ペパーフィールドはクレアボヤンスの実行的リーダーとしてこの浄化施設を管理している。この日も、部下からの報告を受けて、マスクの下でほくそ笑んだ。

「よし、スケジュールは順調だな。あと三日で基地への移行作業を開始できる」

「いよいよですね」

 部下の声が弾んでいる。

 と、そこへ、前時代的な催涙弾が投げ込まれる。広がる白い煙の中で咳き込み、嗚咽する者たち。浄化施設は阿鼻叫喚の場と化した。

「レーザーライフルを!」

 まだ数丁しか用意されていないレーザーライフルを受け取って構える先、煙の向こうから、一個師団が姿を現した。対レーザーライフル用の鏡面装甲部隊だったが、ペパーフィールドたちは、初めて見る人間の実行部隊に戸惑いを隠せない。

「君たちは包囲されている。直ちに武装を解除し、投降しなさい」

 いつものような合成音声ではなかった。生きた人間の声。ペパーフィールドは奥歯を噛み締めた。計画はまだまだこれからだったのだ。

「なんなんだ、お前たちは!」

「我々は中央政府派遣軍である。君たちは都市機能の脆弱性を突き、混乱を発生させている。隷属都市自動処理法を逸脱した」

 ペパーフィールドはゆっくりと武器を置いた。現状の戦力差では、大人しく従うほかはない。

「政府も機械が運用しているはず……。なぜ人間が人間を律しようとするんだ!」

「中央政府と世界首都は人間が運用している。お前たちは所詮、数多あるうちの隷属都市のひとつの住人にすぎない。機械の自動支配下で、世界首都の養分となって働く奴隷なのだ」

 世界の構造を突きつけられて、ペパーフィールドは自分たちの浅はかさにうなだれてしまう。これまで、機械を欺くための計画を練り続けてきた歳月は、拙い絵空事に過ぎなかったのだ。

「君たちはこれから詳細に解析される。そして、この都市はあと七分後に再構築が行われる。お前たちの行動が、この都市の全ての人間の命を捻り潰したのだ」

「そんな……馬鹿な……!」

 あちこちで泣き声が響く。

 都市内での反乱の行く末は、この都市からの脱出だった。しかし、彼らは誰一人としてこのドームの外の世界を知ることはないだろう。

 ペパーフィールドたちが航空機で連行されていく。その遥か後方、都市を覆うドームの頂上にあるパルマの筐体が都市の全機能を停止させ、ドーム内を分子単位で攪拌する様子が見えた。

 ペパーフィールドたちが初めて見る夜明け前の空は、暗く閉ざされた心に深い墨を落とすようにどこまでも広がっていた。


────


 織畑は深く溜息をついた。成瀬がやって来る。

「読みましたか? 山野さんの掌編。なかなかの──」

「ダメだ」

「え、どうしてですか?」

「世界観の説明にばかり分量を割いていて、とてもそれを作品として昇華できていない。キャラクターは相変わらず記号的だし、物事も淡々と起こって終わっていくだけだ。フックがないんだよ、最初から最後まで」

「そこをブラッシュアップすれば……」

 織畑は成瀬の言葉に応えずに、脂の浮いた額をじっとりと撫でつけるだけだ。成瀬を追い返して、昔から担当してきたベテラン作家のゲラに目を通す。それだけで、心が落ち着くような心持ちが彼を包み込む。

 しばらくすると、今回の賞の関係者を集めたグループチャットに成瀬からのメッセージが着信した。スマホでそれを確認する。

≪山野さん、メールでお送りいただいた内容拝見いたしました。この世界観で、よりフックのある仕掛けを盛り込みたいと考えているのですが、どうでしょうか?≫

 山野からすぐに返信がある。

≪考えてみます≫

 織畑もごく普通を装って、

≪よろしくお願いいたします。期待しております≫

 と送信した。スマホをスリープさせると、すぐに別のメッセージが着信する。織畑の妻からだった。

≪配信、ずいぶん盛り上がったみたいだね≫

 どうやらアーカイブを観たらしい。織畑は自分ではあの映像を観返す気にはなれない。時間を巻き戻せるのなら、発表前に戻りたいくらいだ。しばらく躊躇っていたが、アプリを開いて愚痴をこぼした。

≪あれ実は間違って発表してんだよ。どっかの馬鹿が中身をすり替えやがった。あんな駄作に賞をやるなんて、俺の信用がガタ落ちだよ……≫

 送信をした瞬間に気づく。

 送った先はさっきまでやり取りをしていたグループチャットだった。全身から冷や汗が噴き出して、慌ててメッセージを取り消した。たぶん、まだ誰もメッセージに気づいていないはずだ。それほどまでに素早く対処した。冷や汗と速まる鼓動……。織畑は、なんで自分がこんな気を遣わなければならないのかと、内心が煮えくり返っていた。

「今田!」部下を呼ぶ声も自然と荒々しくなってしまう。「これ二段組にした方がいいな」

「分かりました!」

 ゲラをデスクの上に置いて、鉄の玉でも吐き出すように息をついた。


 一週間後、山野からメールが届いた。『隷属都市』の修正版を送って来たらしい。先日のメッセージ誤送をすっかり忘れていた織畑だったが、山野の名前を見て、あの苦い感覚が競り上がって来る。メールには、次のような言葉が添えられていた。

≪来週、そちらにお伺いする件ですが、日時の方のご連絡をお待ちしております≫

 成瀬から聞いていない話だった。すぐに彼女を呼びつける。

「来週、山野さんがここに来るの?」

 彼女は「はい」と勢い良く返事をした。

「新世代ショートショートのウェブサイトに山野さんのインタビュー記事を載せようということになって……。あとは、今ブラッシュアップしてもらった作品をもとに、今後の展開も一緒に考えていきたいなと。……ええと、この前話しましたよね?」

 山野のことは織畑の脳に刻まれにくいのかもしれない。織畑は「そうだったな」とうそぶいて、やり過ごしたが、一度ここで山野と対面した時のことを思い返して、気が重くなった。筆名とは裏腹に、パッとしない見た目だった。別に小説家に見た目は関係がない。だが、あのみすぼらしさのある無精ひげやボサボサの頭、だらしない身体つきから、たいしてポジティブでもない話が繰り出されるのは我慢ならなかった。まだ非凡であれば話を聞く気にもなれるのだが、そういうわけでもないからたちが悪い。

 暗澹とした気持ちで、山野のメールの添付ファイルを開く。



普遍都市


たとえ悪かろうが、詩人だ。

この鳥は手の中で眠っている。

ぼくらはけっして地上におりることはない。

地上におりたら──上れなくなる。

──オレグ・グリゴーリエフ「アマツバメの死に」


人が跡形もなく消えるのは、今月で六件目だった。

 B51731オクシデンターリスの街は、いつものように透明なドームを通して陽光を受けている。市民たちは整然と道を行き交う。もっとも、彼らにとって今が朝なのか夜なのかというのは関係がない。この街は休むことがない。徹底的に管理され、生産量と生産効率だけが決定づける都市評価を向上させ続けようとしている。

 パルマに残された記録によれば、居住区Cに住むミズーリという女性が自宅から追跡不能になったらしい。彼女の部屋の中は今朝まで生活していたらしい痕跡が残るだけで、その姿はない。彼女の仕事場である製パン工場にも彼女は出勤しておらず、パルマの試算では都市評価にマイナス〇・〇〇〇二五二四一ポイントの損害が見込まれるという。処罰対象である。

 ナノマシンからの信号のみが、自宅から出ていることが分かっている。パルマはこれをナノマシンの誤作動と結論付けた。全ての市民には、ナノマシンが投与されており、それによってバイオリズムなどの情報を収集することができるのだ。

 かくなる上は、彼女の目撃証言を辿るしかない。

 彼女が住む集合住宅には、七百人が収容されている。彼女と同フロアには三十二人が居住。そのうち、彼女の日常動線と接することがあるのは六人だ。パルマを通して、六人への聴取を開始した。都市内を飛び交うドローンが六人の現在地へと飛ぶ。

 数分後に、六人分の証言データが出揃った。だが、どれにも彼女の目撃情報はない。ただし、彼らのバイオリズムには一定の挙動が見られており、パルマが追加で情報を聞き出していた。

「別の居住区の人とやり取りがあったようです」

「彼女の家に時折誰かが出入りしているのは知っています」

 どうやら、彼女の人間関係に消失の理由がありそうだった。パルマに記録されているミズーリの全ての会話を要請すると、数秒の後に七三九一時間分の映像と音声が送信されてきた。すでにパルマによって、特筆すべきポイントが抽出されている。

 六日ほど前から、ミズーリはごく短いやり取りを複数の人間と行っていることが分かった。交わされた会話は、

一四三時間二十一分七秒前

ダビド:「これを」

ミズーリ:「ありがとう」

一二九時間四分二十八秒前

 ミズーリ:「お願いします」

 クレア:「了解」

 このようなごく短いやり取りは、仕事場や路上などで突発的に行われ、いずれの会話相手とも、彼女はこれまでに一度も接したことのない人物のみだった。奇妙なのは、言葉を交わす際にお互いが手を近づけている点だった。何かの物品を受け渡しているような仕草だったが、そういったものは検知されていない。

 パルマに、ミズーリと接した人間への一斉調査を要請したが、驚くべきことにすでに昨日までに全員が死亡していた。

 死因を検索するが、単に突然死を迎えた様子だ。ただ、遺体の状態や解剖結果はいずれも空白になっている。

 死亡した彼らの対人接触履歴を拡大して調べると、関係性のハブとなっている人物が見つかった。P区の山野エルというライターだ。この都市にあって非効率的な生産を行っているのは、いずれも対人娯楽用の製品を納品する者たちだ。彼らは超長期的な期間で市民の生産能率に関与することが知られている。ライターは文章娯楽製品を生産する。

 すぐに山野エルのもとに事情聴取を行いに向かう。

 山野エルは自宅の一室で、机に向かっていた。ドローンが質問を投げかける。

≪あなたは現在、六十三名との対人接触履歴の中心人物とみなされています。その理由を述べて下さい≫

 山野エルはドローンを見つめて、記憶の糸を手繰るように中空を見上げた。

「さあ、俺には心当たりがない」

 しばしば人の記憶と機械の検出結果には相違が生まれるものだ。ドローンは部屋の壁に黒い染料で大きく、



 と記号が書かれているのを発見する。

≪住居に対する汚損は程度を超えると警告対象となります≫

「ああ、これか。別に気にする必要はない。これ以上、壁を汚すことはしない」

≪簡易的な約束とみなし、以降相違があった場合に警告対象とする≫

「分かってる。お前には意味のないことだ」

 山野エルは説明を放棄したように目線を逸らした。

 パルマは山野エルの予測対人接触履歴を作成した。彼のこれまでの行動や言動、対人接触履歴から、今後構築される対人接触履歴を導出するのだ。

 浮かび上がったのは、同じくP区に住むペインターのハマーという男だった。画像娯楽の生産者である。都市検索によって、ハマーのナノマシンの信号のみが検出される。その信号は都市の地下数メートルから発信されている。その個所はただの地中である。地中に彼の身体が位置しているということは、都市の監視外にあるということで、ナノマシンの信号のみが検出されている事実と矛盾しない。

 すぐにドローンがハマーの信号のもとに到達する。地中であるはずのその場所は、広い空間になっていた。無数のダイアライザーとベッド、簡易的なオフィスのようなものが置かれている。

 次の瞬間に、ドローンが機能を停止した。残されたログによれば、高エネルギーの照射を受けたようだった。正体不明の高エネルギー射出体が地下に存在していると考えられた。ただし、その高エネルギーは、旧時代のファイバーレーザーと推定された。ファイバーレーザーを照射する機構の作成に必要な部品を都市内から検索すると、各所で生産されている精密機器工場がリストアップされる。

 ファイバーレーザーはこの都市では生産していない。その生産権限がここにはないのだ。となると、何者かが都市権限を無視して、ファイバーレーザー照射機を生産した可能性がある。

 複数のドローンを向かわせる。いずれも数分の後に撃墜されたが、ファイバーレーザーはランダムに移動する点から照射されたことが分かった。その移動アルゴリズムは、紛れもなく人間のものだ。しかし、地下の空間には人間の姿は見当たらない。しかし、記録された音声には人々の足音や声が入っている。

 パルマに中央政府派遣軍から通達が入る。

≪隷属都市自動処理法を逸脱した行為を検出した。これより排除に向かう≫

 中央政府派遣軍が都市のトランスポーターにテレポートしてやって来る。一個師団が地下空間へ侵入していった。

「君たちは包囲されている。直ちに武装を解除し、投降しなさい」

 彼らは何もない空間に向かって警告を発した。

「なんなんだ、お前たちは!」

 何もない場所から声が上がる。声の周波数を検索したところ、ミズーリの対人接触履歴の中で、突然死を迎えた人物であることが分かった。

 中央政府派遣軍は、姿なき相手を制圧したようだった。

「この模様で機械の認識を無効化したらしい」

 軍人が何かを見てそう話している。そこには何もない。

 この都市で何か〝私〟の理解の範疇外の出来事が起こったらしい。軍人たちの話によれば、反乱分子たちは〝私〟の目を欺き、この都市からの脱却を目論んでいたという。

 すぐに認識プログラムのアップデートが行われる。

 連行されていく人々は、いずれも不思議な幾何学模様の服やマスクを身につけていた。これでもうこの幾何学模様の認識撹乱は通用しなくなる。ミズーリはこの模様を施した手紙を受け取っていたようだ。それでやり取りを行っていたのだろう。

 念のために、彼らが作成した紋様から予測される非認識パターンを導出する。そのデータはこの惑星に遍く存在する〝私〟に共有される。

〝私〟はどこにでもいる。

 どこにでもいて、全てを見ている。


────


 織畑は溜息をついた。どこか不気味な作品だ。

 なにより、山野自身が作品の中に唐突に登場してきたことに疑問を禁じ得ない。全く不要な要素で、なぜこんなことを彼がしようと考えたのか理解に苦しむ。

 物語の構造は、語り手が都市そのものであったというものだ。それは結末として、採用してもいいものかもしれない。感情のない文章に意味が付与されているのは、指摘した欠点を補うものかもしれなかった。

 織畑は山野に聞きたかった。

なぜ自分自身を登場させたかったのか?


 山野は次の週の水曜日に編集部へやって来た。相変わらず、みすぼらしい出で立ちだ。肩から提げたバッグだけがサラリーマン然としていて、それがアンバランスさを助長している。

成瀬と山野の打ち合わせに織畑も同席する。成瀬は『普遍都市』の出来には感心したようだった。

「とても面白い方向だと思いましたので、これで進めていきたいなと思います」

「ああ、それはどうも」

 無感情な返答だった。成瀬は興味深そうに山野を見つめた。

「SFを中心に書いていこうとお考えですか?」

「あれはSFではない」

 成瀬の眉が困惑したように八の字を描く。

「ええと……、『論理的な殺意』もSFだったと記憶していますけど……」

「『普遍都市』は呪術的な作品だ」

「じゅじゅ……? ご説明頂いてもいいですか?」

 勿体ぶる山野に織畑が口を挟む。もとより、目の前の男の話に興味などなかったのだ。

「なぜ『普遍都市』に自分自身を登場させたのか。そこのところの意図を聞きたい。必要だとは思えなかった」

 山野はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。

「俺は今、世界を記述できる立場にある」

 陶酔したような山野の表情には鬼気迫るものがある。同じ空間にいる織畑にとっては、強く自分を持たねば相手のペースに巻き込まれるような不安があった。

「言っている意味が分からない」

「今、俺は俺として俺の言葉を発している。だが、あなたは俺としてあなたの言葉を発しているに過ぎない」

 彼の言葉を根底から否定するように苦笑して、織畑は両手を広げた。

「相手に分かるように話さなければ伝わらないよ」

「あなたがたは、すでに物語の登場人物だということだ」

 織畑と成瀬と顔を見合わせた。

「よく分かった」

 と織畑は笑顔になる。

というように、俺が書けばそうなるということだ。

「待て、何を言っている?」

 織畑が顔をしかめて山野を見つめる。

「もちろん、今ここであなたに膝を突かせることだってできる」

 これは地の文ではない。俺の綴る記述だ。二人は俺がそう言うと、怪訝そうに眉根を寄せた。意味が分からないだろう。

「すまんが、これ以上ふざけたことを言うのなら、出て行ってもらう」

 織畑は自らの無理解を恥じて頭を垂れた。それはまさしく、山野に対する絶対的な服従を意味していた。

「こうしてあなたを奴隷化することも俺にはできるのだ」

「君が何を言っているのか、俺たちが理解できているとでも思うのか?」

 織畑の声色が深みを帯びる。成瀬は、はたと思い至る。

「あの小説の中の記号って、もしかして……」

「ようやく気づいたようだな。ここは俺の物語の中だ。全てが俺の描く通りになる」

 織畑がテーブルを叩く。

「ふざけた言葉遊びはやめろ」

 山野の血走った目が見開かれる。怨念に近い情念を感じ取って、成瀬は背筋をぞくりとさせた。

「ああ、分かってる。あんたにとっては、俺は邪魔な存在だろう。どういう神の思し召しか、俺が選ばれることになった。あんたが俺を亡き者にしようとしているのは知っている。だから、こうなった。全てはあんたが自分で蒔いた種なんだよ。嬉々として牢獄に押し込んでいるのは自分自身だと自覚することだな」

 織畑の身体は得体のしれない力によって床に圧しつけられた。凄まじい力が彼を跪かせる。山野は嬉しそうに笑い声を上げた。

「無様なことだ」

「お前にチャンスを与えられると思っていた俺が馬鹿だったよ」

「いまさら心を入れ替えても、もう遅い」

 俺は壁に手のひら向けて、穴を開けた。高層階のこの部屋に風が吹き込んでくる。俺はその穴から飛び出した。

 空を飛んで、眼下にそびえる会社のビルを見下ろした。屹立する白い巨人は、とても小さく見える。なんの特色もない、大都市に無数に立つ大勢のうちのひとり。

 こんなにつまらない場所で、俺は何かを為そうとしていたのか?

 空中で一回転して、地平線を目がけて加速した。大地がボールのように転がる。その先で輝く無数の星々……。

 俺はそちらに手を伸ばし、漆黒の闇に身を投じた。

 そこには永遠があるはずだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る