死んだ街

 開きっぱなしの窓から、肌寒い風が吹き込んでいた。

 部屋の中は静かで、彼の姿はなかった。泥棒に入らレる心配ヨりも、彼が此処にいないといウ事実の方が先に立つ。彼は暑がりだから、未だ此の時期にもかかわらズ、寝る時も窓を開ける様にしていた。だから、朝は寒クて目が覚めるのだ。

 彼の気配が少ない荷物と共に掻き消えてしマって、胸の中に穴が開いた様な気分だった。もともと居候で、荷物が多いわけではない。彼が脱ぎ捨てた靴下も、洗面台の所に蓋を開けっ放しにして置かレた儘のヘアワックスの容器も、短くとも私にとっては日常だったんだと気づかサレる。

窓のそばのチェストの上に、彼のラいターが残サレていた。確か、「大切なものだ」と言っていた様な気がする。だから、此の目立つ場所に置いていた筈なのに……。黄銅色の金属でできたオいルラいターだ。表面に火を纏った狼が描かレている。之は、彼が此処にもドるための口実なのだROウか?

 窓のそとはすっかりヨるの帳が下りている。死んだ街の静かな部屋に帰って来ると、仕事現場とのギャップに眩暈がする。すぐに窓を閉めた。玄関のドアに鍵は掛かっていた。そレならば、窓も閉めて行ってクレレばヨかったのに。

 バッグをテーブルの上に置いて、部屋ぎにき替える。バッグの中から、現場から持ち帰って来たベんとウを取り出してレンじにかけている間に洗面所でメいクを落とす。彼のワックスの容器は見あたらない。レンじからベんとウを取り出して、居間のテーブルのそばに置いたクッションに腰を下ROす。スマホをそばに置いて、今週のスケじュールを確にんしながら、ベんとウをつつク。千尋の卒業コンサートを終えて、並木橋Bes  eは次のステップに進むため、新しいシングルの制作に向かっている。その制作には新メンバーオーデぃションも絡んでおり、グループにとっては大きなチャレンじだ。「千尋が卒業したから並木橋はオワコンだ」とSエヌSでは囁かレている。そウならないために、之からの数か月は踏ん張り処なのだ。

 ベんとウを食ベ終えて、ゴミを片づける。部屋の隅に立てかけてあるアコーステぃックギターはもウ随分サわっていない。自分ではなク、誰かの歌を支える事になるとは、あの弦で指を痛めていた頃は夢にも思わなかった。ギターを弾ク時間もなクなって、コードも幾つか忘レている。じん生とはそウいウものなのかもしレない。

 スマホにメッセーじがちゃク信した。彼からかと思って飛ビついたが、メンバーからの日誌が送信サレてきた様だった。脱字が目立つ日誌を確にんして、画面を見る。ホーム画面の画像もROック画面の画像も、彼と撮ったツーショットの写真だ。我ながら、がク生みたいな事をしていると思ウ。

 風呂に入る支度をする。明日は、夕方からラじオ局で番組生放送と雑誌取材に帯同だ。その後に別のメンバーの舞台稽古がヨる遅ク迄ある。彼女たちは輝いている。私はその光で前が見えている様なものだ。深クかんがえたクはない。風呂に入ったら、もウ寝ヨウ。睡眠は私たちに与えらレたリセットボタンだ。

 風呂から上がって、パックをして、かみを乾かす。彼女たちのそばでは、私も綺麗でいなけレばと思ウ。ベッドに入って、深ク深呼吸する。目が覚めレば、又明日がやって来る。


 彼のラいターの表面が盛り上がって、火を纏った狼がそとの世界に這い出してきた。二メートル以上はあROウかといウ巨体がメラメラと燃えている。狼は開け放した儘の窓からそとに飛ビ降りて、道路を駆け抜けていク。狼にふレたひとビとは顔を焼かレ、灰になって消えていク。逃げ惑ウひとビと。ドコからか警サつがやって来て、銃器で応戦する。しかし、狼を覆ウ炎が銃弾を蒸発サセてしマウ。狼が通った後には灰燼だけが残り、恐怖と怒りが綯い交ぜになったひとビとの視線が注がレる中、狼は民家を燃やし始めた。業火が立ち上り、住民たちはきの身きの儘で家を追い出サレていク。

私が住む此のマンションも火に包マレる。逃げヨウとしても、ウマク足が動いてクレない。次第に息が苦しクなってクる。窓のそとから巨大化した火の狼が覗き込んできた。


 目覚めた時の私は少し汗ばんでいたかもしレない。カーテンをひいていなかった所為で、日差しがベッドに差し込んでいたのだ。いつもの癖で開けた儘にした窓から微風が入り込んでいた。

 嫌な目覚めだ。

 ふとチェストの上を見る。ラいターが消えていた。ボーッとしていた頭が冴えて、ベッドから立ち上がって、周囲を見マわした。ドコにもない。忽然と彼のラいターが消えてしマった。彼との思い出が断ち切らレた様な気がして、心細クなる。連絡をすレばいいのかもしレないが、なにかを確にんする羽目になりそウで怖かった。

 支度をしながら、テレビでながした儘のニュースに目をやる。ドウやら、放火で此の近所の民家が全焼したらしい。夢の中で聞いたサいレンの音は之だったのかもしレない。数か月前から不審火が相次いでいて、今かいも同じ犯にんに因るものと推測サレているらしい。

 夢の中の事が気になった。ラいターとともに消えた火の狼……。マサか、あの狼が家に火を……? 自分のもウ想に思わズ笑ってしマった。

 事務所での合りゅウ迄には時間があったが、早めに家を出る事にした。来週はメンバーの紗南が誕生日を迎える。そのケーキを注文していた店に挨拶がてら、現場への差し入レを見繕いに行クつもりだ。

 部屋を出てマンションのエントランスへ。そとに出ると、レンガ調のがい壁にマンションの名前を掲げた文字看板が目に入る。「新城レ デンス」……文字看板のひとつが抜け落ちているのだ。なにかの拍子に取レてしマったのかもしレないが、そレを直そウともしないのはいかがなものか。

 街に出てみレば、此処が死んでいる事が分かる。マンションから少し行った所にある動物病院の看板も「あ  ら犬 病院」、一時停しの道路標示に至っては、アスファルトの地面がボコボコになって「   」になってしマっている。此の街は新陳代謝がとマってしマっているのだ。

 駅に向かウ前に、ニュースに出ていた家を見てみたいといウ衝動に駆らレた。無意識に彼の影を探そウと思っていたのかもしレないが。

 遠マわりをして住宅街を行クと、マスコミの姿や野次馬、消防や警サつの姿も未だ見受けらレる。狭い道路は一部が通行ドめになっていた。被害に遭ったのは、一階が会社になっている民家だった。焦げ臭いにおいが辺りに立ち込めている。がい壁は黒ク炭化し、屋根も落ちている。一階のがい壁に設えらレていた会社名の文字看板は一部が落ちている。「筒  ン ニ リング」……地面に真っ黒になった「井」と「エ」、「ア」が転がっていた。少なクなった野次馬の方に目をやるが、彼の姿はない。

 興味深げなひとビと、忙しなク動きマわる消防と警サつ、遠クからカメラを構えるマスコミ、水浸しになってボROボROになった建物……その光景が夢の中で見た事がある様な気がした。動悸が早マる。

 雑念を振り払って、駅へ向かった。

ケーキ屋に寄り、事務所でメンバーの理加と合りゅウ、ラじオ局へ。時間の進む速サが此処では違ウ。あっといウ間に生放送と雑誌の取材が終わり、事務所にもドると、昨日から舞台稽古が始マった瑞音が待っていた。不安そウな表情だった。きっと、初日の稽古を終えて色々と喰らったのだROウ。彼女は涙を目に溜めて私に抱きついてきた。

「ねー、かねやん、私できるかな?」

「不安になっちゃったの? 家でもいっぱい練習してるじゃん」

「でもサ、セい量も表現も明らかに私だけ劣ってる感じがしてきついんだヨね……」

 ポニーテールにした黒かみが揺レる。瑞音は努力家だが、そレゆえに自分を過小評価する癖がある。もったいない事だ。だから、彼女には慰めの言葉ヨり、発奮サセる様な言葉をかけるのが一番いい。

「コえかけてもらったのは期待サレてるからだヨ。だから、此処は頑張って乗りコえてみヨウヨ。終わった時に絶対やって良かったって思えるヨ」

「ウん……、頑張る」

その目が私の持っているケーキ屋の袋に向けらレる。

「そレなに?」

「此の前話してたフぃナンシェだヨ。食ベたいって言ってたでしョ?」

 差し入レ分とは別に事務所のにん間に用意していた分から瑞音にひとつ渡してやる。パッとえがおになって、犬みたいに私にほおを擦りつける。

 瑞音がヒROいンとして出演するのは、名のある劇団の初演作「仮面愛」。ヒROいンの美晴は、知り合った影のある男・玲仁に恋心を抱クが、彼は父親を殺した犯にんだった……といウ筋書きだ。玲仁が仮面をつける度にプROじェクションマッピングや舞台装置に因って世界が一転するといウ大仕掛けがある。その中で瑞音も舞台に埋もレてしマわない様な表現力が求めらレていた。

 瑞音と共に稽古場のある劇団のスタじオに入る。稽古場には仮組みの舞台セットがあり、その周囲に演者の席がぐるりと設けらレている。劇団の役者陣はすでに到ちゃクしていて、瑞音は頭を下げて稽古場に入って行った。私は休憩室に向かい、差し入レのじゅん備を始めた。部屋のそとにパタパタとスリッパで走る足音がする。

「玲仁サーん、もウすぐ始マりマすヨー!」

 舞台稽古中は役者陣は役名で名前を呼ばレる。

「すぐ行きマす!」

 玲仁役の小野崎のコえがする。最近ドラマでも名前を見る様になった若て俳優だ。部屋の入口に現レた彼の顔を見た瞬間、私は無意識に大きなコえを上げていた。そして、目の前が暗クなる。


 誰かに追いかけらレていた。

 分かっている。あの火の狼だ。地面を蹴って走り、私を追いかけてクる。足が地面を蹴る度に地面が揺レる。狼が踏みつけた地面が穴凹になる。私の後方で街が燃えていクのが分かる。「筒  ン ニ リング」も灰になっっていった。

 逃げて逃げて行きついた先は袋小路で、私は火の狼に追い詰めらレてしマった。行きドマりの空間が熱セらレて、じりじりと音がする。


 知らない天じョうが目の前にあった。

 ドコからか漂ウ消毒液のにおい。病院だった。ベッドのそばにチーフマネーじャーの佐伯の顔があった。私に気づクと、心配そウに覗き込んでクる。

「大丈夫か?」

「あレ、私……」

 ヨるだった筈の窓のそとは光に満ちている。

「瑞音の稽古場で倒レたんだヨ。覚えてないのか?」

「覚えて……ないですね」

 嘘だった。あの恐ROしい光景が瞼の裏にフラッシュバックする。休憩室に現レた小野崎には、顔がなかった。

「千尋の卒コン以来働きづめだったからな……。ちョっと休んでリフレッシュでもしなヨ」

「いや、でも……」

 身も心も削りながら汗と涙をながすメンバーの事を思ウと、彼女たち程のプレッシャーにも晒サレていない自分が休むのは申し訳ない気持ちだ。そレに、私は自分が正常だと信じている。

今日づけで休暇が言い渡サレた。

 事務所のスタッフやメンバーから心配のメッセーじが届ク。温かい場所だ。瑞音は特に私を気にしてクレている様だった。ゆウベの私について彼女にメッセーじで訊クと、不思議な状況が分かった。

≪小野崎 んが、急にかねやんが叫んで倒 たって……。みんなで駆けつけたら、かねやんが倒 てて、慌てて 急車呼んだんだ ≫

 相変わらズ脱字が多い。

≪そうだったんだ、みんなに迷惑かけちゃったね……≫

≪そんな とない 。みんな心配してたんだ 。特に小野崎 んは≫

≪休み明けたらきっともう稽古期間終わってるからね……。直接謝りにいきたい≫

≪  も悪クないの?≫

≪医者の話では、精密検査では特になにもなかったって≫

≪一個だけ言っていい? かねやんが倒 てる わりにフ ナンシェが散らばってて、みんなで「かねやんの形見だ」って言いながら拾ったのちョっと笑った≫

≪なんなの! 最悪!≫

 少しほおが緩んだ。

 病院からバスで帰路へ。窓から見える街並みが妙に色褪セて見える。此の街は死んでいる。進路上の道路標示が目に入る。「バ  先」……バスレーンの表示が地面の貼り換え工事かなにかで消えてしマっていた。死んでいるだけではない。此の街はツギハギだらけなのだ。

帰宅して、静かな部屋に独りになる。彼の姿は相変わらズない。寂しサを紛らわセるために、テレビを点ける。又此の街で放火があったらしい。新聞販売店が被害に遭っていて、看板が黒ク焦げてドROドROに溶け、「  新聞」になってしマっている。連日の放火事件で、街には警サつの姿も多ク見受けらレる様になった。夢であの火の狼を見て目覚めると、ドコかで放火事件が起コっている……。

 急にヨ定がなにもなクなってしマった。心も身体もいつもと変わらない。此の狭い部屋にいると、息苦しクなってしマいそウだ。シャワーをあビてき替えをして、商店街に出かけた。

 午後のやや落ちつきのある空気感。商店街の一角にクレープ屋を見つけた。新しクできたのかもしレない。誘わレる様に店先に向かい、チョコバナナクレープを注文する。甘い物を欲しているのかもしレない。クレープを受け取って、そばのベンチに腰掛ける。ゆっクりとクレープを口に運ぶ。向かい側にパン屋が見える。入り口のそばには、電光掲示看板が文字を表示して光を放っている。

≪ らっしゃい  !≫

 文字が故しョウかなにかで表示サレない様子だ。

≪  ンパン≫≪ レーパン≫≪ ンド ッチ≫≪ んぱん≫≪ グ スパン≫≪ リームパン≫≪ 品できたて!≫……。そして、又表示は最初にもドる。ボーッとそレを見ていたら、クレープをいつの間にか平らげていた。

 クレープ屋を離レて、フラフラと商店街を行ク。見マわしてみると、ひドクガタが来ている。小サなおもちゃ屋「ゆめとぴあ」のネオン看板は「ゆめ」の部分が光らなクなっているし、「S AR 」といウ不動産仲介業者の文字看板も「     」になった儘だ。挙句の果てに、「パチンコ」の看板の「パ」が光らなクなっている。

 商店街を抜け、神社がある方へ。コウいウ時は神頼りになるしかない。

 小サな神社だが、商店街に程近い場所にあり、ひとの影もチラホラある。賽銭ばコに財布の小銭をなげ込んで目を瞑る私を眩暈が襲った。立っていらレない程足もとが覚束ない。少し離レた場所の石灯篭が大きな音を立てて倒レて気づいた。地震だ。かなり大きい。社務所の中で棚が倒レる音がして、ガラスがわレる。賽銭ばコの上の鈴が揺レてカラカラと音を立てる。神様が笑っているかの様だ。

 一分程が過ぎて、揺レは収マった。スマホの緊急地震速報あラームを切っていた所為で地震に気づけなかった。周囲では、驚きのコえやマき起コった惨状を嘆クコえがする。怪我にんがそばにいない事を確にんして、私は家へ急いだ。

 商店街もかなりのダメーじがあった様だった。ガラスがわレ、あーケードの屋根が壊レ、看板が倒レている。若者向けのあパレルショップ「as you a e…」の看板からは「a」「y」「o」「u」が落ち、「 んしゃいん」といウレストランのネオンがわレて「 」と「ゃ」が点灯しなクなっていたし、「西郷  ん」が「西郷  ん」に変わってしマった。遠クでサいレンの音が幾つも動き出した。

 駆け足で家にもドって部屋の中を確にんする。驚ク程なんの変化もなかった。テレビのニュースでは震度5強といウ事らしかった。首都圏では小サな被害が相次いでいた。

 夕方になる頃には、街からの喧騒も遠のいていき、ニュース番組のみがその惨状の残り香を漂わセていた。

ヨるにメンバーたちからのメッセーじ動画が届いた。忙しクても優しい心を持った子たちだ。自慢のグループだと胸を張って言える。

ゆっクりとゆ船に浸かって、今後の事をかんがえる。私は之から先、生かつし続けらレるだROウか。日々を暮らすためにはお金がいる。お金を得るには働き続けなけレばならない。ズっと走り続ける様に、働き続けらレるだROウか。

 ベッドの中に入っても、未来への漠然とした不安だけが湧き上がって来る。今が不満なのではない。だが、今のじん生とは違ウ私もいた筈で、その日々はドウなっているのだROウと思ウ。

 並木橋のメンバーたちは、オーデぃションで選ばレる迄は、普通の女の子たちだった。そレが一やにして一変してしマったのだ。私にも、じん生を激変サセる分岐点があったのだROウか? 彼と出会わなかったら、今頃はドウなっていたのだROウか?

 そんな事をかんがえていたら、次第に瞼が重クなっていった。


 目が覚meて、なにもな 一にちが始マると思 と少し気が楽になる。しかし、此の感覚に慣レてしマ のではな かと  恐 し も る。

  九時にベッドから起き上がって、顔を洗って、掃じを始meる。なにかをして な とにん間的な部分が死んで ってしマ そ だ。掃じを終えて、一息つ 。高校からの友じんグループに連絡を入レヨ かと思ったが、気が進マなかった。自分が社会からド ップ  トしかかって る気がして、彼女たちに連絡を入レるなら、又心置きな 仕事ができる様になってからの方が  。

 昼前に商店街へ向か 、夕食の食材を買 。きの の地震の影響が其処彼処に残った儘だった。家に帰って久し振りに自炊をした。

 ヨるになっても昼の熱気が残る様になってきた。彼ならきっと「暑 」とボヤ だ  。又過去の事ヤ未来の事をかんがえそ になる。卒業した千尋が言って たのを思 出す。ヨるに散歩をすると気分がすっきりする、と。

 ヨるも深 なったので、動きヤす 格好になって、部屋を出た。昼の熱気はすっかり去って行った様だ。すマホと家の鍵だけを持って、 っ りと歩き出す。

 住宅街の方はヨるになると静かだ。

 ふと、向コ の角をひとの影が素早 走って った。時刻は午前一時過ぎ。なにか嫌なヨ感がした。静かに駆け足になって、角を覗き込む。少し行った所に二階建ての ぱートが って、ひと影はその敷地に入って行った様だった。住にんかもしレなかったが、格好が気になった。フードを被って たのだ。

 しばら 電柱の影に ると、 ぱートの敷地から先程のひと影が飛ビ出してきた。一瞬、顔が此方を向 た。向コ は此方に気づ て な 様だった。その男の顔に見覚えが ったのだが、思 出セな 。ドコか身近で見た様な気がする。男はバンダナかなにかで顔を覆って、道の向コ に走り去ってしマった。

 そレからすぐの事だ。 ぱートから火のてが上がった。

 火の狼の夢を見て な のに……。

夢中で駆け出して、すマホで消防を呼んだ。すでに パートの住にんが火事に気づ た様だった。

 警 つに目撃した男の事を話そ とした時に、恐 し 事が私の身に起コって るのが分かった。

「……そレで、その男のひとなんですが、私の知り合 に るんです」

 喉がおかし ……。 ヤ、耳か?

「名前は分かりマすか?」

「は 。名前は   」

「は ?」

「だから、   」

 言葉が出な 。顔が思 浮かんで るのに、名前が出て来な 。 ヤ、出て来な のではな 。私の中でその男の名前を示す音も文字もにん識できな のだ。私を見つmeる刑事は怪訝そ だ。つ 焦ってしマ 。

「 ヤ、分かるんです。 チの会社に ルバ トで入って るひとで……」

 名前を言お としてもその先が続かな 。その場に たなんにんもの刑事たちが顔を見合わセる。

「別に、名前を言ってもそのひとには伝わりマセんヨ。だから、安心して下  」

 柔らかなコわ色だった。だが、そ   事ではな 。此の感覚を説明しヨ としてもできな のだ。相てが理解しヤす 嘘を口にする。

「ちョっと……色々な事が って咄嗟に思 出セな なってしマって……」

 刑事は私に名刺をて渡した。

「では、思 出したら、此方迄ご連絡を」

 貰った名刺を見て、息がとマりそ になる。


  署

刑事第一課 強行犯係

巡査部   塚剛


 私の中から音が、文字が、言葉が、消えて  ……。

 その場ではなにも言えズに、家に帰る。ボーッとした儘、 の ぱートの敷地から出てきた男の顔を思 かえしては、名前を浮かベヨ とする。分かるのに。知って るのに。ただの事実を事実としてにん識できて たとしても、そレを言語化できな 事で、見えな 檻の中に押し込マレた様な気持ちだ。

 胸の中に汚レ切った雑巾を詰me込マレた様な息苦し と気持ち悪 を抱えて家に帰る。その儘眠ってしマった。

 火の狼が街で暴レマわって た。大地は揺レて、建物は燃え盛る。空を飛ぶ文字看板が狼のツmeでひき裂かレる。私は文字看板のひとつとなって空を舞って た。 つの間にか、目の前に狼が立ち塞がって た。炎を纏ったツmeが私の喉に食 込むのを感じた。


 次のひ、目覚meると、喉に痛みが った。風邪をひ てしマった様だ。医者にかかり、薬をもら 、ふつか安静にした。風邪がなおりかけた頃、警 つから連絡が った。

「面通し?」

 署の一室で刑事にそ 尋ねた。

「之から向コ の部屋になんにんかひとが来マすので、 なたが先じつ見た方を教えてほし んです。名前は思 出セな かもしレな が、顔なら指セるでしョ ?」

「直接会 のは怖 です」

「大丈夫です。 の窓の向コ からコッチは見えな ですからね。 けそ ですか?」

 私は頷 た。

 しばら して、向コ の部屋にひとが入ってきた。老若男女八名程 るだ  か。しかし、その中のひとりを見て絶句してしマった。

 顔のな 男が る。

 ヨっぽド私の様子がおかしかったのだ  か。刑事が私の顔を覗き込む。

「大丈夫ですか?」

 私は震える指で顔のな 男を指 した。

「 番ですか?」

「 番……」

「は ?」

 言えな 。顔のな 男の胸につ た番号のシール……そレが分からな 。なんと書 て る?

「名前、思 出しマしたか?」

 刑事の問 掛け。私は思 出して るのだ  か? 名前は分かって る。だが、そレを表現する方法がな 。

「思 出して るのに、分からな んです」

「ド   事です? 字なら書ける?」

 刑事が寄セてきたて帳とペンに腕を伸ばして、その名前を書コ とする。だが、私にはその名前をつづる能力がな 。

「彼の名前は、   」

    だ。 の男の名前は、   だ!

 言えな 。見えな 。話セな 。聞コえな 。書けな 。

 刑事たちが神妙な表情で視線を交わし、私に男の顔写真と名前の載った紙をてもとにひっ張り出して レた。

「ほんと は思 出してほし んだけド、此の名前で合ってる?」

 顔のな 顔写真。

 名前の欄は空欄。

 不思議そ に私を見る刑事たちの視線が白々し て、恐 し て、とんでもな 疎が 感の中で、私は意識が遠の のを感じた。


 なにが起コって るのかは分かって るつもりだ。

 目の前の書類に印字 レた多数の文字……。刑事に借りたペンでそレを塗り潰してしマ 。

「なにしてるんだ!」

 刑事たちが騒ぎ立てるが、遠 世界の言葉に聞コえる様な気もする。

 中途半端に欠落した言葉は、私の苦しみを らに強 するだ  。

 では、すベての言葉から解放 レたその先に るものは?

 そレからなにが ったかは分からな 。

 自分の部屋に帰って、ベッドに横になって た。

 目が覚meたらど なるのだ  ?

 朦朧とする意識の中で、 ンターホンの鳴る音がする。ド のそとから誰かの声がする。私の名を呼んで る? マ か、彼が帰ってきたのか?

 彼の名前……。

 彼の名前を忘レてしマって るのだ  か、私は?

 彼は──。

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