第56話 俺の怒り





 キスを、された。

 軽くで、すぐに離れたけど事故ではなかった。意志を持ってキスをした。


「い、今……」


「奪っちゃった」


「う、奪っちゃったって」


 そんな軽く言われても。キスというのは、軽い行動では無いはずだ。唇へのキスは、家族にだってしない。特別なものなのに。


「……そ、んな人だとは思いませんでした。酷いです。もう、いいです」


 口を押さえて、俺は神々廻から距離を置く。初めから、こうするべきだった。固まっている場合ではなかった。


 自分でも神路にキスした前科があるけど、俺がしたのは額だ。意味が違う。

 軽い態度をとることもあった。でもここまで軟派だとは思わなかった。物凄くガッカリした。


「ちょっと待って。ごめん、話を」


「落ち着いたら、神路様を通して連絡しますので。今日のところは失礼しますね」


 引き止められる前に、俺は早口でまくし立てて逃げようとした。でも、逃げられなかった。


「離してください」


「ごめん、それは出来ない。話を聞いてほしい。お願いだから」


 腕を振り払おうとしても、力が強くて無理だった。離してくれと言っても、相手が納得するまでは駄目らしい。なんてわがままだ。

 俺の中にあった、神々廻への好感がどんどん無くなっていく。


「……分かりました。俺が騒ぎすぎました。今あったことは忘れますので、もう帰ってもいいですか?」


 簡単には逃がしてくれそうにないので、俺は忘れると言って納得してもらおうとした。

 でも腕を離してくれない。むしろ強くなった気がする。


「ただの冗談だと分かっています。ああ……もしかして、また試そうとしていますか? 誘惑になるかどうか。俺は全く興味はありませんから、どうか放っておいてください」


「違う。そうじゃなくて、これは」


「……先ほども言ったように、あなたとはビジネスでこれからも付き合っていくつもりです。それ以上は、お互いのためにも仲を深める必要なんてありませんね」


 どうせ、あと少しの付き合いだ。主人公とすでに接触したから、もしかしたら別れの時期が早まるかもしれない。

 それなら、当たり障りのない程度に留めるべきだ。


「こ、こんなふうに傷つけるつもりはなくて。ごめん。どこかで、変わったのを信じていなかった。本当にごめん」


 つまり神々廻の中では、俺は能力のある人間に擦り寄ると思われている。そんな素振りを見せていないにも関わらずだ。酷い話である。


「……いいですよ。俺は代理にも関わらず、本物と同じ待遇を受けていますから、頭にくるのも当たり前です。全て俺が悪いので、ミカさんは気にする必要はありません。俺も、あなたのことなんてどうでもいいですから」


 こんなに冷たい態度を取られると思っていなかったのか、驚いた様子で力が緩んだ。

 その隙を狙い、俺は腕を振り払う。


「それでは失礼します」


「あ、まっ……」


 また掴まれる前にと走った。ショックから抜け出していなかったようで、逃げ切ることが出来た。

 なにか言おうとした声が背中越しに聞こえたが、無視して止まらなかった。







 体が治りきっていない可能性があるからと、俺はまだ城にお世話になっていた。

 自分にあてがわれていた部屋から出たので、とにかく走る。


 どこに向かっているのか、自分でも分からない。

 城は広い。でも誰にも会わないなんてありえるのか。

 疑問を感じたのと同時に、曲がり角で向こうから来た相手に勢いよくぶつかってしまった。


「っ」


 鼻が痛い。最近ダメージを受けてばかりだ。このままだと、低くなってしまうのではないか。そんな心配が出てくる。

 鼻を押さえ呻いていたが、ぶつかってしまったのはこちらの不注意だ。


「申し訳ありません。きちんと前を見ていなかったせいで、お怪我はありませんか?」


 そういえば誰にぶつかってしまったのだろう。顔を上げれば、そこにいた人物に驚く。


「へ、陛下。申し訳ありません。前に全く気を遣っていなくて……」


「お前、大丈夫か?」


「え?」


 神威嶽の手が伸びてきて、思わず後ろに下がってしまう。自意識過剰な反応だった。でもキスされるのでないかと、過敏になっていた。


「あ、申し訳ありません。えっと、俺はその、陛下を嫌がっていたわけでじゃなくて。ただ、あの今は混乱していまして」


 言いわけを重ねるが、神威嶽は聞いていない。俺の顔をじっと見つめて、そして口元に手を当てた。

 全てを見透かされるような視線に、いたたまれなくなって顔をそらす。


 でも顎を掴まれた。そして、顔を無理やり合わせられる。強引さはあったけど、ただ確認作業をしているみたいだったので、逃げずに待った。

 そうすれば相手の中で、何か答えが出たようで一人で頷き、顎から腕へと掴む場所を変えた。


「ちょっと付き合え」


「えっ、あ、あの」


「どうせ暇だろ。用事があっても、俺が優先だ。文句は受け付けない」


 突然のことだったけど、あまりの俺様具合におかしくなった。


「はい、かしこまりました」


 肩の力が抜けて、思わず笑えば神威嶽が俺を凝視して、そしてため息を吐いた。





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