第50話 神路の反応
馬車から降りると、見慣れた建物だった。
朝も見た。見慣れすぎて、もはやなんの感情も湧いてこない。
ああ、また戻ってきたのか。ただ漠然とその事実を受け入れ、無感情に建物を見上げる。
神々廻は大丈夫だと言っていたが、何かしらは言われるだろう。それが憂鬱だった。
はあ、とため息を吐くと、こちらに走ってくる音が聞こえてきた。
さて、誰が来たのか。
俺はまた息を吐きながら見て、二度見した。
こちらに走ってきている。そのスピードが速いことに驚いているのではなく、人物に驚いていた。
逃げたら良くないだろうか。近づくにつれて表情が分かり、俺はそう考える。でも逃げれば、さらに事が拗れてしまう。
回れ右しそうになる足を必死に止めて、俺は微笑みを浮かべ待ち構える。
「ただいま戻りました。お騒がせしてしまい、申し訳ありません」
まずは、こちらから謝罪をした。とりあえず、こんなふうに走らせたのは俺のせいだ。
深く頭を下げると、息を整えているようで、すぐに返事はされなかった。
あんなふうに焦っているのを、初めて見た。俺を心配してくれてだとしたら嬉しいけど、きっと違う。
「ご迷惑をおかけしました。どんな罰も受ける覚悟は出来ております」
もう、帰ってきてしまったのだ。こうなったら、とにかく相手の機嫌を取って謝るしかない。剣持が不利にならないように、俺が頑張るしかない。
「……顔を、上げてください」
押し殺したような声が聞こえてきた。それだけでは怒っているのかどうか判断できず、俺は顔を上げる。
顔を見ても、どっちなのか判断がつかなかった。苦虫を噛み潰したような表情だ。
「あの……」
「……ですか?」
「はい?」
声が小さすぎて聞き取れなかった。知ったかぶりをするのも良くないかと、聞き返したら口をもごもごと動かしている。そして、眉間にしわを寄せた。
「だからその、体は平気ですか?」
視線をそらしながら、神路は先ほどよりは大きな声で聞いてくる。今度は聞き取れたので、俺は質問の意図を深く考えずに答えた。
「は、はい。平気です」
答えは聞こえたはずなのに、俺の言うことは信じられないのか、体に触れて確認をし始める。ただの確認だとしても、なかなか際どいところを探られる。
「ふ、ふふっ。く、くすぐったいですっ。あのっ、本当に怪我とかありませんからっ」
脇腹はまずい。くすぐったさに耐えきれず、笑いながら制止した。
手は止まったが、場が静まりかえる。突然の沈黙に、俺は周囲を見渡した。
全員が俺を凝視している。視線で攻撃できるとするならば、俺はもうボロボロだろう。そんなに強く見つめないでほしい。
「えっと、怪我は無かったでしょう? あの話をしたいのですが……ここでは、少し落ち着いて話が出来ないかと……生意気なことを言ってしまい、申し訳ありません」
ここでは、誰か別の人が通りかかるかもしれない。落ち着いて話が出来る環境とは言えなかった。
まだ許してもらえているか微妙な状況で、こんな提案をするのは生意気か。でも、重い話をするなら、場所を移動したかった。
くすぐりの余韻で涙がにじむ中、そう提案をすると、また沈黙が流れた。
怒られる前触れだろうか。怒鳴られる覚悟をして、体を固くすれば、押し殺すような声が聞こえる。
「……そう、ですね。それでは、移動しましょうか。着いてきてください」
「は、はい」
そう言うと、さっさと歩き出す。着いてこいと言われたので、とりあえず後に続けば剣持だけでなく神々廻も一緒に来た。
「あなたも一緒に来るのですか?」
ここまで連れてきたのだから、別に着いてくる必要は無いのではないか。思ったのと同時に、言葉が口から出てしまう。
「酷い。もう用済みってこと?」
「そういうわけではありませんが……体は平気ですか?」
本人が無理していないかとの心配だったが、違う受け取り方をされた。だから誤解だという意味を含めて、体は変わりないか尋ねる。
そうすれば、予想もしていなかった質問をされたとばかりに、きょとんとした顔になった。
「……心配してくれてありがとう。体が楽すぎて、まだ信じられないかな。でも、凄くいい気分だよ」
「少しでもお力になれたのなら、良かったです。……辛い時は、いつでも言ってくださいね。俺に出来ることなら、何でもしますから。うっ!?」
目の前を歩いていた神路が止まったせいで、勢いよく顔からぶつかってしまった。痛い。特にダメージのあった鼻を押さえていると、神路が振り返って俺を見ていた。
ぶつかったことに関して、謝るどころか何故か向こうが怒っている。
「あ、あの」
鼻を押さえたまま、相手の様子を窺う。そうすれば、いきなり肩を強く掴まれる。
遠慮ない力で痛みを感じたが、我慢して相手を待つ。
「もしかして、あなたは力を使ったのですか。いつ、どこで、何回?」
「それは……」
答えようとした瞬間、俺は急に意識が遠くなる。駄目だ。立っていられない。
立ちくらみみたいな感覚に襲われ、俺は足元から崩れ落ちた。
誰かの焦っている声が聞こえる。でも、誰なのかまで聞き取る気力が残っていなかった。
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