龍子と栞

平沢ヌル@低速中

夜道

 午後十時を過ぎていた。

 栞は自宅アパートへの道を歩いている。

 栞の歩調につれて、淡いピンク色のロングスカートが揺れる。手から提げているのは都心のデパートの地下食品売り場で買ったケーキだ。可愛らしいイチゴのショートケーキが二つ入った箱を、店員がビニール袋に入れてくれた。半透明の袋に白と黒で散った模様は、レースや霞草を思わせて、このケーキ店を栞が気に入っている理由の一つだった。

 軽い歩調で家路を急ぐ栞の姿を、しかし目に入れる人は周囲にはいない。電柱に据え付けられた街灯が点々と道を照らしていて、それ以外は暗闇に沈んでいる、そんな東京郊外の夜。


 龍子と栞が初めて出会ったのは、その夜のことだ。


 栞が最初に見たのは、電柱の陰から伸びている脚。ジーンズにスニーカーの長い脚で、栞から見て電柱の後ろ側に座り込んでいるようだ。

 栞は近づいてみる。


「…………」

 物陰の人物は、ブロック塀に身を立てかけて、小さな声で呻いている。

「ねえ、どうしたの? 怪我してるの?」

 栞はそう尋ねるが、彼女はむっつりと黙り込んでいる。

 彼女の様子を、改めて栞は眺めてみる。

 ほっそりとして背の高い中性的な容貌の女性だ。ツーブロックで、長い前髪が、すだれのように顔に垂れている。髪色はほとんどが黒いが、毛先の先端だけ青緑に染めているようだ。右耳には2つのピアス穴。一つには銀色のピアスが嵌っていたが、もう片方にはなく、そこが切れて出血している。

「大変!」

 栞は叫ぶと、バッグからティッシュペーパーを差し出す。

「……いらねえよ」

 そう言いながらも彼女は、ティッシュを受け取ろうとする、が、取り落としてしまう。その指は鬱血していて、靴で踏まれたような跡すらついている。

 よくみると、彼女の服にもそんな跡がいくつもついていた。ぴっちりしたダメージドジーンズの上に黒のレザーのスカート、上半身はスカジャンと、下は無地のTシャツのようだ。

「ねえ、どうかしたの? 誰かに襲われたの?」

「いいって。大丈夫だから、さっさと帰んなよ。ろくでもねえ連中がうろついてるから」

「大丈夫ってことないでしょう! ねえ、その連中って人にやられたの? 警察呼ぼ?」

 そんな風に提案する栞。

 その言葉に女は、強い反応を見せる。

「やめろ! 余計なお世話なんだよ、さっさと帰れったら帰れ!」

 女は栞の手を払い除ける。

 その勢いで、栞は手に持っていたものを取り落としてしまう。

 デパ地下のケーキの箱、それが入ったビニール袋。

 ベシャ、と軽い音を立ててケーキの箱が落ちる。そんなに激しく叩きつけられたわけではないが、中身はどうなっているかわからない。

 その結果、それを引き起こした自分の行動に驚いたのはどうやら、女の方だった。

「あ……。悪ィ」

「いいよ。ねえ、立ってくれる?」

 申し訳なさそうに顔を背ける女に、手を差し伸べて立たせる栞。

 その上半身、スカジャンの背中には、大きなドラゴンの刺繍が施されていた。

「じゃあさ……。とりあえず、うちに来て。すぐそこだから」

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