第30話 先生を応援リストに入れました

 一年生のとき。今日と同じように先生が来ないからと、騒いだときがあった。そんなわたしたちに、先生は嫌味たっぷりの説教をした。


「授業開始のチャイムが鳴ったのに、この騒ぎはなんだ? ここは動物園なのか? 君たちの精神年齢は五歳で止まっているようだ。遅れてくる教師が悪いと顔に書いてある者がいるが、大人の目がないと己を律することができないとは情けない」


 そして今日。

 ユガリノス先生は外見が変わったけれど、性格までは変わっていない。クラスメートたちはそう思っているらしく、叱られることを覚悟する諦めの色がどの顔にも浮かんでいる。

 それなのに、予想外のことが起きた。

 先生は騒いでいたことに一切ふれることなく、職業体験実習先から届いたという評価表を配り始めた。


 わたしは椅子を運んでくると、一番後ろの席に座った。隣の席のルーチェがわたしのほうに身を乗りだす。


「先生、なんか変じゃない? まさか、ファンクラブを作ろうかなって冗談を言ったのを間に受けて、嫌味を言うのを控えている?」

「冗談だったの? わたしは本気にしたんだけど!」


 まったく、みんなして冗談を言うのはやめてほしい。なんという学校だ。


(でも……確かに変だよね。筋肉大好きミーナの話し声が、廊下にまで聞こえていたのに)


 ミーナは「騎士の食事係って最高! 上質な筋肉を間近で拝めちゃう。厨房を抜け出して、訓練場を覗き見しちゃった!!」と、黄色い声をあげていた。

 いつもの先生なら咎めたはずだ。たとえば「君はなんのために体験実習に行ったのだ? 間近で上質な筋肉を拝みたいのなら、世界一厳しいと噂される軍隊訓練に参加できるよう、特別に推薦状を書いてあげよう」そんな嫌味を言っただろう。

 それなのに先生は、ミーナに無言で評価表を渡した。


(絶対に変。具合が悪いのかな? でもさっき、特大の嫌味を言われたんだけど……)


 ——ノアナがその気になれば、誰とでも付き合えるんじゃないか?


 やきもちを妬いてくれた? それとも、軽い女だと思われている? 

 先生の本心を知りたい。


 

 朝のホームルームが終わり、評価表をルーチェと見せ合う。

 わたしの評価表には先生の文字が並んでいる。総合点は三十点。自分の衣類の洗濯と土いじりしかしていないのに、高評価だ。

 コメント欄には几帳面な美文字で、『家庭菜園に意欲的に取り組んでいる。野菜についた虫を手で取っており、実に勇敢だ。尊敬に値する』と記してあった。


「わわっ! すごい。尊敬に値するって!」

「手で取るって……手袋をしているんでしょう?」

「わたしは素手でもいいんだけど、先生が手袋をしろってうるさくて。青虫って、かわいいのにね」

「どこらへんが?」

「もにゅもにゅしているところ」

「げげっ!」


 顔を引きつらせているルーチェの評価表を覗き込む。ありえない数字が目に飛び込んできた。


「えぇっ⁉︎ 三百点ってどういうこと⁉︎ 百点満点じゃないの?」


 ルーチェの評価表の右上には、『総合点300』と記されている。

 ルーチェは得意げな顔をすることなく、ボブの毛先をくるっと指に絡ませた。 


「厄介なクレーマーと性悪上司を改心させちゃったみたいでね。あたしはそんなつもりは全然なくて、ただ興味があって話を聞いていただけだったんだけど。でも、こんな自分に興味を持ってくれてありがとう。話を真剣に聞いてくれて嬉しかったって感謝された。で、社長賞をもらったわけ。卒業後ここで働いてほしいって頼まれたけど、断った。一箇所にとどまる気ないし」

「ルーチェには、癒しの聖女の天職もあるしね。将来はどうするの?」


 癒しの聖女は、女性憧れの天職。なのにルーチェは赤い毛先から指を離すと、興味なさそうに言った。


「癒しの聖女になんてならないよ。信仰とか信者とか、かったるいもん。あたしは闘争心を剥きだしにした人間を相手にしたいわけ。理不尽な要求を突きつけ、辻褄の合わないことを捲し立てる人間って、最高に面白いじゃん。頭の中どうなっているのか、興味深いよ」


 ルーチェはだいぶ変わっている。そしてわたしは、そんなルーチェを尊敬している。

 ルーチェとの出会いは、ゴミが散乱し、酔っぱらいが地べたで寝ている公園だった。わたしたちは九歳だった。

 ルーチェも北地区に住んでいて、両親は完全放任主義者。ルーチェはダブダブの洋服を着ていて、アイスの棒を齧っていた。


「あたしには癒しの聖女の才能があるんだ。その才能を使って、闇の中で苦しんでいる人たちに一粒の光を届けたい。その一粒が足下を照らして、光の世界への道標になると思うから」


 同じ九歳とは思えなかった。この子はすごいと衝撃を受けた。

 ルーチェは、見捨てられた者の苦しみを知っている。だから癒しの聖女という崇高な世界ではなく、クレーマー処理係という闇の中で生きたいのだと思う。光を彼らに届けるために——。

 わたしはそんなルーチェを全力で応援している。

 その応援リストに、ルーチェ以外の名前——ユガリノス先生が本日、加わった。


「職業体験実習レポートを書いて、提出するぞ! わたしって優等生!」

「まだ書いてなかったの? 提出日に書く人を優等生とは言わない」


 ルーチェの冷たい視線を気にすることなく、レポート用紙を鞄から取りだす。


「お笑い要素を入れた、面白いレポートを書こう」

「はぁ? レポートの書き方、間違ってない?」

「いいのいいの」


 レポートとしての形式が成っていないって、ゼロ点になってもいい。先生が笑って元気になってくれたら、それでいい。 

 だってわたしは先生のお試し妻。お試し夫がなにかで悩んでいるのなら、夫の心が軽くなるよう努めるのが妻の役目というものでしょ?


 わたしは先の丸い鉛筆を握りしめると、レポート用紙に題名と名前を書いた。




 


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