第39話 泣きっ面に蜂どころの問題じゃない
六郎の不穏な発言に呼応するように、ダンジョン入口へと続く洞穴からダンジョンの唸り声が漏れ出る。
未だクライシスの真っ最中である。「自分を忘れるな」とでも言わんばかりの唸り声に、レオンとリエラが肩を跳ねさせ洞穴を振り返った。
広場まで届くような唸り声は、それ一回きりだったようで、今は再び静寂が明るくなり始めた広場を包んでいる。
「く、国を……盗る? 聞き間違いでは――?」
聞き間違いだったと、一縷の望みを託すレオン。その声に混ざる笑い声には「冗談だよな?」という聞き間違い以外への逃げ道も見え隠れしている。
「いんや。聞き間違いやねぇの。無論、伊達や酔狂でもねぇの」
笑顔ではあるが、どこか真剣な眼差し。その六郎を見て、リエラは「本気よコレ」と肩を竦める中、レオンの頭は絶賛混乱中だ。
国を盗る?
どうやって?
たった三人で?
仮に盗ったとして、その後は?
思いつく疑問を言葉にするより先に、新たな疑問が洪水の如くそれらを押し流していく――
結局ひねり出された言葉は――
「いや……なにも国盗りまでするほどの事では……」
という何とも情けない言葉だった。
レオン自身追い詰められている事は分かっているが、相手にも痛い腹はあるのだ。いきなり一〇〇で突っ込んでくるという事はないだろう……いや、無いと思いたいのだ。
「現実ば見ぃや。もう主ゃ崖ん上に立っちょんやぞ? 主ん後ろにゃ、さっき殺した戯けどもが、手ぐすね引いて待つ地獄しかないんぞ?」
怒るでもない、呆れるでもない。無感情な六郎の声と表情。あまりにも無機質に告げられる自身の現状にレオンが生唾を飲み込んだ。
「こん放蕩息子がダンジョンに乗り込んできた時点で、分かっとったろう? 奴ら、どう転んでもワシらを貶める気満々なんじゃ」
先程の無表情とは違い、呆れたように溜息をつく六郎。
その言葉に目を丸くするのは、レオンだけでなくリエラもだ。
二人でなくとも驚くだろう。嬉々として首を洗っていた六郎が、「フォンテーヌ公が何かしらのアクションをしてくるかも」というレオンの杞憂をしっかりと言い当てているのだから。
それどころか、ダンジョンで遭遇していた時点で気付いていたと言うのだ。
「で、では何故あの時点で――?」
言ってくれなかったのか。続く言葉は掠れた喉につかえて出てこない。
「云うても無駄じゃろう。あん時点でワシらは後手に回ったんじゃ」
明るくなってきた空だが、残念ながら昨日と同じ曇り空は太陽を見せてはくれない。
「こん戯けがワシらを殺せれば良し。無理でも難癖つけて、レオンば引きずり下ろしちゃろうっち考えじゃ」
首を包んだ布に視線を移した六郎は「ま、コイツらはそんな事知らんじゃろうがな」と、どこか憐れんだような瞳だ。
「アンタ……そこまで分かってたの?」
「そらぁの。ワシん国じゃ裏切り、謀り、謀反……この手の話には事欠かんけぇの」
笑う六郎に、「どんな国なんだ」と唖然とするレオンと、「アンタの時代だけでしょ」と苦笑いのリエラ。
「息子が先走ったんか、それとも唆したか……どちらにせよ、こん戯けに日の目は無かったけぇ、悪い判断じゃねぇの」
腕を組み、首を見下ろす六郎が「ま、こん戯けの口ぶりじゃ、先走ったんやろうが」と呆れたような溜息をこぼした。
「その先走りを計略に組み込まれたのか」
六郎やリエラに反してレオンだけは、少々憐れんだ瞳で、どれかがクリストフの首であろう四つの包みを眺めている。
「退けない状況という事は分かった。国を盗る……とは言うが、どうするつもりだ?」
真剣な表情のレオン。その瞳に宿る意思に覚悟が見える。
「簡単じゃ。真正面から突っ込んで、ブチ殺すだけじゃの」
満面の笑みの六郎。その言葉を前に、瞳の中で先程宿った意思が高速で揺らぐレオン。
「さ、作戦とかないのか?」
「作戦ん? 応、あるぞ――」
思い出したというように手を打つ六郎に、「よかった」とホッと息をつくレオンだが、その横では「作戦……ねぇ?」と胡散臭そうに六郎をみるリエラ。
「――王都に戻る。ほんで主がこん戯けどものせいで、大変な目に遭ったっち云う。全ての責任を取らせて、コウシャクん首ば落として大団円じゃ」
得意げに描いた絵を語る六郎だが、その絵は残念ながら、幼児が書いたのかと見紛うほどの出来だ。
そのあまりの酷さに固まるレオンと、「やっぱりね」と呆れた表情のリエラ。
「アンタね……お坊ちゃん達が来た時点で気付いてたんでしょ? そのくせこんな作戦とも呼べない正面突破しか思いつかなかったの?」
ジト目で腰に手を当てるリエラ。
「なんやお前ら! こん完璧な作戦が気に食わんのんか?」
「どーこが作戦よ! ザルっザルじゃない!」
眉を寄せる声を張り上げた六郎だが、それを超える大声で、リエラが眉を吊り上げる。
「や、やかましい! そもそも作戦なんぞ、弱者の工夫やろうが! コウシャクちゃら云う戯けん相手に、そんなもん要らんわい!」
「やっぱ作戦じゃないじゃない!」
口を尖らせそっぽを向く六郎に、ジト目のリエラがグイグイ詰め寄っていく。
「やかましい! ほんなら、とっておきの作戦ば教えちゃるわ」
そう言って六郎が肩を怒らせ、ダンジョン入口がある洞穴へと歩き出した。
「ちょ、ちょっとどこ行くのよ! まだクライシスの真っ最中なんだけど?」
「応、じゃけぇ行くんじゃ。すたんぴーどっちゃらを起こして、そいと一緒に王都ば攻め滅ぼせば良かろうが」
振り返った六郎のドヤ顔に「待て待て待て待て待て待て!」と再起動を果たしたレオン。
そのまま六郎を羽交い締めに、洞穴から遠ざかる。
「あ、危なかった……想像以上に莫迦だったわ」
リエラは額の汗を拭いながら、未だレオンに羽交い締めをされ「はなせ! ワシの作戦ぞ?」と暴れる六郎を見ている。
一頻り暴れ落ち着いた六郎を前に、項垂れるレオンが「やはり三人では無理じゃないか?」と呟いた。
「なら、どうするんね? こんまま奴らの術中に嵌って、一人殺されに戻るか?」
眉を寄せる六郎の言葉に、レオンは自身の背中に走る物を感じている。
「ワシらは根無し草じゃ。正味、この国に思い入れもなけりゃ、どうなっても構わん。なんならこのまま別の国に行ってもエエの」
「ま、物資は腐るほどあるしね」
六郎の言葉に呼応するように、リエラが「ポン」とポシェットを叩いた。
「じゃが、主は違かろう? こん国ば見捨てられん。違うか?」
真剣な表情の六郎。その瞳がレオンに問いかけている「やるか、やらぬか」と。
「見捨てられん。見捨てられんからこそ、私の保身のために戦を起こすなど出来ないのだ」
奥歯を噛み締め、悔しさを滲ませながらレオンが大きく頭を振った。
「主が腹ば切ってそれで気が済むんなら、そうしたらエエ……じゃが、主ん家族はどうなる? 謂れのない責任を着せられ、家族も殺されるんを是とするんか?」
六郎の言葉にレオンが顔を上げた。
政敵なのだ。レオンを追い落とすだけでは気は済むまい。これから先何かと因縁を付けて、レオンの家族を処刑して回る可能性はある……いやむしろその未来しか無い。
それがフォンテーヌという家なのだ。
考え込むレオンを前に、六郎は溜息をついている。
それは、決心がつかないレオンを呆れているからではなく、レオンに言っていない懸念があるからだ。
……恐らく既に家族は人質に取られているであろうことを。
それでも戦わねば家族は守れない。万に一つの可能性に賭けるなら、戦うという選択肢しかないと六郎は考えている。
故に鼓舞する言葉しか出てこない。
「男に生まれ、剣ば握ったとやろう? そん剣は主ん腹ば切るための物か? それとも家族に仇なす奴をたたっ斬る物か?」
六郎の言葉にレオンが自身の腰に差した剣を見る。
「戦って死んだとして……それはただの自己満足じゃないだろうか?」
その言葉に六郎は頷いた。
戦っても家族を守れなければ、結局は変わらない。レオンの言葉にも道理はあるからだ。
だが、それが戦わない理由にはならない。
「自己満足、大いに結構やねぇか。どうせいつかは死ぬんじゃ。なら生きる死ぬは大した問題じゃねぇの」
笑う六郎に「それが大した問題じゃないのはアンタだけよ」とジト目のリエラ。
「大事なんは……自分の死にゆく姿を許せるか否か……それだけじゃ」
曇り空すら吹き飛ばしてしまいそうな六郎の笑顔。
死を語るには不釣り合いなその顔に、レオンは目を白黒させるだけしか出来ないでいる。
一度死んでいる六郎。己の我を通して死んだ一回目の人生では、文字通り自分を貫いて死んでいる。
同じ死ぬとしても、処刑台に掛けられるより、戦いその中で死ぬ姿のほうが良い。と暴れた結果が、先の人生での終着点だった。
その死に様に後悔などない。故に今生も好きなように生き、好きなように死ぬだろうという思いがある。
そんな六郎だからこその言葉に、レオンが重たい口を開く。
「勝ち目など、万に一つもないんだぞ?」
「勝ち目なんぞ、『ある』んやのうて『作る』んじゃ」
笑う六郎に、まいったという風に両手を上げるレオン。
「君の考えはよく分かった……だとしても何故そこまで私に……」
「主にゃ恩があるけぇの。そん恩ば返さんと行くんは、『日の本』の男としては格好がつかん」
笑う六郎に「『日の本』という国は、おかしな奴らの集まりだな」とレオンも笑う。
「……分かった。一つだけ約束してくれ。最初は対話での解決を図りたい」
レオンの真剣な眼差しに、六郎とリエラは顔を見合わせ頷くだけで答えた。
その発言が、保身や戦いたくないという理由ではないことが分かっているからだ。
勝ち目の少ない戦に、六郎やリエラをなるべく巻き込みたくない。そういったレオンの思いが透けて見えたからこそ、二人は「お人好し
「とりあえず、想定される事態を――」
レオンの言葉を遮るように、洞穴から響く大きな唸り声。
その声は今までの比ではない。来たるべき災害に森の木々を揺らし鳥たちが空へと一斉に飛び立った。
「なんじゃ?」
「ウソ……これって?」
ザワつく森の雰囲気。鳥以外の動物たちの気配もドンドン遠ざかるそれに、唸り声がまた一つ大きくなる。
「スタンピードだ……」
顔面を蒼白にしたレオンから紡がれたのは、聞きたくなかった単語だ。
「どうして?」
「分からん。が、走るぞ! こんな所では飲み込まれて終わりだ」
焦るリエラに、レオンが声を張り上げた。
「とりあえず平原まで出る! その後は出来るだけスタンピードの側面を叩きながら王都へ合流、王都の防衛部隊と挟み撃ちにするぞ!」
国を盗る。それどころではない大災害を前に、六郎たち三人は何の策も無いまま相手の懐へと飛び込まざるを得なくなったのだ。
逼迫する状況。
抜け出せるかわからない搦手。
悪くなる一方の境遇に、レオンが奥歯を噛みしめる中
「リエラ、こん首ば入れとってくれぃ!」
「あーもう! 結局アタシが持つんじゃないの!」
といつものトーンで交わされる二人の会話。
その能天気さがひどく恨めしく、そして少しだけ羨ましいレオンがチラリと洞穴を振り返った。
不気味な声を上げる洞穴が、今は巨大なモンスターのように見えてならない。
背筋を伝うものを感じながら、今は出来ることをしようと、前だけを見てその踏み切る足に力を込めた――その一歩が向かう先も分からぬまま。
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