04.その瞳に光が戻るなら
そんなことがあった翌日の夕方、家の扉の前でヴァフと声がした。ベイリーがジェイクのところから帰ってきたのだ。
ラスターが扉を開けると、ベイリーは尻尾を振りながら一目散にルシアの元へと駆け寄っている。
「おかえりなさい、ベイリー。いつもありがとう」
ルシアはベイリーをねぎらいながら、ぎゅうっと抱きしめている。ラスターも後ろからグリグリとその頭を撫でてやったあと、首に下げている巾着袋を手に取った。
「ジェイクはなんて書いてあるのかしら、楽しみね」
嬉しそうなルシアの顔を見ながらラスターは巾着を開け、手紙を広げると声に出して読み上げる。
「〝ルシア、ラス、手紙をありがとう。今日は二人にとっておきの報告がある〟」
ジェイクの〝とっておきの報告〟の文字に、ラスターの胸がドクンと鳴った。ラスターだけでなく、おそらくはルシアも。
ラスターは急いで手紙に目を走らせる。
「〝ずっと研究していた視力を上げる医療魔法だが、先月臨床試験を行った結果、十人中十人が視力を取り戻した。全盲の人も、生活に不自由がないくらいにまで見えるようになった〟……マジか!!」
「すごい……!!」
心臓がバクバクと波打つ。興奮状態が止まらない。
あまりの喜びに目の前が真っ白になりながらも、手紙の文字を追う。
「〝僕がそっちに行ってルシアの目を治したいと思っていたけど、ローウェス王国でしかこの医療魔法は行えない。ルシアにこっちに来てもらうしかない〟」
そこまで読むと、ラスターは一旦手紙から目を離した。ルシアは嬉しそうではあるが、不安も感じているようで少し困った顔をしている。
「〝この医療魔法は、特殊なエーテルを必要とする。僕一人では作れないから、裏で手を回してひとつだけ手に入れた。ただ、これの使用期限が三日までとなっているんだ〟」
三日まで。今日は二日だから、明日にはローウェス王国にいるジェイクのところに行かなければならない。
目が見えず、足も悪いルシアでは明日の朝早く出てもギリギリだろう。
色々問題はあるが、ラスターは続きを読み上げた。
「〝敵対している国民を治療することは許されていないから、口の堅い魔法士も手配した。準備は万端だ。ルシアが来てさえくれれば、目は治る。そう断言する。今月の三日、僕はローウェス王国側の森の出口付近で待っている。ベイリーなら場所をわかっているはずだ。国境を越えてくるのは難しいとわかっているから、無理にとは言わない。ただ、これがルシアの目を治すラストチャンスだと思ってくれ〟」
そこで手紙は終わっていた。手が震えて、手紙がかさかさと音を立てる。
ルシアを見ると、信じられないという喜びと、同時に不安も色濃く出ていた。
「ルシア」
「ラス……私……」
「とにかく、行く準備をするぞ。夜は危険だから、早朝に森に入る」
「ラスも、一緒に行くの?!」
なぜか驚いた声を出されて、ラスは眉間に力を入れた。
「当たり前だろ。ルシア一人で森を抜けるなんて無理に決まってる。俺がいれば、いざとなったら背負ってでも行けんだろ」
「でも……ダメよ」
「は? なにが?」
イライラとしながらルシアを見ると、彼女は申し訳なさそうに俯いてしまっている。
「この国を出るのも危険なのに……戻って来られるかどうか、わからないのよ?」
「そんなことより、お前の目が見えるようになる方が大事だろ」
「ダメよ! 来ちゃ、ダメ。私は元々この家を出るつもりだったし、それが早まっただけだから」
着いて来られては困るとでも言うようなルシアの口ぶりに、ラスターはグッと奥歯を噛んだ。
避けられてんのか、俺は……。
ずっと一緒にいて、この二年間は同じ家で暮らしてきた。頼られていたし、嫌われるわけがないと思っていた。
どうしてそんな風に思えたのか。口が悪くて気もまわらず、ルシアを傷つけてばかりの男なんて、一緒にいて苦痛を感じていてもおかしくない。
ルシアはただ、ラスター以外に頼れる者がいなかっただけだ。ジェイクがいるなら、ジェイクの元に行きたいに決まっている。
そこに己の存在は必要ないのだと突きつけられたようで、ラスターは悔しさを押し込めるように拳を作った。
「とにかく、いくらダメと言おうが俺もいく。絶対に、ローウェス王国まで連れて行ってやるからな」
「ラス……」
今優先すべきは、嫌われないようにすることではない。ルシアをローウェス王国に連れて行き、その目を見えるようにしてあげることなのだ。
その日は早々に眠り、夜が明ける前に家を出て森に向かった。
なにがあってもいいように、剣を携えておく。実際に剣で生き物を斬ったことはないが、職業柄、扱いには慣れておけと言われて、剣の振るい方くらいは学んでいる。
森に入る頃には光が差し始めて、ラスターはほっとした。
「ルシア、背中に乗れ。少しでも早くローウェスに入りたい」
森は街と違って足元が悪い。ルシアに合わせていたら、日が暮れるまでに森は出られない。
「でも」
「さっさとしろ」
なかば無理やりにルシアを背負い、ローウェスに行き慣れているベイリーの後を追う。
後ろから回される腕が、ぎゅっと不安そうにラスターの首に巻き付けられた。
ラスターにしても不安だ。こんなに森の奥深くにまで入ったことがない。
狼に鉢合わせしないよう祈りながらしばらく歩いていると、ベイリーが立ち止まって伏せるように頭を下げた。ラスターもベイリーに合わせてしゃがみ込む。
「どうした、ベイリー」
小さな声で尋ねると、ベイリーはスンッと鼻を鳴らして森の奥を見、ラスターも視線を走らせる。
「あれは……国境警備兵だ」
リンド国側の国境警備兵ではあったが、この国を出ようとすれば見咎められるのは間違いない。
賄賂を渡したくも、そんなお金はどこにもなかった。迂回すれば人のいないところまでいけるかもしれないが、兵がいない保証もないし、人がいないところは狼も出やすい。
「ラス……どうするの……?」
「大丈夫だ、人数はそれほど多くない。目に見える範囲で五人。俺がその五人を引きつけるから、その間にローウェス国へ入れ」
ルシアを降ろしながら言うと、彼女はふるふると首を横に振った。
「だめ、危険よ……!」
「なにも剣を振り回して戦おうってんじゃねぇよ。俺は剣の整備士だ。整備しにきたとでも言えばいい。それよりもルシア」
そう言ってもまだ不安顔のルシアの手を、ラスターはぎゅっと握った。
「ここからはベイリーに着いていくんだ。俺は一緒には行ってやれねぇ」
ラスターの言葉に、ルシアはぎゅうっと手を握り返してくる。
目も見えず、足も悪く、不安を感じないわけがない。
「ラス……やっぱり、私……」
目は潤み、今にも帰ると言い出しそうなルシアの体を、ラスターはぐっと引き寄せ、抱きしめた。
「ルシアなら行ける。大丈夫だ」
「でも……」
「最初は俺を置いて、一人で行くつもりだったんだろ。やっぱり俺も一緒に行ってほしかったか?」
「……」
ラスターの言葉に、ルシアは返事をしなかった。
ルシアは怖いから一緒にいてほしかっただけで、自分を必要としているわけではないのだとわかる。
ルシアに必要なのは……俺じゃない。
奥歯を噛み締めながら、ラスターはルシアの肩に手を置き、距離を取った。
その瞳に光が戻るなら、俺はこの手を離すこともいとわねぇよ──
今ラスターがやるべきことは、国境警備兵目を引くこと。そしてルシアを無事にジェイクのところまで行かせることだ。
「俺が口笛を吹いたら、行けの合図だ。ベイリーを信じて着いていけ」
「ラス……」
「頼むぞ、ベイリー」
ベイリーは了解とでも言うように、ハッハと息を上げながら尻尾をファサッと右から左へと振った。
しかし肝心のルシアの肩は、がくがくと震えてしまっている。
「ルシア、大丈夫だ。絶対うまくいく。お前の目は、見えるようになる。俺の顔も、見てくれんだろ?」
「……うん……っ」
「よし、じゃあこっちは任せとけ」
ラスターは肩からなぞるように移動させてルシアの手を握る。
離れがたい。けれど、ルシアの目が見えるようになるのは、昔からの三人の悲願なのだ。
── その瞳に光が戻るなら──
ぐっと意を決すると、ラスターは白魚のような手を離した。
「じゃあ、行ってくる」
「無理はしないで……」
ルシアの言葉に、ラスターは笑って応えた。彼女には、わからなかっただろうが。
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