薫/爽太君

少覚ハジメ

雨宿りのふたり

 爽太君は元彼の弟で、小学四年生だ。

 私は高校一年生で、彼の兄、幾太君は中学二年生で、かわいくて色白なところが気に入っていた。爽太君も彼に似て、かわいいところなんかはそっくりで、でももっと幼いのが儚げで、きれいな人形を目の前にした時のように、触れたいけれどそれはいけないという気分になる。

 爽太君と再会したのは、幾太君と別れて三ヶ月ほどがたった晩夏の頃だった。

 急な雨に降られて、今はもうやっていない文房具店の軒下に駆け込んだら、そこに爽太君がいた。彼もやはり雨を避けているようで、雨粒のあたらない場所で縮こまってしゃがんでいた。ふだん使う通りを折れて少しの場所は、電柱と背の高い雑草で視線が遮られるので、飛び込むまでは気づかなかった。人がいることにちょっと驚いて、それが爽太君だとわかるまでは少しあわててしまった。落ち着いてみると髪が濡れて、頬に雨水が垂れていたので、ハンカチで顔を拭いてあげて、そこまでされて、初めて爽太君は私が誰だか気付いたようだった。

「あれ、薫じゃん」

「久しぶり。元気だった?」

 薫というのは私の名前で、彼の兄がわざわさ紹介してくれたのは、もう半年も前のことだ。

 私には悪いクセがある。悪いというのも見方によると思うけれど、かわいい男の子を甘やかすのが大好きで、好きとかいう嗜好の問題というより、心底そうしてしまうし、気持ちがいい。気持ちと言うか、本能的なものかも知れない。それほどその感覚はわたしの生理に基づいていた。これだけは何者にも代え難くて、その外見から男らしさということに多少のこだわりがある幾太君が、甘えるのは良くないと言い出したことで、関係は終わってしまった。

 爽太君は、兄よりももっと線が細い感じで、ほっとけない雰囲気をかもしだし、私も例に漏れず気にしていた。

「兄ちゃんと別れたの?」

 いきなりそう問われて、虚を突かれた。確かに別れを告げたのは幾太君にだけで、爽太君に言ってはいない。だから、彼がなんとなく察してそう思ったのだろうというのがわかった。

「ん、そうなんだよね」

 簡潔に、それだけ言う。

「あいつ意地はってるからなあ。無理してんだよ」

「男の子って、みんなそうだよ」

 年頃の男の子は、たぶん、みんなそう。多かれ少なかれ、男性らしく振る舞おうとする。幾太君は、たぶんそれが少し強かった。

「薫は大丈夫なの?俺、兄ちゃんと結婚したらさ、お姉さんになるなって思ってたのにさ。俺、お姉ちゃん欲しかったのに」

 すごいな、と思う。爽太君は、私と家族になることまで考えていたらしい。許容されている、そう思った。幾太君も、私を受け入れてくれれば良かったのだけれど。そうすれば、私も爽太君を弟にできた。

 彼のように欲してもらうことを、私は何より望む。必要とされること、かけがえのない人になりたい。 私なしで生きていけないように。

 ふと、考えが頭をよぎる。爽太君は、私をどこまで必要としてくれるだろうか?かわいらしい顔をした彼を膝の上に座らせて、腕をまわすところを想像したら、いきなり顔が熱くなった。

 いけない、と思う。私はもうほとんど大人で、彼はまだ子供で、そんな理由で世に許してもらえない。

 何人と関係をもとうが、男同士だろうが、女同士だろうが、世間がなんと言おうと、関係としては認められる。ただ、歳の差だけは、大人同士はともかく、この場合は許されない。子供同士には違いないのだけれど。

 ずるい、と私は思う。思う私がおかしいのだろうか?しかし、持って生まれてしまった欲求を、こんなふうに認められない想いを抱く人は、それをどこに吐き出したらいい?

 昔はお稚児さんなんていって、男の人が子どもを囲ったらしいけれど、女の人でもそんなことをしていたのだろうか。

 そこまで考えてみて、お稚児さんの性的な意味に思い至り、私は絶句する。

 そして頭を冷やして、爽太君を弟にしたかったわけではないと思い直す。あんな風にいうから、ちょっと混乱してしまったみたいだ。

「爽太君は、何でお姉さんが欲しかったの?」

「ん、何でって、何でかな?わかんないけど、女の姉弟がいたらいいなって思った」

 なるほど、何となく。多分、女性的なものを欲しているんだろう。そして私も、何となくいう。

「年上の彼女でも、できればいいね」

「薫みたいな?」

「私?」

 そんな話のつもりではなかったので、ちょっとびっくりする。さきほどの思考がまた戻ってきて、どうしてもお稚児さん、という言葉から離れられない。

「爽太君、私を彼女にしてくれる?」

 冗談めかして聞いてみた。すると爽太君は少し考え込んでこたえる。

「薫を彼女にしたら、何をしたらいいのかな?」

 付き合うなんていっても、小学四年生では、思うところに自ずと限界があるだろう。私くらいになれば、キスしたり、セックスしたり、色々考えつくし、むしろそれをするために彼氏彼女になるというのが本当のところじゃないだろうか。

「キスとか、するんじゃない?」

 そういったら、彼はちょっと照れたような、ムスッとしたような表情で、顔を赤くした。

「そういうんじゃなくてさ…そりゃするかもしれないけど、普段どうするの?」

 これは、私の方が即物的だったと思う。二人でどう過ごすのかという問題は、実は難しい。もちろん、甘えてもらいたいという、自分の願いはあるものの、爽太君のいっているの普段の付き合い方のほうだ。自然、私の言うことも何となくとりとめのない話になってしまう。

「一緒に帰ったり、お話したり、夜寝る前に電話したり」

「それって付き合わなくてもできるんじゃない?」

 それはそうだ。でもその違いを、私は説明できない。

「じゃあ、薫だったら何したい?」

 ん、と考える。私がしたいのは。

「膝の上に座らせてキスしたい」

 素直に欲求が口をついた。爽太君はその返事に動きを止めて、こちらをやや見開いた目で見ている。

 やがて視線が、私の膝と、くちびるへと動いて、また顔を赤くする。

 照れている男の子をながめている私は、少し嗜虐的になるのを感じて、それからいったん頭から振り払った思いが自分の身内にまた広がり出すのを抑えきれなかった。

 爽太君、と声をかけて、彼の頬の雨の雫を右手で拭うと、頭を両手で包み込む。その顔を私の胸に埋もれさせて、髪をなでた。濡れた髪の水分が、私のセーラー服を透かして染みて、胸を湿らせた。触れた場所の湿度が上がったのだろう。そこが熱い。

 やがて私は、膝を地につけて爽太君を抱き上げて座らせ、顔をのぞきこんだ。

 呼吸が早く、浅くなった彼は、私の顔を見つめている。何かいいたいのに、言葉がでないというふうに口元が微かに動くが、音が発せられることはなかった。

「キスしていい?」

 私のその言葉は、問いかけというより、これからすることを教え諭すようなリズムだった。返事を待つことなく、目を伏せた爽太君のくちびるをふさぐ。最初は、浅く、軽く。それを何度か繰り返してから、すこしくちびるを、いたずらするみたいにちょろっと舐めてあげる。

 彼は少しビクッと身体を震わせたけれど、逃げるような素振りは見せなかった。むしろ腰がたたないというふうに、力が抜けていて、私はその身体を抱く腕に力を込めた。

「彼女とは、こんなふうにキスするんだよ」

 甘やかに、私はさえずる。一度、殻を破ってしまえば、あとは簡単だった。爽太君は私に抱きついて、しがみついて、もうそれしかできないみたいになっている。私たちはしばらくそのままでいて、ふと雨が通りすぎたことに気づいた。

「雨、やんだね」

 私はささやく。

 爽太君は私を見て、それからくちびるを見やり、そして空を見上げた。

 

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