第11話 真犯人の影

 愛生あいりゅうの顔色を見ながら、おそるおそる口を開く。


「とりあえず駅まで行ってしまおう」

「早くしてください。あの虫が戻ってきます」

「……撒ければいいがな。ゲームの都合上どうしてもついてくるキャラなら、我慢するしかないぞ。俺だって辛いが、仕方無い」


 愛生がそう言うと、やっと安心した様子で、龍がうなずいた。


「真剣に側室をもらうつもりかと思いました」

「バカ言え。俺たちも着替えるぞ」


 そう言って愛生が持ち上げたコートには、細かい花模様の刺繍がびっしりついていた。


「む、昔は刺繍は男性のものだったと聞いたことはあるが……」


 愛生の美的センスには激しくそぐわない。


「あの妙な娘が黒いコートを隠したのでしょう。私がなんとかします」


 明らかに怒った様子で龍が言うので、愛生は釘を刺した。


「……他の客に迷惑かけない程度で頼むぞ。どんなペナルティがあるか分からん」

「分かっていますわ」

「あの子にも怪我をさせるなよ」


 龍はその言葉には返事をせず、大股で一歩を踏み出した。




 身分証明書もなにもなかったが、ホテルのフロントに行くと、ちゃんと切符が用意されていた。切符代を払うと言っても受け取ってもらえなかったため、愛生は結局一文も支払わずホテルを出る。


 心地良い風が吹いている。日本と違って、風に湿気がないからだろう。


 さわやかではないのは、前を歩く少女の顔くらいである。ぶちぶちとふて腐れ、しきりに振り返っては龍をにらむ。


「私が選んだ方が、絶対によかったのに」

「何も知らない小娘は黙ってなさい」


 眼光鋭い龍にぴしゃりと言われ、少女は舌を出した。痛い目にあったのか、愛生のことは諦めてくれたようである。


 そんなことをしていても、少女は軽やかな足取りで通りを曲がる。勝手知ったる、という雰囲気だった。


 それにしても、駅に近くなるほど人通りが増えている。宿を出た時にはゆったり歩けたのに、今や注意していないと、誰かに腕や肩をぶつけてしまいそうだ。


「この通りは、どこも人だかりだらけだな……」

「大丈夫ですよ。私に着いてくれば、迷う事なんてありませんから」


 自信たっぷりの少女の後に、愛生と龍が続く。少女はひどい人混みをかき分けて、駅の方へ強引に進んでいった。


「あ、すいませーん。ぶつかっちゃった。通して通してー」


 集まっているのは少なくとも数百人単位。死角にいる人数を考えると、ゆうに千は超えている。みな楽しげな顔をしているが、まさかこの街で渋谷や新宿並みの人並みを見ると思っていなかった愛生は、眉をひそめた。


「裏道から回った方がよくありませんか?」


 道すがら、龍が当然の疑問を口にする。


「今日はお祭りですから、代わりの道なんてありませんよ。珍しい動物が来るって触れ込みだったので、みんな盛り上がってます」


 いったいどういうことかと聞けば、あの瀕死の猿が警察で一日保管されて、今日斬首される予定だという。なんだか、知りたくなかった情報だった。


「俺たちは素直に電車に乗りたいんだが……」

「寄り道をしている時間はないのです」

「いいじゃない。お兄さんたちだって見たいでしょ? 凶暴で大きなやつみたいだし」


 愛生たちがいくら説明しても、少女はまるでこっちの言うことを聞こうとしない。


 愛生は気持ちを切り替えて、別の話題を口にした。


「……それにしても、よく集まったものだ」

「瀕死の猿なんて見て、何が面白いんでしょうね」

「みんな、事件のことを新聞で読みまくってたし。自分の身に降りかからなければ、災難も娯楽なんだってば」


 確かに、観客の顔にはばつが悪いところはなく、むしろからっとしている。処刑と聞いてぎょっとしているのは愛生たちだけだ。


「あなたも見たいと思いますか?」

「悪い冗談言わないでくれよ」


 そうささやきあううちに、駅舎が見えてきた。三階建てで、周りの建物より一段深い茶色の煉瓦でできている。最上階の窓は美しいステンドグラスになっていて、それ以下の階の出窓には美しい花鉢がしつらえてあった。思い出に絵葉書でも買いたいくらい、堂々とした佇まいである。


「これは絵になりますね」


 龍が感心したように言う。彼女の手が左腰のポケットにつっこまれているのを確認しながら、愛生はうなずく。


 駅前の広場には、すでに人が溢れていた。さえざえと冷たく見える鋼鉄の檻は、どこからでもよく見えるよう、高い段の上に置かれている。包囲された猿は、昨日よりいっそうしなびて見えた。屈強な男が、見張りとして檻の前に立っているからだろうか。


 男たちが、簡易なギロチンを高台の上へ引き上げた。高らかに、音楽が鳴る。その様子を見た周囲がどっと沸いた。


 その時、愛生はわけもなく不安を感じて振り返った。龍と一瞬、目配せを交わす。


「何やってるんですか。見逃しちゃいますよ?」


 少女が一瞬怪訝な顔をする。それから数瞬後、空気を切り裂くようにして、前方の荷車に積んであった穀物袋から何かが飛び出してきた。短い手足、青い肌の色、そして口元から覗いた牙。街で見かけた、小人たちだ。


 その小人の目には、明らかに猿と同じ殺気がこめられていた。


 浮かれていた気分から、すぐには元に戻れない。小人を止めようとする者は皆無。群衆の隙間を、小人たちは前後左右を無茶苦茶に動き回ってすり抜けた。そしてついに、愛生のすぐ側までやってくる。


 鋭利な刃物。それが首元に向けられているとわかって、一瞬愛生の体に怖気が走った。目的は明らかに、愛生の殺害だ。


「死ね!」


 小人が叫んだそのとき、不意に暴漢の体が後ろにとばされた。小人の胸元に黒い杭が刺さっている。苦悶の声をもらした。


 愛生は小人を見下ろし、振り返って安堵の笑みを浮かべた。


「よし」


 すでに動いていた龍が、小さくつぶやいた。銃を両手で構え、まだ狙いをつけている。愛生を狙った小人の胸のほぼど真ん中、上下に三つの杭が寸分のずれなく刺さり、容赦なく肉に食い込んでいた。


「撃った弾を杭に変化させたのか。二段技だな」

「ポケットの中でこっそり作っておいて良かったです。良いところに当たりました。ですが」


 龍はそれで満足せず、さらに両手足に鉄杭をたたきこんだ。地面に杭が刺さり、鈍い音をたてる。小人の顔色が変わった。目には、病じみた怒りがまだ浮かんでいる。


 周囲から、ようやく悲鳴があがる。群衆のあげたそれがさざ波のようにこだまする中で、龍は冷静に口を開いた。


「……読み通り。動物には、飼い主がつきものです」


 龍がそうしてから、ようやくわずかに微笑みをこぼす。そして飛び出した小人に仲間が居ないか、虎子とらこに調べさせる。


「あの猿に命令している誰かがいるのは確実だったよ。なんたって、俺はその声を聴いてるんだからな」


 あの乱暴な声は、誰かが猿に動きを指示していたもの。猿はあくまで飼い主の指示に従っただけで、従犯にすぎない。


「警察もそう考えていた。だからこそニコラは俺たちを疑い、トマはわざと厚遇して手元に置こうとしたんだ」


 笑顔の裏に隠された微妙な敵意。愛生はもちろん、聡い龍も気付いていた。


「……今もどこかで見ているでしょうね」

「今はほっとけ。小人の位置は?」

「あちらの街路樹に二体います。弓を持っているから気をつけて」


 襲撃には間に合わなかったが、後でせいぜい役に立ってもらおう。愛生は立ちすくむ群衆の間を走りながら、そう決めた。


 愛生は龍に聞いた植え込みの前に立つ。拳の関節をばきばき鳴らしながら、枝の間を見上げた。


「殺そうとしてきたなら、手加減は無用だな」


 かすかに見える影に向かって、愛生はつぶやく。


「……それにしても性格が悪いゲームマスターだ」


 小人を倒して、やっと本当のゲームクリアなのだろう。


「ま、『勝った』とは言ったが、『終わった』とは言わなかったからな」


 ひとまず安心させておいて、クリアだと浮かれていたら、人混みの中でさっと殺されてしまう。そういう筋書きだったのだろう。


 小人が正確な狙いで愛生に矢を放ってくる。避けようと思えば避けられたが、愛生はあえてじっとしていた。


 一本が腕に、もう一本が足に突き刺さった。バランスを崩して、愛生が転ぶ。


 しかし慌てることなく、愛生は跳ねるように起き上がった。矢を抜いて捨てると、徐々に傷口がふさがっていく。


 この反応は予測していなかったのだろう。枝の間から、怯えたような声が飛んできた。


「な、なんだあいつは!?」

「諦めるどころか向かってくるぞ!」

「不死身なのか!?」

「……まあ、それに近いかな。なかなか死ねない体でね」


 愛生は全身の力をこめて、石畳を蹴り砕いた。木に向かって飛んだ石塊は、身構えていた小人たちを軽々と吹き飛ばす。地面にたたきつけられ、投擲武器の強力さを身をもって知った彼らは歯ぎしりをしていた。


 そこへ龍が、文字通りの弾幕で追い打ちをかける。まさに逆鱗に触れられた龍のごとく、怒りのこもった攻撃だった。弾は杭に変化し、一味まとめて串刺し、という言葉では生ぬるい状況になる。


「あいつは俺たちを見捨てたんだ!」


 険しい顔で見下ろす愛生に向かって、小人たちは顔を真っ赤にしてまくしたてる。苛立ちと嫉妬の混じった、気持ちの悪い声だった。それを聞いて、愛生は舌打ちする。


「……一応聞いておきたい。俺を襲ったのは腹いせだろうとわかるが、あのホテルを襲ったのは何故だ? そのあいつとやらが関係しているのか?」


 絡み合う格好になった小人たちは、すさまじい顔で愛生を見上げる。

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