第10話 妻が増える
「ちょっと──」
「馬鹿な言い訳は聞きたくない。この惨状は、お前らのやったことだな」
「……あらら」
「乱暴な」
愛生は首を振り、龍は嘆息する。警官はそれをいぶかしげに見つめた。
「何を言ってる?」
「勘違いしてもらっちゃ困る。身を挺して事件を解決したのは俺たちだ。犯人は……というか、犯猿ならそっちでのびてる。どうやって倒したか、今から話す」
喧伝するつもりはないが、やったことは正しく伝えておく必要がある。刑務所エンドを回避するため、愛生は淡々と述べた。
「……それなら君たちの行為は問題にならないね。むしろ、よく殺さずに捕まえられたものだ」
記者は驚きの顔になったが、すぐに気を取直してメモをとる。これが特ダネだと感じているのだ。しかし若い警官は、それを聞こうともせず、愛生の前に立ちふさがる。終いには手錠まで出してきた。
抗議が通じない。これはもしかして、ゲームの展開上、強制的に逮捕される流れなのか──そう愛生が思った時、待ったがかかった。
「落ち着きなさい。彼の言うことは、筋が通っている」
地味な服装だが、いい仕立ての服をまとった紳士が進み出てきた。彼はにこやかに微笑み、そう述べる。低くて耳に快い声だった。おそらく彼が、ここの責任者であり警備隊のトップなのだろう。
「トマ警部……」
若い警官が、制止を聞いて忌々しげに振り返る。何か言いたげなため息をもらしたが、くるっと背中を向けた。愛生たちを疑っていても、上司の機嫌は損ねたくないのだろう。
年かさの警官が敬礼をする。一転、警官たちもそれにならった。ちょっとふてくされていた龍の機嫌が直る。ようやく、主人公らしい扱いをされた。
「ご協力感謝します。紳士に美しいお嬢さん」
「いえ、自分のためにやったことですので」
「私はトロア警察のトマ、これは部下のニコラです。彼が失礼をいたしました」
ニコラは頭を下げたが、まだ口の中でもごもごと何かつぶやいていた。
「……ベルボーイはどうなりました?」
「腰は抜けているし、嘔吐していて口がきけないようですが、命に別状はありませんよ。あなた方のおかげで、犠牲者が増えずにすみました。ありがとうございます」
優雅に礼をするトマに、愛生は聞いてみた。
「あれだけの命を奪ったとなると、あの猿の処遇はどうなるんですか? まだ辛うじて生きてるみたいですが」
「まあ、猿ですからねえ……通常、人を噛み殺した犬なんかは毒殺になりますので、それに近い扱いになると思います。どこに持っていっても、恨みだけかって始末が悪いでしょうし」
「遺族にとってはやりきれない話だな」
やっと犯人が捕まったと思ったら、相手は猿でまともな裁きも受けられない。刑が決まっても、その重要性を理解すらしない。いくら猿が殺されても、自分が身内だったら納得できないだろうと愛生は思った。
「私も軽い罰だと思いますが、こればかりはね。調書を作りますので、ご協力を」
トマは二・三の細かいことを聞いてから、愛生に微笑んだ。
「こちらで終了です。ところで、かわりの宿はおきまりですか?」
「いえ」
ここでのイベントは終わった。休むなら、最初のねぐらに戻ればなんとかなる。正直、あわてて探して最低の宿に泊まるよりはあちらの方がよほどましだった。
愛生がねぐらのことをどう言おうか考えていたところ、トマがこちらを見つめているのに気づいた。
「それなら、いいところを紹介しましょう。お邪魔しないよう手配しておきますから、ゆっくりお休み下さい。ああ、着替えもいりますね」
これは決して好意ではなく、イベントの一環なのだろう。それを分かっていたので、愛生はあっさりうなずいた。
「分かりました」
怒りさめやらぬ様子のニコラを連れて、トマはその場を去って行った。
「……食事がフェムトじゃないことを祈るよ」
愛生はこっそり龍につぶやく。あんな目にあって、もう腹が背にくっつきそうだ。
「餓死しそうだと言っておいたら、さすがに本物を出してくるんじゃないですか。向こうも、我々に消えてほしくはないはずです」
「まるで家畜だな」
『そうかもしれないね』
また天井から声がした。
『しかし君たちは良い家畜だ。みすみす殺しはしないさ』
愛生は黙って、天井に向かって中指を立ててみせた。
警部は約束通り、最大限の配慮をしてくれた。仕事があると言って帰る彼を引き留めはしなかったが、愛生と龍は丁重に礼を言った。
言われた住所に一緒に行ってみると、そう時間は経っていないというのに隙なく整えられた宿屋の一室に案内される。二人の部屋は大きな部屋を壁で区切ったもので、各小部屋にベッドとドレッサー、机が置いてある。ベッドの寝心地は悪くなく、布団はふわふわとしていた。そこそこ高級な宿、という設定らしい。
「一緒に寝るか?」
「そうしたいところだけど……敵が襲ってきた場合を考えたら、別々の方がいいんじゃないでしょうか。食事は一緒にいただきます」
「……そうか」
あからさまにがっかりした愛生を見て、龍が笑った。
「失礼いたします。お食事をお持ちしました」
運ばれてきた食事は、愛生の実家でよく頼むケータリング業者の味だった。前菜からスープ、メインにパン。デザートまでついていて、愛生のささくれた心はようやく癒やされた。
「ゲームマスターも、そこまで鬼ではないようですね」
「なんのことでしょう?」
「……いや、いい。それより、明日はここから汽車に乗りたい。切符の手配を頼めるか?」
「かしこまりました」
給仕が言うには、途中で一度乗り換えが必要だという。さすがにこの世界に自動車や飛行機はなく、それが一番速いと言われ、愛生は素直にうなずいた。
給仕が出て行くと、龍は愛生の頬にキスをして自室へ戻っていった。やることのなくなった愛生はベッドに向かう。
寝床には湯たんぽのようなものが入っていて、入るとすぐに温かさが体を包んだ。安心してそこに体を埋めた──そこまでは辛うじて覚えている。
「よく寝た……」
目が覚めたとき、愛生はまだぼんやりとしていた。昨晩は、ベッドに入ってからの記憶がまるでない。大きく伸びをし、目の際をこする。あんなことがあったから眠れないかと思っていたが、疲労の方が勝っていたようだ。
まだ事件の余韻が残っていた昨日と違い、少しだけ気分が良くなっていた。
家族はどうしているだろう。京のバカは何も言ってこない。
愛生は立ち上がった。休憩していた体が動くことで、ほどよく活が入る。
「入ってもよろしいですか?」
「ああ」
またまどろみに入ってしまう前に、部屋の外から声がかけられた。
「お食事にしますか? それとも私にしますか?」
「は?」
愛生の体は固まってしまった。娼館に泊まったつもりはないのだが、一体なにが起こっているのだろう。
返事もしていないのに、愛生に向かって手を振る少女が入ってきた。
メイド服姿の少女は、やや暗めの金の髪を頭の上でまとめている。肌には赤みと張りがあり、相当若い。十代なのは間違いなかった。
顔立ちは整っているが抜群というほどでもなく、海外ドラマの端役でよくいそうな雰囲気である。しかし、かわいらしい範疇には十分入るだろう。
いやにうるんだ瞳で見つめられ、これみよがしにウエストラインを強調される。そしてのしかかるようにして距離をつめられ、優しく見つめられた。
近い。顔がすごく近い。……愛生はひたすら戸惑っていた。
一瞬くらっとしたが、理性はちゃんと働いている。目立つ龍と違って、愛生は容姿だけで注目を集めたことはない。こっちの素性もよくわからないし、そういう職業でもないのに近づいてくる少女に、警戒心がみるみるわき起こる。いつ逃げ出すか、愛生がその算段をしていると──
「なんの騒ぎですか?」
隣の部屋から、龍が呆れた様子で顔を出した。愛生が口説かれているのを見て、目を丸くする。
「あら、邪魔な女がいたわ。でも帰ってくれる? これから大人の時間なの」
少女は無理矢理体をひねって龍に向き直る。
「嘘を言わないでください。私が居るのに、愛生がフラフラ浮気なんてするはずがありません」
龍があまりにもはっきり言ったので、少女が一瞬絶句した。
「ち、ちょっと背が高くて均整が取れていて顔が綺麗だからって、調子に乗るんじゃないわよ」
猫のように唸りながら娘が言った。龍に相対して、手が震えている。……これは、かわいそうだが格が違う。
「それは敗北宣言ととってもいいのですか?」
「違うっ!」
誇らしげな龍の鉄壁は崩れない。赤面してまくしたてる少女だったが、形勢不利は明らかだ。愛生はため息をついた。この不毛なやり取りを繰り返したくない。
「……君とどうこうなるつもりはないが、せっかくだから街を案内してくれないかな。次に行くところがあるから、早く駅に行きたいんだ」
やんわり娘の体を引き離しながら、愛生は微笑みを送った。それでも少女はしばらく龍をにらんでいる。
「着替えてきますね! うんと可愛くなってくるんだから!」
娘は牽制のつもりか、そう言うと部屋を出て行った。完全に負け惜しみにしか見えないのだが。
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