第8話 怪事件の手がかり

 一歩進むごとに、隣のりゅうが緊張していくのがわかる。彼女の存在がなければ、悪夢でないかと疑うところだ。


「犠牲者は……十二人」

「こ、こんなバラバラなのになんで分かるんだよ! もしやお前が犯人か!?」

「……馬鹿はおいといて」

「ついにオブラートにくるまなくなったな、お前」


 頭の数を数えれば死者の数は予想がつく。しかし、龍もなかなかいい性格をしている。


「……ひどいもんだ。まあそれでも、現実に死者は出ていないから気が楽だが」


 愛生あいがそう呟いたとき、天井からまた声が聞こえてきた。


『探偵たちよ。聞こえるか』


 愛生は軽くうなずいて、承諾の意を示した。


『結局今まで言葉を発することはなかったが、許してほしい。その必要もなかったのでね。しかし、君たちが少し弛緩しているようなので、心配になって出てきたのだ』


 それを聞いた龍は何かを用心するように、銃を胸のあたりに引き寄せた。


「安心しな。龍のこの様子を見なよ。真剣そのものだ」

『──言い忘れていたが、このゲームの中のキャラクターには、全てモデルとなる人間が存在している。現在、生きている人間の中から我々が選んだ』

「へえ」


 別にそんなものモンタージュか、既存顔のセットで足りるだろうに。波川なみかわのいらないこだわりが受け継がれたな──次の瞬間まで、愛生はそんな気楽なことを考えていた。


『ゲームの中でキャラクターが事件に巻き込まれ死ねば、現実世界のモデルも死亡する。我々が殺すのだ。ただしこの条件は、犯人には適応されない』

「……は?」


 愛生はにわかに落ち着かない気分になった。余裕を見せなければ、と思うが、つい口から言葉がこぼれる。確かに奴は攻撃手段を持っていると言っていたが……


「おい、嘘だろ」


 愛生が苦し紛れの笑いを浮かべるのとは対照的に、声は淡々としていた。


『いつ、どこの、誰が選ばれるかは完全なランダムだ。本人は何も知らない。心配するな、死ぬのは一瞬で苦痛は与えていない』


 普通の仕事をこなしただけのように、声の主は淡々と言う。それがかえって、信憑性があった。


虎子とらこ! 虎子、至急調べてほしいことがあります」


 龍もあわてて虎子に声をかける。


 しばらくして投げかけた愛生の視線に、龍はうなずいた。やはり、現実世界でなにか起こっていたのだ。


「……フランスで、観光バスが転倒。十二名が死亡しました。なぜかその事故、乗客も乗員も外傷ではなく、全員の心臓が急に停止したことで亡くなっていたため、話題になっているそうです」


 愛生は無意識に、拳を握り締めていることに気づいた。


「俺たちは最後までゲームに付き合う! 外のフェムトを回収させるから、居場所を教えろ!」

『我々の同胞の安全を守るため、その質問には答えられない』


 声は頑なだった。残念なことに、愛生はそれに対抗する術を持たない。


 ただ、純粋に辛かった。人の一生を、こいつはなんだと思っているのか。笑い、泣き、怒り、それでも今日は無事に家に帰れると思っていた人たちの命を、ゲームのためだけに刈り取った。


「人間のことを愚かだなんだと言っておきながら、自分だって無駄な殺生をするんだな」

『我が言ったことをそのまま思い出してみるがいい。殺生が無益だなどと、一度も言った覚えはないぞ』


 愛生は一連の会話を思った。忌々しいが、声の言う通りだ。


『我々は最善の選択をするため、お前たちを見極めようとしている。その過程で、せいぜい十数人死んだところで、それは必要な犠牲だ。お前たちが日本と呼んだあの国で、一日に何人が無駄に死んでいるか知っているか?』


 龍が綺麗な眉を強く寄せた。軽蔑の意を示すように、彼女は声に背を向ける。


「そうかい。……言っておくぞ。俺たちが勝ったら、お前を徹底的に痛めつけた上で解体してやる。その時には、命乞いなんぞするんじゃねえぞ」

『……それも受け入れよう。では、気を抜かず頑張ってくれたまえ』


 会話が終わると、もう用はないとばかりに声は聞こえなくなった。


 本来、見ず知らずの相手には警戒してあたるよう、愛生は教えられてきた。


 しかし、知的ゲームを仕掛けてくるのだから、そして何より自分たちの開発チームが作ったものだからと、愛生はある程度人工知能に誠意を期待していた。それは今、急激にしぼみ、そして消えた。


 信頼とはなんなのか。愛生は空しい気分になってきた。この人工知能に、二度と情など期待すまいと愛生は誓う。


 愛生は視線を落とした。


 目の前の死体が、急に現実味を帯びてきた。足元から寒気が上がってくる。愛生は寒くもないのに、コートの前を合わせた。


 止まっている場合ではない。やらなければ。また誰かが死ぬ。


 少し目元に涙をためた龍も、同じように思っているはずだ。哀しくてやりきれなくて泣いていても、何も事態は改善しないと。


 愛生は思った。絶対に二人でここから出て、あのムカつく機械をたたき潰すと。


「やるぞ」


 口をつぐんでいた龍も、愛生の言葉を受けてうなずく。


「……この犯人を捜せばいいんですよね。でも、扉には鍵がかかっていた」


 愛生はまずとっかかりとして、窓に寄ってから口を開いた。


「ミステリーでよくある密室ってやつだな。ここの窓は開くが、地上からはこの高さもあって、ロープでもない限り上り下りは不可能。今確認したが、そんなものはなかった」

「隣の部屋のベランダに飛び移った可能性は?」

「それもないと思う。確かに少し離れたところにベランダがあるが、血液が落ちているようには見えないんだ」


 これだけの人間を刃物で殺害したら、犯人は血まみれのはずだ。しかし隣のベランダはきれいなままである。


「被害者たちが暖炉や扉の周りに集まっているから、侵入者は窓から来たと思ったんだが……見込み違いだったか」


 神でも精霊でも歩いていそうなこの世界なら、犯人は空を飛べる種族だった、という落ちがあるかもしれないが、そう結論づけるのは最後でもいいだろう。


「うまく中の人間を言いくるめて鍵を開けてもらったとしても……」


 龍がそう言って、絨毯の上に転がっていた鍵を指さす。ちょうど、部屋の入り口から対角線上にある隅に落ちていた。血がついていたが、愛生がつまみあげて鍵穴に入れてみるとちゃんと鍵がかかった。


「その可能性が高いと思っていましたが、やはりここの鍵でした」

「それなら、出て行った後に鍵をかけられない。どう見ても、オートロックの扉じゃなさそうだしな」


 オートロックなら話は簡単なのだが、扉は開け閉めしても鍵がかかる様子はない。


「私と一緒に来たボーイが犯人で、隙を見て室内に鍵を投げ込んだ……なんてことはないですか?」

「鍵の位置が奥すぎる。あそこまで放り投げたとしたら、龍に気づかれないわけがない」


 毛足が長い絨毯だから、転がっていく可能性もない。だとしたら、誰がどうやって扉に鍵をかけたのか。


「不正に鍵を複製したんじゃありません? 現代の鍵と違って、そう複雑なものでもないでしょうし」

「……そうだな。これに関しては調べてみるしかないが……」


 これから町中の錠前屋をあたらなければならないと思うと、愛生は憂鬱な気分になった。見ず知らずの愛生たちに、あっさり情報をくれる設定になっていればいいのだが。


「待って下さい。虎子から通信です」


 龍がわずかに眉をしかめながら、耳に手を当てた。


「少なくとも、街の錠前屋にはそんな依頼はないそうです。とりあえず隣町にまで捜索範囲を広げていますが、持ち込まれた可能性は低いだろうと」

「そんなことまで調べられるのか?」

「探偵から発した疑問であれば、ナビが代わって下調べできるそうです。もちろん、ナビが先に真相に気づいたとしても、探偵に呼びかけて教えることはできない仕様になっているとか」

「ご丁寧なこった」


 愛生はひとり呟く。


「……けい。お前にも仕事を頼んでいいか」


 愛生は宙をにらむが、弟からはなんの返事もなかった。新しいナビツールの扱いに困っているらしい、と虎子から聞いてため息が漏れる。


「警察の動向は?」


 愛生は諦めて、虎子に聞いてもらうことにした。


「十数人の警官隊がこちらに向かっているとのこと。この速さだと、二、三十分程度で到着するようです」


 ナビ役が有能なら、探偵は走り回る必要はないということだ。


「……メインの探偵はお前だと認識されてるみたいだな。俺はオマケだ」


 愛生が自嘲すると、龍が久しぶりに少し笑った。


「そういうことでもないでしょう。私はミステリーもほとんど読んだことがないし」

「関係あるか、それ?」


 妙なことを言い出した龍に、愛生はいぶかしむ視線を投げた。


「確かに子供の頃からよく読んできたが、所詮作り話だぞ?」

「でも、この人工知能も人間が作った物や、実際に起きた事件から学んできたわけでしょう? だったらミステリーを下敷きに事件を作ることだって、あるんじゃない?」

「……そうかな」

「似たような事件に覚えはないですか?」


 龍に頼まれて、愛生は記憶を探った。妻の頼みを聞くのも夫の勤めである。


 大量殺人、居所の分からない犯人、密室……しかしどれもミステリーの世界ではありふれている。どれも正しい気もするし、どれも違う気もする。記憶をこねくり回すほど、わけがわからなくなってきた。


「……絞りきれない。もう少し情報がないとな」


 愛生はそう言って、怖々ながら死体をもう一度検分し始めた。


 何体かにはひきずって運ばれたような形跡がある。死体を隠すにしては中途半端なやり方だ。一刻も早く逃げたいはずなのに、なぜこんな無駄なことをしたのだろうか。


 そして斬り殺しているのに、首を覆うようにくっきり手形が残っている死体がある。片手で首を押さえて、胴体を切ったのか。だとしたら相当大きな犯人だ。被害者たちも、身長数メートルはあるのだから。


「──待てよ?」


 確か、読んだ覚えがある。残酷な殺人、多数の被害者、放置された金品。それに大きな手の跡。このいくつもの条件を満たすものが、確かにあった。

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