22.さよならは言わない
短い冬休みはあっという間に過ぎ去り始業式の日が訪れて、慌ただしい三学期が始まろうとしていた。しかし、その日は紗久良にとって少し辛い日だった。なぜならば彼女のこの学校への最後の登校日だったからだ。父親の赴任先での
三人そろっての登校もこれが最後と思うと紗久良の心は寂しさに締め付けられる。通いなれたこの道をしっかりと目に焼き付けておこうとしたのだが、こういう時に限って時間は駆け足で過ぎて行く。
あっという間に着いてしまった教室の入り口前に立つ紗久良は大きく溜息を一つ。始業式が終わって直ぐにいなくなってしまう訳では無いのだが、残された時間は限りなく無いに等しく正に一瞬と言っても差支えが無い、彼女にとってはかなり切羽詰まった状態なのだ。そして口を突いて出た言葉がこれだった。
「最後が決まってる時の時間の流れって、どうしてこんなに早いのかしらね」
その言葉が凛の胸にざっくりと突き刺さる。凛も部活だ何だと雑多な用事に忙殺されて残り時間を紗久良と十分に過ごすことが出来なかったのだ。この事は一生の後悔のネタになりそうな予感がした。
「い、一生会えない訳じゃないんだから、ね……」
苦し紛れの凛の言葉に紗久良の冷静で少し冷ための本音が絡む突っ込みが出る。
「多分、何人か居る……と、思う…」
凛の心がびしびしと
「……え、な、なに」
凛の表情は更に引き攣り状況が呑み込めずに額から冷たい汗が一筋流れ落ちた。しかしそんな事など皆、全く気にする事無く全員で一斉に叫ぶ。
「凜君、紗久良さん、御婚約おめでとうございます!!」
黒板のイラストは多分、凛と紗久良であろうと思われる二人が幸せそうな笑顔で頬を寄せているシーン。それに今、皆が言った言葉が大きく書き込まれていた。
「これからもお幸せにね」
クラス代表という事なのであろうか、女子の学級委員長と男子の副委員長が凜と紗久良の前に大きな花束を持ち進み出てそれを二人に渡す。何が何だか分からないままその花束を受け取って顔を見合わせる。
「まぁ、そう言う事だ」
そう言って見なの後ろから現れたのはこのクラスの担任の男性教諭だった。
「吉川先生から吹奏楽部のクリスマスコンサートの話を聞いて、それが職員会議の議題になったのさ。そして校長も含めて全員で話し合った結果、ここは素直に祝福するのが道理だろうという事になってそれを伝えたら、じゃぁ皆でお祝いしようという流れになった、という事だ」
担任の説明でやっと状況が飲み込めた凜の視界がじんわりとぼやけて行く。それは紗久良も同じだった様で、凜に体を寄せると瞼に手を当て拭う仕草を見せながら小さな声で呟いた。
「……先生」
「愛は義務でも強要でもない、これからの展開は時の流れに任せるしか無くてその結末がどうなるのか、先が長すぎて正直先生にも分からない。だけど今の気持ちを否定して引き裂くべき理由を先生は考えつかなかった、だから堂々としてればいい。愛に年齢は関係無いさ、
良寛和尚と貞心尼のくだりは二人にとってピンと来る物では無かった様だが、学校、担任教師、そしてクラスメート達の意思は祝福に纏まっている様に思われた。
凛は面差しを皆に向けると姿勢を正し深々と頭を下げてから再び頭を上げ真剣な表情のまま静かに話し始めた。
「僕達が歩き出す第一歩をみんなと一緒に踏み出せてとても嬉しいです。この素晴らしい道を歩むことを決意した僕達はこれからもお互いを尊重して、支え合いながら共に成長して行く事を誓います。だから、これからもどうかよろしくお願いします。そして……ありがとう、みんな」
凛が言い終わってから紗久良と一度目を合わせにっこりと微笑み、そして二人そろって再び深く頭を下げて見せる。同時に暖かな拍手が沸き起こり、頭を上げた二人は少し恥ずかしそうな表情を見せた。
「みんな、さよならは言いません、また、必ずどこかで会いましょうね」
紗久良の言葉に再び大きくなる拍手。窓の外から見える景色はまだまだ冬の装いのままだが教室の中は春の日差し溢れる暖かな思い溢れていた。
★★★
羽田空港第三ターミナル出発ロビー。搭乗口前で凛と紗久良は軽く口付けを交わす。そして紗久良は小さく手を振りながらと家族と共に搭乗口の中に消えて行った。凛もそれに応えて手を振っていせたがその表情は複雑で寂しさを隠せなかった。
「行っちゃった……か…」
凛の横で莉子が溜息を混ぜながら同じく複雑な面持ちで言葉を吐いて見せた。
「これから、色々と大変だぞ、凛君……マジで」
莉子はそう言いながら凛の顔を見上げたが彼女の目に入ったその表情がかなり晴々とした雰囲気を見せているから少し意地悪な突っ込みを入れる。
「なんだよ、
その言葉にどきりとしたか凛はちょっと驚いた仕草を見せたが直ぐにそれは照れ笑いに変わる。
「そ、そうじゃなくて」
「じゃぁ何?」
「色々楽しみが出来たなって思ってさ」
「楽しみ?」
「うん、次に紗久良の顔を見る楽しみ、自分がどんな風に成長したか見せる楽しみ、キスする楽しみ、それに……」
そう言った瞬間、凛が突然頬を染めたのを見て莉子は不審な表情を彼女に向けた。
「それに?」
「その先の、その……楽しみ」
その言葉の意味が分からずに莉子は一瞬言葉に詰まったが、直ぐに気が付き凛と同じ様に頬を染めた。
「あんたたち、その先って……もしかして…」
凛は頬を染めたままその視線を莉子に向けるとゆっくりと唇を開く。
「ご想像にお任せします」
一瞬真ん丸な目をして見せた莉子だったが直ぐに呆れ顔になると吐き捨てる様にこう言った。
「ば~~~か……」
それに応えて微笑んで見せた凛が少し大人びて見えたのは間もなく迎える春と言う季節が与えてくれたこれから訪れる新たな希望によるものなのかも知れなかった。
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