12.予定は未定で済まさない

今野には釘を刺した筈だったが紗久良が来年の春、転校するという話は次の日にはクラス中に知れ渡ってしまっていた。出来るだけぎりぎりまで伏せておきたかった紗久良は頭を抱えて机に突っ伏し、凜は憮然と教室で椅子に割り込む。


「あのやろ~~~」


座った瞳で腕を組み黒板を見詰めながら完全に男の子の状態の凜はぶつぶつと何かを呟きながら今野をどうやってとっちめてやろうかを頭の中で巡らせた。そして、ゆっくりと立ち上がるとふらっと紗久良の机の横に歩み寄り、突っ伏す彼女の机の横にぺとんと立ち膝になると凜は卓上に両手をついて深々と首を垂れる。


「……ごめん」


しかし紗久良は顔を上げる事無く少し恨みがましく震えて擦(かす)れた声で一言。


「うん、でも、凜君のせいじゃないから気にしないで」


と、言われてもリークしたのは自分だから責任を感じない筈は無くて、かける言葉も失って只管狼狽と後悔と、男の友情の脆さが胸にぐさぐさと突き刺さる。無理矢理言葉を探し出してそれを口に出そうとした瞬間、紗久良がむくりと頭を上げた。そして徐に、しかも無表情にその視線を凜に向けた。


「ホントに気にしないで、いつか言わなきゃいけない事だったし、それに、私、打ち明けるのが辛かったし、自然にみんなに認識してもらえたんならそれはそれですっきりしたし」


そう言い終わった後に笑顔を見せた紗久良だったが、それは無理矢理な物である事が丸わかりだったから、彼女の言葉が余計に鋭く心に突き刺さる。そして、紗久良に対する周りの態度に少しよそよそしさが見え隠れするところにも胸が痛み沸き上がるのは溜息と切なさでこのまま底なし沼の中にずぶずぶと沈んで行ってしまいそうになる心を必死で浮上させる。


「でも、ホントに……」

「ううん、だから、ホントにもう良いんだって。逆に凜君には感謝したい気分よ」

「え?」

「重大事項を自分の口から言わなくても済んでめでたしめでたしな気分なんだからさ」

「でも、知られたくなかったんでしょ」


肩を落としてしゅんとする凜に向ける笑顔は無理矢理から少し暖かさが戻っている様に見えた。


「だからぁ、もうホントにいいのよ。だいたい、私の転校話だってまだ予定でしか無いんだから」

「ん?」

「最後の最後でどんでん返しが有るかもしれないじゃない、予定は未定、このままみんなとさよならとは限らないじゃない。実際問題、お父さんに期待してるしね」


その言葉は限りなく希望的観測で有っておそらく起こる事は無いであろう奇跡に近い状況変化でしか無くて、ほぼ決定事項であることを一番実感しているのは言った本人紗久良であるのは間違いが無い。だから、凜が今するべきはコンサートで立派に演奏して見せて、紗久良の心に一点の曇りも無い状態で送り出す、それが自分の使命だと心に刻み心の中で拳を握り締めてみたりした。


★★★


そして放課後、練習の為に確保した教室で、今野と凜が対峙する。


「隠しておいたってしょうがねぇだろ」

「ほ~~~おぅ……」

「それに自分で言うのも辛いだろうから彼女に変わって俺が広めてやったぜ」


胸を張り不必要に堂々とそう宣(のたま)った今野の態度があまりにも重厚で自信に満ちた物だったから紗久良の代わりに平手の一撃でもと思っていた心の炎が急速に消えて、それどころか自分の方がなんか悪い事をしたんじゃないかと言う錯覚さえ覚えてしまった。


「でも、でもさぁ……紗久良、迷惑そうにしてたし…」

「あのな、凜、もう一度聞くが」

「な、なんだよ……」


偉そうで高飛車な態度を完全に払拭(ふっしょく)して今度は極めて真面目で隙のない百点満点の態度に変わり、高く腕組みしてまるで自分を見下ろすような今野に凜は何も言えなくなる。


「大人になったら紗久良さんを迎えに行くってぇのは……間違いないんだろうな」

「え?」

「あくまで予定でされているだけで将来的には白紙であくまで未定なんて話じゃ無くて、強固に確定している事案なんだよな」


ずいっと、凜に顔を近付け座った眼とどすの効いた中学二年男子とは思えない声色でちょっと脅しでもかけてるように尋ねる今野に圧倒されて凜は額から冷たい汗を一筋垂らし一歩後ずさる。そして勢いを完全に失ったかぼそくて少し震える声で曖昧な返事をして見せる。


「あ、え、う……うん…」


しかし今野は圧力を弱める事無く押し続ける。


「誓うか、神に」

「神様に?」

「ああそうだ、全知全能、嘘ついたら針千本飲ませる神にだ」

「な、なんか、変な神様だね……」

「良いから答えろ」

「え、うん、ち、誓います、その針千本飲ます…変な神様に」

「よし、了解した!!」


今野の言葉が終わったタイミングで教室の扉が開き麻耶達吹部のメンバーが入って来る。


「おはようございま~~~す」


どちらかと言うと夕方に近いのだが慣習で使われている明るく元気な挨拶の言葉の後に部員達はまたしても変な雰囲気を醸し出している二人に戸惑いの視線を浴びせる。その視線に気づいたのか今野はそちらに向かってくるりと踵を返すと、口元に右手の拳を当ててコホンと一つ咳払い、そして酷く真剣であり、そして爽やかな笑顔を作って見せると凜に対していたのとは全く違う涼やかな声で一言。


「やぁ麻耶君おはよう。早速で悪いんだが君に一つ頼みが有るんだが」


爽やかな威圧に麻耶は疑問や反論を投げかける暇も無く彼のペースに飲み込まれて行く。


「詳しい話は後にしようか、さて、時間も無い、まずは練習を始めようか」


まぁ、このグループのリーダーは今野である事に誰も疑問も反論も持っていないから彼のペースで話は進むのだが流石に少し違和感を覚える麻耶だった。そして、練習終了後に一人呼ばれた麻耶は彼の言葉に愕然としながらも内側から零れて来る笑顔を隠し通す事が出来なかった。

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