7.追いかけて

「はいこれ」

「え?」


放課後の帰り道、凜の家の玄関前で紗久良が妙に改まって両手で丁寧に持った封筒は大人っぽい臙脂えんじ色の無地で裏面のフラップには金色の薔薇があしらわれたシンプルだけど何か意味ありげな物だった。


「お手紙よ、寝る前にでも読んでね」

「あ、う……ん…」


手渡された凜は手渡された物の意味をあまり深く考えることなく受け取ると、不可思議そうな表情を紗久良に向ける。


「それじゃまた明日ね」

「う、うん……」


にっこりと微笑みひらひらと手を振って見せてから紗久良はくるりと背を向けほんのちょっとの間を置いてから全力で駆け出した。その姿をぼんやりと見詰めながら凜は朝からかなり変だった紗久良の様子を改めて反芻はんすうする。


クラスメイトといつも以上にはしゃぎながら話していたかと思うと机に頬杖を突きながら教室の外をぼんやりと眺めていたり、授業中先生にさされていつもなら簡単に質問の返事を答えるのに何も言えずに笑って誤魔化したり、にもかくにも何時もの彼女とは全く違う一日の様子が流石に凜も気になって自主練中の部活には出ず一緒に帰宅したのだった。


そして二人並んで歩いている道すがら、紗久良はいつも以上にきょろきょろと周りに目をやり他愛の無い発見をしては妙に感動してみたり大袈裟に笑って見たり、一言で言い表すと落ち着きが無いと表現すればいいのだろうか、今までに無い行動を見せていた。凜は手渡された封筒を改めて眺めながら小さく溜息をつくと、通学鞄から家の鍵を取り出してドアを開け中に入るとそのまま背中越しにドアを閉め器用に鍵をかけると小首を傾げて見せた。母はまだ仕事から帰宅していない様で誰も答える者は居なかった。


★★★


「紗久良、ごめんね……」


帰宅した彼女を出迎えたのはすまなそうな表情の母親だった。父親から連絡が有って転勤は確定したとの事、そして単身ではなく家族全員が同行する事も確定したのだそうだ。


「……う、ううん、しょうがないじゃない。お仕事なんだから」


答える紗久良の笑顔は明らかに不自然で戸惑いと不安、そして悲しさが滲み出ていて痛々しさが伝わって来る。


「あなたが高校生とか大学生だったら日本に一人で残しておく選択も有りかなとは思うんだけど、まだ中学生だしねぇ……」

「ううん、私、楽しみよ。外国で新しいお友達が出来るの」

「凜君達と離れるのは寂しくない?」

「そりゃぁまぁ、寂しくないと言えば嘘になるけど今はいろんなものが発達してるから昔と違って完全に縁が切れる訳じゃないわ。それにこの程度で切れる縁なら最初っから大したことなかったって事よ」

「……そう」

「それに、どっちかって言うと私よりお母さんの方が不安よ、大丈夫?新天地で馴染めるの?」


彼女の指摘は図星で実は母親の方が赴任先での生活に不安を感じている。生活習慣も使う言語もがらりと変わる訳だから決して若くは無いと言う自分に対する認識がそうさせている訳なのだがそれを紗久良は案じながら笑顔を見せる。


「大丈夫、何とでもなるって。そこでちゃんと生活している人は沢山いるんだから」


不安げで曖昧な表情を見せる母親は紗久良の瞳に励まされる様に笑顔を返す。前向きにそして活動的で挑戦的にならないといけない事を心に誓った様だった。


★★★


……手紙を読んだ手を震わせながら凜は青褪あおざめる。


「そ、んな……」


文章はかなり明るく、そして軽めに書かれていたが父親の仕事の関係で海外に行かなければならない事が切々と書き綴られていた。それが今日の彼女の行動と重なって見えて心情は千々に乱れている事が感じられる。


――空は繋がってる、見上げれば凜君を感じる事が出来るから大丈夫だよ。


その文面を読んだ瞬間、瞳から涙が溢れる。それは単なる理屈、あるいは彼女の強がりでしかない事は明白で、凜は洩れそうになる嗚咽の意味をはっきりと理解出来た。


――この程度で切れる縁なら、最初から無かった縁なのよ。その時は潔く諦めちゃおうね。


一つ々の文字が心臓を拳銃から発射された鉛の弾丸たまの様に打ち抜いて凜は意識を失いそうになる程の焦りと痛みを感じた。ある意味、紗久良が突き付けた別れの言葉は心だけでなく体までも凍らせて思考を停止させ闇の底無し沼に叩き込み体温すらも奪って行った。


「……紗久良」


凜はまだ着替えていなかった制服のスカートのポケットを弄り、無意識にスマートフォンを取り出すと紗久良の番号を呼び出して通話しようとしたが、はっと我に返るとそれを再びしまって徐に立ち上がると部屋を出てバタバタと階段を駆け降りる。慌ただしく玄関に出るとドアノブに手を掛けてドアを開こうとした瞬間、それは外から開かれ、帰宅した母親と鉢合わせする。


「あら、凜、帰ってたのね」


最初はいつも通りの優しい笑顔だった母親は、少し荒い息をして目を真っ赤にした凜の様子を見てそれは直ぐに消えて行った。


「ど、どうしたの……」


母親の問いかけに凜は答える事無く脱兎の様に駆け出してあっという間に外に向かって姿を消した。それを呆然と見送る母は眉間に皺を寄せて何かただならぬことが有ったことを察して二階の凜の部屋に入ると机の上に残された手紙に気が付きそれを読み始めた。そして最後まで読み終わると小さく溜息をついてから小さな声で呟いた。


「なんてこと……」


部屋の扉に向かって振り返り、暫くの間思案してから母は廊下に出て階段を下りて玄関に向かい、靴を履き直して外に出ようとしたところで再び立ち止まりると顎に手を当てながら再び何かを考え始めた。少なくとも凜がどこに向かったのかは察しが付くからそれについてあまり心配する必要は無い、そして今は自分の娘にすべて任せるべきではないかと思い、靴を脱ぎ家に上がるとリビングに向かった。今自分がすべき最善の事を考えながら。






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